第50話 死の縁、再会


「まぁ、しかし……」


 女神像を踏みつけて足場にしているギギネリエスは、景色でも楽しむかのように手でひさしをつくってダルムボーグを見回した。


「『ゴブリンナイツ』、それに『鋼血の戦乙女』までが相手だと考えるなら、雑魚冒険者どもから造ったゴーレムにしては、よく頑張ってる方だと褒めてやるところかもしれないねぇ」


 ローザ達を前にしても、のんびりとした様子のヤツは隙だらけだ。だが、迂闊に踏み込ませない迫力がある。既にローザは魔導銃を構えているのに、引き金を引けない。先に手を出せば不利になる。深い理由はないが、直感的にそんな気がした。


 カルビとネージュ、エミリアも、武器を構えたまま姿勢を落として動かない。姿を見せたギギネリエスを警戒し、ヤツの行動に備えている。戦闘の音が断続的に響いてくる。乾いた風が吹いて、薄い砂埃を神殿前に巻き上げた。


「ダルムボーグに大量の冒険者をおびき寄せて、その冒険者達を死体にして集める肚だったようだけど……、残念だったわね。他の冒険者達は、もう私達が撤退させたわよ」


 金属の翼を自身の魔力と共に展開しているシャマニが、その埃っぽい風を切り裂くような鋭く攻撃的な眼差しで、悠然とした態度のギギネリエスを睨みつけている。尖らせた声音そのもので、ヤツを刺し貫こうとするかのようだった。


「お前の放ったネクロゴーレムも間もなく全滅するわ。そうなれば、お前は私達に包囲される……。逃げられるとは思わないことね」


 宙に佇むシャマニは手にした蛇腹剣にバチバチバチッ!! と電流を纏わせている。物凄い威圧感だ。すぐにでも上空へ飛翔し、女神像の上に佇むギギネリエスへと斬りかかる気迫も漲らせている。


「んん? 逃げるつもりなんてないよ?」


 だが、対するギギネリエスは悠然として、仄々ほのぼのとした表情さえ浮かべてローザ達を見下ろしてくる。


「それにねぇ、俺の賞金に目が眩んだだけのチンケな冒険者の死体なんて、別に要らないよ。まぁ、あっても困らないけど、今は間に合ってるんでねぇ」


 魔術で防腐処理をするのも、なかなか面倒なんだよ。世間話でもするような口振りでそう言い足したギギネリエスは、唇を薄く歪ませてシャマニを見下ろした。


「ギルドの連中も、どうやら俺の先手を打ったと思っているようだがねぇ。それは違う。勘違いしちゃいけないよ。俺の思惑通りに動いているのは、そっちの方さ」


「あぁ? どういう意味だよ?」


 戦斧を肩に担ぐようにして構えたカルビが、片方の眼を窄めて物騒な声で訊いた。当たり前なのだろうが、ギギネリエスは素直に答えたりしない。「そのままの意味なんだがねぇ」と薄く笑って、おもむろに女神像の上から地面に飛び降りてきた。


 やけにゆっくりとした下降に見えた。隙だらけにしか見えないし、攻撃するチャンスは幾つもある筈だが、やはり、まだ誰も動けない。……認めたくはないが、この場にいる全員がギギネリエスの存在感に飲まれているからだろう。

 

 ヤツは音もなく地面に着地してみせると、ローザ達を品定めするような視線を流してきた。


「しかし、今日の俺は運がいい。ツイてるよ。キミ達みたいな素敵な女性達とも巡り合えたんだから」


 正直、ローザは鳥肌が立った。ヤツの黄土色の瞳や声音に、以前に遭遇したレイダー達のように色欲や情欲が滲んでいれば、ヤツに人間らしさを感じられる分だけまだマシだったろう。


 ローザ達を見遣ったギギネリエスの眼差しには、冷酷さ以上に、あまりにも冷然とした無機的な光が宿っている。ローザ達を生きた人間ではなく魔術的な部品としか見做しておらず、ローザ達の個性や人格、尊厳になど、まったく関心を払っていない目つきと表情だった。


 ヤツは、ローザ達の死体にしか興味がないのだ。それでいて、ローザ達との言葉の遣り取りを楽しんでいる様子でもある。そのさが、この男の不気味さを加速させている。


「……気色の悪い男ね」


 低い声を出したネージュは、大槍の穂先を下げて重心を落とした。いつでも攻撃を繰り出せる姿勢だ。


「同感だな。お前、モテねぇだろ?」


 歯を剝いたカルビも戦斧を担いだままで、ぐっと姿勢を前に倒した。カルビとネージュは、ローザを守る位置に立ってくれている。宙に佇むシャマニは、黙ったままで前傾姿勢を維持し、殺気を放散させている。


「そうなんだよ。モテないんだよねぇ。理由は自分でも分かってるよ? 俺って正直者で、ついでにナイーブでだから、デートでも気を遣い過ぎちまうんだ。今日だってそうだ」


 嘆くように軽く溜め息を吐いたギギネリエスは、首をゆるゆると振ってみせる。まるで臨戦態勢を取ったローザ達の気迫や戦意になど、まるで興味がないかのように。それからとぼけるように肩を竦めて、手にした髑髏の杖に赤黒い魔力の揺らぎを灯した。


「あちこちにネクロゴーレムを潜ませておいたし、鬱陶しい賞金稼ぎ共が王都に出向いてるのも調べたし、あとは……、目当ての奴らをちゃんと皆殺しにできるよう、素敵なサプライズだって準備しちまってるしねぇ」

 

 よく喋る男だが、全く隙が無い。

 

 半笑いになって悠長に語るギギネリエスは、手にした髑髏の杖に灯った光を明滅させた。暗紅の魔力光は揺らぎながら地面に伸び、空気に滲みだし、乾いた風に流されながら、ダルムボーグの廃墟全体に沁み込んでいくかのようだ。


 「なんて魔力量ですの……」


 その様子を見ていたエミリアが、声を僅かに震わせながら唾を飲み込むが分かった。ローザも背筋に冷たいものが伝う。


 サプライズ。罠か。より巨大な。罠。ギギネリエスは、まだ何かを隠している……? ダルムボーグ全体に及ぶような、大規模な何かを? 分からない。だが、目の前で笑みを湛えたギギネリエスの余裕はそのまま、ローザ達の危機の深さと見た方がいい。


 ギギネリエスが唇を舐めながら肩を揺らしている。金属の翼を広げたままのシャマニが、さらに前傾姿勢になる。いや、突撃姿勢といった方が正しいかもしれない。


 次の遣り取りで、シャマニが攻撃に出るつもりなのは明らかだった。


「おい。シャマニが動いたら、アタシも前に出るぞ」


 呟くように言いながら、カルビが肩越しにローザに振り返った。ローザは頷く。多分、もうすぐ戦闘が始まる。いや、始めざるをえない。このままヤツに飲まれていたらジリ貧だ。戦わずに済むなら一番だが、そんな状況になるわけがない。


 ギギネリエスは攻撃を仕掛けてこないが、ローザ達を見逃すつもりもない筈だ。なら結局、どのタイミングでローザ達が仕掛けるかになる。


「うん、お願い。共闘は難しいかもだけど、2人はシャマニのカバーを重視して」 ローザは言いながら、カルビとネージュに視線を配る。「エミリアは私を守りながら、後衛について。状況によっては撤退戦に持ち込むよ。生きて帰るのが最優先だから」


 ニヤリと笑みを浮かべたカルビが「おう」と頷き、表情を動かさないネージュは「分かったわ」と、真剣な目をして顎を引いてくれた。「心得ましたわ!」エミリアが大盾を手に、肩越しにローザの目を見て力強い笑みを浮かべた。


「うん。みんな、お願い」


 仲間全員の視線を受け止めながら、ローザも魔導ショットガンのグリップを握り直す。それから、ローザ達から少し離れた位置にいるシャマニに目線を移す。


 彼女が動いたとき、それに合わせてローザ達も動くつもりだが、シャマニはまだ空中に佇んだ突撃姿勢のままだ。


「……なら、お前の目的は何よ?」


 斬り込むタイミングを窺っているのだろうシャマニは、殺意の籠った声を尖らせている。


「ただ暴れたいがために、あちこちでゾンビ騒動を起こして、これだけの数の冒険者をダルムボーグに集めたワケ?」


 シャマニの魔力を変換しているからだろう。感情の昂ぶりに呼応して、彼女が手に握っている大剣も、纏う紫電の厚みを激増させている。バリバリバリ……ッ! バッチバチバチバチ……ッ!!と火花が散りまくっている。


「俺の目的? 知りたいの?」


 だが、そんな濃厚な殺意と雷電を振り撒くシャマニの顔を、覗き込むように背中を丸めたギギネリエスは、意外な反応を返してきた。「いいよ。教えてあげても」と楽しげに目を細めたのだ。


 そして、あっさりと答えた。

 

「俺が欲しいのは、『鋼血の戦乙女』達の死体だよ」


「なに……?」


 攻撃的な声に僅かな動揺を滲ませたシャマニが、一瞬だけ顔を歪めた。それを見たギギネリエスが喉の底を鳴らすように笑い、肩を揺すった。


「俺がお前達を狙う理由も知りたそうだねぇ? 今日は特別だよ。サービスだ。教えてやろう。実はねぇ、依頼されたのさ。俺は仕事で此処に居るんだよ」


 ギギネリエスは片方の眉を下げて、リラックスした態度で腰に手を当てた。


「ここは廃都だからねぇ。魔導人造兵も配置されてないし、セーブエリアも無い。ネクロマンサーの存在が噂されても、正規軍を常駐させるのには金も掛かる。挙ってやってきた冒険者共を完璧に管理するのも難しい」


 ついでのように周りの廃墟を見回し、また喋りはじめる。


「……となれば、冒険者ギルドは実力のあるクランに捜査依頼を出すだろうし、冒険者ギルドと仲良しこよしな機械術士の組合が、『鋼血の戦乙女』を動かす可能性は高い。俺の依頼主は、そう予想してたんだろう。まぁ、『ゴブリンナイツ』に関しては誤差の範囲内だとは思うがねぇ」


 よく喋る男だが、やはり佇まいには隙が無い。冷静だ。ああやってベラベラと喋ることで、聞く者の内部を乱し、動揺させようとする意図が見える。


「俺はねぇ、お前のことも知っているよ。シャマニちゃん。というか、俺は仕事のついでに、お前に会いに来たんだよ。シャマニ=レインジャックちゃん」


 ギギネリエスは親密さを演出するように、シャマニの名前を、ゆっくりと丁寧に、そして優しく口にした。侮蔑的で挑発的な口振りだ。シャマニが息を詰まらせるような気配があった。


「シャマニちゃんの両親は、かなり腕の立つ冒険者だったそうじゃないか。でもある時に、野良のネクロマンサーに殺されたんだろう? その死体もまだ見つかってないんだろう? 寂しいだろう? いやぁ、可哀そうにねぇ……」


 眉を吊り上げたシャマニが、奥歯を噛む音が聞こえた。ゴリゴリゴリッと、硬いものが強く擦れ合うような凄い音だった。そんなシャマニの反応を見たギギネリエスは、はっとした顔になった。ワザとらしくて芝居がかった仕種だった。


「もしかしたらだけど、俺が持ってる死体の中に、シャマニちゃんの親御さんが居るかもしれないよ? 可能性はあると思うんだがねぇ? は、俺も一時期は集めてたからねぇ。シャマニちゃんが可愛くお願いしてくれるんなら、確認してやってもいいよ。面倒だけどねぇ。俺はモテないけれど、気遣いができる優しい男だから」


 真面目くさった顔のギギネリエスは、そこで悪意に満ちた微笑を浮かべてみせる。


「実は、シャマニちゃんの両親の名前も知ってるんだよねぇ。確か――」


「もう喋るな……!!」


 シャマニが吼え、豪速で飛び出した。シャマニの翼が力強く空気を打ち、巻き起こった風がローザ達を強く煽った。ほとんど突風だった。ローザが腕で顔を庇い、再び前を見たときには、シャマニは既にギギネリエスに斬りかかっていた。


「はぁああ……ッ!!」


 裂帛の気合と共に、シャマニは手にした蛇腹剣で斬撃を放ちまくる。変幻自在の斬撃が、嵐となって渦を巻いた。彼女の魔力は紫色の雷電となって、ギギネリエスを両断する軌跡を何度も奔った。だが、ヤツに届かない。


「いいねぇ。シャマニちゃん。悪くないよ。なかなか疾いじゃないか。でもねぇ、弱いよ。その程度じゃあ、俺を仕留めることなんて無理だと思うよ。ほら、もっと頑張った方がいいんじゃない? 俺への憎悪を燃やすんだよ。憎しみを抱えた人間の死体は、いい素材になるんだ。シャマニちゃんが俺を憎めば憎むほど、シャマニちゃんの死体は価値が上がるのさ。さぁ、俺を憎んでごらんよ。もっと。もっとだよ」


 巨体を誇るネクロゴーレムを圧倒していたシャマニの打ち込みを、――あの雷電を纏った蛇腹剣の、うねる斬撃と雷撃の猛攻を、ギギネリエスはベラベラと喋りまくりながらも、手にした髑髏の杖で平然と受け流し、弾き、いなしながら、薄ら笑いを浮かべている。


「シャマニちゃんの死体だけは、俺が持ち帰ってもいいって話になってるんだよ。まぁ、俺の仕事への追加報酬ってワケだ。だからこうして、わざわざシャマニちゃんを迎えに来たんだよ。シャマニちゃんを俺好みの死体に変えるためには、ただぶっ殺すだけじゃあダメなのさ。キーワードは負の感情だ。憎悪だよ」


 のんびりとした口振りのギギネリエスは、容赦なく振るわれるシャマニの蛇腹剣を前にしても揺るぎもしない。感情を震わせて決死の様子のシャマニに対して、半笑いのギギネリエスは、どこまでも不真面目だ。遊んでいる。


 それでもなお、あの強さなのか。ローザは怯みそうになる。


「強敵ですわね……」ローザを守る位置に立ってくれているエミリアも、流石に動揺している様子だ。舌打ちをしたカルビが「アタシも混ぜろよ……!」と吼えて、既に飛び出している。そのカルビに並走するネージュが、「気を付けなさい!」と鋭い声を飛ばした。


 喋りまくっているギギネリエスの、その横合いから迫ろうとしていた。


「あぁ、もう少しだけ待ってくれる?」


 大戦斧を手に一気に踏み込んでくるカルビに対して、にやけ顔を崩さないギギネリエスは、シャマニの猛攻を全て弾き、受け流しながら首を振った。


「シャマニちゃんを仕上げた後で、ゆっくりと相手をしてあげるよ」


 ヤツの杖を握っていない左手の中に、赤黒い魔法円が浮かんでいることにローザは気付いた。恐らくだが、新たなネクロゴーレムをアイテムボックスから――いや、ヤツの場合は、ネクロボックスとでも言うべきかもしれないが――召び出して、使役する為の魔法円だと即座に予想できた。


 そのローザの予想は正解だった。シャマニを軽くあしらっているギギネリエスの、その周囲の空間にも幾つかの魔法円が描かれた。その魔法円を潜るようにして、新たなネクロゴーレムが飛び出してくる。


「まぁ、それまでキミ達が、ちゃんと生きていたならの話だけどねぇ」


 だが、ヤツが新たに召んだネクロゴーレムは、さっきまでの奴らとは雰囲気が違った。


「あれは……!?」


 ローザを守る位置に立つエミリアも、流石に驚愕の声を漏らしていた。ローザはと言えば半ば呆然として、「GOAAAHHHHHH――!!」と吠え猛りながらカルビに襲い掛かる、ソイツの姿を眺めてしまっていた。


 太い胴体と尻尾。発達した前肢。筋肉の詰まった逞しい後肢。身体の表面はつるっとしているが、光沢は無い。腐肉を思わせる白い体だ。頭部はトカゲっぽい形をしているが、眼らしい器官は無く、口しかない。そこに並んだ鋭い牙は2列で生えていて、ぬめるような光を湛えている。やはり人間の死体から造られたものだろう。体長は6メートル程だろうか。本物と比べればサイズは小さいが、それでも凄い迫力だ。


 そうだ。あれは、あの姿は、ネクロゴーレムと言うよりも――。


「ドラゴンかよ……ッ!?」


 驚いた表情のカルビは悪態を付きつつも、咄嗟に大戦斧を振り抜こうとしていた。ネクロゴーレムならぬ、ネクロドラゴンの噛みつき攻撃を迎え撃つつもりだったに違いない。だが、翼を広げたネクロドラゴンは、やっぱりデカい。その分、攻撃力というか圧力だって凄まじかった。


 勇猛果敢なカルビが豪快に、そして豪速で大戦斧を振り抜き、ネクロドラゴンの頭をぶん殴った。ズガァァン!!と行った。ネクロドラゴンの頭の半分が吹っ飛んだ。肉片が飛び散った。だが、ネクロドラゴンの方はお構いなしにカルビに飛び掛かって押し倒した。


「ぐぉおおおおおおおっ!!?」


 地面に倒されたカルビは、大戦斧を体の前に引いて盾のように構えていたが、ネクロドラゴンはその防御姿勢の上から前肢でカルビをボコボコと殴りつけ、後肢でドッシンドッシンドッシンと踏んづけまくった。踏まれたカルビごと、地面がドッコンドッコンと陥没していく。


 ネクロドラゴンが自らの巨体を利用して、倒れたカルビの上で跳ねているような感じだ。凄い振動だった。ドラゴンがカルビを踏みつけるたびに、地面が砕ける。その破砕音に混じって、「ぐぇっ!」「ぐっ!」「痛ぇ……ッ!」「がはっ!」などと、カルビの呻き声らしきものが微かに聞こえる。


「カルビ……ッ!!」


 ローザは思わず叫んでいたが、ヤバいと思ったり援護したりする暇は無かった。


 理由は単純で、ギギネリエスが召び出したネクロドラゴンは、1体だけではなかったからだ。全部で3体だ。カルビを踏んづけまくって圧し潰そうとしているヤツの他に、まだ3体も居る。


「邪魔よッ……!」


 そのうちの1体を相手取ったネージュが、冷気を纏わせた大槍を叩き込んでいた。だが、ネクロドラゴンのタフさは相当なもののようで、身体を凍らされながらもネージュに襲い掛かっていく。カルビほどの劣勢ではないにしろ、ネージュも苦戦を強いられそうだ。

 

 更に最悪なのは、残りの2体のネクロドラゴンが翼を羽ばたかせ、ローザとエミリアに向かって猛然と突進してきていることだ。応戦するしかない。逃げられない。

 

 「マジックキャンセラーを使うわ!」

 

 ローザは即断した。出し惜しみをしている場合ではない。この位置なら、シャマニの魔導具装備に影響を与えることはないし、とにかく、ネクロドラゴンを迅速に無効化して、カルビを助けに行きたかった。

 

 ローザが使用したマジックキャンセラーの効果範囲には、鋭くも短い空気の振動と共に、淡い魔力光が染みわたるように広がった。その微光の波がネクロドラゴンを通過し、ギギネリエスの死霊術を即座に無効化する。


 その筈だった。だが――。

 

 「……マジで……?」


 驚愕以上に戦慄した。


 ローザとエミリアに向かって飛翔してきているネクロドラゴン2体は、間違いなくマジックキャンセラーの効果範囲に入っていた。実際に、2体のネクロドラゴンは空中で一瞬だけ動きを止めて、その飛行姿勢を崩しかけていた。だが、それだけだった。


 マジックキャンセラーが、殆ど利かない。いや違う。効いている。だが、ギギネリエスの魔力供給量と速度が凄まじ過ぎるのだ。ネクロドラゴンを操作している筈の死霊術を無効化した次の瞬間に、また再活性と再起動を齎している。


 あれだけ多数のネクロゴーレムを操作しているのを見れば納得もできるが、勘弁して欲しい。エルン村のときと、全く状況が違う。マジックキャンセラーが通用しないなんて。


 だが、その光景を目の前で見ても、ローザを守る位置に立つエミリアは焦っていなかった。


「ローザさん。奴らの動きを少しだけ鈍らせるために、牽制をお願いしますわ」


 そのエミリアの静かな声が、ローザを落ち着かせてくれた。

 カルビを助けに行くには、まずは小細工無しでネクロドラゴンを倒すしかない。


「……うん、やってみるよ!」


 ローザは答えてから、息を吸う。吐く。向かってくるネクロドラゴンを相手にするため、集中する。


 このローザとエミリアの短い遣り取りの間にも、カルビがネクロドラゴンに踏み潰されそうになっている轟音が聞こえてくる。ネージュが振るう大槍と、冷気を含んだ空気が強く流れてきている。


 そして、ギギネリエスの持つ髑髏の杖と、シャマニの大剣が激しくぶつかる振動も、絶え間なくローザのところまで響いてきていた。


 戦っている最中なのに、やはりギギネリエスはベラベラと喋りまくっている。奴の芝居がかった声は、乾いた空気の中にやけによく通る。嫌でも聞こえてくるのだ。


 シャマニちゃん達が雑魚冒険者どもを撤退させている間に、色々と準備も出来たしねぇ。さっきシャマニちゃんは、俺の事を包囲したとか言っていたが、それは違う。違うんだよ。逆だ。気付かないかい? 包囲されているのはシャマニちゃん達の方だよ。


 殺す……! 殺してやる……!


 殺す? 俺を? シャ~マニちゃ~ん。出来っこないよ。そのザマで俺を殺すなんてね。無理だよ。無理無理。憎悪が足りないよ。でもまぁ、仕方がない。シャマニちゃん、俺が思ってたより弱いから、そこらへんが限界なのかもしれないねぇ。感情を昂らせるには気力がいるし、集中力だって必要だ。か弱いシャマニちゃんにしては、まぁ、よく頑張ったってことにしておこうか。お疲れさま~……というワケで、そろそろ死んじゃう?


 人の神経を逆撫でするギギネリエスの声を聞きながら、ローザもネクロドラゴンとの戦闘に入る。とにかく牽制だ。ネージュの背後から魔導ショットガンを撃つ。石化弾が発射されて、空中に幾つも魔法円が展開される。


 2体のネクロドラゴンは、これに反応してみせる。身体をしならせ、捻り、魔法円を潜り抜けるようにして、複雑な軌道でローザ達に飛来してくる。


 だが、魔法円の全てを回避することは出来ていない。ネクロドラゴン達の身体の一部が石化して、その速度が明らかに鈍った。


 ローザの扱う魔導銃――カウントレス・シリーズは、多数の魔法弾を扱えるものの、1発撃つだけでも並みの魔術士を昏倒させるほど、使用者の魔力を馬鹿喰いする。だが、魔法弾の威力や持続時間を強化できる。使いこなすことさえ出来れば、その牽制はドラゴン相手でも通用する。


「流石はローザさんですわッ!」


 エミリアが張りのある声を発しながら、「行きますわよォ……!」と構えていた大盾を背負うように持ち直し、前傾姿勢になって踏み込んだ。漆黒の大盾からは、エミリアの魔力が変換された赤い薔薇の花弁が盛大に舞い散り始めている。


「“淑女道奥義”!! ワンダァァァエキセントリィィック・ビューティフルエキゾチィィック――!!」


 長ったらしい技名を叫び終わるよりも先に、エミリアは手にした大盾を体ごと、斜めから降り下ろすようにぶん回した。超重量かつ頑強な鉄塊が、豪速で飛来してきたネクロドラゴン1体を、ズゴォォン!!と叩き落とす。


「GUGYAAAAAAッ!?」


 身体を半分ほど地面に陥没させたネクロドラゴンは、それでも動いて這い出そうとしたようだが、それをエミリアは許さなかった。


「トロピカァァァル・タイフゥゥゥゥゥンンンヌァァアア!!!」


 更に身体を一回転させてエミリアが、勢いを更に増した大盾の一撃でネクロドラゴンの身体の上半分を粉々に吹き飛ばしたのだ。ドグシャア……ッ!!というか、ドパァアアン……!!というような、やけに水気を含んだ轟音が響く。


 なまっ白い肉の塊が、エミリアの魔力が象った真っ赤な薔薇の花弁と、濁った紫色の粘液と共に飛散る中を、もう1体のネクロドラゴンが飛び込んでくる。


「GOOOAHHHHHHHhhhh――ッッ!!!」


 大盾を振り抜いたエミリアの隙を狙っているのだ。

 だが、そうはさせない。

 今度はローザが前に出る。


 魔導ショットガンをアイテムボックスに仕舞い、代わりに、大型の魔導拳銃を取り出す。ネクロドラゴンがどれだけ素早くても、この距離なら外さない。


 エミリアの隣に滑り出る勢いのまま膝をつき、拳銃を両手で構え、狙いを絞ったローザが撃ち出したのは、炎熱系統の炸裂魔法弾だ。多数のトロールを怯ませるほどの火力を持っていて、図体がデカい魔物にも大きなダメージを期待できる弾薬である。


 更に言えば、撃ち出した炸裂魔法弾は、その高威力の爆発と熱波が前方にのみ向くよう、ローザが改良を加えたものだ。これも効いた。


「GYOHOOOOOOO――ッ!!!?」


 ネクロドラゴンは一瞬で爆炎に包まれて吹っ飛んでいって、廃墟に突っ込んだ。その衝撃で、脆くなっていた廃墟も崩れ落ちて、その瓦礫がネクロドラゴンを完全に飲み込んでいく。


 2体のネクロドラゴンを倒したローザとエミリアは、すぐに、ネージュとカルビに目線を向ける。同時だったろうか。


 「GAAAAAAHHHHH――ッッ!!!」


 ネクロドラゴンの咆哮と、対峙しているネージュの、物騒な低い声が聞こえてきた。

 

 「じゃれあっている暇は無いわ……」


 手にした大槍に冷気を纏わせたネージュが、すっと前に出るのが見えた。同時に、ネージュの着込んだ鎧が冷気を放ちながら、変形していく。


 鎧の肩と背中のあたりの金属が、滑らかな動きで拡がる。冷気と金属を織り込むようにして編まれたのは、ネージュの頭部全体を覆う兜だった。黒と蒼の鎧兜で身を包んだネージュの姿は、女性暗黒騎士といった風情であり、高貴でありながらも鋭利で、優雅でありながらも攻撃的な気配を備えている。


 ネージュの魔力を受け取った大槍は、乾いた地面に冷気を流し込み、周囲の空気から温度を急激に奪う。パキパキパキ……!! バキバキバキバキッ!! と、硬いものが激しく軋みを上げるような音が響いた。


 そしてネージュの前方に、巨大な氷の盾が出現した。当たり前だが、あれは普通の氷じゃない。ネージュの魔力が織り込まれた、分厚い氷の壁だ。


 氷の表面には複雑な魔法紋様が浮かび上がっており、その内部にも、蒼い光の線が明滅するように走っている。ネージュが得意とする、強固な防御魔法だ。


 ネージュに飛び掛かろうとしていたネクロドラゴンは、いきなり出現したこの巨大な氷の壁を避けることができなかった。まともにぶつかる。凄い音と衝撃だった。


 氷の壁とゴッツンコした激突ダメージが大きかったのか。ネクロドラゴンが一瞬だけ怯むのが分かった。だが、すぐに翼で空を打って「GUUOOOAAAAAAAA――……!!」と猛り狂い、大口を開けて氷の壁に噛みつき、前肢で殴り、後肢で蹴ったくり、尻尾を叩きつけ、氷壁を砕こうとしている。


 だが、ネージュが自らの魔力と共に編んだ氷の壁は、そう簡単には崩れない。


 暴れまくるネクロドラゴンを氷の壁越しに見ていたネージュは、大槍の穂先を地面から引き抜き、更に重心を落として槍を構える。同時に、鎧を着こんでいるとは思えない程にしなやかに体を捻り、大槍をまっすぐに突き出した。


 ネージュとネクロドラゴンの間には氷の壁が存在している。


 だが、あの凄まじく強固な氷の壁は、ネージュの意思に従い姿を変える、強力無比な武器でもある。ネージュが突き出した大槍は、氷の壁をすり抜けるようにして渦を巻き、その際には氷の壁を取り込むようにして巨大な刃へと練り直し、槍の穂先へと変えた。


 巨大な氷槍と化したイースベルクの突きは、魔力を帯びた破城槌と言ってよかった。至近距離にいたネクロドラゴンの巨体は、まるで柔らかいチーズのように体をごっそりと抉られ、半ば凍りつきながら吹き飛んだ。


 更に、ネージュに凍らされて吹き飛んだこのネクロドラゴンは、カルビを踏み潰そうとしているネクロドラゴンと激突した。


「GIIIIEEEEAAAA――ッッ!!」


「GUAA――ッ!?」


 2体にネクロドラゴンの動きが、その一瞬だけ完全に止まった。

 そのときだった。


「痛ェェェェェつってんだろうがぁぁあ…………ッ!!」


 今までネクロドラゴンに踏んづけられていたカルビが、地面に埋もれそうになりながら怒声を張り上げたのだ。そして、ネクロドラゴンの巨体を猛然と押しのけて立ちあがった。いや、立ち上がっただけじゃない。


 流石はカルビ言うか何というか、もう滅茶苦茶だった。カルビは戦斧を握っていない方の手で、“凍りつきかけている方のネクロドラゴン”の尻尾を乱暴な手つきで引っ掴んでいた。


 今のカルビは、右手に大戦斧を握り、左手にネクロドラゴンを握っている状態だ。二刀流という言葉はあるが、あれはどう表現するのが正しいのか。


「死んじまうだろうがこのクソボケェ……!!」


 憤怒の声を上げるカルビの全身鎧は、派手に炎を吹き上げながら、ネージュのものと同じように変化していた。


 あの大蜘蛛の墓守を倒したときと同じく、肩と背中の部分がグググっと盛り上がり、カルビの頭を覆う兜になっている。全体的に刺々しく猛々しく、そして荒々しいフォルムを持つ兜は、狂暴なドラゴンを連想させる。


 今のカルビが放つ怒気と威圧感は、気品も容赦もない。あの純粋で強烈な存在感は、紛い物のネクロドラゴンなどよりも、遥かにドラゴンという種族に近いように思えた。というか、今のカルビはドラゴンを上回る凶暴さだった。


 まずカルビは、引っ掴んでいたネクロドラゴンを軽々とぶん回した。


 “さっきまでカルビを踏んづけていた方のネクロドラゴン”を思いっきりぶん殴った。つまり、ネクロドラゴンで、ネクロドラゴンをぶん殴ったのだ。


 ドグオォン!! というか、ズドゴォォン!! というような、とんでもなく重くて鈍い音が響き渡った。豪快を通り越して、もう無茶苦茶だ。殴られたネクロドラゴンは地面に叩きつけられて悲鳴らしきものを漏らし、カルビから逃げようとした。翼を動かし、空へと飛ぼうとしたのだ。だが、カルビは許さなかった。


「逃がすかよ阿呆ぅ……!!」


 カルビは凍りつきかけているネクロドラゴンを再び振りかぶりながら踏み込み、更に乱暴にぶん殴り、宙に逃げようとしているネクロドラゴンを叩き落とした。いや、叩き落とすだけではなく、地面に埋め込む勢いだった。


 凍りかけている方のネクロドラゴンは、さっきまでカルビに尻尾を掴まれてもがいているようだったが、今の衝撃で明らかにぐったりとなった。


 力任せに撃墜された方のネクロドラゴンは「GYAHIIII――ッ!!?」などと悲鳴を上げ、地面に叩きつけられた衝撃で両翼が拉げていた。あれでは飛行不能だ。もう逃げられない。


 もちろんというか、カルビの攻撃はまだ終わらない。


 カルビは凍りかけている方のネクロドラゴンを、もう片方の手に握っていた大戦斧で、豪快にズドン!!といった。ぶっ刺したのだ。そのついでに大戦斧に爆炎を宿し、一瞬でドラゴンの串焼き状態にした。


「VOOGYAAAAAA――!!?」


 串焼きにされたネクロドラゴンが、ほとんど断末魔に近い苦鳴をあげる。だが、そんなものは知ったことじゃないと言わんばかりのカルビは、立ったままで体の軸を斜めに1回転するように踏み込んで、そのネクロドラゴンの串焼きごと、大戦斧を思いっきり振り下ろした。


 勿論、振り下ろす先は、さっきまでカルビを踏んづけていたくせに、今では地面に半分ほど埋まっている方のネクロドラゴンだ。戦斧を叩き込む瞬間、カルビの纏う全身鎧が、一際大きく炎を噴き出した。まさに、本物のドラゴンが吐き出したブレスのようだった。


「オォォラァァア……ッッ!!」


 容赦も遠慮もへったくれも無いカルビの一撃は、多分、ダルムボーグ全体を揺するほどの衝撃を生んだ。ついでに爆炎の火柱を派手に発生させ、ネクロドラゴン2体を完全に炭屑にして消し去ってしまった。物凄い熱風が吹きつけてくる。


 ローザは腕で顔を庇いながら、思わず「うわわっ!?」と声を漏らしてしまう。だが、叩きつけるようにして吹いてくる熱風からローザを庇う位置に、大盾を構えたエミリアが、すっと立ってくれた。


 その巨大な盾と、漆黒の重装鎧を纏った大柄なエミリアの身体が、熱風からローザを守ってくれる。小動もしない。壁役としてのエミリアは、本当に頼もしい。


「アレを地下ダンジョン内でやられたら、私達も無事ではすみませんわね……」


 感嘆交じりの声音と共に、エミリアが鼻を鳴らすのが聞こえた。「ほ、ホントだね……」とローザも頷きながら、カルビが敵じゃなくてよかったと本気で思った。

 

 静謐な冷気を纏っているネージュも健在だし、彼女が大槍が宿している魔力量にもまだまだ余力がありそうだ。

 

 カルビもネージュも、以前のシャーマントロール戦のように、強力な魔法で動きを封じられてしまったりしなければ、本当に強い。


「へぇぇ、やるじゃないの!」


 シャマニの相手をしながらギギネリエスは、ローザ達を順番に見てから感心したような声を出した。そのついでに鋭く体を捻ったヤツは、逆手に持った髑髏の杖を突き出し、高速で斬りかかってくるシャマニの右肩を貫いた。


「ぐぅ……ッ!!」


 宙に居るシャマニの表情が苦悶に歪んだ。次の瞬間には、ギギネリエスは髑髏の杖をシャマニの肩から引き抜いてから、またすぐに突き出す。半笑いのヤツは、ごく短い詠唱も済ませていた。


 右肩を砕かれたシャマニは、咄嗟に左手に持ち替えていた蛇腹剣を手元に引き、大剣へと姿を戻していた。それで防御しようとしていたのだろうが、間に合わなかった。

 

 ギギネリエスの髑髏の杖は、シャマニの胴に吸い込まれるようだった。


 それに、ただの打撃ではなかった。髑髏の杖が赤黒い光を宿し、シャマニの鎧の胴体部分に魔法円を発生させたのだ。その魔法円を通して、ギギネリエスの纏う赤黒い魔力が瞬間的に、しかし膨大な量がシャマニに注ぎ込まれるのが分かった。


 冒険者である魔術士の中には、近接戦闘用の魔法を習得している者も居る。ギギネリエスが使用したのは、多分その類のものだ。魔導鎧だけでなく、その内部にも衝撃を与えるような、強烈な攻撃魔法に違いなかった。


 その証拠に、何かが破裂するような低い音が、シャマニの鎧の中から聞こえた。くぐもっていながらも、鳥肌が立つような重低音だった。


 シャマニが纏っている鎧にも、内側から強い衝撃と破壊作用を受けたかのように、バキバキバキッ……!!と亀裂が入り、生えていた翼まで砕け散ってしまった。


「うぶっ、ぁっ……!がッ……は……ッ!!?」


 空中で身体を『く』の字に折ったシャマニは、血の塊を吐き出した。ヤバい吐き方だった。


 シャマニはとんでもない勢いで吹っ飛ばされて、何度も地面をバウンドしながらゴロゴロゴロッと転がっていく。転がっている間に、シャマニの手からは大剣がこぼれ、砕けた鎧の隙間からは血が飛び散っていた。


 しばらく転がったシャマニは地面にうつ伏せに倒れたままで、ピクリとも動かなかった。嫌な静寂が数秒あった。


 その静けさを茶化して誤魔化すように、ギギネリエスが眉を下げながら「あらら……、ちょっと強めにやり過ぎたかな……」などと、料理の火加減を間違えたかのような、牧歌的な口振りだった。


 ローザは気付かないうちに唇を噛んでいた。


 あの禍々しい髑髏の杖は、シャマニが纏った漆黒と象牙色の鎧を貫くほどの強度を持っているのかという驚愕と、近距離戦でシャマニを上回る実力を持っているギギネリエスに畏怖を覚える。


 全身鎧を戦闘形態にしたネージュとカルビも、カバーに入る暇がなかった。2人が息を殺している気配が伝わってくる。エミリアが奥歯を噛み締める音が聞こえた。


 うつ伏せのシャマニは、まだ動かない。この距離だと、息があるのかどうかも分からない。あれは、死んだかもしれない。仮に息があっても、治癒魔法は間に合わないかもしれない。あの血の量と、鎧の砕け方を見れば、かなり不味いことぐらいはローザでも分かる。


 今のシャマニの体内は、もう無茶苦茶だろう。頭部は無事だが、だからどうしたというレベルでの負傷に違いない。今すぐ治癒しないと。でも、治癒魔法を使用するような時間など、ギギネリエスが与えてくれるとは思えない。


 シャマニは助けられない。見捨てるしかない。もしもローザ達だけだったなら、そう決断せざるを得ない状況だった。


 だから、少し離れた廃屋の上から、放たれた弓矢のように跳躍してきた彼に気付いた時には、声が出そうになった。彼は音もなくシャマニの傍に着地して、即座にエリクシルを使用してくれた。そうだ。今のローザ達のパーティーには、もう1人の冒険者が同行してくれている。


 彼のことを忘れていたわけでは無かったが、その存在の心強さに思わず身体から力が抜けそうになって、それを何とか堪える。霊薬エリクシルが発生させた治癒・回復魔法円が、倒れているシャマニを包むのが、ローザにも見えた。


「げほっ……! はぁ、はっ……ぁ!!」

 

 うつ伏せのシャマニが、血の咳を吐き出している。

 激痛を堪えて、苦悶の声を洩らしているが、まだ生きている。

 生きてさえいるのなら、エリクシルでの回復は可能だ。

 

 ネージュが兜の中で、大きく息を吐いているのが聞こえた。明らかに安堵の息だった。シャマニが助かるかもしれない。きっとネージュもそう思った筈だ。そしてカルビの方も、魔導鎧から噴き出る炎をそのままに「助かったぜ……!」と、手を上げていた。


「アッシュさん……!」


 エミリアが潤むような掠れた声を出した。


「遅くなりました。すみません」


 シャマニを守るための戦いを想定してだろう。


 両手に短剣を握るのではなく、間合いを広くとれる長刀を手にしたアッシュは重心を落とし、エリクシルの回復・再生効果を受けているシャマニを庇う位置に立っている。


 ギギネリエスを睨んでいる彼の、昏く青みがかった灰色の目には、トロール達を殺戮したときと同じような無機質で冷徹な輝きが灯っていた。


「……おぉ」


 アッシュの視線を受け止めるギギネリエスは、今までの惚けたような不真面目な表情を消していた。ヤツは一瞬だけ怪訝そうな表情を浮かべたあとで、何かに気付いたかのような驚きと、この場の偶然に喜びを滲ませた笑顔を浮かべて見せる。


「おいおい。久しぶりだねぇ」


 ギギネリエスの親しみの籠った声音を聞いたローザは、今までに感じたことがないような、途方もない不吉な予感と共に、足元が崩れ落ちるような不気味な納得感を覚えた。

 

 ヤツの言葉を、聞きたくないと思った。

 だが、無駄だ。ヤツは気楽に喋りつづける。

 

「お前のトコの“教団”支部は潰されたって聞いていたから、てっきりお前も処理されちまったモンだとばかり思っていたよ。でも、生きていたんだねぇ。神殿の養護院にでも入ってたのかい? しかも、今では冒険者までやってるのかい? そうやって人間のフリをしてるのかい? 涙ぐましいねぇ」


 薄笑いを浮かべるギギネリエスの馴れ馴れしい口調に、アッシュは警戒するように眉を顰めている。そうやってアッシュが不審がる様子を面白がるように、ギギネリエスは、いっそ嫌みったらしいほどに優しい笑顔を浮かべてみせた。


「俺はねぇ、お前のお父さんだよ?」


 その声音に籠められた柔らかさは、愛情のフリをした明確な悪意だった。アッシュが目を見開いている。ローザが初めて見る種類の、アッシュの表情だった。


「ある仕事で注文を受けてねぇ、俺がお前を造ったんだ。オーダーメイドって奴さ。無数の死体から優れた機能と思考と知識だけを吸い上げて、選りすぐって、お前を造りあげたんだよ。いや、造ったというよりも、産み出したんだよ。大事に大事に、愛情と、俺の魔力を注いでねぇ。だから、俺がお前を見間違えるもんかい。大きくなったじゃないか」


 カルビもネージュも、エミリアも、動きを止めている。当惑している気配がある。困惑に飲まれている。ローザも同じだ。ギギネリエスの語る言葉は、ローザ達を動揺の沼の中に沈めながら、この世界からアッシュを切り取ってしまうような暗い鋭さに満ちている。


 「覚えてないかい? せっかくの再会だってのに。この感動を味わえるのが俺だけだなんて。寂しいねぇ。でも、無理もない。あの時のお前は、感情も意識もなんにもない、空っぽの人形だったからねぇ」


 笑みを深めていくギギネリエスの声音には、次第に嘲笑うような響きが滲んで来た。


「俺の言ってることが分かるかい? 覚えてないかい? それとも、そんなことを考えたことも無かったかい? じゃあ、いい機会だ。お父さんが教えてやろう。お前はねぇ、無数の死体から再構築された生ける屍……。鼓動と思考を持つ、健康優良な死体人形ってワケだ」



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