第8話 恐れない奴隷少女と、謎の光景
館の奥は牢屋のようだった。
左右を鉄格子で仕切られた空間。
しかし、その中は綺麗に清掃されている。
奥には仕切りもあり、その先が生活空間なのだろう。
今ここは奴隷を閲覧するための廊下とでもいうことか。
そんなことを思いながらレオはサルマンの後についていく。
彼の歩みはゆっくりで、奴隷を見るレオに合わせてくれているようであった。
特に奴隷に対して解説をしてくれるわけではないのは、ほぼすべての奴隷が条件を満たすからか。
(ダメだな……)
奴隷と目を合わせるたびに、レオは内心で溜息を吐く。
目を合わせた奴隷は、一人残らずレオに強い恐怖と絶望を抱いていた。
それは老若男女問わず、全員同じ反応だった。
後ずさるだけなら良い方で、腰を抜かしそうになる者も居た。
そんな無言のやり取りを何度も何度も続けているうちに、やがて廊下を歩ききってしまった。
結局、どの奴隷もレオと目を合わせ続けることすらできなかった。
「彼でも……ダメですか……」
「申し訳……ありません」
最後の牢で見せてもらったのは屈強な男性だった。
レオは彼を見て、この館でもっとも強いだろうと感じた。
サルマンを護る4人よりも強いその男性奴隷は、サルマンのとっておきだったのだろう。
その男性奴隷も、雰囲気に恐怖と緊張の色を宿していたのだが。
そんな彼を見ながら、レオの中に諦めの感情が広がっていく。
「彼でも駄目となると……契約で無理やり言うことを聞かせるしかないかと」
「……そうか」
サルマンの言いたいことは的を射ている。
けれど彼がそれを発した瞬間に、聞き耳を立てていた奴隷たちがぴくりと反応するのをレオは感じた。
空間の全てを、恐怖という感情が満たしたような気がする。
「……いや、俺は信頼できる奴隷を探している。それはやりすぎだ」
これから先、行動を共にするのだ。
その奴隷とは良い関係を築きたい。
そもそも嫌がっているのに契約で無理やり縛るというのは、どうにもレオには抵抗があった。
首を横に振る。
その過程で、ふと、廊下の隅にまだ扉があることに気づく。
「……まだ奥があるのか」
「ありますが、そちらの奥の部屋は奴隷として合格点に達していない者しか……」
「構わない、見せてくれ」
どうせなら、全ての奴隷を見ておきたい。
それはもはや希望的なものではなく、ここまで来たなら、という気持ちの方が強かった。
サルマンは頷き、ローブのポケットから鍵束を取り出しながら扉に近づいて、鍵穴に差し込んだ。
カチャリという音がする。
ゆっくりと開かれる扉の先はこの廊下と違い、薄暗かった。
先に入ったサルマンに続き、扉の中へと足を踏み入れる。
中は同じく廊下になっていたが、右手にしか牢は配置されていなかった。
照明は薄暗く、清掃はされてはいるものの、清掃頻度は先ほどの部屋よりは低いように見受けられる。
「……廊下が長いな」
「一流の奴隷になれるのは一握りですから……」
サルマンと軽く会話を交わし、片方しか見る方向がないために、先ほどよりも速いペースで奥に進んでいく。
サルマンいわく奴隷の質が落ちるらしいが、レオからすればあまり違いは分からなかった。
どの奴隷も、強さは先ほどの廊下とあまり違いはないように思える。
それに女性の奴隷に関していえば、むしろこちらの廊下の方が強そうな者も居た。
ただし、レオに対して恐怖や絶望の感情があるのは共通していた。
十人以上を見てみても、結果は変わらない。
(結局……ダメか)
そう思い、次の牢へと移動したとき。
レオはこれまでに感じたことのない視線を感じた。
目を向けてみれば、牢の中に居る奴隷がじっとレオを見つめていた。
(嘘……だろ……?)
思わずレオは目を見開き、立ち止まってしまう。
黒髪を伸ばしきった一人の少女。
しかしそれは伸ばしているのではなく、切ることをしてこなかったために伸びきっているのだろう。
この廊下から見える他の奴隷と同じく、薄汚れている。
頭には黒い獣の耳が生えていることからも、獣人のようだ。
服装もボロを着ていて、首には無骨な首輪が嵌っている。
前髪は伸びきり、その隙間から金の目が覗きこんでいる。
顔立ちは整っているというわけでもなく、レオから見ても普通だった。
最初に控室で紹介された奴隷と比べてみれば、彼女が商品として合格レベルに達していないのは明らかだ。
ただ、その少女はレオと目を合わせていた。さらに、その目には恐怖がない。
あるのは、なにかに見惚れるような、そんな感情だけ。
「勇者様?」
サルマンに声をかけられ、レオははっと意識を取り戻す。
それでも、目線は少女から離せなかった。
「……この子は?」
「……アリエスでございます。
御覧の通り、商品として扱えるようなものではありませんが……」
サルマンの言葉にはどこか遠慮をしているような気持が込められていた。
彼からしても、このアリエスという娘は売るのにふさわしくはないのだろう。
彼のことだ、アリエスに商品価値を見出そうとしたが、それが叶わなかったのだとレオは考えた。
「……知識について知りたい」
「元々この館の外で生活していたために常識や地理的なものは習得しています。
しかし……」
条件としては合致している。
しかしサルマンとしてはアリエスを勧める気はないようだ。
けれど、レオは確信していた。
この少女だ。
いや、この少女しかいない。
「いや、彼女にしたい。それに……他は無理そうだ」
これまで数十人の奴隷を目にしてきたが、恐怖を表に出さなかったのはアリエスだけだ。
いや、むしろ呪われてから今まで会った中で、恐怖の感情を抱くことすらしなかったのが彼女だけだ。
レオの中でそれは最後の希望となり、まばゆく輝いていた。
「……そうですね。
我が館では他の奴隷では厳しそうです……金額に関しては問題ないでしょう。
準備をした後に連れて行きますので、勇者様は先ほどの控室に戻り、しばらくお待ちください……丁重にお連れしなさい」
サルマンはこれまでの現状を思い返し、アリエスをレオに売ることを決めたようだ。
彼は決心したように息を吐き、後ろに控える一人の男性奴隷にレオを控室まで送るように伝える。
その様子を見て、帰り際にレオは声をかける。
「助かる。アリエスも丁重に扱ってくれ」
「もちろんでございます」
商人として当然の言葉を返し、サルマンは牢の鍵に手をかける。
その様子を見ながらレオは控室に向けて足を踏み出した。
まっすぐ廊下を進み、先ほどの控室へと戻る。
アリエスという唯一の希望を見つけられたことで、レオの足取りは少しだけ軽かった。
控室のソファーに座り、じっと目を瞑り、待つ。
色々と準備をしているのだろう、長い時間が過ぎていく。
どれくらい時間が経っただろうか。
待ち望んだというのもあるが、それを抜きにしても長い時間だった。
「おまたせしました」
ようやく扉が開き、サルマンが部屋へと入ってくる。
その後ろには、アリエスもいた。
身支度をしたのだろう。
先ほど牢で見た時とは異なり、彼女は清潔になっていた。
とはいえ前髪は彼女の要望なのか分からないが依然として伸びていて、その間から金の目が覗いていた。
髪の量が減っているのは間違いないのだが、見づらくないのだろうか。
さらに服装も変わっており、簡易ではあるが、女性用の灰色のローブを身に纏っていた。
街中で見た、魔法の力を持った女性が身に着けていたものと似ている。
その女性の服はもう少し上質そうではあったが。
それでも、目を合わせられないレオのような客相手にここまでサービスをしてくれるのは、サルマンの商人としての誇りなのだろう。
サルマンはレオの向かいのソファーに座り、その横にアリエスが立った。
先ほどはレオを興味深そうに見ていた彼女だが、今はその瞳からはなにも読み取れない。
戦場において強敵と出会い、生き残ることを諦めた兵士の姿が、アリエスと被った。
「アリエスの購入とのことで、ありがとうございます。
お、お代に関しては、こちらになります」
サルマンは懐から紙を取り出し、テーブルの上に置いた。
そこには、事前に書かれたであろう金額が。
しかし、それが高いのか低いのか、レオにはよく分からなかった。
けれど流石に提示された金銭を取り出すことはできる。
どの硬貨がどういった金額なのかは、思い出さなくてはならないけれど。
レオはテーブルの上に王城から頂戴した袋を置き、その中から提示された金額分の通貨を取り出して横に並べる。
その様子を、ただじっとアリエスは見つめていた。
「確かに。それでは、契約の方はどうしますか?」
「……一番軽い場合、どうなる?」
「い、一番軽いとなりますと、先に話した通り、主に危害を加えない、逃げ出さないの二つになります」
ふむ、とレオは呟き、考える。
(主に危害を加えないという契約も要らないが……まあいいか)
今この王都にレオを傷つけられるのは一人しかいない。
アリエスに自分をどうにかできるとは到底思えなかったが、ここで否定するのもどうかと思い、レオは頷いた。
サルマンもそれに対して頷き、アリエスに対して魔法を行使する。
それが望んだ内容の魔法であることを確認し、レオは彼女に目を向ける。
その瞬間。
「っ!?」
右目が、疼く。
視界が一瞬で塗り替わり、ノイズの走った景色に切り替わる。
月明かりの照らす廃屋。
その中で蠢く黒き魔物。
そしてその魔物から生えた触手に腹部を貫かれ、壁に串刺しにされた少女。
血の流れる口元。
風に揺れる銀髪が月明かりに照らされていた。
誰がどう見ても、死んでいる少女の光景だった。
「ゆ、勇者様? いかがなされましたか?」
サルマンの言葉で、意識が現実へと帰ってくる。
レオは無意識のうちに頭を押さえていたようだ。
しかし、視線はアリエスから外してはいない。
漆黒の髪に金の目を持つ獣耳の少女は不思議そうに首を傾げている。
(なんだ……今のは……)
アリエスを見たときに過ぎった光景。
それが右目の呪いに関係しているのは間違いない。
けれど、いったい何の光景なのかがレオには分からなかった。
輝く絹のような銀色の髪に、整った容姿。
それにアリエスのような獣人の耳はなかった。
つまり彼女ではないし、彼女の姉妹や母親のような関係者にも思えない。
しかし、何度アリエスに視線を戻してみても、あの光景が再現されることはなかった。
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