第21話
東浦たちが事務所を出て、約40分後。
マーケットの入り口付近で長らく待機していたが、ようやく電話が入る。
「もしもし……よし、分かった」
東浦はそれだけ返答し、電話を切る。君咲がその様子を覗き込むと、静かに頷いた。
「婆さん、ある店に入ったらしい。それ以上の尾行は難しい。集音器で声を拾いたいが、近くまで寄る必要がある……安原一人では限界だ、行くぞ」
そう言って君咲と共にマーケット内に入っていく。君咲にとっては見慣れた、先ほどまで働いていたマーケットと同じ所だ。
「東浦さん、できればモンテーヌの近くには……」
「わかってる。幸い、反対側だから問題ない、今から行くところは」
地下マーケットは広い。元々、歌舞伎町近くの地下街を改良して作られたものだ。当時からすれば入口は制限され少なくなっているが、広さそのものは変わらない。端から端は、相当な距離だ。
歩いていると、目的としていた店の前に着く。どうやら煎餅屋のようだ。以前地下街にはなかったこういった店も、政府直轄となり手配がされ、様々な種別の店が入るようになった。
店の中を覗いていると、後ろから肩を叩かれる。
「……驚かすな」
「悪い、悪い」
「どんな様子だ?」
「今、奥の部屋に入って行ったところだ。誰かを待っているようだな。おそらく、ここの店主と知り合いなんだろう。まだ何も音は拾ってない」
そう言いながら集音器を見せる。
「拾えるのか、なら近づかなくていいじゃねえか」
「いや、音の有無は分かるけど話の内容までは拾えない。扉まで近づかないと」
扉の前にはレジがあり、レジにはバイトであろう女性が座っている。
「……あの子をなんとかしないといけないな」
「ああ、それも店主が戻ってきたら瞬時にな。図面は一応調べたけど、あの部屋に入口は他にないから、入る様子は絶対に分かる」
東浦が周囲を見渡す。既知の通り、こういう世の中となり人口は大幅に減ったが、都内に移住する人は圧倒的に多く、都内の人口はそれなりにいる。観測する人がいないため正確な数は誰にも分からないが、人口比で考えたら相当な数が集まっていることは確かだ。やはり都心物資が集中している点が要因として挙げられるだろう。つまり夕方のマーケット、人通りがあるため怪しい動きは目立つ。東浦はそれを懸念していた。
「オッサン二人と若い女の子。この組み合わせはどう考えても怪しいし、目立つ。俺が先に店に入って、物色しているフリをしよう。店主が戻ってきたら、合図をするから、安原が集音器持って入ってこい。それまでにバイトの子は何とかする」
「あたしは?」
「綾香ちゃんは様子を見ておいてくれないか。周りのね。何かあれば知らせてくれ」
少々納得のいかない君咲であったが、しぶしぶ頷いた。東浦はすぐに店内に入っていく。君咲は店の反対側に移動し、周囲が見える位置を確保した。安原は店の周りをゆっくりと歩きながら待機する。
東浦が店に入ってすぐだった。店主らしき人が戻ってきた。その様子は君咲の視界にも入っていた。
「……あやめ、猿飛さんは?」
「奥で、お待ちです」
店主と思われる女性はそうバイトの子とやり取りを交わし、そのまま猿飛の待つ部屋に入っていく。背を向けていた東浦はすぐにレジへ向かう。
「ごめんね、ちょっとこれ、教えてもらえる?」
「……あ、はい」
東浦に呼び出されたバイトの子は、レジの椅子から立ち上がり、離れる。その隙に、安原が店に入っていった。
「これって、新潟で手焼きしてた煎餅でしょ、何でこんなのあるの?」
「あ、これは……フミさんに……あ、店長のことですけど、フミさんが新潟出身で、こだわって仕入れてるものなんですよ。よくご存じですね」
安原は忍足で扉に近づき、集音器を向ける。そして耳にはイヤホンをする様子が見られた。
「フミさん、センスあるね。俺、昔は仕事で新潟によく行ってたんだけど、行くたびに買ってたよ。懐かしい、これ。うまいんだよな」
一連のやり取りは君咲の位置からよく見える。そして、君咲もイヤホンを耳に当てていた。
「でも、ここの煎餅屋の店主は、多分亡くなってるだろ。どうやって作ってんのよ」
「それはフミさんが……そこのお店の方と知り合いだったこともあり、お店の機械とかを全部新潟にいる信頼できる方に、フミさんの独断で預けたそうですよ。それから、仕入れルートも構築したんだとか」
東浦の位置から君咲のことが見える。アイコンタクトを送るが、君咲は首を横に振る。まだ、目的の情報を聞き出せていないようだ。
「すごいな、この時代に仕入れルートを独自で構築するなんて、相当な人望だよ」
君咲は東浦のコミュニケーション能力に感心しながら、耳に当てたイヤホンに集中する。
『……ほんと、生きてることが奇跡だよ。……で、そんな世間話しにきたわけじゃないだろ、猿飛さん』
『フミちゃん、世間話っつーのもの大事なものさね。あんたと会話したかったのも一つ。もう一つは……あたしの息子のことでさ』
『駿くん?何かあったのかい』
『そう、聞きたかったのはね。マーケットによくきてんのかい、この間怪我したって噂で聞いて、大丈夫なのかと心配になってね……フミちゃんなら何か知ってるかと』
『ここに来たのを見たのは1ヶ月前くらいかね。煎餅を食べたくなったって、店に来てくれたよ。その後も来てたかもしれないが、マーケットは広いからねえ。けど怪我?そんな情報は特に聞いてないよ。ここは、怪我や事件、事故。みーんな情報が伝達されるようになっている。あたしの耳に入っていないってことは、そんこと起きてはいないだろうね。ガセネタだよ』
『そうかい……今、駿の奴どこにいるか分かるかい』
『先月来た時には、今の任務から降りたいって、ぼやいてたね。移動したとは言ってなかったから、今も九段下の事務所にいるんじゃないのかね』
『あそこか……あとで電話してみるよ』
『ふふふ、縁切ったとはいえ、やっぱり気になるのかね、息子は』
『あれはこうなる以前の話、駿が生きていることがあたしにとっては最良のことさ。政府の仕事って聞いて最初は賛成したけど、もはやあいつら、ヤクザよりタチ悪いからねえ。駿にも言ったけど、中々聞いてくれないねえ』
『それはまあ、すぐには元の関係は戻らないだろうけど、向こうも拒否してないんだから大丈夫。このご時世に血の繋がった親子なんて貴重なんだから、大事にしなさいね……』
安原は突然、ドアから離れて店を出た。東浦がバイトを留めておくのが限界に達したことを察知したからだ。東浦が煎餅を手にレジに向かうところを横目に、忍足で店を出る。
安原がドアから離れたことで音声は途切れたが、君咲もイヤホンを外して安原に近づいた。
「思いのほか、上手くいったな……十分だろう」
「はい、色々なことが分かりました……猿飛さんのご友人なんですね、あの方はおそらく」
「まあ、そういうことだろうな」
「猿飛さんにあたしが嘘ついたことがバレましたね……目的を勘付かれていないか心配です」
「……さすがに尾行されて会話を聞かれているとは思ってないだろうな。……大丈夫だ、なかなかいい案だったよ」
煎餅を片手に持って店から出てきた東浦と合流し、そのまま三人はマーケットを出た。途中、君咲はどこかで感じたことのある寒気に、一瞬遭遇した気がした。周りを見渡したが、特に変わった様子はない。首を傾げて、マーケットをあとにした。
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