第16話

 ピンポーン……


 東浦法律事務所内で、玄関のチャイムが響き渡る。東浦は早朝から外出しており、君咲はアルバイトで地下マーケットへ行っている。事務所にいるのは、権田、ただ一人だ。


「はいー……」


 外界と、最近自身が触れる平和な世界とのギャップだろうか。通常は警戒を怠らない権田ではあったが、何故かこの時は気を緩めていたようだ。玄関のドアノブに手をかけた瞬間に異変に気づいたが、時既に遅し、開く方向へ力が掛かっていた。


「よお……あんたが東浦さんか」


 ドアが少し開いたところを掴み、来訪者の男は強引に全開とした。同時に権田は手をノブから手を離していたが、代わりに喉元に刃物が突きつけられていた。


「……いきなりナイフとは、何事ですか」

「おい、遊びじゃねえぞ。聞いてんのはこっちだ、質問に答えろ」

「……そうですが、何か」


 権田は冷静を装い、咄嗟にそう答えた。すると、来訪者は喉元に向けていた刃物を下ろす。


「聞いていたより若いな。乱暴で悪いが勘違いすんな、別にあんたと喧嘩するつもりはないんだ。依頼さえ受けてくれれば、それでいい」

「依頼さえ?依頼人の振る舞いとは到底思えませんが」

「悪い悪い、気にすんな。さっそく話聞いてくれ、あと何か飲み物くれよ」


 誰の許可を取るでもなく男は勝手に中に入っていく。周囲を見渡し、他に誰もいないことを確認したのか、中央のダイニングテーブルにある席へ座る。権田も玄関の扉を締め、冷蔵庫から水出しの麦茶を取り出し、コップに注いで目の前に置く。


「……他にも誰かいんのか」

「ええ。手伝ってもらっている仲間がいますけど」

「今は誰もいねえようだな。この依頼は、あんただけに留めといてくれ。ある人物を探して欲しい」

「まだ受けるとも何も……」


 権田が話し終える前に、手に持っていた刃物が目の先に突きつけられていた。


「東浦さん、いいかい。先に言っとく。あんたに拒否権はない。あと、俺は気が短いんだ。困らせないでくれよ、頼むから」


 男の言葉に邪が混じる。権田は、目の前の男が明らかに自身とは住む世界が違う人種であることに気づいていた。この異常な状況の中で、どうすべきか、出来ることを模索していた。


「お名前くらいは聞いても?」

「……舘野卓たてのすぐるだ。俺が探して欲しいのは、"サルトビ"という男だ」


 その言葉を聞いたとき、ある意味不意打ちであったわけだが、思いとは裏腹に目を見開く反応を示してしまう。舘野はその異変を見逃さなかった。


「あんた、知ってるな?"サルトビ"を」


 権田は冷静さを失ってしまっていた。その言葉に反応したことが、相手にバレてしまったからだ。この場から逃れる術を失っていた。


「いや、知らな……」


 権田がそういった瞬間だった。舘野は折りたたみナイフの刃をしまい、少し大きな柄の部分で権田の腹部を貫いた。普段、東浦から稽古をつけている権田だが、あまりの速さに反応できず、もろにその打撃を受けてしまう。そして痛みで前屈みになった瞬間、舘野の右回し蹴りが権田の頭部左側を襲う。見えてはいるが、あまりのスピードに防御が間に合わない。振り抜くように喰らった回し蹴りにより、権田はソファーのサイドテーブルごと吹き飛んだ。


「……言ったよな、遊びじゃないんだ。俺は、嘘つく奴、ごまかす奴が大嫌いなんだよ。殺されてえか?お前よお」


 権田が吹き飛んだところまで、じりじりと舘野が近づいてくる。立ち上がろうにも、ダメージと衝撃で一歩も動けずにいた。


「……まあいい。お前が”サルトビ”を知っていることは分かった。いいか、2日以内に必ず見つけろ。2日後、もう一度ここにくる。それまではいずれにしても、命はあると思っていい」


 薄れる意識の中で、権田はその言葉を聞いていた。どうにか立ち上がろうとしているが、どうにも身体が動かない。


「いいか、2日後だ……お前の評判に免じてこの辺にしといてやるけど、見つけられなかったら、仲間も全員命はないと思え。じゃな」


 そう言って舘野は玄関から出て行った。権田はそれを見送り、立ち上がる。


「く、くそ……君咲さんの安全を確認しないと……」


 立ち上がると、足の異変に気づく。壊れたサイドテーブルの破片が、太ももに刺さっており、出血していたのだ。目視するとともに激痛を覚え、思わず腰を落とした。

 権田の頭によぎっていたのは、自分の容体ではなく君咲のことだった。先ほどの電話があった直後のこのタイミング、ただただ何もないことを祈るのであった。




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