第8話
君咲と権田が元の場所に戻ると、既に東浦がいた。野尻がキッチンで何やら作業している様子を、席についたまま見ていた。二人も戻るなり、席につく。
「皆さん戻ったんですね、何か飲まれますか」
野尻がキッチン越しに声を掛けてきた。
「いえ、お構いなく」
東浦が答えた。
「東さん、このまま帰るんですか?」
権田が、小声で東浦に話し掛ける。
「いーや……ハッキリさせてから帰るとしよう……綾香ちゃん、どう思う?」
小声で答える東浦は、不意に君咲を向く。
「試されている、そんな気がします」
小声で答える君咲に、東浦が微笑む。
「……いい着眼点だ」
東浦はそう言って、足を組み直す。そして手を差し出し、君咲に発言を促した。野尻は、キッチンで水を出して何やら作業を続けている。
「……色々考えましたが、あの人が野尻かずこを装うメリットってない気がするんです。仮にですけど、さっきの話が本当で、取引予定者に逃げられたとして……別に追う理由がない。物資に困っているわけでもないのだから、放っておけばいいんです」
君咲は小声で続ける。
「そうなると、今回の依頼はそもそも、不自然です。であれば、あたしたちを試すために依頼してきた、と解釈した方がすんなり理解できます」
「同意だ……あとは本人に聞くとしよう」
東浦はそう言い、立ち上がった。
「野尻さん……いや、猿飛さん、の方がいいかな」
その言葉に、野尻の手が止まる。ゆっくりと顔を上げた。
「何を言っているんですか」
「あまり、試されるのは好きではなくてね。野尻かずこが別人ってことはすぐに分かったよ。あとはウチの情報屋のおかげでね……あんた有名人じゃないか、さすがに変装か何かしなきゃ、バレるよ」
東浦がそう言うと、野尻はキッチンから離れ三人のいる席に向かってくる。
「ふん……面白くない男だね……」
「それは、どうも」
そのまま空いている椅子に、腰を下ろした。
「なんだい、情報屋が居たんかね。完璧な演技だったはずなのに」
野尻、改め野尻と名乗る女性は開き直ったかのように態度を変え、手に持つマグカップを口に運びつつ続ける。
「まあ、いい。あたしゃ、
「猿飛さん……地下マーケットっつーのは、公式連絡台帳に登録されていることが参画要件の一つだ。そのくらいの設定、しっかりしてもらわないと。こっちは、わざわざ立川まで来てるんだから」
もはや嫌味のように東浦は続ける。ここに、権田が割って入る。
「すみません。なぜ、僕らに依頼をしたんですか。目的がわからない……」
「……あんたら法律家だろ?ずいぶんと控えめな事を言うね……この世の状況、分かっているだろ?世は世紀末さ……戦う術は多様性があった方がいい……そういう時代さ」
野尻、改め猿飛は開き直り、吹っ切れたように話をし始めた。
「この世を生き抜くには相応の力がいる。それは、武力だけの問題じゃあないのさ。わかるかな、坊や。騙されたやつが、負けなんだよ」
坊や、という言葉は自分に向けられたものではないと思っている権田だが、君咲からの目線を感じ、とにかく首を横に振った。
「猿飛さん。本物の野尻さんは、どちらに」
その様子に興味が無い東浦が、真面目な質問で切り返す。
「小屋に縛り付けてあるよ。まあ、死んじゃいないだろうね」
「よしおさんも、そこに?」
「……そうだよ。あんた、勘がいいね」
「さっき、外行くふりして部屋を物色してたら、青年が住んでいるような痕跡があった。そうなると、住み込みの手伝いがいることは事実……と結びついたんでね」
東浦がそう言ったとき、部屋の扉が勢いよく開いた。
「……お前ら、何者だ!今すぐ出てけ!」
開けたのは、木製バットを持った青年で、その後ろにはお婆さんが怯えるように隠れていた。
「助けるまでもなかったか」
「いや、東さん、僕ら仲間だと思われてません?」
「よしおに野尻かずこ……縛りが甘かったか……」
各々が独り言のように呟くその様子を見て、君咲は立ち上がった。
「よしおさん……に、野尻かずこさんですね……あたしたちは、あなた達を助けにきたんです。彼女が、野尻さんに扮して成り代わっていたところ、それをいま暴いてました。すぐに出ていきますから、それは収めてもらえますか」
あまりに冷静かつ淡々と話す君咲に、よしおは構えていたバットを下ろす。
「……わかった。隣の部屋にいるから、終わったら説明に来い」
そう言って、よしおは扉をピシャリと閉めた。そのやり取りを、東浦は興味深く見ていた。
「綾香ちゃん、ありがとう。無事は確認できたことだし、話を戻そうか。……猿飛さん、とりあえず二度と、ここには来ないと約束してくれ。次は、許さない」
「約束は嫌いだ、何も約束はしない。……ただ、こんなとこ二度と来やしないよ。あたしゃ、新宿なんでね、いまの住まいは。で、あたしに協力しないかい、あんた達。お互い役にたつはずだよ」
「……申し訳ないけど、遠慮しとくよ。今回のような甘い設定しかできないようじゃ、足引っ張られるだけだ」
東浦は、席を立つ。
「一之助、綾香ちゃん。隣行って、野尻さんとよしおさんに、経緯の説明を頼む」
「……分かりました」
権田と君咲は、指示に従い席を立って隣室へ向かった。東浦は、猿飛と二人になり静かになった部屋で目を合わせる。
「……さて。本当の狙いはなんだ、猿飛さん」
「ふん。かっこつけよって。本当も何も、生きていく上であんたらが使えるか試したのさ。それだけよ」
「それだけでわざわざここまで来て、手の込んだことはしないだろう。しかも新宿に住んでるって……俺らの事務所が新宿なのも知ってるだろうに」
東浦の言葉に、猿飛は顔を上げて何か考えを巡らせていた。やがて視線を下ろし、ゆっくりと話し始める。
「……政府の悪巧みを知ってしまってね。あたしゃ、世界がこの状況になってから、悪いことしかしてないけど、ありゃモノが違う。何でかわからないけどねえ、気に入らなくてね」
「悪巧み……ね。あんただって、政府が色々やってることは知ってるだろ。今更、何か引っ掛かることでもあったのか」
「そうさね、奴らは善人の仮面を被って、裏で豪遊して酒池肉林……確かに知っている人は、知っている事実さ。そんなこと……で済ますのもどうかと思うけどね、そのレベルじゃないことが起きてるんだよ」
猿飛の言葉を聞きながら、東浦は時計を見る。
「興味深い言い方をするね、猿飛さん。……そろそろ説明も済んだだろう。あいつらには早い話と思ったけど、隠すことでもないな……あんたのこと新宿まで送迎するから、代わりに詳しく話をしてくれないか」
「……よく気づいたね、あたしに足がないこと。乗ってやろうじゃない」
東浦はその返事を聞いて、扉を開ける。手で促しながら、「野尻さんとよしおさんに、一言謝罪してからだ」と言わんばかりの表情を猿飛は感じ取り、いかにも面倒だと表情で語りながら部屋を出ていった。
東浦は誰もいなくなった部屋を見渡したあと、自身も後にするのであった。
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