第16話 月下の廃屋での戦い

 依頼書には地図が添付されていた。

 どうやら魔物が棲みついているのはハマルの街から、かなり南下した先にあるらしい。

 昼すぎくらいにはハマルの街を出たレオ達だが、路銀を浮かすために徒歩での移動となった。


 結果として、目的地周辺に着いた頃には日はすっかり落ちてしまっていた。

 それでも今日は満月だったために、周囲は少し明るい。

 時間帯的には真夜中といったところだろう。


 馬車である程度慣らされた道のような場所から森へと入っていけば、目的の民家がやがて見えてくるはずだ。


「見えた、あれだ」


 草木をかき分け、森を進んだ先にその民家はあった。

 大きな平屋の民家。

 それなりに多くの人が住めそうなほどの広さのようだ。

 けれど外壁に草木は生い茂っているし、屋根には穴が開いている個所も見受けられた。


 ボロボロで、「廃屋」のようだとレオは思った。

 魔王ミリアと戦った広間と良い勝負だろう。


 さらに不気味なのは、この家の周辺だけ木が生えていないことだった。

 建築するときに木を切ったと言えばそれまでだが、辺りの木々もそちらに枝を伸ばしてはいなかった。

 まるでその空間に触れることを、木が自分の意思で拒絶しているようだ。


「……レオ様、念のために日の出を待って調査してからの方がよいのではないでしょうか」


「……いや、大丈夫だ。朝を待つにしても倒してからの方がいい」


 中に魔物の反応があることをレオは祝福で見抜いていた。

 けれどその強さはレオの足元にも及ばない。

 ハマルの街の冒険者たちよりは強いが、それでもレオからすればどんぐりの背比べだ。


 どこかに逃げてしまうような気配もないものの、ここまで来て時間を敵に与える必要もないと考えての結論だった。

 それに、時間が経てば経つほど自分は眠りにつき、あの悪夢を見なくてはならなくなる。

 その前に、仕事はこなしておきたかった。


「…………」


 アリエスはレオの言葉に何も言わない。

 けれどこくりと一回だけ頷いた。

 それが彼女の精いっぱいの肯定の意思表示だった。


 レオはアリエスを見る。いつもの無表情は変わらない。

 今から戦場に向かうというのに、その胆力は目を見張るものがあると一瞬思った。


 けれど、彼女の手は震えていた。


「……アリエス」


「?」


 何の感情も読み取れない瞳。

 何を考えているのか分からない表情。

 けれど、彼女は震えている。


(ただ、顔に出ないだけなんだ……俺みたいに)


 仲間意識のようなものを感じて、レオは頷く。


「大丈夫だ、俺の傍から離れるな」


「……はい」


 彼女を護らなければならない。

 アリエスもまた、レオが護るべき世界の一員だ。

 欠けさせるわけにはいかない。

 それに彼女が怯えているなら、それを取り除かなくてはならない。

 レオには、それが出来る。


 ゆっくりと一歩を踏み出す。

 いつも通りに行えば時間はかからない。

 ただ敵の場所に向かい、敵を発見し、壊す。

 それだけだ。


 なにも警戒することなく、武器を取り出すことすらせずにレオは民家の敷地に足を踏み入れる。


(酷い損壊具合だ……よくこれで崩れないな)


 近くで確認すると、民家は荒れ果てていた。

 外からでも欠けた壁の一部を通して、中の様子が分かるくらいだ。

 住むことなど到底不可能。

 それどころか、入るだけで倒壊の危険があるだろう。


 けれど、そんなことはレオには関係がない。

 後ろにアリエスを引き連れ、彼は家に入る。

 不思議なことに玄関の戸には植物が生い茂ってはいなかった。

 いや、中の魔物がおびき寄せる為にわざとそうしているのだろう。


 意外としっかりとした扉を開き、そこをくぐれば中は中で酷いありさまだ。

 ボロボロの室内は、もはや室内とも呼べない。

 木の板はところどころが壊れ、剥がれ、折れ曲がっている。

 床には穴も多く、植物が覆っているせいで家の壁なのか判別がつきにくいものすらあった。


(内部の損壊もひどいが、植物で支えているのか?……それに、内扉は全て解放されている?)


 入り口から見える限り、どの部屋も扉が開いている。

 レオの目の前には長い廊下があり、その先には大きな部屋がある。

 しかし、左右にも部屋があり、全ての部屋の扉は開け放たれていた。

 平屋の構造で、二階や地下などはなさそうだ。

 これが普通の冒険者ならば、一室一室を慎重に見るのだろう。


 けれど、レオはそんなことをする必要すらない。


(一番奥か)


 彼の祝福は魔物の場所を探知する。

 廊下の左右の部屋にも確かに魔物が居るけれどそれは小さいもので、この廃屋においても雑魚だ。

 本命は、廊下の一番奥の部屋に居る。


 レオは足を踏み出す。

 歩いても大丈夫な場所に関しては既に割り出してある。

 床が抜けるといったこともない。

 左右の部屋に関しては完全に無視し、中を見ることすらしない。

 捜索するだけ、目を向けるだけ時間の無駄だ。


 壊すべきは、あの部屋に居るのだから。


 レオとアリエスは何も言わずに廊下を歩く。

 アリエスが後ろについてきているのはレオも感じている。

 彼は前を警戒しつつも、アリエスも気にかけている。

 仮にこの状況で何者かが後ろからアリエスに襲い掛かっても、すぐに対応できるだろう。


 二人は一番奥の部屋へとたどり着く。

 敷居を踏み越えれば、そこは広い部屋だった。

 家族が団らんする居間の様な場所だったのだろう。

 椅子やテーブルなどの家財道具はボロボロになっていたが、かろうじて形を保っているものもあった。


(この部屋……)


 そしてその部屋はレオが知っている部屋だった。

 何度も、数えきれないほど見た部屋。

 見間違えるはずがない。

 悪夢のような光景でずっと見てきた場所は、ここだ。


(思った通りか……)


 外から見ているときから、そんな予感がしていた。

 そしてこの部屋に足を踏み入れて、それが確信に変わる。

 天井に空いた穴から月の光が射し込み、部屋の明るさまでもあの光景と同じだ。


(……どういう……ことだ?)


 けれど決定的に違う点が一つある。

 ここには、あの銀髪の少女が見当たらない。

 部屋を見渡しても、祝福で周りを観察しても、今ここに居るのは自分とアリエスだけだとレオの体が伝えてくる。


 見た光景と同じ部屋、そして同じであろう時間帯。

 にもかかわらず、どうしても最後の欠片が合わないような状況に、レオは少しだけ混乱する。


(何のために右目はこの光景を見せた?……ひょっとすると、何の関係もない光景を見せているのか?それとも、一部だけ現実にある光景を?)


 考えても考えても、レオには答えが出ない。

 もやもやした気持ちが胸の中でくすぶり、握る拳に力が入る。

 このあと、あの少女がここに駆け付けるのか。

 それともあの少女が自分の祝福でも捉えられないけれどここに居るのか。


 レオの耳に、木々が揺れる音が届く。

 夜風で揺れた木の葉が擦りあう音。

 そして背後で、木の板がきしむ音を聞いた。

 歩き出したときに、脆くなっている部分を踏んだのだろう。

 ミシミシと音を立てたものの、穴が空くようなことはなかったようだ。


(そうだ……アリエスに共有しよう)


 ここに来てようやく頼れるパートナーの存在を思い出したレオは、首を彼女の方に向けようとする。

 この廃屋が右目のみせる光景と同じ場所であるなら、全く無関係とは思えなかった。

 自分では分からないが、聡明な彼女ならば分かるかもしれない。


(そういえば、一言も言葉を発していなかったな)


 ふとそんなことを思った。

 この家屋に入ってから、レオは言葉を発していない。

 彼はもともと一人でいくつもの修羅場を潜り抜けてきた。

 それゆえに戦地において誰かと情報を共有するということを疎かにした。


 レオが話さないのだから、この戦場に置いてアリエスから話しかけるということはしないだろう。

 そのことを少し反省し、とりあえず右目が見せる光景にこの廃屋が出てくるという情報を共有しようと口を開いた。


 その瞬間。

 天井が抜ける音が、部屋中に響き渡った。


(来たか)


 アリエスの方を向こうとしていたレオは咄嗟に動きを止め、すぐに敵と向かい合う。

 抜けた天井の位置は、部屋の中央。

 そこから、黒い物体が部屋の中に侵入していた。

 楕円曲線を描く、まるでスライムの亜種のような姿。

 気持ち悪いぶよぶよとした体からは、漆黒の触手が伸びている。


 触りたくはないものの、目で見る限りでは柔らかそうな本体。

 それに対して、漆黒の触手はまるで鉄のように黒光りし、表面は岩のようにゴツゴツしていた。

 そんな触手が、合計で8本生えている。

 あの触手にも、レオは見覚えがある。


(あの光景と同じか)


 白銀の少女を貫いていた触手とそっくり、いや全く同じだった。


(それならここで倒せば、少なくともあの光景は――)


 呪いの光景は再現されなくなるはず。

 そこまで考えたときに、レオの第六感が働いた。


 見える。

 力が、黒の本体へと集まっていくのを。

 見かけ上は何の変化もない。

 けれどあの魔物は、確かに今、攻撃の意思を働かせた。


 レオは咄嗟に祝福を発動し、自分とアリエスを囲む球体上の結界を張る。

 光の膜は二人を包み込むほど大きく、部屋の中に半球状の守護として展開する。

 あらゆる攻撃を軽減する防御結界。

 360度、しかも上下にも対応できる万能な結界だ。


 家屋が、揺れる。

 木々に侵食されているにもかかわらず、今にも倒壊しそうな勢いだ。

 弱めの地響きのようにも感じられる。

 それを行っているのは、天井から侵入してきた黒い魔物の本体。

 その体が、蠢いている。


(音による攻撃か……けれどこの程度なら――)


 超音波のような音による攻撃は、敵とみなした者を行動不能にするのだろう。

 ひょっとしたらこの音で動きを封じて、ご自慢の漆黒の鉄杭で攻撃するのかもしれない。

 なるほど、確かにただの冒険者ならば苦労するだろう。


 けれど魔物が相手しているのは最強の勇者。

 レオが張った結界は、音による攻撃も軽減する。

 その攻撃は、うるささに顔を顰める程度ではあるものの、レオの動きを封じるには不十分過ぎた。


「いやあああああああああぁぁぁ!!」


 そう、レオの動きを封じるには。


 突然響いたアリエスの悲鳴に、レオは咄嗟に振り返る。

 彼女は頭を押さえて、狂乱していた。

 瞳から光は無くなり、いつもの無表情の顔は青白くなっている。

 音による振動ではなく、おそらく恐怖による感情で震えている。


「ア、 アリエス?」


 レオには意味が分からなかった。

 魔物は音を発しているだけで、しかもその音は結界で軽減している。


 まだ明確に攻撃はされていない。

 それなのに、アリエスは取り乱している。


「お、落ち着け! ここにいれば問題はない! 攻撃だって当たらない!」


 頭を押さえるアリエスを見て、初めての戦闘によるショック効果かとレオは判断した。

 敵の魔物が行っているのは音による攻撃のみ。

 けれどアリエスは頭を押さえており、耳は押さえていない。

 その証拠に、彼女の頭の黒い獣耳はいつも通りだ。

 つまり、彼女は目で見た魔物を恐れているとレオは感じた。


「目をつぶれ! 見ていなくても――」


 そのとき、レオは不思議なものを見た。

 アリエスがまるで迷子の子供の用に辺りを見回した。

 そしてその唇がわずかに動いた。

 声に出なくても、唇の動きで「レオ様」と言った。


 探している人物が目の前に居るのに、何度も視線が交わるのに、まるで見つけられないかのように。


「ああああああああああ!」


 狂乱、錯乱。

 もうアリエスは止められない。

 恐怖と孤独で狂った彼女は走り出す。

 それがレオの方向であれば問題はなかった。

 彼が受け止めればいいだけのことだから。

 けれどおかしくなったアリエスは方向が分かっていなかった。


 レオの居る方向とは反対方向に、駆けだした。


「お、おい!」


 結界はレオを中心に張っている。

 それなのにレオと反対の方向に駆けだせばどうなるか。

 アリエスの足が、光の膜を越える。


 結界は外からの攻撃を弱め、一部を遮断する。

 けれど中から出るときに妨げるような機能はない。


 そんな機能が、あるわけがない。


 小柄な体格からは想像もできないほど速く遠ざかっていく背中。

 ただこの場に居たくない、一刻も早く逃げたいという思いが背中から伝わってくる。


(あ……)


 その背中を見て、光景がよみがえる。

 今のような月下で、黒い触手に貫かれる白銀の少女の姿。

 それが、なぜか似ても似つかないアリエスと被った。

 なぜだか分からない。

 分からないけれど。


 アリエスが、「死ぬ」と確信した。


「うおおおおおおおお!」


 それだけは、認められない。


 レオは咄嗟に右手を構え、剣を取り出し、体内の戦闘系の祝福を全開放する。

 この室内に居る魔物に対しては過剰すぎる程の力の行使。

 夜空を見せる刀身。

 部屋を包むほどの光の粒子。

 そして吹き荒れる祝福の奔流。

 その総量は、魔王ミリアと戦ったときよりも多い。


 ただ直感に従い、剣を振るう。

 アリエスが「死ぬ」としたら、ここしかない。

 彼女と魔物の間に壁を作るように、そこに下段から剣を振り抜く。

 そこから発生するのは、輝きの大河。

 アリエスを護り、魔物を倒し、「死」を与えようとする全ての脅威をかき消すもの。


 レオの祝福と、この世ならざる力を内包した川はアリエスを除いて全てを洗い流す。

 彼女だけは優しく包み込むように護り、そして彼女に襲い掛かろうとしていた黒い触手もろとも、敵を粒子に返す。


 目の前でただ動いたモノを殺す。

 そういった肉食動物のような単純な思考で動いた愚かな魔物は、次の瞬間には塵も残らずに粒子に還る。

 光の川はそのまま家屋の壁に直撃し、部屋を、家屋を半壊させた。


(危……なかった……)


 剣を振り抜いたままのレオは意識を取り戻し、息を吐く。

 完全なる無意識だった。

 ただアリエスの「死」を悟った瞬間に、体が勝手に動いた。

 今まで、自分が何を考えて剣を振るったのかすら分かっていなかった。


(でも……まあ……)


 剣を握り締め、レオは少しだけ口角を上げる。


 護りきった。


 一時はどうなるかと思ったが、手ごたえはあった。

 あの様子なら、アリエスは無傷、そして魔物は消滅しただろう。

 少しトラブルはあったが、これで任務完了だ。


「アリエス、おわ――」


 終わったよ。

 そう言葉をかけようとしたレオは目を見開く。

 眩い光でアリエスの姿は見えなかった。

 けれど手応え的にアリエスは完璧に護り抜いたはずだ。

 それなのに。


「……誰だ……お前……」


 レオの前には、後ろを向いて座り込む、白銀の髪の人間の少女が居た。

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