第18話

 事務所に戻った君咲は、入口で立ち止まる。扉が半開きになっているのだ。警戒心の強い、権田がそんなことをすると思えない。そもそも、この事務所に出入りする人間は限られている。この半開きだけで、何かがあったと容易に推察できる。

 君咲はゆっくりと扉を開ける。すると、荒らされた痕跡とともに、横たわる権田が視界に入った。


「権田さん!」


 君咲は駆け寄ると、横たわる権田が目を開いた。


「君咲……さん、無事でよかった……」

「いや、あたしじゃなくて……何があったんですか」


 権田はゆっくりと身体を起こす。太ももからの出血を見て、君咲が青ざめた顔をする。


「ど、どうしよう、安原さんに連絡しなきゃ」

「大丈夫、ちょっと頭はくらくらするけど……消毒して包帯巻いておけば……救急箱、持ってきてくれる?物置の棚にあるはず」


 君咲は急いで立ち上がり、物置となっている部屋へ向かう。権田は時計を見た。舘野がここを訪れてから、1時間近く経過していた。


「ありました、消毒しますから。ズボン、失礼します」


 君咲は権田のズボンを下ろして、傷口に消毒液をかける。沁みるのか、苦悶の表情を浮かべる権田を無視して、その部分の汚れを綿で取り除く。幸い、傷は深くなさそうだ。それよりも顔のアザと口内を切ったと思われる出血が、君咲には痛々しくて堪らない。


「……で、何があったんですか」

「突然男が来たんだ……"タテノ"と名乗っていた。猿飛を探しているんだって」


 君咲は自然と手を止める。


「それって……」

「うん、矢島さんのところと同じかもしれない」

「……まさか東浦さんに人探しを依頼しにきたとか?」


 君咲の勘の鋭さに、権田はこの状況ながら感心する。


「そうみたいね。猶予は2日間、そう言って出て行ったよ」


 権田がそう言ったとほぼ同時に、玄関ドアが開く。


「一之助、まさかお前、俺になりすましたか」


 東浦の顔はいつもと少し異なる表情をしていた。権田を心配している顔とも、少し違う。権田はその言葉に目線を伏せる。


「綾香ちゃん、とりあえず一之助の手当てを頼む」


 そう言いながら、ダイニングテーブルに鞄を置き、腰を下ろした。粉々になったサイドテーブルに目線を移す。


「派手にやられたな。何があった」

「すみません」

「謝る必要はない。けど客人に、なりすますことはお世辞にもいい作戦とは言えないな。この結果を見る限りは」


 権田は君咲に包帯を巻かれながら俯いていた。君咲は太ももに包帯を巻き終わると、立ち上がる。


「東浦さん、あたし矢島さんのレストランに行ってきました」

「何?レストランYAJIMAにか?」

「はい、矢島さんを襲った方、猿飛さんを探しています……権田さんを襲った犯人も……」


 権田が身体を起こし、それに続く。


「彼は東さんを訪ねてきました。猿飛を見つけろ、と。僕の表情から知っていることを読み取ったようで、それでこの有様に……」

「で、俺になりすまして、か。猿飛の婆さんに何の用なんだよ、そいつは」

「違うんです。その猿飛さんじゃ、ありません」


 東浦、権田の二人は君咲の顔を見る。


「YAJIMAの従業員さんが言ってました。猿飛さんは常連で、若い男性だと」


 それを聞いた東浦はゆっくりと立ち上がる。権田はその様子を見て疑問を浮かべた。


「……ちょっと待って、東さん、矢島さんが暴行を受けた事件、知ってたんですか」


 それを聞いて君咲も意図に気が付く。この件は報道がなされていない。


「……ああ、知ってたよ。今朝、弁護士会で聞いた」

「じゃあ詳しく知ってるんですか、事件のこと」

「いや、矢島さんが暴行を受けたことだけだ、知っているのは。猿飛のことは初耳だが……思い出したことがある」


 東浦は立ち上がった流れで冷蔵庫に向かい、中から冷水を取り出し、コップに注ぐ。


「そいつは、割と有名な奴だ。こうなる前に、奴の弁護を担当しかけたことがある」

「しかけた?そうなんですか?」

「ああ、結局起訴が見送られたんだ。弁護の必要がなかったのさ。ただ何度か面会したから、顔は覚えている」

「でも、その方と、その犯人が探している猿飛と、同一人物とは決めつけられないんんじゃ……」


 君咲がそう言うと、冷水を飲み干した東浦に視線を注がれる。


「……矢島さんは、元ヤクザなんだ。そしてのそのツテもあって、あそこは黄老会こうろうかいの行きつけだったんだよ。そして猿飛……猿飛駿さるとびしゅんは、その中でも有望株だった。ある日、別の組の抗争に巻き込まれ、たまたま居合わせただけで何もしていないのに捕まった。だがあいつらは、普通のヤクザとは違って、マフィアみたいな存在だ。荒っぽいことはしないし、言ってしまえば一般人より行儀がいい。状況からも、あいつが白なのは明白だったんだ」


 東浦は昔を思い出すように語る。


「それで、黄老会の、当時の長から弁護を頼まれて引き受けたんだが……さすがに証拠もなく、起訴が取り下げになった。……まあ何が言いたいかと言うと、あのレストランで常連客の”サルトビ”が、二人いるとは思えないってことだ」


 君咲はそれを聞いて、思わず口を開く。


「あのお婆さんとの関係は?」

「さあ、流石に知らないさ。だけど、そんな頻繁に出会う名前ではないことは確かだ、しかもこの世なら尚更。関係があると見た方が話は早そうだ」

「東さん、あいつ……舘野って男、猶予は二日と言って出ていきました……見つけないと、大変なことになる……本当にすみません」


 その言葉を聞いて東浦が鼻で笑う。


「俺が居なかっただけで、居たところで結果は変わらない。まあ、俺ならそんなボロボロにはならんが、依頼を受けざる得ない運命は変えられなかっただろ……ったく、うちは探偵事務所じゃないんだけどな。弁護士が人探しって、すごい時代だよ」


 東浦はそう文句を言いながら、鞄を手に取り、携帯電話を取り出す。


「一之助、お前は休んでろ。ドアと窓は全部施錠して、奥で休め。……綾香ちゃん、行くぞ」


 そう言って東浦は扉を開ける。君咲はその後ろ姿に呼びかける。


「え、行くって、どこに」


 東浦は扉を開けながら携帯電話を耳に当てている。誰かに電話を掛けているようだ。


「どこって……もちろん猿飛を探しにさ。まずは知り合いの猿飛に話を聞きに行こう」


 東浦はそう言って、事務所を後にした。


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