第5話 ひとが恋に落ちる瞬間

 綺麗なひとを、綺麗だなと思うくらいの感覚は、持ち合わせている。


 艷やかな漆黒の髪に、磨き抜かれた蒼玉サファイアの瞳。

 驚いたように瞠って、まっすぐ見上げてきていた。

 強く視線が絡んで、呼吸が止まる。


 ――今宵の客人は子爵令嬢のシルヴィア嬢か。知っているか、「魔性の女」と呼ばれている。


 直前、彼女の姿をみとめたアレクシスに、囁かれていた。


 ――以前の話だが、ひとたび顔を見せると、男どもの反応がすごかった。えげつないモテ方をする。それをクリスティーヌ嬢がやっかんで『魔性の女』と呼んでいて、女性陣の評判は良くないとか。いつしかほとんど人前に出てこなくなった。言っているのがクリスティーヌ嬢とその取り巻きという時点で、そこまでの信憑性もないんだけどな。モテはするが、男をとっかえひっかえという噂も聞かない。単にモテるだけ……。


「オリビエ?」


 見つめ合ったまま動きを止めてしまったオリビエに対し、アレクシスが名を呼んだが、その声は届かなかった。


(彼女が「魔性の女」? 俺の目がおかしいのか?)


 言葉のイメージにそぐわない、清楚な面差し。

 それは、自分が女性を知らないからそう思ってしまうだけなのだろうか。

 毒婦が妖艶であるというのは一面的な理解であって、実際に男を惑わすのは一見すると清らかな乙女ということなのか。

 目の前の少女、シルヴィアのように。


 こんな風に女性を見てはいけない、と頭ではわかっているのに。

 視線が逸らせない。

 そのオリビエの目の前で、突如としてソファを蹴倒す勢いでシルヴィアが立ち上がった。


「私に! 近づかないでください!」


 断固とした叫びに、オリビエは息を吐き出すこともできずに、硬直する。


「シルヴィア嬢。どうされましたか」


 すぐにアレクシスが声をかけたが、シルヴィアは野兎の素早さで天使像の裏に逃げ込み、顔を半分だけのぞかせて言った。


「とてつもなく自意識過剰で、痛々しいのを重々承知で申し上げるのですが! 私……、モテるんです!」

「ああ、はい。なんとなく存じ上げております」


 アレクシスは、どことなく気のない様子で答えた。

 オリビエは(言い方、もう少し優しくても良いのに)と咎めそうになったが、寸前で堪えた。それは自分がこれまであらゆる場面で体感的には「百万回」言われ続けながらも、一切改める気のない部分である。今さら他人に言えない。

 シルヴィアはといえば、アレクシスのそっけない態度にも気づかぬように、きっぱりと言い切った。


「ですので、近づかないでください!! 好きになられたら困るんです!!」


 * * *


 しん。


 妙なる静寂。

 薄笑いを浮かべたイライザが、アレクシスとオリビエに順に視線をくれる。

 やがて、場をとりなす必要性を感じたのか、可愛らしい咳払いをしてから言った。


「座ったら良いと思うの」

「シルヴィア嬢は」


 早速一人掛けソファのひとつに座りながら、アレクシスがイライザに尋ねる。

 いつも慇懃に「叔母と甥」として会話する二人であるが、イライザはアレクシスよりも年齢が下。ふんわりとした金髪に薄紅色の瞳の可憐な少女。

 アレクシスの問いに答える代わりに、イライザは少しだけ声を張って、やや離れた位置に身を隠しているシルヴィアに呼びかけた。


「シルヴィア、そこでいいの?」

「大丈夫です!! 問題ありません!!」


 はきはきとした返事がその場に響き渡る。

 黒髪の令嬢は、天使像の影にすっかり隠れて、姿は見えない。


(「好きになられたら、困る」……?)


 シルヴィアが言い残した言葉がぐるぐると頭の中を巡っていたオリビエは、毅然として顔を上げ、アレクシスに向かって言い放った。


「俺がいる……!」

「親近感が湧いたのか」


 すかさずアレクシスは茶々を入れたが、オリビエはそれどころではない。


「わかる、わかるよ……! ただ生きているだけなのに、不意打ちのように寄せられる好意の、どれだけ扱いにくいことか……!! 『困る』って言っても『モテる男の悩みは贅沢だねえ』なんて揶揄されてろくに取り合ってもらえない!! 挙げ句、『愚痴にみせかけた自慢か?』なんて言われて、無駄に周りとぎくしゃく! 『他に好きな相手がいないなら、付き合ってみればいいのに』と、本人にも周囲にもゴリ押しされて、拒否すれば偏屈扱い! 俺が何をした!? って思うんだけど『失恋させた』って大罪人みたいに責められるんだ。わかる……のって、マジでキツイんだよ……!!」


 お茶どうぞ。どうも、頂きます。

 熱弁をふるうオリビエの背後で、イライザとアレクシスはのどかに会話をしていた。

 時折、ちらっと目を向けて見守り態勢。

 感極まったオリビエが、ついには口を閉ざして浸り始めたのを見て「終わったみたいです」とアレクシスが呟く。

 イライザが、天使像に向かって声をかけた。


「シルヴィア、出てきたら? 彼があなたの会いたがっていた『失恋伯爵』よ。たぶん、すっごく話が合うわよ。せっかく本人がいるんだから、もう洗いざらい話してしまえば良いんだわ。『モテ』って辛いですよね、って。盛り上がるわよ~、たぶん」


 絶妙に投げっぱなしの態度であったが、少し間をおいた後、天使像の影からシルヴィアが顔を半分だけのぞかせた。

 おそるおそる、やや離れた位置に立つオリビエに目を向ける。


「はじめまして。シルヴィアと申します。コリン子爵家の」

「オリビエです。父が早々と引退を決め込んだので爵位を継いでいますが、普段は大学で線形動物の研究をしています」

「線形……?」


 シルヴィアの問いかけに、オリビエは身を乗り出す。

 今にも勢い込んで何か話し始めようとしたところで、アレクシスが「やめておけ。お前の早口は聞き取りにくいし、何を言っているかさっぱりわからない」と鋭く制止した。

 遮られたオリビエは軽く咳払いをしてから、自分の胸に片手をあてた。半分だけ見えているシルヴィアに、にこりと微笑みかける。


「線形動物以外の話もできないわけじゃないです、大丈夫」


 お茶のカップから口を離したアレクシスが「大丈夫と保証する範囲が、違うんだなぁ……」とぼやく。その横で、イライザが「良いんじゃない? 女性を安心させようという心意気は感じたわ」と前向きな見解を述べた。


「伯爵、あの……。私もこんなことを言いたいわけではないんですが。呪……いえ、なんでもないです。私のこと好きにならないで頂けますか。伯爵ほどの方なら、大丈夫かなと思うんですけど」


「はい。『人から好かれるしんどさ』はよくわかっているつもりです。自分が嫌だと思っていて、あなたも嫌だと思っていることを、するわけがありません。それに、私は一生誰も愛せないという呪……、いえ、運命でして。これまでどんなに想いを寄せられても全部突っぱねてきた身です。今さら誰かを好きになるなんて、そんな身勝手は許されない」


 オリビエの言葉に勇気を得たのか、シルヴィアは気の弱い小動物のようにそうっと、天使像の影から姿を見せた。

 ためらいながら、顔を上げてオリビエを見つめる。

 距離のある二人の間で、視線がぶつかった。


 イライザから物言いたげな目配せをされたアレクシスは、腰を浮かせて、イライザの隣に場所を移す。

 触れ合わないぎりぎりの距離で、イライザは淡く微笑みながらアレクシスに囁きかけた。


 ――ひとが、恋に落ちる瞬間を、目撃してしまったわね。


 愉快そうに見上げてきたイライザから、アレクシスはゆっくりと視線を引き剥がす。

 立ち尽くしたままの二人へと、目を向けた。


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