第66話 「アッシュ様から離れなさいよッッ!!」2




「人造人間としての僕の体には、ギギネリエスの持つ死霊魔術が使われている筈です。その僕に何らかの利用価値を見出した貴族の人達……、その“秩序の塔”と呼ばれる人達が、悪意を持って僕に近づいてくることは考えられませんか?」


 危惧しなければならないのは、過去ではない。これからのことだ。アッシュ自身が、貴族達の邪悪さを招き寄せる可能性こそを警戒すべきだった。


 それは暗澹とした想像ではあったが、そこにローザ達を巻き込んではならないと思った。


「もしも僕の存在を、既に貴族の人達が把握しているのであれば……。僕は、アードベルから離れた方がいいかもしれません」


 その決意と選択を、アッシュは出来るだけ声に感情を籠めず、穏やかな表情で話すことができた。だが、期待したほど場の空気は平穏とはいかなかった。アッシュの言葉のあとには、どこか悲愴で強張りのある沈黙がリビングに広がってしまう。


 ローザやネージュ、それにカルビ、エミリアも、何かを喋り出そうとするのを堪えながらアッシュを見つめ、すぐにシャマニとヴァーミルに、縋るような視線を流したのが分かった。


「その必要は無い」


 そう静かに言い切ってくれたのは、武人然とした峻烈な美貌に微かな笑みを過らせたヴァーミルだった。


「キミに話したいことがあると言ったのは、そのことと関係しているんだが……」


 緩く息を吐いたヴァーミルは言いながらローザ達にも視線を巡らせて、アイテムボックスから書類の束を取り出した。


「当然のことではあるが、“教団”で生まれたというキミの過去は、冒険者ギルドだけでなく、法に関わる王都の省庁各所も把握している。キミが養護院の保護を受ける際の、その手続きの段階でな。だが……」


 分厚い書類をパラパラと捲ったヴァーミルが、そこで顔を上げてアッシュを見詰めてくる。


 エミリアと同じか、それよりも少し大柄なぐらいのヴァーミルの視線は、小柄なアッシュの上から降ってくるようだった。


「キミとギギネリエスの関係を知っているのは、この場に居る私達と、それにギルドの一部の者だけだ。……まぁ、私達のクランにも若干名居るんだが、それは省くことしよう」


 ヴァーミルの言う若干名というのは恐らく、チトセのことだろうとアッシュは察した。


 「……そ、そうなんですね。何というか、少し意外でした。僕に対する扱いは、もっと容赦のないものになるかと思っていましたから……」


 「あぁ。もしもキミが冒険者として問題ばかり起こしていたり、或いはレイダー共のような残酷な行いに手を染めていた場合は、そうなっていただろう」


 そこでヴァーミルは声を厳しいものにしたが、すぐに緩く息を吐いて、アッシュに対して少し申し訳なさそうに視線を下げた。


「私達は今回、キミのことについても調べさせて貰った」


 アードベルの治安維持にも関わる『鋼血の戦乙女』にとって、ギギネリエスの製造物であると判明したアッシュの素性を改めて調べることは、やはり必要な仕事だったのだろう。


「養護院でのキミの生活態度に関しては、クレア=グリフィードの綿密な報告が幾つもある。更に言えばギルドの受付でも、キミが冒険者になってからの正確な活動記録も残っているからな。信頼できる情報が揃っている御蔭で、キミの今までの素行を調べるのは、比較的容易だった」


 分厚い書類の束に視線を落とし、そのページを軽やかに捲っていくヴァーミルの口調は事務的だったが、その声音にはアッシュを安心させようとする気遣いが感ぜられた。


「……キミは冒険者になってから、等級を上昇させるような依頼を殆ど受けておらず、大きな活躍も無く、そして、問題も起こしていない。時折、エレメンタルの魔骸石など、貴重なアイテムを受付に提出することもあったようだが……。その際は、“偶然見つけた”、“他の冒険者が助けてくれた”と述べ、自身の貢献度の加算を全て固辞しているな」


 書類に記載されている内容を、ヴァーミルは淡々と口にしていく。やけに真剣というか、興味深そうな顔になっているローザ達も、それをただ黙って聞いている。


「……えぇ。確かに僕は、自身の等級を上げるような貢献度は、辞退してきた筈です」


 アッシュは目を伏せ、ヴァーミルから視線を逸らして頷くしかなかった。彼女が語った内容は、ギルドの業務記録として保存されているものに違いないからだ。ローザ達が黙ったまま、アッシュを見詰めている気配がある。シャマニが咳払いをした。


「コホンッ……。ぁ、アッシュさ……、アッシュさんは……!」


 やけに強張ったシャマニの声は、妙な具合に上擦っていた。思わずアッシュが顔上げてシャマニを見つめると、彼女は顔を赤くして声を詰まらせた。


 だが、すぐに「コホンッ!! んんんぅッ!!」と再び強めの咳払いをして、言葉を続けた。


「魔骸石に関しては、ぎるっ……、ギルドの受付ではなく、え、えぇと……、まっ、マテリアルショップにも持ち込んでいますね?」


 アッシュに対して唐突な敬語になったシャマニの声音は、やはり妙に掠れて高音に聞こえた。というか、所々でひっくり返りそうになっている。


「えぇと、……はい。冒険者居住区の近くにある錬金術士のお店を、いつも利用させてもらっています」


 取り調べを受けて居るような気持ちで、アッシュは頷く。


「冒険者がマテリアルショップを利用するのなんて、当たり前のことだと思うけれど」


 眉間を絞ったネージュが、アッシュを庇うように言ってくれる。「えぇ! そうですとも!冒険者生活としては、至極真っ当ですわよね!」と、ちょっと怒ったような顔になったエミリアも追従した。


「アッシュが偽物の魔骸石を掴ませたとかって、そんなワケでもねぇんだろ?」


 カルビが不審そうな声を出したところで、シャマニが緩く首を振った。


「その逆よ。アッシュさ……、アッシュさんが持ち込んでいるのは、危険な魔物の魔骸石ばかり……。かなりの高額で取引されているから、すぐに店員にも確認が取れたわ」


「マテリアルショップでも、キミはギルドの受付と同じように、“偶然見つけた”、“他の冒険者が助けてくれた”と説明していたようだな。……まぁ、“5等級”の認識プレートをしているキミ自身が言うのであるから、説得力もあったのだろうが」


 唇の端を僅かに歪めたヴァーミルは、マテリアルショップの店員とアッシュの遣り取りを想像しているのか、微笑ましいものを見る目になっていた。そのヴァーミルに代わり、またシャマニが咳払いをして、話を続ける。


「確かに、冒険者がマテリアルショップを利用するのは当たり前のことよ。不自然でもなんでもないわ。……でも、あ、アッシュさ……、アッシュさんがマテリアルショップを利用した時期に限って、神殿や養護院に高額寄付があった場合は、少し話が変わるでしょう」


 アッシュの名を呼ぶときだけ、シャマニが妙な具合に言葉を詰まらせるのが気になったが、彼女の言いたいことはローザ達にも伝わったようだ。彼女達の視線が、アッシュに注がれているのが分かる。


「そんなに大きな額では無かったと思いますが」


 アッシュが曖昧に笑みをつくって、緩く首を振った。だが、即座にヴァーミルが言葉を被せてくる。


「いや、十分過ぎるほどに高額だ。キミの銀行口座の動きも、私達は把握している。見れば誰でも、常軌を逸した額だと思うだろう」


 ヴァーミルが少し強い口調になって、リビングに少しの静寂があったが、すぐにローザが「……それで?」と、じれったそうに言って腕を組んだ。


「アッシュ君が自分のお金をどう使っても、それは特に問題ないはずでしょ? 高額寄付を匿名でやっちゃいけない、なんて法律も無いし」


「あぁ。そうだ。何も問題は無い」


 ヴァーミルは鷹揚に頷いてから、アッシュに真剣な表情を向けてくる。


「問題が無いからこそ、重要だった」


 そこで言葉を切ったヴァーミルは、手にしていた分厚い書類の束を、どさりと重たそうな音を立ててソファテーブルの上に置いた。そこに記録されているものは、最低等級の冒険者――アッシュの行動と、その痕跡に違いなかった。


「本来なら、ギギネリエスと繋がりがある者は拘束し、然るべき機関に連行するのも私達の仕事だ。……だが、キミに関してはその必要はないと、ギルドは判断した。その根拠となったのが他でもない、キミの冒険者としての態度だ」

 

 毅然とした言い方をするヴァーミルは、ソファテーブルに置いた書類の束を、軽く指で叩いてみせる。その内容は、全て読破済みだとでも言うように。

 

「記録を見た限りでは、キミはギルドからの依頼を受けることは少なかったようだが、高頻度で危険な魔物を狩り、それで得た収入の殆どを寄付しているな。贅沢や博打もせず、歓楽街のどの店にも、キミが利用した形跡も記録もない」


 淡々と言葉を続けるヴァーミルは、目の前にいるアッシュから目を逸らそうとしない。武人然とした佇まいの彼女は、その赤茶色の瞳に鋭い光を湛えながら、アッシュの姿を力強く捉え続けている。


「キミは今まで、冒険者としての社会的な義務を果たし続けてきた。……ただ只管、世間への奉仕に生きようとしているかのようにな」


 事実を確認する口調のヴァーミルは、再び書類の束に視線を落としてから、軽く息を吐いた。その薄い溜息は、今までのアッシュの生き方を、普通ではない呆れるようでもあり、気遣わしげで素直な賞賛を向けるようでもあった。


「今回の件でもキミは、自らの命を懸けて、シャマニを助けるために尽力してくれている。……それだけでなく、ギギネリエスを生きて捕らえる活躍もしてくれた」


 そこまで言ったヴァーミルが顔を上げた。アッシュは背筋を伸ばして、その真っすぐなヴァーミルの眼差しを受け止める。


『冒険者』という枠の中に埋没していこうとしていた過去の自分が、ヴァーミルやシャマニにも繋がったことを感じた。ヴァーミルの語る言葉が、アッシュの生きてきた時間に沁み込んでくる感覚だった。


「これらを踏まえて、冒険者ギルドは、キミの行動を制限しないことを決定したんだ。これは覆らないし、アードベルを去る必要ない。……キミは今まで通り、冒険者として活動してくれればいい」


 ヴァーミルは低く静かな声で言いながら、ローザ達にも視線を巡らせ、またすぐにアッシュに向き直った。


「キミの過去にも少々無遠慮に触れてしまったが、許して欲しい」


 そう言葉を継いだヴァーミルは、申し訳なさそうに少しだけ眉を下げていた。ただ、ヴァーミルの声音は真剣そのものであり、アッシュに対する敬意のようなものを感じられるほどだった。


 その真摯さの持つ迫力に戸惑いつつも、アッシュは「い、いえ、許すも何もないですよ」と首を振ってから、素直に頭を下げた。


「……僕が冒険者であることを認めてくださって、ありがとうございます」


『鋼血の戦乙女』と冒険者ギルドが、アッシュを拘束することをせず、これからも冒険者として活動することを許容するという決定は、間違いなくアッシュのこれからに関わる話だった。


 アッシュが冒険者を続けるならば、また同行依頼を受けて、ローザ達と共に行動することもあるだろう。ヴァーミルはそれを見越しているからこそ、『鋼血の戦乙女』と冒険者ギルドの決定を、この場で話してくれたのだと思った。


 そのヴァーミルの気遣いに感謝しながらアッシュが頭を上げると、少し顔を赤くしたシャマニが視線を彷徨わせ、薄紫色の髪を指で弄り、唇を尖らせていることに気付いた。何らかの心の準備をしているような妙にソワソワとした様子で、落ち着いたヴァーミルとは対照的だった。


「それで、その……、ぼっ、冒険者としてのアッシュさ……アッシュさんの力を見込んで、いずれは私達からも、ど、どどど、どっ、同行依頼ををををを……!」


 俯き加減でボソボソと喋り出したシャマニの声は、さっきまでと比べて随分と聞き取りづらかった。だから、「良かったじゃねぇか!」と明るい声を出したカルビは、シャマニが何らかの話を切り出そうとしていることにすら気付いていなかったのだろう。


「これでアッシュは何の気兼ねも無く、アタシ達と冒険を続けられるってことだろ?」


 嬉しそうに言うカルビは、ソファに座るアッシュを抱きかかえるような勢いで肩を組んでくる。避ける間の無かった。張りのあるカルビの乳房が横顔に激突してきて、むぎゅぎゅっと柔らかく潰れる感触があった。


 その無防備でエッチな体温の密着は、カルビの鼓動が伝わってきそうな程だ。


「あ、あのっ、ちょっと、カルビさんっ……!」


 アッシュは慌てて顔を逃がそうとするのだが、がっしりとカルビの腕に包まれているので、それも無理だった。


「ちょっとカルビ、まだ話の途中なんだから……、はしゃぐのは後にしなよ」


 半目になったローザは、どこか羨ましそうに唇を尖らせ、カルビを窘めるように言ってから鼻を鳴らしていた。


「ちょっとちょっとカルビさん! そういう過激なスキンシップは完全に協定違反ですわよッ!! おい聞いてんかテメェ……!!」


 額に血管を浮かび上がらせまくったエミリアが、淑女らしからぬ恐ろしい声を出してソファから立ち上がった。今から殴り掛かるような剣幕だ。


「アッシュ君が困っているでしょう。さっさと離れなさい」


 ネージュの方は物騒に目を窄め、並の冒険者なら震えあがるような殺気が籠もった眼差しでカルビを睨み始める。そして今日は、そのドスの効きまくったネージュの声に続く者がいた。


「しょっ、そっ、そうよッ!! アッシュ様から離れなさいよッッ!!」


 笛みたいに声を裏返しながらそう叫んだのは、顔を真っ赤にして眉を吊り上げ、肩をわなわなと震わせながら、ソファテーブルを蹴飛ばすような勢いで立ち上がったシャマニだった。


 いきなりのことに、リビングが水を打ったように静まり返る。


 呆然とシャマニを見詰めているエミリアとネージュは少しだけ目を見開き、無言で瞬きを繰り返していた。カルビも似たような反応で、ポカンとした顔だ。


 シャマニの隣に座っていたヴァーミルは、突然立ち上がったシャマニを見上げながら、「一体どうしたのだ……?」といった、驚きと心配が混ざった表情をしている。カルビに抱き着かれたままのアッシュも、ヴァーミルと同じ種類の表情になって、何も喋ることができずにいた。


「……様?」


 不可解そうな表情のローザが、指で自分の顎を摘みながら怪訝そうな声を洩らした。


「はぁ……? 何よ……?」


 目を吊り上げていたシャマニが、ローザの方を見た。その2秒ほどの静寂のあと、シャマニが何かに気付いたようにハッとした顔になってから、すぐにその表情が更に赤くなり、耳や首元までが朱に染まっていく。


「あっ、い、今のは、違っ……! だから、え、えぇと……ッ!」


 アッシュの視線に気付いたシャマニは、ちょっと泣きそうな顔になって、わちゃわちゃと両手を振りながら視線を泳がせまくるものの、結局何も言葉が出て来ず、顔を隠すように前髪を片手で引っ張りながら、もぎゅもぎゅと下唇を噛みながらソファに座り直した。


 そこで、また数秒の静寂があった。俯きがちにソファに座り込んだシャマニは、肩をすぼめまくっていて、どんどん小さくなっていくかのようだった。


「……様?」


 この場に居るシャマニ以外の全員が顔を見合わせてから、声を揃える。顔を伏せているシャマニが、泣きそうな震え声で呻くような気配もあった。


「いや、誰にでも言い間違いはありますよ」


 アッシュはフォローするように言うが、そのアッシュと肩を組んだままのカルビは、「それにしたって、随分と距離感の狂った言い間違いだぜ」と困ったような笑みを浮かべていた。そして遠慮なく、シャマニに指を向ける。


「シャマニお前、もしかしてアッシュのことが――」


 半笑いになったカルビの声を、「おい……!」というシャマニの低い声が遮った。


「それ以上、下らないことを喋るなら……」


 ソファから腰を僅かに浮かせたシャマニの左腕には、既に黒と白の鎧が展開されており、左手の中には、特徴的な形をした長剣が召び出されていた。


 柄に対して剣身が長い。あれが先程ヴァーミルの言っていた、彼女達専用の、オンリーワンの魔導機械武具に違いない。自らの専用武器を手にした今のシャマニは物凄い気迫で、アッシュも鼻白んでしまうほどだった。


 だが、肝の据わりまくっているカルビは、シャマニに怯むどころか「おー怖っ」などと半笑いになるだけだ。


「そんな目で噛みつくような勢いで睨んでくるなよ、シャマニ。まるっきり可愛いチンピラじゃねぇか」


 そう言って茶化すように肩を竦めるカルビの態度が、シャマニをキレさせたようだ。すぅっ……と目を窄めたシャマニが舌打ちをして、身体を前に倒した。


「煽るのはやめなさい、カルビ」


 呆れ顔を顰めたネージュが、調子に乗り出したカルビを窘める。


「武器召喚は勘弁してよシャマニ……、家の中なんだから……」


 顔を引き攣らせたローザが、まるで気の立っている猛獣を宥めるように両手を前に突き出し、必死な声を出した。


「ちょっと被害が洒落にならないですものね……」


 顔を引き攣らせたエミリアも、ローザと同じような姿勢だった。


「シャマニ。武器と鎧を仕舞うんだ」


 腕を組んだヴァーミルが横目にシャマニを見て、諫めるように言ってくれた。


 流石に仲間の言葉を無視することはないのか。シャマニは無言のままでカルビをねめつけると、攻撃的に息を吐きながら武器と鎧をアイテムボックスに収納し、ソファに座りなおした。

 

 カルビは悪びれた様子もなく、リラックスした態度でソファに座り直して、優雅に脚を組んでさえみせる。

 

 一方で、ムスッとした顔のシャマニは黙り込み、上目遣いの恐ろしい眼差しでカルビを睨んだままだ。


 ただ、シャマニが武器を収めてくれたことに対しては心底ホッとしたのか。胸を撫で下ろしたローザが、安堵の溜息を吐き出していた。ネージュとエミリアも、やれやれといった表情だ。


 それから、誰が最初に口を開くのかを窺うような間が在った。取りあえずと言った感じで、アッシュが「あの……」と、おずおずと手を挙げる。


「さきほど、シャマニさんは何かを仰っていましたが、何か、大事なお話だったのではないでしょうか?」


「えっ!? えぇっ、はっ、はい……っ、あ、あにょ……、そっ、しょの……」


 アッシュが尋ねると、また顔を赤くしたシャマニが、俯きがちにボソボソと答えてくれた。ただ、モジモジとして妙な様子のシャマニに任せるよりも、自分が話した方が早いと判断したのか。「端的に言えば」と、ヴァーミルが言葉を継いだ。


「いずれ私達も、キミに同行を依頼したいと思っているんだ」


「……えっ」


 冗談らしきものを含まないヴァーミルの硬い声に、ローザ達が顔を見合わせている気配があった。アッシュも思わず、自分を指差してしまう。


「ぼ、僕にですか……?」


「あぁ。今すぐに、という話ではないがね」


 ヴァーミルは少し疲れたように言いながら、手にした書類の束をアイテムボックスに仕舞った。その慎重な手つきは、彼女の実直さの顕れなのだろう。


「私達のクランも、そこまで大所帯ではない。戦闘に慣れているメンバーが揃っているとはいえ、人数的な限界もある。今回のような危険が伴う調査や、町村の防衛などでは、特にな」


 そこで言葉を切ったヴァーミルは、アッシュだけではなく、ローザやカルビ、それにネージュとエミリアにも目線を向けた。

 

「だから、信頼できる協力者が欲しいとは常々思っていたところだ」


 彼女の口振りはアッシュだけでなく、明確にローザ達のパーティにも同行を頼もうとしているものだった。


「ほーん……。やっとアタシ達の実力が認められたってことか」


 唇の端を吊り上げたカルビが、ソファの座った姿勢のままで頬杖をつき、肩を揺らした。


「これは、とても光栄なことですわね! 『戦乙女』の方々に認められるパーティなど、アードベルでも極少数でしょう」


 んふー……! と満足そうに鼻から息を吐き出て胸を張るエミリアは、ご満悦の様子で目を細めている。そんなエミリアを横目に見たネージュが、少し警戒する目つきになってヴァーミルを見据える。


「……でも、どうして私達を?」


 そのネージュの問いに続いて、探るような眼差しになったローザも姿勢を正し、ヴァーミルに向き直った。


「クラン『鋼血の戦乙女』なら、協力者なんて募ればいくらでも見つかんじゃないの? 噂でも美人ばっかりだし、報酬だって弾んでくれるっていう話じゃん?」


 ネージュとローザから質問を重ねられたヴァーミルは、ゆったりとソファに凭れ掛かりながら、「さっきも言った通りなんだがな……」と眉根を寄せて答えた。


「私達が欲しいのは、“信頼できる協力者”だ。金に目が眩んで寄って来た挙句、身の危険を感じればすぐに逃げ出すような者達など、どれだけ居ても邪魔なだけだ」


 やけに実感の籠っているふうのヴァーミルの言い方には、軽蔑を通り越したような苦い達観が見え隠れしている。恐らく過去にも、彼女達が協力者として募った冒険者達の中には、そういった者達も少なくなかったのだろう。


「その点、此処にいる面子が信頼できることは、ギギネリエスとの戦いが証明している。もう疑う余地もない。……また私達にも力を貸して貰えれば有難い」


 本当に微かな笑みを湛えたヴァーミルが、もう一度ローザ達を順に見たところで、ソファに凭れていたカルビが身体を起こして、軽く笑った。


「アタシ達で引き受けられる面倒ごとなら、協力はするぜ」


「とはいっても、『鋼血』のクランに比べれば、私達の方が圧倒的に少数よ。どこまで力になれるかは分からないけれど……」


 静かな面持ちのネージュが慎重に言葉を繋いで、そのあとを「まぁ、今回は私達もお世話になるし」とローザが苦笑で引き取った。


「同行を依頼していただけるのなら、わたくし達のディンジャラスでァァアグレッッッ……シヴなパゥワァァァァアアアを、全力全開にして応えましてよォォッホッホッホッホッ!!」


 威勢の良すぎるエミリアの笑顔は、頼もしさというよりは寧ろ、行き過ぎたパワフルさがトラブルを招き寄せるのではないかというような、安易な不吉さを予感させるものだった。


 そのことを直接的に伝えるのは流石に失礼だと思って気を遣ったのか、ヴァーミルが難しい顔になって頷いた。


「あ、あぁ……いや、そこまで全力でなくてもいいぞ」


「その言い草だと、信頼されてるのか警戒されてるのか分かんないよ」


 吹き出すようにして、ローザが快活な笑顔で言う。そのローザの明るさに背中を押されたのか。もしくは、ずっと声を上げるタイミングを見計らっていたのかもしれない。


「あ、あのっ……!!」


 声を裏返したシャマニが、ソファから立ち上がる寸前のように前のめりになって、アッシュを見詰めてくる。


「アッシュさむぁ……ッ! コホンッ!! んんッ!! アッシュさんにも、私達の同行依頼を……ッ!! そんな頻繁でもないと思いますし……ッ! 今すぐでもないですし……ッ! 無茶なこともないと思うので……ッ!! うっ、うっ……! ふぅぅぅんッ!! ズビビビ……ッ!! ど、どうか……ッ!!」


 滅茶苦茶赤い顔のシャマニは、殆ど叫ぶように言いながら途中で盛大に洟を啜り、体に残った勇気を振り絞るかのようだった。目尻には薄らと涙まで浮かんでいるし、その両肩もぶるぶると震えて、今にも爆発するのではないかと思う必死の様相だった。

 

「えっ、えぇと……、はい。僕で良ければ、同行の依頼は受けさせていただきますよ。勿論、依頼して下さった方の都合や、僕自身の状況にもよりますけれど」


 いきなり話題の中心に引きずり出されたような状態のアッシュは、半泣きのシャマニの気迫の圧倒されてしまい、もはや頷くしかなかった。


 「おいおい、シャマニ。もうちょっと落ち着けよ。ちょっとサニアみてぇになってんぞ」


 半笑いのカルビが喉を鳴らす。「確かに……」みたいな顔になったネージュが、複雑な表情で頷いている。ローザは肩を竦めて苦笑しているし、黙り込んでいるエミリアも「これはもしや……」とでも言いたげな渋い顔だ。


「……何で“剣聖”の名前が出て来るのよ」


 シャマニが物騒な目つきになってカルビを睨んだ。その隣にいるヴァーミルも、興味深そうに僅かに目を見開いている。


「ほう……。お前達は『正義の刃』とも関係が深いのか?」


「関係が深いつーか」カルビがひらひらと手を振った。「剣聖サマが、アッシュのことを気に入っちまってな」


「えッ……!!!」


 目を見開いたシャマニが、ビクーン!!と身体を仰け反らせてアッシュを見た。


「そうなんですか……?」と、怖いくらいに無表情になったシャマニが見詰めてくるので、やはりアッシュは頷くしかなった。


「い、いえ、気に行って貰っているかどうかは判然とはしませんが、いずれまた、同行を依頼したいという話は頂いています」


 サニア達が所属する『正義の刃』は大所帯であるし、その部隊編成によっては、外部の冒険者を同行させては連携に支障が出たり、そもそも不要であることもあるだろう。そう考えれば、『正義の刃』から頻繁に同行依頼があるとは考えにくかった。


 ただ、エルン村を防衛したときのように、頭数を揃える必要があり、尚且つ、その数をクランメンバーのみで賄えないという場合などであれば、アッシュにも依頼があってもおかしくない。


「なるほどな……。あの堅物の“剣聖”がキミのことを評価しているのならば、私達やギルドの判断も、やはり間違いではなさそうだ。しかし……」


 満足そうに言うヴァーミルは、そこで僅かに眉を下げてアッシュを一瞥して、更にローザ達全員を見回してから、軽く鼻を鳴らした。


「アッシュ。この家でキミと会ってから、少々気になっていたんだが……。キミはソロ冒険者の筈だが、ローザ達と同棲しているのか……?」


「えぅぇッ……!!!?」


 さっきよりも更に目を見開いたシャマニが、ビククーン!!と身体を伸び上がらせて、またアッシュの方を見てくる。


 そのシャマニの深刻過ぎる表情とは裏腹に、この場での話題が緊張感を失って、全く深刻ではない方向へと脱線していく。その温度差はまるで、雲間から温かな陽光が伸びて来るかのように。


 この得難い騒がしさこそは、アッシュが新しい日常に足を踏み入れたことの証であり、一つのしるしに違いなかった。



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 不定期更新が続いておりますが、いつも支えて下さりありがとうございます。

 温かい応援もたくさん寄せていただき、本当に感謝しております……。


 また次回も、皆様のお暇潰し程度にお付き合い頂ければ幸いです……。

 今回も最後まで読んで下さり、ありがとうございました!

 

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