第3話

 教室から外に出ると鼻を突くようなガスの臭いにどこかの煙突から噴き出る黒煙の合間に太陽が高く昇っている。どうやら午前も終わりに差し掛かっている時刻のようだ。


 「いってぇ~」


 エインの一撃によって痛む後頭部を擦りながら、エンハルトは悲痛な声を上げる。


「そもそも講義中に寝るのが悪いんだろう」


 窘めるような口調で告げるソーマであるが、講義中に眠ってしまったエンハルトをエインがたたき起こす光景は見慣れているため、ソーマもあまりの痛みに目に涙をためるエンハルトを心配する様子はない。


「しょうがないだろ、ダルク爺の話は眠くなるんだよ」


 確かにダルクの声や話し方はおっとりとしているうえ、歴史学という眠気を誘う講義のため眠くなってしまう生徒は多いだろう。しかし、寝ていい理由にはならないため、寝ていたエンハルトの方に非があることに変わりはない。


「それで、この後は学外演習だったか」

「おう、昼飯食ったら第七班の稽古場集合だってさ」


 黒鉄学園は国による育成機関であることと、貴族が多く通うことによる資金力から班ごとに稽古場と呼ばれるその班員が自由に使うことが出来る訓練場が与えられている。


「アバウトな集合時間だな」


 第七班の教官であるミコト教官は腕が立つ騎士として名が知られているものの、細かいことは気にしない性分であるらしく、大事な要件でなければ集合時間ですらきっちり決められていないこともままある。


「そしたら食堂で何か食べてから行くか、エインもそれでいいよな」


 ソーマは後ろについて歩くエインに振り返る。


「うん、大丈夫……」


 どこか心ここにあらずといった様子のエイン。ガーネットのような赤い瞳彼女の長い睫毛が影を落とす。


「どうしたんだ、エイン」


 普段とは違う様子のエインに不安を覚えたソーマは、エインへ尋ねる。

 エインは逡巡の後、小さく口を開く。


「歴史学の時の課題、私とソーマのしか出してない」


 なんだ、そんなことか。と安堵するソーマの横で色素をそぎ落とされたように顔面蒼白したエンハルトがわなわなとふるえ始めた。


「珍しく俺も課題やったのに……」

「普段やってこないから忘れられるんだぞ」


 ソーマはからかうような口調でエインをかばう、実際に課題をやってこないことが多いエンハルトにも非はあるだろう。

 エンハルトはこの学園では珍しく不真面目な行為が目立つ、特に座学においては講義中の睡眠や課題未提出などが多い。しかし剣術など戦闘訓練に関してはこだわりがあり、誰よりも努力をしていることをソーマは知っている。本人にそのことを問いただした際には、貴族という存在を憎んでいるらしく、座学をまじめに受けないことは貴族である実家への反抗らしい。

 エンハルトはすぐに切り替えたようで何事もなかったかのようにすっきりとした表情になるとソーマたちに背を向けて走り出す。


「せっかく課題やってきたし、ダルク爺探して出してくるわ」

「俺らは先に食堂いってるぞ」


 走り去るエンハルトの背中に声を返し、ソーマとエインは食堂へ向かった。


 その後、ソーマとエイン、そして遅れてやってきたエンハルトは食堂で昼食をとり、第七班の稽古場へ向かうこととなった。

 第七班に割り当てられた稽古場は人数が少ないこともありアランの所属する第一班のものと比べるとこじんまりとしているものの、手入れが行き届いているため、三人しかいない第七班にはちょうどいい大きさだ。多少年季が入っていることを無視すれば快適だ。

 ソーマはドアに手をかけ、横にスライドさせる。歴史を感じさせる重厚感のある扉は何度か途中でつっかえながらソーマ達を中へ迎え入れた。

 殺風景な部屋には訓練で使うための木製やレプリカの武器が綺麗に並べられている。藁でできた傷だらけの人形がその訓練の厳しさを物語っている。

 その人形に並ぶように一人の女性が待ち構えている。

 ソーマは稽古場に入ると開口一番にその女性へと声をかける。


「すみません、お待たせしてしまいましたか」

「いや、思っていたよりも早かったな、流石第七班、私の班なだけはある」


 ソーマの声をかけた女性、ミコトは自慢げに腕を組みながらソーマ達を見返しながら言った。

 ソーマはミコトの方へ近づくと、彼女が普段とは違う格好をしていることに気が付いた。


「そんな格好して、今日は何をするんですか?」


 彼女の服装は普段と違い、白と金で統一された、細身のフォルムが美しい戦闘用の鎧をまとっていた。

 ミコトは窘めるように口を開く。


「そう焦るな、まだ全員揃っていない」


 その言葉にソーマ達三人は顔を見合わせる、第七班はソーマ達三人でフルメンバーのため、全員揃っているはずである。

 何のことだろうか、と考え込むソーマの横にいたエインが何かに気が付いたように顔を上げる。


「もしかして他の班と合同で行うのでしょうか」

「半分正解だ」


 ミコトはニヤリと口角を上げる。


「半分正解ってどういう意味だよミコトちゃん」

「ミコトちゃんと呼ぶなエンハルト、半分正解というのは少し待っていればわかる」


 ソーマ達は腑に落ちないと言った顔で再び顔を見合わせる。

 するとソーマ達の背にある少々立て付けの悪いドアが音を立てながら開かれた。


「ふん、随分みずぼらしいけいこ場だな。まあ貴様のような庶民の班にはちょうどいいか、ソーマ」

「アランじゃないか、何しに来たんだ?」


 姿を現した二人組のうち一人は先ほども会ったアラン・バリュデュールだった。

 アランは自慢の金髪をかき上げる。いかにも自分に酔いしれているようなねっとりとした動作だが、如何せん用紙が優れているため絵になってしまっている。


「貴様の班がルーベまで演習へ行くというのでな、私も同行させてもらうことにしたのさ」

「ルーベ?」


 エンハルトが素っ頓狂な声を上げる。第七班には演習内容は知らされていなかったが、アランは内容を知っていたようだ。


「ルーベってマグリアとの戦いの最前線じゃないのか?」


 ソーマは首を傾げる。

 ルーベは元々マグリア領の港町だったのだが、百年戦争の間にオルゼンギア公国が占領しており、戦場に最も近い町となっている。

 アランが苦々しい表情を向ける。


「貴様は知らないかも知れないがルーベでは治安の悪化が問題となっている」

「治安?」


 ああ、と軽くうなずきながらアランは続ける。


「ルーベの町はオルセンギア公国が支配下に置いてからはルーヴェン公が統治を行ってきた。しかし、最近治安が悪化しているとの噂を聞いた。私は貴族として苦しむ領民のためにこの目でルーベの現状を確かめたいと思っていたのだ」


 アランは真剣な眼差しでそう語る。本心から苦しむ領民を案じているようだ。


「それに、ルーヴェン公には以前から良くない噂があったのでな、私の父上も警戒しているようだ」

「グラン・バリュデュール公が?」


 アランの父であるグラン・バリュデュールはオルゼンギア公国の中枢貴族による議会に所属している大物だ。それほどの大物が警戒するということは、それなりに信憑性の高い噂なのだろう、とソーマは確信する。

 それと同時にソーマは疑問を口にする。


「ところで、そこの人は?」


 ソーマはアランと共に入ってきたもう一人へ視線を向ける。

 人形かと見紛う程に整ったかわいらしい様相で、まったく淀みのない清流のような淡い金色の髪が良く映える女生徒が立っていた。

 ソーマに視線を向けられた女生徒は一つ咳払いをして、その美しい容姿に違わぬ澄んだ声を発する。


「私はアリア・リンドブルムと申しますわ。アリアとお呼びください」

「彼女は第四班に所属している。仲良くしてやってくれ」


 ミコトがそう補足する。


「アリア・リンドブルム、か……どこかで聞いたことがあるような」

「ソーマお前知らないのかよリンドブルムといえばオルゼンギアの列車を製造している会社だぞ!アリア・リンドブルムといえばそのリンドブルム家の令嬢、大貴族じゃねえか」


 リンドブルムという名に既視感を覚えるソーマに対して、仰天した様子のエンハルトが声を荒げながら説明する。エンハルトのアルバーン家も騎士の名家として有名なだけに、リンドブルムという家名がどれほどの意味を持つのかがうかがえる。

 アランが私の家ほどではないがな、と呟くのを無視しながらも、ソーマの既視感の正体はまだ残る。リンドブルムの正体はわかったが、アリア・リンドブルムという名は流石に列車では聞かないはずだ。

 ソーマの自身の中に残る既視感の謎に蓋をしつつ、新たに浮かんだ疑問を投げかけることにした。


「なぜそんなお嬢様が今回の演習に同行するんだ?」

「それはもちろん興味があるからですわ」

「興味?」

「ええ、興味です」

「……そうか」

「そうです」


 どうやらそれ以上の理由を話す気は無いようだ、とソーマは判断し会話を取りやめる。そもそも演習の内容も知らないうちには何に興味があるのかすら見当もつかない。


「それで演習内容は何なのでしょうか、ミコト教官」


 しびれを切らしたかのようにエインがミコトに尋ねる。

 するとミコトはにやりと笑い、満を持してというように口を開く。

 

「喜べ、今日の演習内容は魔物討伐だ」

 

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