畜産農家の悲劇

第6話

 三年前まで、公共交通機関と呼ばれていたものは、現在は何一つ機能していない。現在ある交通手段は、車のみ。バイク、自転車などが消えて無くなったわけではないが、訳あってあまり使用されてはいないようだ。唯一、私鉄の一部が再開に向けた動きが始まったとの噂もあるようだが、まだまだ時間が掛かるだろう。

 そのため東浦法律事務所は、移動手段として二台の車を保有している。車に関しては支払いも何もないわけだが、問題はガソリンだ。ガソリンは、この世の市場において、相当な価値を有している。他に移動手段がない以上、価値が高まるのも自然なことではある。


「ここですね……」


 一行は、今朝東浦が受けた依頼の面談のため、立川市の端っこまでやってきた。運転するのは、権田だ。普段、依頼人に会うために東浦が同行することはないのだが、今は少し状況が違う。様々な意味で、今回は一緒に行動することがベストと考えた。


「綾香ちゃん、これを」


 車を降りようとした君咲に、東浦が差し出したのは、革のケースだ。君咲は受け取ると、その中身を確認する。


「……ナイフ?」

「護身用だ。持ってないだろ?自分の身は自分で守らなければいけない。外の世界は、いつ何が起きてもおかしくないぞ。常に身につけておくんだ」


 東浦はそう言って車を降りる。君咲らも次いで降りるが、まず気づいたのは臭いだ。動物臭が周辺に立ち込めている。君咲は、鼻をつまんだまま、東浦と権田の後ろをついていく。事務所と思われる建物の入り口で、老婆を見つけた。


「野尻さん……ですか?」


 東浦が呼び掛けると、その人物は頷いた。三人は近づいていく。


「初めまして。依頼いただいた東浦法律事務所の、東浦です。隣が権田で、彼女は君咲」

「こんにちは、来るのが早くてびっくりだね。家族かと思ったけど、そうじゃないわね、あなたたち。家族なわけはないものね……私は野尻です。野尻のじりかずこ。もう一人手伝ってくれてるのがいるんだけど……あとで紹介します。どうぞ、中へ」


 そう言って、建物内へ入るよう促される。権田は周囲をよく確認してから、中に入っていく。君咲はその様子をよく観察していた。


「コーヒーがいいですか、お茶がいいですか」


 席に着くと、野尻が三人に向かって聞いてきた。


「お構いなく。次も予定があるので、さっそくお話を」


 東浦がそう言うと、野尻は眉が下がり残念そうな表情になる。おもてなしを諦めて、三人のいる席についた。


「……ご依頼の件、電話で概要は聞いてますが、改めてご説明いいですか」

「はい……一ヶ月前に、猿飛という男から連絡がありまして。卵と牛乳の定期購入をしたい、と。私は、ここで手伝いをしている、よしおと二人暮らしですから、特に食料も困ってないし、野菜も畑があってほとんど自給自足です。しかもこの辺り、まったく住民も居ないので、治安も良いんですよ。だから困ってないんですけど、その猿飛という男、すごく必死だったので……」

「待ってください、よしお、というのは?」


 割って入るのは、権田だ。


「あ、よしおが、ここで手伝いしている者です。紹介しようと思ってたんですが、どこか出ていってしまったみたいで」

「よしおさんは、ご家族で?」

「いやいや、まさか。彼は、三ヶ月前くらいでしたかね、私が一人で困っていたところに、やってきたんですよ。手伝ってくれるって言うんで、住み込みで今は」


 東浦と権田は、目を合わせた。特には何も言わず、説明を続けさせた。


「猿飛が、取引をするのに新宿を指定してきたんですけど、私、そこまで運転するのも自信がなくて。よしおに行ってもらいました。向こうが急いでいたんで、卵50パックと牛乳20ℓ。手付けということで、向こうからは米を1キロいただきました。10キロの約束でしたから、ちょうど10%。翌週に、残りを持ってくる約束だったんです。その時は、練馬まで持ってくると」


 そもそも物々交換として釣り合っていないのでは、という突っ込みをあえて入れる必要もない。この会話だけでも、東浦と権田は色々と考えを巡らせいた。


「で、現れなかった?」

「そうです。翌週も来ませんで、それから二ヶ月くらい経ちますが、連絡も繋がらないです。もう諦めていたのですが、あなたの事務所が凄腕と噂を聞いて。相談してみようかと思い、ご連絡させてもらいました」


 東浦と権田は、再度目を合わせた。その様子を見ていた君咲が、先に口を開いた。


「野尻さん。そもそもなんですけど、野尻さんに電話が掛かってきたっておっしゃいましたよね?野尻さんの番号って、政府の『公式連絡先台帳』に公開されてますか?」

「……ああ、いえ、してませんよ。少し前に田上総理が言っていたものよね。やり方がよくわからなくて……ウチの商品は、全て総合物資交換所に卸しているんです。だから公開する必要もなくて」

「なら、野尻さんの連絡先、その猿飛さんって方はどうやって知ったんでしょうか?」

「そうねえ、言われてみればそうだわ……」


 野尻は君咲の言葉に頭を抱えた。権田が、間に入る。


「彼女の言う通り、野尻さんの連絡先を知っているって、身近にいる人だけなのでは?」

「身近……身近……あ」


 野尻は急に言葉を止める。本人も、気がついたようだ。


「野尻さん、よしおさんはどこに?」

「……いや、わからないのです」

「今日、私たちが来ることは知ってますか?」


 続いて東浦が助太刀に入る。


「もちろん話しました……そういえば、その話した直後にどこか出ていったような……」


 権田はそれを聞いて席を立った。


「よしおさんを探しましょう」

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