第2話

「それでは歴史学の講義を始めましょうか」


 柔和な笑みを浮かべ、教壇に立つのは歴史学講師のダルクだ。シワの多い目尻と白髪混じりの長い眉が温厚な性格と相まって一部の生徒からダルク爺と呼ばれ、人気がある講師だ。


「今日の内容は、皆さんも興味のあるものだと思います。オルゼンギア公国とオグリア帝国の間でおよそ100年前から今現在まで続いている『百年戦争』についてです」


 百年戦争、それはオルゼンギア公国とマグリア帝国に住んでいる人間であれば誰でも知っている言葉だ。特に国境近くにすむ者からすれば、いつ敵国が攻めて来るのか毎日不安に暮らしていることだろう。

 ソーマ達生徒にとっても百年戦争は縁の深いことであり、黒鉄学園で軍人として鍛えられる生徒のほとんどはこの百年戦争のために育てられているといっても過言ではないほどだ。


「もうご存知の方も多いかと思いますが、百年戦争の始まりはマグリアが国境沿いにあるゲウト山脈から侵略したことから始まります。これが一次侵攻、と呼ばれます」


 ゲウト山脈、それはオルゼンギア広告からすると北西に位置し、オルゼンギア公国とマグリア帝国を東西に二分する山脈である。そしてゲウト山脈の北にはこの世界を守る守護獣と呼ばれる存在を崇める聖ウェルン教国という国があり、三国を分かつ非常に重要な山脈となっている。

 そのゲウト山脈からマグリアが攻め組んできた、ということらしい。

 すると先頭の席に座っていたアランが真っ直ぐにその右手を上げる。


「ダルク先生、なぜマグリアはゲウト山脈から攻めてきたのでしょうか?ゲウト山脈は非常に険しく、行軍には適していないように思えますが」


 アランの質問も尤もだ、とソーマは小さく頷く。アランの言っていた通り、ゲウト山脈は国家の門と称されるほど険しい山脈であり、登山家ならともかく戦闘のための装備を抱えた大人数の軍が行軍するには厳しすぎると思える。

 アランの質問に対し、ダルクはにこやかに、それでいてしっかりとした口調で答える。


「良い質問ですね、アラン・バリュデュール君。確かに今の技術があればゲウト山脈よりその南に流れるレコン川を越える方が楽でしょうな、しかし百年近く前のマグリアにはその技術がまだ無く、歩兵や騎馬兵を主力とするため、レコン川を越えることができなかった。そのため仕方なくゲウト山脈を選んだと言われていますね」


 ゲウト山脈はオルゼンギアとマグリアの国境の北部で途切れており、そこから南部はレコン川という大河が流れている。

 ソーマも父、オウマに連れられてレコン川を見にいったことがあるが、騎馬を主力とする軍では大河を越えることは難しいだろう、と納得する。


「なるほど、国境南部のレコン川を超えることができなかったのですね」


 アランがわざとらしいほどのリアクションをしながら理解したという反応をする。彼は意外と勉強には意欲的に取り組むタイプらしい。

 性格が悪いだけでなくて講義には真面目に取り組むのだな、とソーマは感心していた。アランへの評価を少し改めなくてはならないようだ。しかし、隣で船を漕いでいるエンハルトにも見習ってほしいものだ。講義開始数分で眠ることができることにも違う意味で感心するソーマであった。


 「一次侵攻ではゲウト山脈越えで疲弊したこともあり、そこまで大きな戦火はありませんでした。しかし、この時からオルゼンギアとマグリアの間の国交が途絶えることとなったのです」


 さらにダルクの話は続く。


「両国の小競り合いはずっと続くのですが重要な部分の話をしましょう。まず戦況が動いたのは今から八十年ほど前、オルゼンギア公国軍はゲウト山脈を越え、マグリアの都市エルンへの侵攻を開始したのです。これがエルン強襲と呼ばれる戦いです」


 エルン強襲、オルゼンギア公国がマグリアの都市、エルンに急襲を仕掛けた戦いだったが、作戦が漏れていたのか、なぜかマグリアはエルンにて防衛の準備を整えており、オルゼンギア軍を魔法をもって撃退したことが有名な戦だ。


「このエルン強襲にて敗北を喫したオルゼンギアはゲウト山脈からの侵攻を諦め、レコン川を超えることのできる船の建造を開始しました。ここから、オルゼンギアは機械の製造に力を注ぐようになりました。この時代に開発された技術が、今の列車の製造にも大きく影響を及ぼしたわけです。」


 戦争によって発展した技術で今の生活ができているというのはなんとも言い難いが、空気が汚いことを除けば快適な暮らしができる機会の国オルゼンギアができたのはこの百年戦争があってこそ、ということになる。


「その後二十年ほどの時間を要して船が完成し、今度はレコン川からマグリアの東南に位置する港町ルーベへの侵攻を開始したのです。これにはマグリアも予想外だったのでしょう。瞬く間にルーベを陥落させました。」


 さて、と前置きしダルクは続ける。


「ここで皆さんに問題です。ルーベを陥落させる際にマグリアの予想外なこととして船の他にもう一つあります。それは一体なんでしょうか」


 その問いに応えるように教室の生徒が数名手を上げる。ソーマが左右を見ると第七班のメンバーは誰も手を挙げておらず、手を挙げているものは貴族出身者ばかりであった。このような事でさえ貴族出身者と平民の違いが出るのか、とソーマはため息をつく。ならばと勝手に平民を代表してソーマは手を挙げた。


「おお、ソーマ君が手をあげるとは珍しいですね。それではソーマ君に答えていただきましょうか」

「銃の誕生、ですかね」


 ソーマは以前オウマに百年戦争の話を聞いたことがあったため、迷いなく答える。


「そうです、オルゼンギア軍は銃を開発したのです。それまでは遠距離を攻撃できる武器といえば弓しかなく、マグリアの魔法攻撃には剣や槍の間合いまで近づく必要がありました。しかし、この銃の誕生により魔法に対しても互角かそれ以上に戦うことが可能になりました。」


 ソーマの聞いた話によると銃と言っても筒に火薬と弾丸を詰め込んで火薬を爆発させた反動で弾丸を飛ばすため連射は出来ず、さらに二割は暴発する程度のものだったらしく、運用は難しかったようだ。それでも初めての銃により、戦況は有利になったことは間違い無いだろう。


「余談ですが、この戦いで戦果を挙げたアインス・アルバーンが現在の騎馬の名門アルバーン家の当主でした。エンハルト君の祖父にあたりますね」


 先生、そのエンハルト君寝てます。


「省略してお話ししているのでもう少しで終わりですね。次は今から二十年ほど前の話です。皆さんのご両親の中にも実際に経験した方がいるかもしれません。ソーマ君のお父上、オウマ将軍が活躍なされたカラリナ攻撃戦です。」


 教室が待ってましたと言わんばかりにザワザワとし始める。オウマはこの戦い以来オルゼンギアでは英雄のような扱いを受けており、国民全員に知られていると言っても過言ではない。ソーマはあまり実感がないのだが、オウマはオルゼンギアにとっては非常に重要な人物なのだ。


「先の戦いで奪取した港町ルーベからオルゼンギアへと架かるエントリンデ大橋を建築したオルゼンギア軍は補給も潤沢に行うことが出来るようになったため、マグリア帝国の首都であるエルレインへの侵攻を計画します。そのためにエルレインへの道中にあたるカラリナという都市への攻撃を開始しました。途中幾度の抵抗にあいますがオウマ将軍はその類まれなる剣術と兵法により一騎当千、獅子奮迅の活躍をしたのです。なんと一度も敗戦らしい敗戦はなく、カラリナへ侵攻したのです」


 この戦いはソーマもオウマ本人から嫌というほど聞かされた、話の最初から最後まで暗唱できるほどに聞かされた、オウマの数ある武勇伝の中でもトップクラスの武勇伝らしい。確か一度だけこの武勇伝に止まらず子供だったソーマにオウマがカラリナでの出来事の話をこぼした記憶があるのだが、ソーマもそこまでは鮮明には覚えていない。


 「しかし、カラリナに到着してからはオウマ将軍は病によりすぐに前線を退き、それ以来危機感をもったのでしょうマグリアの反撃により、港町ルーベ近くまで前線の後退を余儀なくされ、今に至るという事です」


 ん?とソーマは眉を顰める。オウマに病があるなんていう話はオウマから聞いたことがなかった。ソーマに心配をかけないために黙っていたのだろうか。帰ったら本人に確かめるとしよう。


「それでは、本日の歴史学の講義はここまでになります、前回出した課題は班ごとに纏めて提出してください」


 ダルクがそう言うと同時に講義終了の時間を告げるチャイムが鳴る。だいぶ省略して講義を行なっていたようだがそれでも時間いっぱい使ってしまったようだ。


「班ごとに集めるんだって、ソーマは課題やってきたでしょ?私持ってっちゃうね」

「ああ、ありがとう」


 そう言ってソーマは課題をエインに手渡す。エインはこういうところで気を利かせてくれるので、ソーマはありがたく甘えることにしている。

 課題を提出した班が次々と退室していくのを尻目に、ソーマは隣で熟睡に突入しているエンハルトを起こすことにした。


「ハルト、講義終わったぞ」


 肩を揺するが反応はない。置いていこうか。


 「ソーマ、課題出してきたよ?」


 いつの間にかソーマの元に戻ってきていたエインが座ったままのソーマを不思議そうに見つめる。

 エインには申し訳ないがエンハルトをそのまま放置していくわけにもいかないので、強硬手段をとることにした。


 「エイン、すまないがハルトを起こしてくれ」

 「わかった!」


 エインは快く了承すると右手を石のように固く握り、寝ているエンハルトの後頭部へ勢いよく振り下ろした。

 人から出てはいけない音がしたような気がするが、まあいいか。

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