第15話 支えてくれる少女

 明かりはなく、月の光だけに照らされた家屋の床。

 構成する木の板は所々が傷つき、穴が開いたり、折れ曲がったりしている。

 固まりの埃が風に吹かれている。


 行ったことのない場所の、見たこともない光景。

 けれど、それは嫌に鮮明に映し出されていた。

 まるで今目にしているかのようだった。


 光景は、ゆっくりと左へと動く。

 すぐ近くの壁へと、高さはそのままに、しかし視線を床に向けたままで動いていく。


(また……か……)


 レオはこの光景を知っている。

 もう数えきれないほど見た。

 何十回、何百回、何千回。

 本当に、数えようとしても数えきれないくらい見た。

 見させられてきた。


 壁にたどり着いた瞬間に、掬い上げるように視線が上がっていく。

 まず映ったのは力なく垂れた二本の脚。

 黒の靴に、真っ白なタイツ。

 女性らしさのある細く、綺麗な足だった。

 その足の側面が真っ赤に染まり、靴先から血液がしたたり落ちていなければ、綺麗だったのだろう。


 さらに上に視線が上がれば、腹部を貫く大きな黒い触手。

 足を真っ赤に染めた血液は、その少女の体に空いた大きな穴から出ている。

 腹部というよりも、胸の少し下から下腹部まで広く貫かれていた。


 体の内臓のほとんどを失っているのは、見るまでもなかった。

 致命傷どころか、即死だろう。

 さらに視線が上がれば、奴隷の身に着ける一般的な首輪、そして土色の肌をした顔。


 唇は真っ青になり、口の端からは血が流れている。

 目は閉じられ、絹のような銀髪の髪が、主を亡くしたことを表すようにむなしく揺れていた。

 息を引き取った少女。

 壊れたのではなく、死んだ少女。


 にもかかわらず、その表情はどこか安心したようで、重荷を下ろしたような、そんな顔だった。


 視界はそこで消え、暗闇へと落ちる。

 けれどまた、あの荒廃した床から始まるのだ。

 それをレオは知っている。

 起きるまで終わらない、永劫の地獄。


 今日もまた、レオは見る。

 夢ではない何かを、見続ける。




 ×××




 ゆっくりと、レオは目を覚ます。

 横向きの状態で、眠っていたようだ。

 いつもの光景のせいで心の状態は最悪で、絶好調とは言い難い。

 けれど、それでも少しだけ楽だった。

 それはきっと。


「……アリ……エス?」


 目の前の少女のお陰なのだろう。


 いつもの無表情。

 けれどアリエスはレオのベッドの横に膝をついて、彼の手を握っていた。

 心配しているような表情はしていないけれど、彼女の雰囲気は穏やかだった。


「おはようございます、レオ様」


「……おはよう」


 離れていくアリエスの手をじっと見ながらレオは朝の挨拶をする。

 上体だけを起こして、外の様子を確認する。


 日は昇っているようだ。朝方だろう。

 隣のベッドには使われた形跡がある。

 けれど、それよりも今は。


「握って……いてくれたのか……」


「はい、苦しそうでしたので……」


「そうか……」


 アリエスと会話を交わす。

 しかし続かずに、沈黙が宿屋の一室を満たした。


(話すしか……ないよな……いや、話したい)


 レオは意を決した。

 このハマルに到着してからずっと話したかったことを、彼女に伝えると。

 レオはまっすぐにアリエスを見つめる。

 彼の真剣な表情を見たアリエスは、背筋を伸ばした。


「アリエス、聞いて欲しいことがあるんだ」


「はい」


 右のこめかみに指を添えて、レオはこの厄介な呪いの詳細を説明する。


「以前、俺の呪いは他者に嫌悪感を与えるものだって言った。

 ……でも、それだけじゃないみたいなんだ」


「……いつもうなされているのと、関係があるんですよね?」


 目を見開く。

 この少女は、気づいていたのだ。

 いったい何時からなんてどうでもいい。

 ただ彼女はそれを知っていて、けれどそれを聞くことはしなかった。

 ただずっと、自分が話してくれることを待っていたのだ。


(そう……か……)


 そしてレオは気づく。

 自分の左手の温かさに覚えがあることを。

 今までも何度か、あの最悪の光景を見て目覚めた後にこの熱が手を包んでいたことがある。

 呪いが見せる光景は酷いものだったが、手のぬくもりは心地よいものだった。


 アリエスが、握っていてくれたのだ。


 何も聞くことなく、ただレオの負担を少しでも軽くするために。

 それは彼女の仕事ではない。

 少なくとも、契約の内容には入っていない。

 だってそれは、近くの地理を教えることでも、レオに常識を伝える事でもないのだから。


 けれどそれが、レオの胸に温かい火を灯した気がした。


「俺の右目は……知らない誰かが死ぬ光景を見せ続けるらしい。

 もうずっと同じ光景を見ているんだ。一人の少女が殺されている場面を、ずっと……」


「…………」


「隠していて、ごめん」


 レオの言葉に、アリエスは首を横に振る。

 告白した後も、彼女はレオを責めるような表情はしなかった。

 雰囲気も、柔らかいままだった。


「……手を」


 アリエスが、ゆっくりと口を開く。

 何か躊躇うようなそぶり。

 けれど彼女は、言葉を続けた。


「手を握ると、少しは楽になりますか?」


「……なる」


「それなら、もし夜中に気づいたときには、また握ります。

 レオ様が、その呪いに少しでも勝てるように」


 息を、飲んだ。

 彼女は呪いのことを詳しく聞きもしなかった。

 ただ一言、今までやっていたように、手を握って良いかと聞いてきた。

 言葉は少ない。

 伝えあったことも少ない。


 けれど今のレオには、それが一番、救いになった。


「……ありがとう」


「…………」


 なんとか絞り出した言葉。

 それに対してアリエスが言葉を返すことはなかった。

 けれど、彼女のいつもの無表情な顔がなぜか微笑んだような、そんな気がした。




 ×××




 扉の前に置かれていた朝食を平らげ、準備をしたレオとアリエス。

 彼らは宿屋の一室のテーブルに向かい合う。

 二人は昨日と同じく、旅に出るときの服装に身を包んでいた。

 テーブルの上には、昨日受付嬢から受け取った依頼書がある。


「それじゃあおさらいするけど、アリエスは一緒に来るってことでいいんだよな?」


「はい、逆に置いていかれても困ります。

 奴隷は宿屋や主人の家なら一人で居ても問題はありませんが、流石にこの街に一人きりというのは……」


「分かった、じゃあ一緒に行こう」


 元々アリエスをここに置いていくつもりはなかった。

 たとえ戦場だとしても、自分の近くの方が安全だとレオは思ったからだ。

 ただそれでも、聞いておかなくてはいけないことがある。


「確認だけど、アリエスは……戦ったことはないんだよな?」


「……はい、ありません」


「分かった、なら俺の近くを離れないでくれ。

 その……昨日の件で俺の強さは分かっていると思うし」


 アリエスに怒られたことではあるが、それでも自分が勇者であり、それなりの強さを持っていることは伝わっただろう。

 そんな自分の近くなら、安心してくれるかもしれない。

 そう思ったのだが。


「はい、分かりました」


 アリエスははっきりと答えた。

 その返答はまっすぐで、少しもレオの強さを疑っていないようだった。

 とある一言で、レオの強さをアリエスが十分すぎる程認めているのを彼は知らない。


(少しは……打ち解けたのかな?)


 返答を聞いて、レオはふとそんなことを思った。

 アリエスは相変わらず無表情で、何を考えているのかはレオでも窺い知ることはできない。

 けれど彼女の雰囲気は、王都で初めて出会ったときに比べればやや軟化したように思える。


 まだ完全に打ち解けたわけではない。

 仲間とは言えないだろう。

 けれど、この調子で過ごしていけば、いつかは。


(そのために……まずは依頼をこなして、頼りになるところを見せなきゃな)


 両手を合わせ、指を組み、力を籠める。

 息を吐いて、レオは決意を新たにする。

 アリエスはその知識でサポートしてくれた。

 だから今度は、自分の番だ。


 内心で気合を入れる。

 心の調子は絶好調とは言えないが、体の調子はいつも通り、これまでにない最善の状態だ。


「行こう、任務を遂行しに」


「任務ではなく、依頼です、レオ様」


「……分かっているよ」


 この日、2人はこれまでで最も良い雰囲気のままで、依頼の地へと向かう。

 依頼の場所までは時間がかかる。

 到着するころには夜になっているだろう。


 月明かりに照らされた「廃屋」での魔物討伐依頼は、レオからしてみれば易しすぎる任務の筈だ。

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