第5話 頼れる人は居ない
「ふぅー」
王城の控室。
そこで悪い考えばかりをしていたレオは、一旦深く息を吐いた。
不思議なもので、あれだけ頭を巡っていた悪い考えは、今は消えていた。
不安が完全に消えたわけではない。
ただ長時間考えすぎて、疲れただけだ。
(これからのこと……考えなきゃな……)
少しだけ考えが別の方向へと向かう。
今レオは王城の控室に居るが、いつまでもここに居るわけにはいかない。
いつかはこの部屋から出なくてはならない。
それに一週間以内にはこの王都からも。
少しだけ冷静になった頭で今後のことを考える。
向かう先は西と決まっている。
デネブラ王国は大陸でも最東端に位置する。
ここより東は海しかないし、北はアルゴルを越えるので、今はそんな気分ではなかった。
それに今この精神状態で魔王ミリアの城を見たら、それこそ木っ端微塵になるまで破壊しかねない。
南に向かうよりも、大陸中央へ向かう方がよいとレオは考えた。
それを見越してのデネブラ王の発言だったのだろう。
目的地は、これで決まった。
大雑把にだが。
「金も……なんとかなる……のか?」
レオは自分の金銭を持っていない。
勇者には必要がないからだ。
必要な費用は全て国が支払う。
だからレオは自分の家や部屋というものも持っていない。
過ごす部屋はあるが、それは国が用意してくれたものであるし、元々物欲などないために、その部屋に物など置いてはいなかった。
けれど、国王は褒賞を与えると言っていた。
おそらくこれまでの戦績を含めてすべて支払われるのだろう。
だから、金銭そのものに関してはそこまで問題がない。
あるのは。
「俺一人で……無理……だよな」
金銭があったところで、使う人の能力がなければ意味がない。
レオはこれまで付き人や兵士に世話をしてもらっていたようなものだ。
流石に着替えや武器の手入れなどはできるものの、金銭の管理や地理的な理解などは全てエバ達に任せていた。
そんな今の状態で王都から出ればどうなるか。
誰の助けも借りずたった一人で生きていく。
それがどうしてもレオにはできる気がしなかった。
誰かに頼らなければ、王都を出た後に路頭に迷ってもおかしくない。
「誰か……頼れる人……」
レオは考えを巡らせる。
金銭はあるので冒険者や傭兵を雇うのはどうか。
けれどその考えはすぐに否定する。
(兵士は、冒険者が信用できないと言っていた)
レオは酒に酔うことなどはないが、酒の席に参加することはあった。
とはいえ会話はせずに、聞いているだけなのだが。
以前、そんな酒の席で兵士は冒険者に騙されて金を奪われたことを話していた。
あまり聞いたことのない話だったのでよく覚えている。
一緒に戦ったときに、報酬を持ち逃げされたといった話だったはずだ。
城に勤める兵士ですら騙されるのだ。
世間を知らない自分を騙すことなど、造作もないことだろう。
レオはもう少しだけ思考を巡らせる。
自分にとって信頼できる人とは誰か。
それはやはり今まで関係を持ってきた人、つまり城の兵士達だ。
そんな彼らの多くがこの王城にいる。
その中でも頭を過ぎったのは、たった一人の女性だった。
ピンク色の長い髪に、優しげな笑顔。
この王国では自分と最も親しいと言える、一人の衛生兵の女性。
彼女はもう目を合わせてはくれない。
けれど帰りの師団において、彼女だけが自分を深く気にかけてくれた。
目を向けてくれなくても、頼ることはできるかもしれない。
頼らせて、欲しい。
それは今まで一人で生きてきた、いやそう思っていたレオに初めて芽生えた感情だった。
「行こう」
彼は立ち上がり、もう訪れることもないであろう控室を後にする。
赤い絨毯の敷かれた廊下を歩きながら、目的地へと向かう。
エバがどこにいるかは知っている。
任務終わりのすぐは、彼女は衛生兵の詰め所にいつもいるからだ。
兵士の詰め所は王城から近い。
そこに向かおうとしたときに、聞き慣れた声が聞こえた。
「遠くから見ただけだけど、アルゴルは本当に劣悪な環境だったわ」
先ほど会いに行こうとしていたエバの声だった。
どうやら彼女は王城の知り合いの兵士と会話をするために、城に来ているようだった。
扉の前でも、エバとその他多くの兵士の話し声がよく聞こえた。
「やっぱりそうなんだ。たまに見るけど、いつも砂嵐だもんね」
「そんな場所に向かって、しかも魔王を倒すなんてレオ様は偉大だな。……まあ、呪いには驚いたが……」
「あまり言わないであげて。レオさんが一番気にしていたから」
エバの嬉しい言葉に内心で叫びそうになる。
そのまま衝動に任せて扉を開け、エバと話をしようとした、その瞬間。
「エバさんは今回の功績で大出世ですよね」
「嬉しいことにね。部下をまた多く持つことになったわ」
「でもお前の夢にまた一歩近づいたじゃないか」
レオの体は凍り付き、扉のドアノブに向かっていた手はピタリと静止した。
そんなレオの元に、会話の続きの言葉が届く。
「たくさんの衛生兵に、お前の技術を伝える。よかったじゃないか、衛生兵団長さん?」
「なんか恥ずかしいわね。私にできる事なんて勇者さま達に比べたらちっぽけだけど、私に出来ることを精いっぱいしていきたいの」
エバは優秀だ。
衛生兵として、数々の経験と実績を持っている。
そんな彼女が自分の知識を、技術を後継に伝える。
それはなんて。
(結局……誰も俺を……っ!?)
そこまで考えて、レオは自分を恥じた。
今の話を聞いて、レオはエバに内心で悪態をついていた。
それはなんて、なんて身勝手な、そう思った。
思ってしまったのだ。
祝福すべき、めでたいことだ。
それなのに、レオは自分の事しか考えてなかった。
エバに頼れない自分を悲しく思い、あまつさえエバのことを少しでも悪く思ってしまった。
なんて自分勝手。
身勝手という言葉はむしろ今の自分にこそふさわしい。
音もたてず、レオはその場を後にする。
新しい門出。
出世した衛生兵。
そんな幸せの絶頂にいる彼女に声をかけることなど、出来るはずもなかった。
×××
とぼとぼと、王城の中を歩く。
不意に、デネブラ王に言われていたことを思い出した。
褒賞を払う、そう言っていた。
王城の財務大臣の部屋を訪ねてくれと。
(確か、部屋はこっちか)
正直、誰とも会話などしたくはないが、先立つものは必要だ。
レオは目的地を変え、財務大臣の執務室へと向かう。
エバ達が会話していた部屋と、財務大臣の執務室は距離的には近かった。
ノックをして、「どうぞ」と声をかけられ、部屋の中に入る。
中には待機していた兵士だけが居て、大臣の姿は見えない。
部屋の入り口近くにはテーブルが置かれ、そこには金銭が詰まった袋が置かれていた。
どうやら兵士はただ単に金銭を渡すためだけにこの部屋で待っていたようだ。
「レオ様、お待ちしておりました。こ、こちらの報酬をどうぞ。
……や、宿に関しては、傍にある地図を参照してください、とのことです」
兵士はレオと目を合わせずに、机の上の報酬を指し示す。
彼らは緊張しているようで、少し震えているのがレオにまで伝わってきた。
しかし、報酬を視界に入れ、レオは内心で困っていた。
(これ、多いのか?少ないのか?)
今まで買い物などしたことがないレオには机の報酬が多いのか少ないのかが分からない。
それゆえに、そもそもこの報酬をどのように使えばいいのかも分からなかった。
しかし、兵士達は早く終わってくれと言わんばかりに無言を貫いている。
レオは仕方なく報酬を受け取り、頭を下げて部屋を後にした。
緊張がほどけたのか、兵士二人の息を吐く音が扉越しに聞こえた。
それすらもレオの心を締め付けた。
まるで逃げるようにレオは王城を後にする。
もうここに用はない。
誰も自分を必要としていないから。
裏門から出ることも考えたが、別に自分は何も悪いことをしていない。
そう開き直り、正門から出て行く。
だが結果として多くの人からの視線を浴びることになり、レオは後悔した。
誰もが、自分を見ている。
自分という異物が居ることを、恐れている。
足早に王城を出て、繁華街の通りを歩く。
「……少し離れたところか」
報酬の隣に置いてあった地図を見て、レオは目的地に向かう。
陛下が言っていた一週間の滞在。
そのために用意された宿屋だ。
これからここを去る自分に与えられた、一週間しか使えない宿屋。
けれどレオはあの場に居た大臣たちが、一週間も居てほしくないという気持ちを抱いていることに気づいていた。
まるで追い立てられているような、そんな感覚。
大通りを早足で駆け抜け、見つけた目的の宿屋に入ろうとする。
そのとき、丁度宿屋の入り口から見える路地裏から視線を感じた。
目を向けてみれば、路地裏の壁に背を預けて座り込む一人の男と目が合った。
レオは咄嗟に祝福で、その男性が呪われていることを見抜いた。
(くそっ)
内心で悪態をつき、レオは宿屋に入っていく。
呪いという点では同じものを受けた男性。
しかし彼がレオに向ける眼差しは恐怖や哀れみといった感情だった。
それも読み取ってしまったレオはやや不機嫌になりつつも、それを表に出さないように受付へと近づく。
宿屋には人の姿はほとんどなく、受付には一人の男性が立っているだけだった。
「あ……ゆ、勇者レオ様ですね。王城から連絡は受けています。
い、一週間だけ、宿の部屋を提供してほしいと」
その男は屈強ではあったものの、どこか緊張している様子だった。
「あぁ、すまない」
「いえ……ただ……」
レオに目線を向けずに、宿屋の店主であろう男性は恐る恐る言葉を口にする。
「そ、そのですね。レオ様を泊めるということで利用する客がみんな出て行ってしまいまして……そ、それで……もし、もしもですよ?レオ様の準備が早く済んだのなら、早めにお部屋を後にしていただけますと……本当に助かると言いますか……い、いえもちろん無理にとは言いません!」
「……そうか。分かった」
レオは無表情のままカウンターに置かれた鍵をかすめ取る。
そのまま早足で、二階へ続く階段に向かう。
その階段を上る最中も、受付に居る店主の視線には気づいていたが、レオはそれを無視した。
部屋は、二階の一番奥の部屋だった。
まるでそれが獣を遠くに追いやるみたいで、その徹底っぷりにレオは思わず笑ってしまった。
誰も居ない宿屋の二階の廊下。
そこに響いたのは、どこまでも乾ききった一人の男の笑い声だった。
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