第16話 それぞれの春の日

 猟師だった父の顔は覚えてはいない。


 獲物を仕留めた夜には酒を飲みながら豪快に笑い、大きな手で頭を撫でてもらった事はおぼろげな記憶の中に残っている。ある日魔獣に襲われ猟師仲間を逃がすために囮になって命を落としたという父の最期は、祖父から、とても勇敢で腕の良い猟師だった、という自慢と共に何度も聞かされた。


 「父のように強い人になりなさい」


 口癖のようにそう言っていた祖父も彼が5歳の時に病に倒れ、ほどなくして帰らぬ人となってしまった。ちょうど、神殿で『聖騎士』の加護を持つ事が分かった後にしばらくしてからだった。

 それからは神殿が彼の帰る場所であり、守る場所であった。




「……ユドランガ様?」


 補佐官のロサに名前を呼ばれ、ふと我に返る。

 灯りのない執務室。大きな一枚板の自身の机で手を組み優秀な赤髪の副官から報告を受けていた。


「いかがされましたか?」


「先ほどの報告に関して少し思案していました。続けなさい」


 頬にかかった長い銀髪を軽くかき上げながら微笑む。


 アープス守護騎士団最強を意味する『青騎士』の名に恥じぬ実力を持つ蒼月のユドランガの、しかしその完璧すぎる存在故に時折見せる儚げな面影に人は魅了された。

 大きな窓から差し込む月光に照らされた横顔はさらに白さを増し美しく浮かび上がる。

 副官になって2年間行動を共にしている彼女でさえこうなると上官の顔を直視できなくなってしまうのだ。


「は。次にですが……いえ、報告は以上です」


「分かりました。いなくなったドワーフの事は?」


「咳が止まらず、鉱山特有の病の症状が出たため川に流した、という報告が」


「鉱山の病……ですか。未知の病を防いだことは評価すべきところでしょうか」


「衰弱も進み高度な回復魔法でもなければ長くはないとの判断を治癒士がいたしました」


「貴重な人材でしたが仕方ありませんね。問題は?」


「遅れはございません」


「結構。貴女も次の任務まで少し身体を休めておきなさい」


「承知いたしました。お時間になればまたお声がけいたします」


「頼みましたよ」


 閉じられた扉を見つめながら深く息をつく。

 立ち上がり街並みを見下ろすと、街を埋め尽くすたくさんの灯り。

 陽光の下では肌に炎症が出てしまうため、彼らの生活は夜間に営まれることがほとんどである。それがある時魔道具により光がもたらされた。その感動は神殿を称える歌の中に今でも伝えられている。


「もう黒猫の尻尾を踏む心配をしなくても良いんだぞ……ですか」


 この人々の生活を守るために振るう剣。

 すべては『三賢人』様のために。

 蒼き月の光を浴びてなお赤い双眸は何を見つめるか……。



 異界人キャンプにカラフルな陣幕が張られた。

 女性がズボンを穿くことが眉をひそめられる世界だから、とコーヘイの発案である。当の女性陣であるミズキとカリスはそんなことはお構いなしにTシャツとハーフパンツ姿で芝生の上にだらしなく転がっていた。

 傍らには分厚い布で覆われ煙突の生えたテント、水の張られたプールが新しく設置されていた。

 暖かい気候が続いていたとはいえ、今日は少し肌寒い天気である。城から見下ろすイデアたちからはさぞかし奇異な光景に移っただろう。

 『どらいさうな』と紹介されたそのテントは、中に燃え盛るストーブが設えてあり非常に高温になるものであった。血行促進、疲労回復、美肌効果、のうたい文句に飛びついたのは、芝生で転がる2人。


「肩周りがすっきりだわー」


「手足の冷えがなくなったでありますよ」


「「お肌ツルツル―」」


 サウナ、プール、芝生、と何度か繰り返された後、現在は大人げない大人たちの「男だらけの我慢大会」が地味に繰り広げられていた。

 賭ける物など何もない。ただ男の意地とプライドのために。

 結果は意地の塊である軍人チームが仲良くプールに着水し引き分けで幕を下ろした。


「ビールが10倍旨く感じるな!」


「この頭がすっきりする感覚は素晴らしいですね」


「これを俺の国じゃ『整う』っていうんだ」


「「「「整ったー」」」」


 魔王国は今日も平和である。

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