第15話
「お疲れ様、今日のお給料ね」
12時になり、早番として勤務していた君咲は村井から給料を手渡される。当然、貨幣ではなく物資になるわけだが、この地下マーケットで使える金券の半券と、フルーツドリンクショップのサービス券だ。マーケットの金券は1枚を割くことができ、0.5枚から商品と交換することができる。また、ドリンクサービス券は、バイト帰りの君咲にとっての楽しみの一つでもあった。
「お疲れ様でした、ありがとうございます」
「こちらこそ、今日もありがとう。また明後日、よろしくね」
君咲はその言葉に一礼し、店を後にした。マーケット内にある各店舗の様子を伺いつつ、外へ出ようとした時だった。出口付近ですれ違った男の纏う空気に、思わず立ち止まり振り返る。すらりとした長身の男は、ジャケットとともに冷たい空気を纏ってゆっくりと歩いて進んでいく。全身に鳥肌が立っているのを確認して、君咲は再び男の後ろ姿に目線を移す。彼女にはどうも、この政府公認とされるマーケットには相応しくないように映っているようだ。後ろ髪を引かれる思いで前を向き、出口の階段あがっていった。
外に出ると、君咲は再び携帯電話を取り出す。
「イタリアンレストラン、YAJIMA……ここで間違いない……」
繋いでいたインターネット回線が切断されていることを確認し、店の前に立つ。彼女は、アルバイト中に盗み聞きした情報が気になっていたのだ。今度は携帯電話で事務所へ繋ぐ。
『はい、東浦法律事務所です』
電話に出たのは、権田だ。
「もしもし、君咲です」
『君咲さんか……アルバイト終わったんだね。何かあった?』
「実はアルバイト中に、少々気になることを聞いてしまって」
『気になること?』
「はい。イタリアンレストランのYAJIMAって、知ってますか?」
『……知ってる、というかお客さんと以前だけど行ったことあるよ、こうなる前にね。このご時世、外食できるところなんか無いに等しいから、繁盛してるって噂は聞いてたよ。東さんと、今度行くかって話してたくらい』
「話によると、オーナーの矢島さんが、暴行受けて重体だって……」
『……なんだそれ、報道規制か。テレビでもラジオでも報道はされてないな』
「で、気になるのが重体の矢島さんが呟いていたっていうワード」
『ワード?』
「"サルトビ"』って呟いていたそうです」
電話口が無言になる。携帯電話を持たせた君咲が何をするつもりなのか、考えるのは容易い。
『君咲さん、まさか一人で調べようとか考えてない?』
「お店の人に話を聞くだけです。その"サルトビ"があのお婆さんかどうかはわかりませんけど、そんなにありふれた名前じゃないですし、特にこのご時世。何らか、関連がある気がします」
再び権田は黙り込む。君咲の指摘に、ぐうの音も出ない。危険だからやめるんだ、という言葉を腹の中にしまい込み、口を開く。
『……分かったよ。じゃあ、話を聞くだけ、いいね?それ以上は、ダメだよ。真っ直ぐ帰ってきて』
「……はい、わかりました」
そう返事をして、君咲は電話を切る。既に店の目の前、そのまま店内へと入っていた。
どうやら営業はしていないらしく、店員と思われる男性が一人、店内の片付けをしている様子だった。
「……すみません、今日は営業してませんでして……」
「あ、いえ……あたし、客ではないんです。少しお伺いしたいことがあって」
君咲がそう言うと、男性の表情が少し変わり、警戒モードになったことに気づく。
「……お若いようですが、政府か何かですか。既に警備隊にお話は済んでいるはずですが」
「違います。あたし、君咲といいます。もしかしたらお役に立てるんじゃないかと思って、来ました」
「役に立てる?あなたが?」
「矢島さん、あたしはお会いしたことはないですが、残念に思ってます。犯人、見つけたくありませんか……力になれるかもしれません」
「……続けて」
「矢島さんが”サルトビ”っていうワードを何度も呟いていたと、伺いました。その方と矢島さんにどういうご関係があるのか、お聞きしたかったんです」
「猿飛さんはウチの常連さんだよ。いわゆる太客でもあってね」
「あのお婆さん、こんなおしゃれなお店に……」
「お婆さん?猿飛さんは男性だけど……」
「え?」
君咲は驚いた。まさか、別の人物とは露にも思っていない。
「若い男性だよ……こうなる前は、いわゆるヤクザだったんだけどね、カタギにはすごく優しくて、彼はこのレストランを贔屓にしてくれてた。よく仲間と来てたけど、教育がいいのか、普通の客より礼儀正しくマナーが良いお客さんだったね。彼が矢島さんを襲うはずはないよ……あなたが知ってる猿飛さんは別人なんじゃない?誰がどう見てもお婆さんではないからね」
「そうですか……」
君咲は冷静に考えていた。まさかの猿飛違いではあるが、そうなると目的が見えてくる。
「その話が本当なら、確かに猿飛さんは犯人ではなさそうですね」
「そう思うよ。なんで猿飛さんの名前を呟いていたのか……それはわからないけど」
「猿飛さんは、生存されているってことですよね。最近はいつ頃来ましたか?_」
「……前回は一ヶ月前くらいだったかな?そう考えると、ずいぶん来てないね、少なくとも週1回は来ていたから」
「そうですか……ありがとうございます。あたし、東浦法律事務所にいます。犯人を見つけたら、連絡しますね」
「こんな時代に、探偵?人のために何かやるなんて、珍しい人だね」
君咲は、その言葉に自然に笑みを溢した。
「……あたしたちがやらないといけないんです。犯人は、見つけます」
「そっか。俺も矢島さんやられて、正直怒りのぶつけどころなくてさ。頼むよ。あ、俺は
「はい、よろしくお願いします」
君咲は、手書きの名刺を牛尾に渡し、一礼して店を後にした。彼女の足取りは事務所への帰路に向いていた。状況からして、何者かが猿飛を探していたと思われる。その居場所を聞き出すため矢島は尋問を受け、そして暴行されたと彼女は睨んでいた。
知っている人物と異なる猿飛とは誰なのか、また誰が猿飛を探しているのか、詳しく調べる必要があると感じていた。
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