第4話 胸が痛い
廊下の天井が、見上げるほどに高い。
イライザがシルヴィアを案内してくれたのは、奥宮。
王宮暮らしの王族が、普段は客人に開放することなく私的に使っている場ということ。華美ではないものの贅の凝らされた空間であった。
壁面には名のある画家の手になるものと思われる絵画や、装飾性の高い枠にはめられた大鏡などがかけられており、ぎっしりと本の並んだ書架スペースも通り過ぎた。
長い廊下のところどころにソファやテーブルも置かれていたが、目指す場所は最奥の開けた場所。
天井はひときわ高くドーム状になっており、壁はアーチ型の出窓で、床から壁一面にガラスがはめこまれている。
外は夜の闇に沈んでいたが、目を凝らすと植物園のように種々の木々のシルエットが見えて、開放感があった。
「オリビエも来るって。座って待っていましょう」
いくつものランプに照らし出された灯りの下。
イライザは寛いだ様子で、空色の布が張られたマホガニーのソファにゆったりと腰掛ける。
辺りには天使の像や東洋風の絵付けのされた大壺がセンスよく配置されていて、足音もなく物陰から現れたメイドたちがガラスのテーブルに茶器を並べ始めた。
「伯爵が……」
ソファはさりげなく幾つも置かれていたので、シルヴィアはひとまず一人掛けのソファにそっと腰を下ろしてみた。しかし、落ち着かないまま辺りを見回す。
(失恋伯爵のオリビエ様が、ここに)
二方向に開けた廊下のどちらから現れるのかと、せわしなく首を巡らせてから、青い吐息を漏らした。
緊張しながら記憶をたどってみる。「失恋伯爵」の、冷淡さが突き抜けて清冽さすら感じさせるまなざしや、研ぎ澄まされた鋭利なナイフのごとき言葉を思い出す。
――自己中な女性は嫌いなんです。
シルヴィアは「うっ」と息を止めて、フリル多めの夜会用ドレスのスカートを両手で握りしめた。
指が、震えている。
「む。無理無理。私、自分のために伯爵を利用しようとした、自己中な女です。あの目は私の浅はかな魂胆などすべて見通してしまうに違いありません。きっと、とんでもなく冷たい言葉であしらわれてしまいますっ」
白磁に青い薔薇の描かれたカップで茶を飲んでいたイライザは、「あらー?」とのんびりとした調子で言う。
「それはそれで、構わないのではなくて。あなた、自分の『モテ』を忌々しく思っているのでしょう? オリビエにものの見事に壮絶なふられ方をしたら、自信がつくんじゃない? 世の中には、あなたの魅力に屈しない男もいるって。明日にでもお天道様の下を歩けるようになるわよ?」
「それは、たしかにその通りではありますが」
(それとは別に、あの方に冷たくされる自分を想像すると、心が折れるといいますか、砕け散るといいますか)
横暴なクリスティーヌを、少しの躊躇もなく、甘さの欠片もなければ望みの一つもない言葉で切りつけた「失恋伯爵」。
その姿に、シルヴィアは胸が痛いほどの憧憬を感じてしまったのだ。
(もしあの方が「呪い」の影響を受けない強靭な精神の持ち主だとしたら……。普通のお友達くらいに仲良く話してみたい。でもきっと、それが叶ったとして、次は「もっとおそばに」と欲が出てしまうかも。そんな邪心を持つ女を、あの方が見逃すとは思えなくて)
惹かれてしまいそうな予感があるが、必死に目をそらしている最中。もうあのひとのことを考えてはいけないと、ずっと自分に言い聞かせている。
言い聞かせている間、ずっと考え続けている。
「本人を前にしたら、緊張しすぎて変なことを言うのはわかりきっています。どうしましょう、消えたい」
ぎゅうっとスカートを握りしめながら、声を振り絞るようにして出す。
「意外と、彼は普通だと思うのよね。なぜかモテてはいるけど、落ち着いて話せばどこにでもいる青年貴族じゃないかしら。アレクとも、良い友だちみたいだし」
イライザは元から伯爵とは面識があり、話したこともあるというのはシルヴィアも聞いていた。
いざその口から彼のことが語られると、胸が締め付けられる心地がする。
シルヴィアから見てイライザは、あどけない少女のような可憐さと、教育の施されてきた淑女としての理知を兼ね備えた優美な女性なのである。引け目は感じないようにしようと思っていたが、並んでしまえば自分はいかにも頼りなく未熟だ。
「イライザ様は年齢より大人びて落ち着いていらっしゃいます。私なんて、『普通』どころか、ろくに社会経験もない引きこもりですし、まともに男性と会話したこともありません。妙な『モテ』のせいで、どんな上品な方でもわかりやすく下心丸出しで近づいてくるので、逃げるので精一杯でした。あらゆる経験が不足していまして、人間として出遅れているどころではないです」
「自覚があるなら、変に自分を作らず素直に話せばいいだけよ。知らないものを知らないというのは、そこまで悪いことじゃない。知らないものを知っていると偽るのに比べれば、全然マシ。男性のことがわからないなら、わからないですって言えばいいのよ」
「簡単に言いますけど」
そこでシルヴィアは呼吸を整えてから、イライザを見つめた。
「私は、世間的には『魔性の女』で通っています。男性のことがわからない、なんて言おうものなら『あばずれの癖に可愛い令嬢ぶって』と白い目で見られるだけです。男性のことが怖くて逃げていても、『追わせるためだ』とか『悪女仕草だ』なんて言われて」
「その空気を作っていたのは、陰険陰湿わがまま令嬢のクリスティーヌでしょ? 私のように、普段のあなたを知っている人間はそんなこと絶対に考えないわ」
シルヴィアの瞳に、じわりと涙が滲んだ。
「イライザ様がいてくださって良かったです。イライザ様の為なら私、命だって投げ出せますからね!」
重いわねえ、とイライザは薄く笑って呟いてから、ふっと廊下に視線を滑らせた。
「来たわよ、殿下と伯爵」
(話に夢中になって忘れていたわ!)
イライザの視線の先。
少し離れた場所に、黒髪のアレクシス王子と、赤毛の失恋伯爵オリビエが並んで立っていた。
「叔母上、お待たせしました。良い夜ですね」
「お互い、公爵家で無駄な時間を過ごしてきてしまったわね。お茶を飲み直しましょう」
きわめて友好的な態度のアレクシスに、イライザものんびりと答える。
その間、シルヴィアとオリビエは、視線が絡んでしまったまま、逸らすタイミングを逸して見つめ合ってしまっていた。
(天使様……。遠目には危うい美貌に見えていましたが、こうして正面から見ると、男性的で精悍な面差しをなさっているのがよくわかります)
心の中で、なけなしの美辞麗句を並べかけていたシルヴィアであったが、はっと気付いてすばやく席を立つ。
その過剰な仕草が全員の注目をひいたことには気付いていたものの、それどころではない、と隠れられる物陰を目で探しながら言った。
「私に! 近づかないでください!」
視界の隅で、オリビエが驚いたように目を見開いたのもわかったが、ここは譲れない。
(まさかこの場で、アレクシス様やオリビエ様を私の呪いの虜にするわけにはいかない……!)
「シルヴィア嬢。どうされましたか」
アレクシスが落ち着いた声で話しかけてきた。
シルヴィアは、飛び退るように自分より背の高い天使像の裏にすべりこみ、少しだけ顔をのぞかせてアレクシスを見た。
「とてつもなく自意識過剰で、痛々しいのを重々承知で申し上げるのですが! 私……、モテるんです!」
「ああ、はい。なんとなく存じ上げております」
「ですので、近づかないでください!! 好きになられたら困るんです!!」
呪いに巻き込んではいけない一心の、魂の叫び。
そのときその場は、しん、と。
シルヴィアの、のみの心臓が潰れそうなほど、いたたまれない静けさに包まれた。
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