第1話

本校舎に到着したソーマたち三人は長く薄暗い廊下を歩く、等間隔に並べられた窓から柔らかな光が入り込む。食堂や外観はどこかの宮殿かのように豪華な装飾があしらわれ、少々品がないとさえ感じるほどに煌びやかな印象であるのに対し、本校舎は歴史を重視した、良く言えば歴史を感じる古き良き校舎となっている。

 ソーマたち三人は他愛のない話をしながら、目的地の歴史学の講義が行われる102教室へと入った。


「講義一五分前なのに結構人いるね」


 教室に入るとソーマの隣にいるエインがポツリとソーマに囁く。確かに普段は一五分前ともなれば閑散としているのが常であったが、今日は十数名ほどの生徒がいくつかのグループに分かれて席についている。いくらか見知った顔がいるものの、各々自分の班員との会話に夢中でソーマたち第七班には気がついていないようだ。

 ソーマたちも空いている席に着き、今日の予定を共有する事にした。


「今日はまず歴史学を受け、その後は学外へ演習に行くらしいぞ」


「学外演習?」


 エンハルトが今日の予定を軽く確認する。歴史学はこれから受けるとして、学外演習とはなんのことだろうか。黒鉄学園では班ごとに教官と呼ばれる担当教師が存在する、そして教官が班のスケジュールを決める。そのため教官によってはこのような急な学外演習も起こり得るのだ。

 しかし学外演習など大掛かりなものは事前に伝えれることがほとんどで、それだけに今回の急な学外演習には班員も不満を感じるようだ。


「学外演習なんてそんな急に言われても困るよねえ」


 エインは肩をすくめながら、辟易したようなため息混じりに声を漏らす。


「ミコトちゃん結構雑なところあるからな」


 教官をミコトちゃんと呼び慕っているエンハルトもエインに同調するように傾れる。


「まあそう言うな、教官も何か考えがあってのことだろう」


 ソーマは多少雑で豪快なきらいがある教官を思い浮かべながら、真面目な性分のためか急な学外演習も受け入れているようだ。実際、教官の言うことは絶対の権限をもつ黒鉄学園では如何なる理不尽であっても教官の言うことには従わなければならないため、ここで不服を言ってもどうしようもないと言う諦めも含まれているかもしれない。

 長机に並んで座り、予定の確認をしている三人に徐に足音が近づいてきた。


「やあやあ第七班の諸君、相変わらず三人なんて寂しい奴等だねえ」


 金色の前髪を右手で弄りながら声をかけてきたのは……えっ…と……?

 見たことはあるんだけどなあ、誰だったかなあ、と声をかけてきた男を前に、ソーマは首をかしげる。


「アラン・バリュデュールだ!貴様この私を忘れたなどと言わないだろうな!」

「そうか」

「反応薄いな貴様!」


 名乗られてようやく思い出したソーマに対して怒号と飛ばすアラン。

 アランはこれでもオルゼンギア公国でも歴史の古い貴族の出身である。エンハルトのアルバーン家よりもはるかに歴史が深く、バリュデュール家に生まれる者は幼少より人の上に立つものとして育てられ、それを疑わずに育ち、家を継ぐ。さらには貴族同士の政略結婚でのみ血筋を繋いできたために貴族としてのプライドも高い。

 なかでもアランは他の生徒、特に貴族出身でない生徒に対し常に見下したような嫌味な面があるため、彼の取り巻き以外の生徒にはあまりよく思われていない。

 そんな男がわざわざなんの用だろうか。


「私がリーダーを務める第一班は私を含めて九人もいるというのに貴様の班は三人とはな」


 黒鉄学園では生徒の中から班のリーダーとなる班長が選出され、班長に選ばれた生徒が班員を二名以上、つまり班長含め三人以上集めることで班として認められ、学園から班へ担当教官ご与えられるなど特別な支援を受けることが出来る。

 班長となる生徒は生徒を集めなければ支援を得られないため、不平等に思われるが、班長となる生徒は班員を三名以上集めると学園から学費の支援や、卒業後オルゼンギア公国軍へ配備される際に有利になったりといった特典があるためアランのようなエリートだけでなくソーマのように学費目的で班長となる生徒も存在する。


「それで、第一班班長様がなんのようなんだ?」


 放っておいてもいいのだが、いつまでも近くにいられると迷惑なため、ソーマは仕方なしに話を進めることにした。


「貴様のような下民には早く学園から去ってもらいたいのでな」


 アランはあくまでもソーマを見下したままの口調を崩さず淡々と言い放つ。まるで路傍のゴミを見るような冷たい眼差しでソーマを一瞥した後に、エインへうって変わって慈愛に満ちたような表情を浮かべて右手を差し出す。


「ひいてはエイン・リーベルガンク殿、貴女を我が班員として迎え入れたい」

「嫌です」


 エインが即答した刹那、訪れる沈黙。数瞬の後我慢できないといった風にエンハルトが噴き出した。


「ダハハハ、また振られてやんの」

「ええい黙れ、貴様のその下品な笑い方をやめろ!誇り高き騎士の家系という自覚がないのか!」


 アランは額に血管が浮かびあがるほどの怒気を含ませ、エンハルトを睨みつける。

 エンハルトが貴族であるアルバーン家の出身であるため、ソーマへ向けるもの怒りとは少しものが違うようだ。

 一概に貴族といえど、アランのバリュデュール家は財務官として権力を牛耳り貴族になり、エンハルトのアルバーン家はオルゼンギア軍騎士として武力で権力を有し貴族になったため、少し差異がある。

 そうこうしているうちに講義の時間が来たらしく、未だポツポツと座席に空きのある教室に厳かなチャイムが鳴る。

 チャイムの音で怒りが落ち着いたのか冷静さを取り戻したアランが、乱れた髪を整えながらエインへ向き直る。


「今日のところは引きましょう。しかし、エイン・リーベルガンク殿、貴女のように美しい花ほそのような泥水よりももっと相応しい場所があるはずです。また誘いにきますので、その時には良い返事を期待しています」


 それでは、最後にそう言い残してアランは自分の班員のところへ帰って行った。


「まったく、貴族ってのはどいつも人騒がせだな」

「そういうな、アランはアランで必死なのさ」


 以前からエインの引き抜きに躍起になっているアランを見据える。

 風の噂ではエインに一目惚れしたことが引き抜きの理由らしいが、その真意は定かではない。


「本当、迷惑」


 当のエインはこの調子のため、引き抜きが叶うことはなさそうだ。

 先ほどまでの喧騒はなりを潜め、教室が静かになったころにゆっくりと老人が姿を表した。


「今日は第一、第三、第五、第七班の講義となっていますが、皆様お揃いでしょうか?」


 そう声をかけながら姿を表した老人こそ歴史学の講師であるダルク・ヘンケルである。

 温厚な性格で柔和な顔をしており、オルゼンギア公国の歴史についての知識の深さから生徒からはダルク爺と呼ばれ親しまれている。

 どうやら今日の歴史学の講義では四つの班が合同で行うようだ。アラン率いる第一班は貴族としての誇りを持つ者や貴族に気に入られようとする者で班が構成されており、第三班、第五班もソーマと親しくないものの、優秀な家柄の出身者が班長うを勤めていたはずである。とすれば授業開始の数十分前から出席率が高かったことも頷ける。

 ソーマたち第七班は三人全員出席していたが他の班も同様だったようで、滞りなく点呼を済ませると歴史学の講義がスタートした。

 この時にはソーマは、今朝父親から聞いた事件など忘れてしまっていた。水面下で蠢く世界の変化に気がつかないままに。

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