第65話 「アッシュ様から離れなさいよッッ!!」1


 


 ローザの家のリビングに通され、ソファに並んで腰かけているシャマニ、ヴァーミルの2人は、随分と硬い表情をしていた。


 彼女達の着込んでいる騎士装束とも軍服ともつかない服装は、黒と白を基調にしており、見る者に厳格な印象を与える。あれは言わば、クラン『鋼血の戦乙女』の制服なのだろう。

 

 『正義の刃』もそうだが、規模が大きなクランでは、メンバーの統一感や連帯感を促すためにも、ああいった制服を採用する傾向がある。ギルドと綿密な繋がりがあるようなクランは、特に――。


「それで、朝っぱらから何の用だよ?」


 コーヒーを淹れたカップを手にしたカルビは、リビングの椅子に座って足を組み、シャマニとヴァーミルを順に眺めた。


「まぁ、お前らの浮かないツラを見れば、楽しい話じゃねぇってことは分かるんだがな」


 カルビは軽い口振りで言ってから、コーヒーを一口啜った。


 その仕種には今日の予定が潰れてしまったことに対する苛立ちや落胆の様子は無かった。シャマニとヴァーミルの要件が、“楽しいもの”でないことが分かっていても、カルビは特に不機嫌そうでもない。


「……ギギネリエスの件で、ギルドに何か動きがあったんだね?」


 シャマニ、ヴァーミルの2人と向かい合ってソファに座っているローザが、少しだけ身を乗り出した。


 そのローザの隣に腰掛けているネージュとエミリアも、静かな表情のままで、シャマニとヴァーミルの言葉を待っている。


「あぁ、そうだ」


 低い声を出したヴァーミルが頷き、シャマニは無言のままで眉間を絞っている。


 2人は、目の前のソファテーブルに置かれたコーヒーにも口をつけていない。カップから昇る湯気は、重要な話が始まる気配の中に溶けていく。


 重い沈黙が支配するリビングで、ただ黙っているしかないアッシュも、この状況の中に入り込んでいた。


 さきほどローザの家に訪ねてきたシャマニとヴァーミルの2人には、アッシュはすぐに頭を下げた。ダルムボーグでの応急治療を施してくれたことや、瀕死になったアッシュを神殿に運んでくれたことに感謝の言葉を伝え、それが遅くなったことを詫びるためだ。


 彼女達の方は、ローザの家でアッシュと出会うことになって驚いていた。


 だが、すぐに仕事の顔に戻ったヴァーミルからは「丁度良かった。キミにも伝えねばならないことがある」と言われ、アッシュもこの場に参加させて貰っている。


 アッシュのことを気にかけてくれているのか、先程から何度か目が合うヴァーミルの眼差しは、親身であり気遣わしげだった。一方でシャマニの方は、何故かアッシュと目を合わせようとはしない。


 今もそうだ。


 ローザ達が腰掛けるソファの端の方にアッシュは座っているのだが、シャマニは此方を見ようとしない。


 ……僕は何か、シャマニさんの機嫌を損ねるようなことをしてしまったのだろうか。


 そんな不安が、アッシュの胸を過ったときだった。


「……ギルドの決定で、ギギネリエスの賞金が無効にでもなったのかしら?」


 今まで黙っていたネージュが、冷たく澄んだ声を出した。


「もしくは、わたくし達の貢献が認められなくなったとか?」


 そう続いたエミリアの表情は真面目なものだったし、声音にも悲壮感や落胆、苛立ちはない。


 対するヴァーミルとシャマニは、すぐには答えなかった。その数秒の沈黙が、ほとんど答えそのものだった。


 苦笑するみたいに眉を下げたローザが、「あ、やっぱり……?」と特に深刻さのない、あっさりとした言い方をする。


「わざわざコイツ等が家まで訪ねてきた時点で、まぁ、お察しだよな」


 リビングの椅子に凭れたカルビも、やれやれといった感じだった。


「……随分と簡単に納得するものだな」少々意外そうな顔になったヴァーミルが、リビングに居る面々の落ち着きっぷりを不審がるように首を巡らせた。「お前たちのことだから、てっきり、“ふざけるな”と大暴れするものとばかり思っていたぞ」


 拍子抜けしたように言うヴァーミルを見て、ローザが軽く笑って肩を揺らした。


「そりゃあ私達のパーティーは、それなりに問題を起こすことも多かったかもしれないけどさぁ」


「流石にちょっと失礼ですわね」


 ソファの座って腕を組んだエミリアが、唇をへの字に曲げる。


「……というか、私までカルビやエミリアと一緒にしないで欲しいのだけれど」


 眉根を寄せてムッとした顔のネージュが、ボソッと呟くように抗議する。


 このネージュの物言いに「他所から見たら、お前もアタシ達と似たようなモンなんだよ」と指摘したカルビは、「まぁ、何にせよ」と話を進めた。


「アタシ達がギルドの決定に納得せずに騒ぎだしても、何とか制圧できるようにお前らが訪ねてきたってワケだろ?」


 意地悪そうに笑ったカルビは、リビングの椅子に座った足を組み替えて、シャマニとヴァーミルを交互に指差した。シャマニは鬱陶しそうにカルビを睨んだが、何も言わなかった。一方、ヴァーミルは鼻を鳴らして頷いてみせる。


「そういうことだ。お前たちが受け取る筈だった賞金額も貢献度も、尋常ではないからな……。騒ぎになるのは覚悟していた」


「そりゃあ、多少はムカつくがな。アタシ達だって子供じゃねぇ。これだけ賞金の支払いが遅れて、連絡の1つも無いんだ。何かあったんだろうってコトぐらいは分かる。とにかくだ。理由を話せよ。そのために来たんだろ?」


 言いながらカルビは大袈裟に肩を竦めて、またコーヒーを啜る。


「ギルドの裏で何があったのかは、私も訊きたいわ」


 静かに腕を組んだネージュも、シャマニとヴァーミルを交互に見た。


「勿論、ここでの話が他言無用ってことも、私達は理解してるよ。ね、アッシュ君?」


 ローザが軽い言い方をして、アッシュにウィンクをしてきた。


「……えぇ。分かっています」


 ソファに座り直したアッシュはローザに答えてから、「決して口外はしません」と、シャマニとヴァーミルにも頷いた。


「そうか。話が早くて助かる」


 ゆっくりと瞬きをしたヴァーミルは、きつく眉間を絞った。


「『鋼血の戦乙女』を壊滅させて私達の死体を回収するよう、ギギネリエスに依頼をした者が分かった」


 不快感を隠そうともしないヴァーミルの声音には、明確な敵意があった。さっきから黙っているシャマニも目を窄め、物騒な雰囲気を纏い始めている。


「“秩序の塔”」眉間を絞ったヴァーミルが低い声で言う。「……王都に住まう一部の貴族連中や、その関係者によって形成されているという組織だ」


「へぇ。マジかよ」と興味深そうな声を出したカルビが、リビングの椅子から立ち上がり、ソファの端に座るアッシュの傍へと歩いてくる。


「都市伝説みてぇなモンだろ? 実在すんのか」


“秩序の塔”


 その名を聞いたのは、アッシュは初めてだった。こういうとき、自分が世間知らずであることを思い知るのだが、今回はローザが簡単に教えてくれた。


「魔法原理主義というか、魔法至上主義というか、そんな感じの集団だよ。名前だけが一人歩きしてて、実体が認められたって話は私も聞いたことは無かったんだけど……」


 そこで思案顔になったローザも、下唇に触れながらヴァーミルを見た。


「それって、間違いない感じ?」


「自白魔法を使って、ギギネリエスに口を割らせたのかしら? それにしたって、今回の決定にも時間が掛かり過ぎている気がするけれど……」


 ローザに続いたネージュも、少し不審そうな視線をヴァーミルに向けている。


「厄介なことに、ギギネリエスには自白魔法は効かなかったのよ」


 ローザとネージュに応えたのは、ゴリゴリと物凄い音で奥歯を噛んだシャマニだった。


「自白魔法は強力よ。超が付くほどね。でも、その効果範囲は“人間”であることが前提になってる。……この意味が分かる?」


 低い声で言うシャマニは、ソファテーブルの表面を睨みつけている。アッシュは何も言えなかった。カルビとネージュも黙り込み、ローザだけが緩く息を吐いていた。


「まるで、ギギネリエスが人間じゃないみたいな言い草ですわね」


 軽口を叩くふうのエミリアの声は、若干の強張りがあった。「そうだ。ヤツは人間じゃない」と応えたのは、眉を顰めきったヴァーミルだった。


「ギギネリエスの正体は、……死体だ。ヤツは


「まさに、ってヤツよ」


 鼻の頭に皺を寄せたシャマニが、忌々しいものを吐き捨てるように言う。ギギネリエスへの嫌悪や敵意を隠そうともしない、尖った声だった。


 忌々しそうに紡がれたその言葉は、アッシュの心に少なからず打撃を与えた。それは殆ど不意打ちの衝撃で、アッシュは微かに息を詰まらせてしまう。


 それと同時に気付いた。ローザ達が一瞬だけ黙り込み、ヴァーミルも唇を引き結んでいる。彼女達がアッシュの方を窺う気配があった。


「ぁ」


 はっとした様子のシャマニが、しまった、という表情になった。


 今日初めて、アッシュは彼女と目が合った。彼女は、アッシュの視線を受け止めて動揺していた。怯えているようにさえ見える。美しい紫水晶のような彼女の瞳が、何かを弁解しようとするかのように、赦しを請うように揺れていた。


 生ける屍。その言葉がアッシュの肉体を指す言葉だと、シャマニは知っているようだった。それはつまり、シャマニが、アッシュの過去を知っているということだ。だが、それは別に驚くことではなかった。


 クラン『鋼血の戦乙女』は、アードベルの治安維持に深く関わっている。冒険者ギルドからの要請を受けて活動することも多いし、ギギネリエスをアードベルまで厳重に連れてきたのも彼女達だ。


 その彼女達がギギネリエスを取り調べる過程で、あの男が面白半分に、自分とアッシュとの関係を暴露していても不自然ではない。アッシュの過去は、既にアッシュだけが知るものではないのだ。そのことを改めて思う。


「……強力なネクロマンサーなら、疑似的にではありますが、死を克服することも可能なのですね」


 アッシュは思案顔を作ることで、自分の迂闊な動揺を誤魔化した。


 何処か苦しげに、伏し目がちに懺悔するように目を細めているシャマニに対して、自分は何も気にしていないというメッセージを籠めるつもりで、アッシュは表情を動かさずに言葉を続ける。


「僕としては、賞金首のネクロマンサーと貴族の間にそういった繋がりがあることの方が、意外でした」


 ローザ達からの窺うような視線を受け止めつつ、それをゆっくりと解くつもりで、アッシュは彼女達を順番に見た。少なくともこの場では、アッシュは平静を装うべきだと思った。


「金と権力に貪欲な貴族共の中には、レイダーや裏クランなどの犯罪集団と繋がりがある者もいる。……ネクロマンサーを雇うような輩が居ても、不思議ではない」


 アッシュに答えてくれたのは、唇を噛んで俯いてしまったシャマニではなく、その隣で鼻から息を吐いたヴァーミルだった。


「無論だが、そういった貴族と犯罪集団の間には、さらに別の集団や組織が幾つも連なっている。直接的な繋がりを避けることで、互いを繋ぐ線を薄くしているんだ」


 言いながら顔を顰めたヴァーミルに、やや疲れた顔になったエミリアが何度か細かく頷いた。


「法的闘争に持ち込もうにも、それらの無数にある線のどれかを消してしまえば、貴族側と非合法組織を結ぶ線を特定するのは……簡単なことではありませんわね」


「自分達の罪を握り潰して、揉み消せるのも貴族の特権ってことか。金と権力を利用すれば、偽証だの何だのも用意できそうだもんなぁ」


 うぇ、という顔になったカルビが肩を竦める。


「“秩序の塔”という組織名で覆い隠すことで、そこに所属する個人の名前さえ隠せるとなれば……」


 緩く首を振ったローザの声音には、嫌悪以上に諦観が滲んでいた。


「正面から糾弾することは、事実上不可能ということでしょうか」


 思わずそう洩らしたアッシュの声も、やけに低くなった。続いてネージュも鼻を鳴らして頷く。


「貴族相手に法廷での戦いを仕掛けるのは、仕掛ける方のリスクも大き過ぎるわ。……話を戻すのだけれど、“秩序の塔”とギギネリエスの繋がりは、貴女達が独自で調べたの?」


 ネージュが訊くと、首を振ったヴァーミルが緩い息を吐く。


「私達のクランは、あくまで魔導機械術士組合の一部に過ぎない。アードベルにある組合支部、その関連施設を守り、ギルドの要望にも応えて任務をこなす。それが私達の仕事だ。……上流階級の裏側に潜り込み、貴族共の腹を探る様な能力は無い」


 そこで言葉を切ったヴァーミルは、顔を顰めながら鼻を鳴らした。


「貴族とギギネリエスの繋がりを暴いたのは、冒険者ギルドだ。もっと正確に言えば、秘密裏にギルドからの依頼を受けた、賞金稼ぎの者達だな」


「そう言えば……、ダルムボーグでの騒動の頃は、賞金稼ぎクランも王都に出向いていたわね」


 ネージュが記憶を辿るように溢すのを聞いて、アッシュも思い出すものがあった。


 ギギネリエスの噂に前後して、賞金稼ぎクランが王都に出向いているというのを聞いた覚えがある。確かトロールダンプのセーブエリアでも、カルビがそのようなことを言っていた筈だ。


「なるほど……。そこはギルドが先手を打ってたんだね~」


 納得顔になったローザが、何度か小刻みに頷いた。カップのコーヒーを一気飲みしたカルビも「蛇の道は蛇ってヤツか」と呟いて、顎を撫でている。


「王都付近の街や町村で暗躍してるレイダーとか裏クランとか、そういう怪しい連中を片っ端から捕らえて、有益な情報を吐かせてた、ってワケか……」


「あぁ。だが……、下衆な貴族共の悪徳を暴くことはできても、その罪を白日の下に曝し、法で裁くことは難しい」


 実に下らないといったようにヴァーミルが顔を顰めた。


「さっきも言ったとおり、貴族共の力は強大だ。奴らは容易く真実を捻じ曲げる。揃えた証拠も意味を無くす。奴らは表向きには潔白であり続けながら、気に食わない者には容赦しない」


「……話が見えてきましたわね」


 溜息を堪えるようにエミリアが顔を歪めて、手で額をおさえるような格好になる。


「つまり、その厄介な貴族共は今ごろ、頭に血を上らせてやがるワケだ。せっかくギギネリエスを動かしたってのに、それが返り討ちにされちまったんだからな」


 ソファに深く腰掛けたカルビが胸を反らし、獰猛に笑った。渋い顔になったネージュも頷く。


「このタイミングで私達がギギネリエスを捕らえたことが公表されて、莫大な賞金や貢献度が出ることになったら……。まぁ、下らないことになるわよね」


 やれやれといった感じのネージュの言葉に、アッシュにも気付くものがあった。


「ギギネリエスを雇ったという貴族達から見れば、僕たちは……」


「忌々しい邪魔者でしかないよね~」


 苦笑しようとして失敗したような声を出したローザが、力なくソファに凭れて天井を見上げた。


「でも、アンタ達がギギネリエスを捕まえたのは、私達しか知らないわ」


 そこで、今まで黙っていたシャマニが顔を上げ、毅然とした声で言い切った。


「ダルムボーグに最後まで残っていたのは、私達のクランと『ゴブリンナイツ』、そして、アンタ達だけだから」


 真剣な目をしたシャマニが、ローザ達を見回す。アッシュとも目を合わせてくれた。その時のシャマニの薄紫色の瞳は、もう揺れてはいなかった。今の状況を整理すべく、冷静な光を湛えている。


「ここ最近、王都からアードベルに流れて来る冒険者も多いわ。その中には、王都貴族共の息が掛かった連中が居ることも間違いない……。でも、ダルムボーグでの真実は、誰も知りようがない。当然よね。アンタ達以外の冒険者は、私達が撤退させたんだから」


「あぁ。あのときもシャマニは、アタシ達の周囲に生体反応は無いって言ってやがったな。……今にして思えば、自分の死体を動かしているっつーギギネリエスにも、そういう反応が無かったのも頷ける話だ」


 カルビが呟くように溢す。そこでヴァーミルが軽い咳払いをした。言いにくいことを切り出す前に、少し間を置くように。


「ギギネリエスとの決着を見届けた冒険者は居ない。これを利用して冒険者ギルドは、前から流れている尤もらしい噂を事実として扱うことを決めた。……つまり表向きは、私達のクランと『ゴブリンナイツ』が、ギギネリエスを捕らえた、ということになる」


 そのヴァーミルの口調は有無を言わさないものではあったが、同時に、アッシュ達に理解と了承を頼むような響きもあった。


「そう……、なるほど」ネージュが落ち着いた声を出した。「賞金も貢献度も、私達には与えることはできない。その代わり、悪徳貴族達からの敵意や悪意を肩代わりしてくれる……、ということね」


 確認するように言いながら、ネージュはゆっくりと視線を動かして、シャマニとヴァーミルを見比べた。シャマニが頷き、ヴァーミルが「そう思ってくれて構わない」と顎を引いた。


「それじゃあ、賞金はどうなる? お前らのところのクランと『ゴブリンナイツ』で、1億ずつか?」


 取りあえずといった口調で、カルビが伸びをしながら訊ねた。息を吐いたヴァーミルが、やはり言い難そうに視線を下げる。


「私達が受け取った賞金は全て、アードベルの都市経営のための経費に組み込まれる。『ゴブリンナイツ』達の方には、賞金全額を王都神殿へ寄進するように頼んである」


「貴女達のことは伏せた上で、今回のことは『ゴブリンナイツ』の主要メンバーにも説明してあるわ。どうもキナ臭そうな態度だったけど、賞金の寄進自体には快く承諾してくれたわ。彼らは皆、熱狂的な女神教の信者だから」


 ヴァーミルの後に続いたシャマニも、居心地が悪そうな表情でそう付け足した。


「賞金の流し方としては、それが一番無難かしらね」


 黙って話を聴いていたネージュも納得したように溢し、隣のローザも「だね……」と軽く肩を竦めていた。


「不自然さは残るだろうけど、角は立たないし」


「賞金全てが行政収支となったとしても、それが実利的な公共福祉にちゃんと繋がるのでしたら、あとになって掘り返されることも無いでしょう」


 エミリアも意見を対立させることはせず、今のヴァーミル達の話を承諾するように深く頷いた。


「まぁアレだ。今回の冒険費用を補填してくれさえすれば、文句も何も言わねぇよ」


 軽い調子のカルビは鼻を鳴らしてはいたが、その表情には遣る瀬無さではなく、落ち着いた諦観があった。貴族達がどうこうという話なのであれば、一介の冒険者に過ぎないローザ達に出来ることはない。


 それは当然、アッシュも同じだった。


「賞金の行方はともかく、面倒ごとを引き受けてもらう形になっちゃうね……。ごめん」


 ソファに座り直したローザが、シャマニとヴァーミルに頭を下げる。


 そのローザに続いて、カルビとネージュ、エミリアも居住まいを正す気配があった。アッシュも背筋を伸ばし、頭を下げようと思った。だが、その先手を打つようにして、腕を組んだヴァーミルが首を横に振った。


「お前たちが謝る必要などない。ダルムボーグでは私達も助けて貰っている。もっと言うならば、私達が先に頭を下げるべきなんだ」


 ローザに向き直ったヴァーミルが「頭をあげてくれ」と言葉を繋いで、そのすぐ後に、シャマニも言い難そうに口を開いた。


「……アンタ達を巻き込むことになったのも、私がギギネリエスに負けた所為だしね」


 申し訳なさそうに言ったシャマニが、また俯きがちに奥歯を噛んでいた。


「アンタ達は、私を守ってくれた。その気になればギギネリエスとの戦闘を切り上げて、ダルムボーグから撤退もできたのに……」


 彼女は自分の不甲斐なさを責めるように、ぎゅうぎゅうと自分の膝に爪を食い込ませている。苦しげに目を細めるシャマニを見て、アッシュは、ギギネリエスと対峙した時のことを思い出した。


 確かにあの時、シャマニは大きなダメージを負って倒れていた。意識を失っていた彼女が、かなり危険な状態であったことも覚えている。瀕死の彼女を守りながら、アッシュ達はギギネリエスと戦い抜いた。


 だが、アッシュ達が貴族たちの悪意に曝される原因になったのは、シャマニではない筈だ。もとはと言えば王都の悪徳貴族たちが、『鋼血に戦乙女』を壊滅すべくギギネリエスを差し向けてきたのが始まりではないか。


「シャマニさんは、何も悪くないですよ」


 気付けば、アッシュはそう言っていた。


 顔を上げたシャマニが、少し驚いたような、感激しつつも悔しそうな表情を浮かべて、アッシュを見詰めていた。彼女は何かを言おうとしていたが、それよりも先に、「まぁ、そりゃそうだ」とカルビが鷹揚に頷いた。


「確かにアタシ達はとばっちりだが、そもそもの話をすりゃ、下衆な貴族どもが悪いんだからな」


「えぇ、間違いないわ」


 落ち着いた声で続いたネージュも、ゆったりとソファに座り直した。


 その隣にいるローザも、「もちろん、貴族の全員が悪徳に走るわけじゃないんだろうけどね~」と、重苦しくなりかけた空気を解すように肩を竦めた。


「その通りですッ! 貴族たるもの、その名に恥じぬ高貴な振る舞いが求められるもの! それは権威を身に帯びる者の務めですわッ! その使命を全うすることに、上流も下流もありませんことよッ……!」


 そこで力強く声を張ったエミリアは、ソファから立ち上がって握り拳を作ってみせる。


 その熱意と正義感に溢れる態度に、シャマニとヴァーミルも一瞬、気圧されたように体を後ろに下げて、ソファに凭れるような姿勢になる。


 今のエミリアの態度を見たアッシュは、やはり彼女は、貴族と何らかの関りがあったのではないかと思った。エミリアの仕種の端々に在る品格のようなものは、彼女の過去に纏わるものなのではないか――。


 そんな風に感じているのはアッシュだけではなく、ローザやネージュも同じようで、何か言いたそうな顔になっていた。


 だが、話が逸れてしまう前に「言いたいことは分かるぜ。だがまぁ、取りあえず座れよ」と、カルビが落ちついた声でエミリアを宥めた。そして、顎に手を当てたカルビは、片方の眉を上げて、ソファに腰掛けているヴァーミルとシャマニを見比べる。


「一応確認しておきてぇんだが、結局、お前達のクランが狙われた理由ってのは何だ? まさか、貴族どもに喧嘩でも売ったのかよ?」


 話題の深刻さを払うようなカルビの軽口に、ヴァーミルが目を細めて「そんなワケがあるか」と、ムスッとした顔になった。


「ギギネリエス自身が既に言っていたようだが……。魔導機械の装備品に適応された私達の身体そのものを、死体として回収したかったのだろう。研究素体か何かとしてな」


 軽く鼻を鳴らしたヴァーミルが、自分の掌を軽く握り、開いてみせる。その自らの手の動きを一瞥してから、彼女はシャマニと目を見交わした。何かを了承したようにシャマニが軽く頷いたところで、またヴァーミルが口を開く。


「此処まで巻き込んでしまったお前達には、話しておくべきだな」


 重厚な口振りのヴァーミルは、ゆっくりとアッシュ達を見回して、「これも口外しないで欲しい内容だが」と断りを挟んだ。


「……魔導機術武具は量産されてもいるが、我々のクランの戦闘メンバーが扱う武具は、その全てがオンリーワンだ。一人一人に専用の武具が開発、設計され、それらの魔導武具の性能を最大限まで発揮できるよう、私達も手術を受けている」


 そう淡々と付け加えるヴァーミルだが、その内容は極めてデリケートなものに違いなかった。


「手術とは言っても、大したものじゃないけどね。腕とか背中、脚とかに、ちょっとした機械を埋め込んだりするだけ」


 特に表情を変えないシャマニが補足して、「そこまで本格的に最適化する必要があるのかよ……」とカルビが不味そうに顔を歪めた。ローザとネージュ、エミリアの3人も僅かに目を見開き、驚くと共に鼻白むようにして背筋を伸ばしている。


「でも、とても納得できるお話です」


アッシュはそこで、奇妙な親近感をヴァーミル達に抱いた。その肉体を、目的の為に捧げている点で、何となく類似点を感じたのだ。


「ローザさんの魔導銃もそうですが、高性能な魔導機械装備というものは、往々にして使用者に負担を強いる特性を持っているようですし」


 飛空能力を付与する全身鎧などは、やはり誰もが装備できるものではないのだ。その使用において、厳密な適正と身体能力、魔力的な適合、それらの条件を満たすための肉体的な処置も必要になってくるのだろう。


「まぁ、使用者とか装備者の負担を担保にして、威力とか性能を発揮しているような部分もあるかもね~」


 魔導銃をメイン武器として使いこなしているローザが、何とも弱々しい苦笑する。


「クランメンバーとして『鋼血の戦乙女』に所属するには、適正検査をパスしないといけないっていう話は聞いたこともあるけれど……。なるほど、そういうことだったのね」


 沈着な目つきになったネージュが、ヴァーミルとシャマニを見比べた。その視線は、まるで鍛え抜かれた武具類を鑑賞するようでもある。


「それにしても、『鋼血の戦乙女』の皆さんを力づくで襲うなんて、余りに野蛮で乱暴すぎますわ……!」


 そこでエミリアが、義憤を再燃させるように声を荒げかける。考え込むように視線を落としたカルビも頷いた。


「お前らのクランが狙われた理由としては、まぁ分かる。……だが貴族共っつーか、“秩序の塔”の連中が、そこまで恐慌的な手段に出る理由としては弱くねぇか?」


「奴らには正義や良識、倫理なんてものは無用の長物なんだ。魔法原理主義者である奴らは、同時に、徹底した魔法分野の実利主義者でもある」


 何かを諦めるように、ヴァーミルが緩く首を振る。


「奴らは魔導機械術業界そのものを、強烈に敵視しているのよ」


 片方の眼を窄めたシャマニが、ヴァーミルの言葉を続きを引き取った。


「今まで魔導機術士達は、大陸にある都市部の暮らしぶりに大きく貢献してきたわ。この8号区の家々を見れば分かり易いと思うけど。特に、上下水、廃棄物浄化処理施設とか、あとは……」


「冷蔵器や冷凍器、調理機器なんかもそうよね」


 視線だけを動かして、ネージュがリビングを見渡した。


「私の魔導銃もそうだし」とローザが続いて、「魔法薬の瓶と蓋もだな」とカルビが閃いたように言う。こういった話は、以前もリーナとしたことを思い出す。


 魔導機械術士組合は、冒険者達が提供してくれる豊富な原材料を背景に、魔術士や錬金術士、それに医術士などの組合と連携することで、安価で効き目の高い魔法薬の量産を可能にした。それに伴って各都市の医療サービスも拡充され、貧しい村々でも、病魔に備えて魔法薬を揃えることができるようになったのだ。


「医療や公衆衛生においても、魔導機械術の恩恵は非常に大きいですよね」


 アッシュが言うと、渋い顔になったヴァーミルが溜息を飲み込むようにして、大きく頷いた。


「……そういった発展を、鬱陶しく思う貴族連中は少なくないんだ」


 馬鹿馬鹿しいと言わんばかりの表情になったヴァーミルは、そこで言葉を切った。その続きは、不機嫌そうに眉を下げたシャマニが引き取った。


「要するに、自分達の権威や利益を切り崩されるんじゃないか、って危惧しているのよ。怪我や病気を治すのも昔は、偉そうに踏ん反り帰った医術魔導師や高位神官に頭を下げて、高額な医療費を払わなきゃいけなかった。でも、ここ十数年で、もうそんな必要もなくなった」


「……なるほどな」


 シャマニが言い終わるのと同時に、不味そうな顔にカルビが鼻を鳴らす。


「そんでもって、そういう偉そうな医術魔導師や高位神官の背後で、金を吸い上げてやがったのが、魔法至上主義の貴族共だったワケか」


「陰謀論的には目新しくも無い話ではありますけれど……。いえ、だからこそ、現実的というべきでしょうか……」


 嘆かわしいと言わんばかりに、エミリアが首を緩く振ってみせる。そして、そこで何かに気付いた様子のローザも、これでもかと言わんばかりに眉を顰めて口を開いた。


「まさか、『鋼血の戦乙女』が狙われた理由って……」


「あぁ。魔導機械術士組合への、単なる嫌がらせの意味合いもあるのだろう」ヴァーミルが呆れたような、それでいて諦観を含んだ吐息を漏らしながら頷いた。


「例え私達が殺されてクランが壊滅しても、機械術士達には被害が無いからな。技術的なものが失われるワケでもなければ、王都を含む他の都市への影響もない。実質的な損害は、ただ私達が死ぬだけだ」


 冷徹に言うヴァーミルの後に、シャマニが力の無い声で続く。


「機械術士のアードベルの支部は、大陸内でも特に規模が大きいから。私達が目を付けられたんでしょうね」


「……魔導機械術士の支部が、王都に無いのも納得したわ」


 伏し目がちになったローザが、軽蔑の色を浮かべていた。ネージュとカルビも眉間を絞り、険しい表情で黙り込んでいる。今までの話を聴いていて、アッシュも強い嫌悪感を覚えていた。


 大昔の魔王戦争時代から培われてきた魔術理論には、大いなる神秘が綴じられ、編み込まれているのは確かだった。炎や水、土や風などの自然要素を操る魔法も、人間の生命に関わる治癒魔法も、それらの魔法は間違いなく奇跡だ。


 魔導機械術は、こうした奇跡から特別性を排除し、一般性を与えた。


 今の大陸にはローザのように、魔力を持っていても魔法を扱えないという人々は多い。魔導機械術が造り上げた魔導具は、そういった人々でも、魔法が齎す恩恵を受け取れるようにした。


 冷蔵機器や冷凍器、空調器などは、飢えや暑さ、寒さを凌ぎたいという、人々の切実な願いから生まれたものに違いなかった。ヴァーミル達の話にもあったように、恐ろしい病魔を払い、命に関わる怪我を癒すことも、もっと安価でできる時代がきた。


 しかし、この時代の流れに逆行するかのような権威主義的な貴族たちの在り方はもとより、自らの利益の為に他者を平然と蹂躙する行為など、許されるものではない筈だ。


「こういう話を聴いた後だと、ギルドの判断にもヴァーミル達にも、改めて感謝しなくちゃって思うよね……。これ、普通に私達の名前が公表されて、賞金も出て、貢献度が認められて等級まで上がってたら、本当に面倒なことに巻き込まれてたかも……」


 ぞっとしたものを感じたように言うローザが、自分の肩を抱くようなポーズになる。「同感ね……」と、ソファに凭れたままのネージュも緩く首を振った。


 ギギネリエスを捕らえたのがローザ達だと分かれば、冷酷な貴族達が、また何らかの行動を起こすであろうとことは容易に想像できた。


 人間社会の上流階級に住まう者達には、闇の力と――あのギギネリエスのような者と、取引を交わす場所と手段があるのだ。


「まぁ、もしも貴族共がクソ下らないことをアタシ達にもしてきやがったら、正面からボロクソのギッタギタに返り討ちにしてやるだけだがな」


 攻撃的な笑みを浮かべたカルビだったが、「あと気になったんだが」と、すぐに眉間に皺を寄せた。それからカップを持っていない方の手を腰にあてて、シャマニ達に向き直った。


「ギギネリエスの野郎はどうなってンだよ? アイツの扱い次第じゃ、アタシ達を匿うっていう今の話も、まるで無駄になるだろ。例えば、王都の魔術研究機関に引き摺って行かれたアイツが尋問を受けて、何から何までゲロっちまうとかな」


 その可能性は、昨夜にアッシュも少し考えていたことだった。


 ローザ達の視線が、シャマニとヴァーミルに向く。彼女達は慌てた様子もなく、その点は安心してくれ、とでもいう風に息を吐いてみせた。


「その心配はない」


 ゆったりとした声で、ヴァーミルが応えてくれた。


「冒険者ギルドも、ギギネリエスは死んだものとして処理してある。“戦闘が激しかった為、ヤツの死体も消滅、回収不可だった”ということでな。……ヤツを貴族共の手に返す訳にはいかん」


「何だよ。やっぱり喧嘩を売ってるじゃねぇか」


 ソファに凭れたカルビが肩を揺らすと、「先に手を出して来たのは向こうだ」とヴァーミルが冷然と鼻を鳴らした。


「ギギネリエスが生存していることを知っているのも、信頼できるギルドの一部の人間と、私達のクラン、……それに貴女達だけよ」


 ヴァーミル後に言葉を繋いだシャマニは、そう言い終わってすぐに、ちらりとアッシュの方を見て、すぐに目を逸らした。一瞬だけアッシュに向けられた彼女の眼差しは気遣わしげで、この場に居る誰もが、触れづらい話題に及ぼうとしているのが分かった。


 シャマニが黙ったことで話が途切れ、誰も口を開かない時間が3秒ほどあった。この沈黙を片付けるのは自分の役目なのだと思ったアッシュは、少しだけ息を吸ってから口を開いた。


「僕とギギネリエスの関係については、貴族の方々は把握していないんでしょうか……?」





 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




 温かい応援や、★評価、

 またブクマなどで支えて頂き、ありがとうございます!


 不定期更新ではありますが、またお付き合い頂ければ幸いです。

 今回も最後まで読んで下さり、ありがとうございました!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る