第10話 右目の見せる地獄
告げられた言葉が頭の中で回る。
なんと返そうかレオが内心で考えていると、アリエスはじっとレオを見て、続きを口にする。
「……なるほど。おそらく気づいていなかったと思いますが、レオ様は祝福を垂れ流しているような状態です。
レオ様に相手を害するような気持ちがないのは会話の中で分かりましたが、それでは相手は重圧を感じてしまいます」
「……す、すまない。きみ――いや、アリエスもか?」
咄嗟に発動しているであろう祝福を力を入れて押さえ込む。
目の前の少女に目に見えて変化はないものの、こくりと深く頷いた。
「先ほどから感じてはいましたが、今はだいぶ楽になりました、ありがとうございます。
それにしても、よほどすごい祝福の持ち主なのですね、非戦闘時ですらあれとは」
「すまない、発動はしていないんだが……漏れていたのか」
「……おそらく、レオ様の祝福の量と質に関しては王国一ですね」
アリエスとのこれまでの会話を聞いて、レオは今までの人生で自分と出会った人物が緊張感を抱いている本当の理由を悟った。
彼らはレオの勇者の肩書に緊張していたのではなく、あふれ出る祝福の重圧に緊張していたのだろう。
むしろその状態で慣れてくれたエバや兵士達には感謝しかない。
教えてくれても良かったような気もするが。
(いや、俺が意図的に流していると考えてくれたのかもな)
こと戦闘に関しては右に出るものが居ない勇者に対して、戦闘に作用する祝福のことをアドバイスするような人物など居ないだろう。
そう考えて、レオはかつての同僚たちに内心で謝罪をした。
「これでかなり収まったと思うのだが」
「……はい、少なくとも他人に対して重圧を与えるようなことはないと思います」
「そうか、助かる」
本当に助かる。
アリエスに教えてもらわなかったら、今もなおレオは他人を恐れさせてしまっていただろう。
呪いの右目だけでも怖がらせているのに、さらに怖がらせてどうするというのか。
彼女には、頭が上がらなくなりそうだ。
「ところで、その呪いは他者に不快感を与えるだけなのでしょうか?」
「……ああ、そうだ」
その筈だ。
しかしレオの脳裏からは館でアリエスをじっと見たときのあの光景が離れない。
たった一瞬しか見れなかったはずの光景にもかかわらず、レオはそれを細部まで思い出せる。
しかし、それがあまりにも意味不明で、レオはアリエスに話すのを躊躇ってしまった。
光景について話そうかと思うものの、既に返事はしてしまった。
結局このとき、レオは見えた光景についてアリエスに話さなかった。
その会話を最後に、アリエスは言葉を発さなくなってしまった。
ただ椅子に座ってぼーっとしているように見える。
窓の外を見れば、日は落ちきって夜になっていた。
部屋を満たす沈黙に、しばらく居心地の悪さを感じていたとき。
――コンコン
不意に響いたノックの音。
気づけば時間は過ぎていたようで、食事の時間のようだ。
レオは椅子から立とうとするアリエスを手で静止し、部屋の扉を開ける。
そこには要望通り、二人分の食事が置かれていた。
店主は足早に廊下を去ったようで、姿は見えない。
食事の内容は昨日と同じだが、レオは食に対して贅沢を言うような人物ではない。
腹に入れば全て同じだと考えているからだ。
床に置かれていた食事のトレイを手に取り、部屋へと入り直す。
そのまま机まで歩き、自分とアリエスの席に食事を置いた。
その様子を、アリエスはじっと見ていた。
「……わたしも頂いてよろしいのですか?」
「?……ああ、食べられないものでもあるか?」
「……いえ」
なぜだか分からないがアリエスの纏う雰囲気が少しだけ、ほんの少しだけ緩まった気がした。
レオは席に着き、食事を始める。
昨日と同じメニューのために、特に思うところはない。
ふと目を向けてみれば、アリエスは器用にそれらを食していた。
ナイフやフォークの扱いも、優雅というわけではないがよく出来ている。
一口の量は彼女の体型に応じて少ないが、食べ方が汚いわけではない。
(たしかサルマンは、アリエスは元々館の外で生活していたと言っていたな)
会話の切り口になるかと思い、レオは口を出す。
「アリエスは元々どこに住んでいたんだ? あの館の外に居たんだろう?」
「……それは、答えなくてはなりませんか?」
虎の尾を踏んだとレオは直感した。
一気にアリエスの警戒度が跳ね上がったように感じたからだ。
先ほど緩まった雰囲気など嘘のように、今では冷たい雰囲気を出している。
まるで氷のようだ。
「いや……言いたくないならいいんだ」
思わずレオでも言葉に詰まってしまうような、そんな雰囲気だった。
しかしアリエスはレオの言葉を聞いて、少しだけ頭を下げた。
「……申し訳ありません」
「…………」
(なんで……謝る……)
謝っておきながらも絶対に話さない、話したくないというアリエスの態度に、レオは目に見えない分厚い壁を感じた。
彼女の地雷を踏んだのは、間違いなかった。
その後の食事は胃が痛くなりそうなほどの沈黙に満ちていた。
アリエスは自分とレオの分の食べ終わった食器を無言で持ち、部屋の外に出してしまう。
その後、彼女は椅子に座り、また虚空を見つめ始めてしまった。
まるで銅像のように全く動かないアリエス。
いったい沈黙を保ったまま、どれだけの時間が過ぎたのか。
気づけば夜も更けてきて、レオは何か彼女と会話をしなければと思い、声をかける。
「アリエス、ベッドに関しては好きな方を使ってくれ。
俺は窓際ので寝るから」
銅像のように微動だにしなかった少女が、首だけを動かす。
しかし少しだが驚きの感情雰囲気から読み取れた。
「……よろしいの……ですか?」
「え? あ、ああ……明かりは消したければ好きにしてくれ」
なにがよろしいのかよく分からないが、レオは答える。
ベッドを使う以外の選択肢などないと思うのだが。
しかし会話はそれ以上発展することはなく、レオは仕方なくベッドに入る。
明かりなどなくてもレオは眠ることはできる。
寝ようと思えば寝れるし、敵襲があれば気配で気づける。
レオの体はどこまで行っても戦闘に特化していた。
だからこそ、自らの背に奴隷少女の視線を感じながらも、レオは深い眠りに意識を落として行けた。
×××
レオは夢を見ない。
今までの人生で、彼が夢を見たことはない。
それは強い勇者の性質らしく、少なくとも彼に最も近いとされる少女も、夢は見ないと言っていた。
そう。
夢「は」見ない。
そこはボロボロの廃屋だった。
天井に寄生した黒い肉塊。
おどろおどろしいオーラを身にまとったそれは、魔物だった。
強さを正確に測ることはできないが、少なくともレオにとっては脅威には思えなかった。
けれどその魔物による攻撃はもう終わっていた。
振るわれてしまった黒い触手。
石や鉄よりも固いであろうそれは、一人の少女の腹部を貫き、壁に貼りつけにしている。
彼女の腹部から流れる大量の血液。
ピクリとも動かない体。
もう、彼女は。
(死んで……いる……)
レオはその光景でこれまでとは違う認識をした。
これまで感じていたのは、他者が壊れるという感情だった。
レオは勇者であり、自分が壊れるまで敵を壊すのだと、そう教えられてきた。
けれど昼間、そして今見ている光景はレオにこれでもかと死というものを見せつけてくる。
見ているのに、少女の痛み、冷たさ、暗さがなぜか伝わってくる。
その全てが、死という新しいものを教えてくる。
レオ自身ではなく、見知らぬ誰かを使って。
それを何十回、何百回とループすることで、レオの脳に刻み込んでくる。
死という本物を、これでもかというほど。
なんていう冷たい、それでいて暗いものか。
それをしっかりと悟ったとき、冷たさが薄まっていくのを感じた。
暗い空間に光が差し込んだ、そんな気がした。
ただそれだけの小さなことで、レオは再び眠りへと落ちていけた。
ゆっくりと目を覚ませば、視界には天井。
そして部屋は明るく、外はもう朝になっているようだった。
首だけを動かせば、最も離れた位置のベッドに使われた形跡があった。
アリエスが使ったのだろう。
そんな彼女は昨日と同じように椅子に座って虚空を眺めている。
しかしレオが目を覚ましたことに気づいたのか、首だけを動かして彼を見た。
それはいつもの何の感情も受け取れない瞳。
けれど纏う雰囲気は、昨日のように刺々しくはなかった。
「おはようございます、レオ様」
「……あぁ、おはよう」
左手になぜか残るわずかな熱を感じながら、レオはアリエスに返事をして上体を起こす。
掛け布団をどかし、床に両足を付ける。
立ち上がり、一度だけ伸びをする。
どうやら睡眠が足りていないのか、体が少しだけ不調を訴えている。
しかし、この程度ならば行動に支障があるわけではない。
息を吐いて、レオは清掃の魔法を自分とベッドにかけた。
「……とても便利な魔法を使えるのですね」
「あぁ、アリエスも使おうか?」
「お願いします」
ノータイムで返答され、レオはアリエスの使ったであろうベッドに手を向ける。
ベッドに清掃魔法をかけた後に、アリエスに手を向ける。
清掃の魔法をかければアリエスが身綺麗になる。
とはいえ昨日の時点でサルマンにより身綺麗にされていたので、そこまで変化があるようには見受けられなかった。
けれどアリエスの感じ方はレオとは違うようで、雰囲気が少しだけ和らいだような、そんな気がした。
レオは、自分の左手を包んでいた温かさが完全に消えていることに、気づかなかった。
その温かさを、果たして誰が与えてくれたのかにも、気づけなかった。
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