第9話 頼れる奴隷少女
「あ、ありがとうございました勇者様、もしもまた機会があれば、是非ともご利用ください」
サルマンに見送られる形で、レオは彼の館を後にする。
その後ろには、アリエスが付き従っていた。
長いこと館に居たため外は夕焼けになっていて、朱色の世界に館の影が落ちている。
レオはサルマンに礼を告げると、路地裏を進み、大通りを目指す。
途中で何人かの人とすれ違い、その中には呪い持ちの人物も居た。
相変わらずの視線を向けられるものの、今のレオには余裕がある。
彼らの視線など気にはならない。
「あの……ご主人様」
後ろから遠慮がちに投げかけられる言葉。
レオは立ち止まり、首だけで振り返る。
アリエスは戸惑いがちに、しかしそこに恐怖の感情はない状態で立っていた。
「良かったのですか? わたしで……」
「あぁ、構わない」
むしろ恐怖を唯一抱かなかったアリエスでなくてはダメだったのだが、その言葉は発しなかった。
体を少しだけ回転させ、少しでもアリエスと向かい合おうとする。
しかし正面を向くことはなく、体を横に向けたまま首の動きだけで彼女を見つめる形となった。
「それと、俺のことはレオでいい。その呼び方は……気に入らない」
「……かしこまりました。ではレオ様と」
ご主人様と呼ばれることはあまりにも慣れていなくて、レオはそう伝えた。
けれど口下手な彼はまるでアリエスを糾弾するような物言いになってしまう。
結果としてアリエスは申し訳なさそうに頭を下げてしまった。
(言い方が悪かったかな……)
内心では謝罪をしようと思いつつも、レオの口はなかなか動かない。
なんとか声を出そうとしたときには、姿勢を戻したアリエスがレオを見つめていた。
「この後は、どうするのでしょうか?」
「そうだな……」
意識を切り替え、レオは辺りを見回す。
時刻は夕暮れ。
そして場所は路地裏。
誰かの目があるかもしれない場所で今後の話をするのは気が引けた。
自分が勇者であることは知られているが、呪いのことなどを含めて、赤の他人に聞かれたくはない。
今日は宿を出るのが遅かったが、結果としてサルマンの館でアリエスという協力者になってくれそうな少女と知り合うことができた。
それだけで十分だろう。
これ以上街に出ている必要性は、今はない。
「一旦俺の使っている宿屋に行こう。そこで話したい」
「……かしこまりました」
不意に、アリエスの纏う雰囲気が変わった。
警戒、絶望、悲嘆、そんな感情がなんとなく読み取れる。
とはいえ彼女の瞳には何の感情もない。
あくまでも雰囲気を感じ取っただけだ。
それに読み取れたところで、アリエスの心まで読めるわけでもなかった。
そのためレオはなぜアリエスがそんな雰囲気を出したのかまでは分からず、結局言葉をかけることはせずに、再び前を向いて歩きだす。
今まで勇者としてただ敵を倒すために育てられたレオには、女性にとって宿屋に男性と二人きりで居るということが何を意味するのか分かっていなかった。
×××
宿屋は相変わらずの無人で、冷たい明りだけがレオを迎え入れてくれた。
店主からすればレオが滞在する期間は宿を完全に閉めているような認識なのだろう。
外には休業中の札が掲げられているし、誰かに会うことはなさそうだった。
階段を上り、廊下の先にあるレオの部屋も出たときのままだった。
宿屋のレオの部屋は、配置上の関係かもっとも金額の高い部屋のようだ。
もともと複数人で使うように設計されたようで、レオが使用している窓際のベッドの他に、もう二つ使われていないベッドがある。
それ以外にもテーブルや椅子なども備え付けられていて、長期間滞在することに不自由はなかった。
レオは部屋に招き入れたアリエスを椅子に座らせようとする。
最初は椅子に座ることを拒絶したが、レオが気にするなと言うと、しぶしぶといった様子でゆっくりと腰を下ろした。
その際、アリエスは椅子の足に軽く左足をぶつけていたが、そこまで大きな音は鳴っていなかったし、彼女も痛がっている様子は見せていない。
そのため、すぐにレオの記憶からそのことは消えてしまった。
「少しここで待っていてくれ」
そう言って荷物を置いたレオは部屋を後にする。
あまりにも突然なレオの行動にアリエスは目を丸くしていたが、彼は気づかなかった。
部屋を出て廊下を足早に歩き、一階へと降りていく。
なるべくアリエスを待たせたくはないが、やらなければならないことがある。
一階は相変わらずの無人だった。
しかしこの宿に店主が居るのは間違いない。
そして彼が居るとしたら、受付から繋がる扉の先の部屋だろう。
レオは無人の受付へと無遠慮に入り、扉をノックする。
コンコンと響く木材の音。
部屋の内部で誰かが動く音が聞こえる。
どうやら当ては当たったようだ。
しばらくすると扉がゆっくりと開き、昨日出会った店主が姿を現した。
「ゆ、勇者様……な、なにか問題でも?」
相変わらず彼は緊張している様子だった。
もちろん呪いに対する恐怖もあるのだが、それとは何かが違うような気がした。
もしかしたら、緊張しているのは勇者という肩書のせいかもしれない。
(そんなに大したものではない筈なんだが……)
昔からレオが会話する相手はどこか緊張していた。
それはあのエバですらそうだったし、アリエスもその緊張を感じているようだった。
そこまで考えて、レオは当初の目的を思い出した。
「いや、泊まる人数についてだが、人が一人増えた。それを伝えに来た」
「は、はぁ……さようでございますか……」
「申し訳ないが、食事を二人分もらうことはできるか?」
「お、王城から金銭は十分すぎる程頂いていますので、か、構いません。
……き、昨日のように部屋の前にお持ちします」
「助かる」
レオとの会話が終わるや否や、店主は自らの部屋に引っ込んでしまった。
結局彼は扉を開けただけで、自分の部屋から一歩も外に出ることはなかった。
レオとの会話も扉を最低限開けて会話しただけだ。
店主の対応に思うところはあるが、今のレオにとっては些細なことだ。
レオはすぐに受付から出ると、足早に階段を駆け上がる。
廊下を早足で駆け抜け、アリエスの待つ自室へと戻った。
音を立てないようにゆっくりと扉を開け、中に入ると、アリエスは一室の机の椅子に変わらず座っていた。
「待たせた。早速、俺のことと今後のことを話そう」
彼女に言葉を伝え、向かい合う位置に腰を下ろす。
椅子の位置を調整したところで、レオはじっとアリエスが自分を見ていることに気づいた。
「……どうした?」
「……いえ」
アリエスの今の様子は驚いていて、加えて戸惑っているようだった。
レオは不思議に思い眉を動かすものの、気にせずに会話を切り出す。
「まずは自己紹介から。俺はレオ、この国の元勇者だ。
色々と迷惑をかけるかもしれないが、よろしく頼む」
「……アリエスと申します。
レオ様に買われた以上は尽力しますので、どうぞよろしくお願いします……本当に普通に会話するだけなんですね」
挨拶を交わした後に、アリエスが何かを小声でつぶやいた。
しかし彼女はその瞬間だけ顔を斜め下に向けていて、かつレオは非戦闘時ということで聴覚に対する祝福を切っていたために、聞き取ることができなかった。
何と呟いたが、一瞬聞こうかと思ったものの、余計なお世話かと思いレオは会話を続ける。
「勇者を辞めるようになったのは、この右目の呪いが原因だ。
どうやらこれは他人が見ると強烈な恐怖や違和感、嫌悪感を抱くみたいでな……でも、君は違った」
「……なるほど」
レオの言葉にアリエスは彼を真正面から見つめる。
その目には恐れも、嫌悪もないけれど、どこか遠くを見ているようだった。
レオの表情というよりもレオの内部の何かを見ているような、そんな。
「……恥ずかしい話だが、俺は勇者として育ってきたせいで常識やここら辺の地理的な情報をあまり知らないんだ。
だから俺を怖がらない君に、助けてもらいたい。頼む」
まっすぐとアリエスを見て言葉を伝えれば、彼女はゆっくりと、しかし、しっかりと頷いた。
「……そういうことでしたら、お力になれるかと思います。
レオ様はお金の支払いにも慣れていないようでしたので」
アリエスの返事に、レオは内心で酷く驚いた。
彼女と出会ってからまだそこまで時間は経っていない。
にもかかわらず、彼女はレオが金銭に関して知識が浅いことを見抜いていた。
黙っているレオを見て気づいたのだろう。
アリエスは頭を下げてきた。
「申し訳ありません。館でわたしの代金を支払うときに金額が高くないにもかかわらず、金貨を迷いながら置いていましたので」
アリエスの観察眼は完璧だった。
それに内心で感服し、これはとても良い人と巡り会えたかもしれないと感じたレオはすぐに返事をする。
「いや、構わない。それに、頭も下げなくていい。
君とはこれからを考えると、良い関係を築きたいと思っているから」
レオの言葉にアリエスがゆっくりと顔を上げる。
黒い前髪の間から覗く金の目が、まっすぐにレオを捉えてくれる。
しかしその瞳からは感情が読み取れない。
表現が苦手なのかもしれないと、自分のことを棚に上げてレオは思った。
「それでしたら、わたしのこともアリエスと呼び捨ててください。
君というのは奴隷に対する呼び方としては相応しくないと思います」
「……分かった、アリエス」
レオとしてはアリエスのことを奴隷と認識しているが、それは戦友のような立ち位置なので相応しいとか相応しくないとかはよく分からない。
けれど名前で呼んでくれと彼女が望むなら、断る理由はない。
「サルマンからは、常識もここら辺の地理も分かると聞いている。
俺は呪いを解くためにこれから西へ向かうつもりだけど、なにか聞いておきたいことはあるか?」
「分かると言ってもここら辺の地理のみで、大陸の西側までは分かりませんが……」
「いや、構わない」
むしろレオは隣の町の名前すら分からないのだ。
ここら辺の地理が分かるだけでも、レオからすればアリエスは博識と言えた。
すでに先ほど自分が金銭の扱いに疎いことを見抜いた段階で、レオの中ではアリエスの評価は最高潮に達している。
そんな評価を得ているとは露とも思っていないであろうアリエスは、レオの言葉に考え込む。
聞いておきたいことについて、何か考えているのだろう。
やがて彼女はちらちらと遠慮がちにレオを見る。
それは考えつつも、どこか自分の言葉を、レオを見て修正しているように思えた。
しばらくそうしていたが、やがて「ふむ」と頷いた彼女は口を開く。
「聞きたいこと……というわけではないのですが、一つ。
……レオ様、今発動している祝福に関しては弱めた方がよろしいかと思われます」
「……え?」
思ってもみなかった言葉に、レオは声を上げてしまった。
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