第51話 冒険者として1



 ローザ達と対峙していた男がベラベラと喋るのを、アッシュは呼吸を忘れて聞いていた。

 

 死体人形。


 その言葉がアッシュの胸の中に、こびりつくような木霊を残している。

 

 「思い出したかい? ……いや、こうやって語って聞かせても、お前にはピンと来ないか。まぁ、それも仕方ないさ。お前と俺と顔を合わせたのは1回きりだし、その時間も短かったからねぇ」 


 あの男こそがギギネリエスなのだろうということは、見た瞬間にアッシュも分かっていた。赤黒い紋様が不吉に描かれた濃紺のローブも、人骨を複雑に編み上げたような大振りな髑髏の杖も、かなり特徴的だったからだ。


 だが、あの男が2億の賞金首ネクロマンサーであるという事実よりも、あの男の眼差しに籠められた親近感や、再会を懐かしむような口振りの不穏さの方が、遥かにアッシュの精神を揺さぶり、捉えている。


 「だが、元気そうで何よりだよ。ちゃんとご飯は食べてるかい?」

 

 愉快そうなギギネリエスは、悪意に満ちた優しい笑みを浮かべている。


「身体に良いモノを、好き嫌いせずに食べないとねぇ。お前は普通の人間と同じように成長しているし、その肉体機能だって人間と変わらないんだから。まぁ、そういうふうに俺が調整したんだが」


 陰気で嗜虐的なギギネリエスの声は、アッシュの内部に遠慮なく踏み入ってくる。それだけでなく、アッシュが辿ることができる記憶の範囲よりも、さらに過去へと届こうとしている。


 それはアッシュという存在の根源に関わる部分だった。


 ギギネリエスの語る言葉が、真実であるという保証はない。だが、アッシュを揺さぶるための卑劣な嘘だと決めつけて跳ねのけることも出来なかった。そして、言葉を失ったままのアッシュの沈黙は、ギギネリエスの言葉を半ば受け入れている証でもあった。


 ぐらついている自分の内部を必死に支え直すような思いで、アッシュは長刀を握り締めた。その冷たい感触を確かめる。意識的に呼吸をする。


 少し遠くでは、まだ戦闘が続いている。一か所じゃない。彼方此方だ。クラン『鋼血の戦乙女』のメンバー達が操る魔法が炸裂したのか。廃屋が崩れる音が響いてくる。遠くからゴブリンが吼える声もする。乾燥した風が、強く吹いてきた。


 今のダルムボーグは戦場そのものだ。

 そして、この戦場の主はギギネリエスに違いなかった。

 ローザ達もヤツとの距離を保ち、対峙している。


 アッシュのすぐ背後では、最高位の魔法薬であるエリクシルの回復魔法円が発生している。魔法円の内部に横たわるシャマニも、強力な回復と治癒効果を受けて、すぐに完治する筈だ。そう思っていたが、妙だった。


「ぐ、ぅ……はぁ、ッ……あぁ」


 霊薬の回復効果の中にあっても、シャマニが受けたダメージの回復、肉体の損傷の治癒、再生が遅い。彼女は魔法円の中でも苦しげに呻き、激痛に喘ぐような呼吸を洩らし続けている。何らかの理由があって、エリクシルの持つ桁違いの回復効果が阻害されている様子だった。


「……あぁ。シャマニちゃんを回復させるのは、ちょっと時間が掛かるかもしれないよ。加減を間違えて、ちょっと多めに魔力をブチ込んじまってねぇ」


 地面に倒れているシャマニを一瞥し、ギギネリエスはおどけるように肩を竦めた。


「俺の魔力が抜けるまでは、シャマニちゃんの内臓やら筋肉やらは、なかなか再生しないと思うよ? ……見た感じだと、その回復魔法円はエリクシルのものだし、一応は助かるだろうけど。死ねない分だけ、シャマニちゃんは苦しむ時間が長引きそうだねぇ。可哀そうに」


 ヤツは今のシャマニの状況を見て気の毒そうに言うだけで、シャマニの回復を阻止しようとする気配が無い。もはやシャマニを脅威としては認めていないからか、或いは、ギギネリエスの関心と興味が、今は完全にアッシュに向いているからかもしれない。


 ただ、シャマニの回復を助けるチャンスでもあった。アッシュは長刀を左手に握り変えて、アイテムボックスから右手に『リユニオン』を召び出す。そして、シャマニの身体に澱んでいるギギネリエスの魔力を払拭するため、解毒・浄化系統の治癒魔法を唱える。


 治癒魔法の効果を高める杖『リユニオン』はアッシュの詠唱に応じ、その右手から離れて宙に浮きあがって、シャマニを包み込むような魔法円を展開させていく。


 その様子をのんびりと眺めているギギネリエスは、やはり妨害してこない。ただ笑顔のままで顎に手を触れ、眩しそうに目を細めながら眉間に皺を寄せている。


 まるでこの場での戦闘の勝敗など、全く無意味だと言わんばかりの悠長さだ。もっと致命的な何かが起こるまでの時間を稼がれているような、そんな不気味な感覚がアッシュの背筋を掠めたときだった。


「……しかし正直なところ、この再会には俺も心が弾んでいるよ」


 不意に、ヤツの声に真実らしい響きが宿った。急に声が低くなり、軽薄さが消えた。


 だがそれも一瞬のことで、ギギネリエスはすぐに取り繕うような嘘くさい笑みを浮かべた。


 そして両腕を広げ、胸を広げるような仕種をした。“さぁ、お父さんの胸に飛び込んでおいで”といった仕種と風情で、ギギネリエスが口を開く。


「俺は基本的に、女神なんてものは信じちゃあいないんだがねぇ。ルミネーディアの慈悲に、今日だけは感謝してやってもいい気分だ。なぁ、お前はどうだい? どんな気分だい? 今日は天気も良いし、ゆっくりと話をしようじゃないか。お茶でも飲みながら、親子水入らずでねぇ」


 浄化系統の治癒魔法を詠唱しながらアッシュは、正体不明の眩暈を覚えていた。


 胸の中に澱んでくる感情が、怒りなのか憎しみなのか判然としない。


 ギギネリエスが語る言葉が、実感と理解が覚束ないままアッシュの記憶の中で乱反射する。手の中にある長刀の感触が遠のいていく。今までに感じたことのない種類の動揺が、戦意を蝕んでいく。


 アッシュは殆ど、ギギネリエスという男の存在に飲み込まれそうになっていた。


「ごちゃごちゃグダグダと、うるせぇぞテメェ。もう喋るんじゃねぇ」


 だが、完全に飲み込まれずに済んだ。


 ギギネリエスの言葉に打ちのめされそうになっていたアッシュの精神は、その艶のある攻撃的な声に支えられた。カルビだ。纏っている全身鎧を変形させた彼女は、大戦斧を担ぐようにして持って、のしのしとギギネリエスへと近づいていく。


「クッソ下らねぇネクロゴーレムなんざ用意しくさりやがって。気に入らねぇんだよ」


 カルビの苛立った口調は威圧感に溢れ、彼女の纏う全身鎧からも炎が噴き出している。彼女が歩くたびに、その足元の地面が、ズシン……! ズシン……!と陥没する。途轍もなく巨大な生き物が歩いているかのような迫力に満ちていた。


「おい、アッシュ」


 急に声を柔らかくしたカルビが、アッシュの方へと顔を向けた。魔導武具である鎧が変形し、その兜で顔が完全に覆われているため、今のカルビの表情は見えない。だがその声音には、普段のように気安く肩を組んでくるような響きがあった。


「こんなクソ野郎は、このカルビお姉ちゃんが速攻でぶっちめてやるからな。安心しろ。その間、シャマニのことは頼むぜ。回復しきるまでの間、守ってやってくれ」


 今のカルビは、ギギネリエスが語る言葉を否定せず、肯定もせず、その真偽も関係なく、あくまで仲間として、今のアッシュと連携を取ろうとしてくれている。


 シャマニを回復を助けるための治癒魔法を唱えながらアッシュは、胸を強く押されたような感覚だった。思わず声が詰まりそうになる。


「親子の感動の再会だってのに、無粋だねぇ」


 人情を理解しない人でなしを非難するような顔になったギギネリエスは、爆炎と怒気を盛大に纏っているカルビを見遣っても、特に恐れたり身構えるでもない。大袈裟に肩を竦めて見せただけだった。芝居がかっていて、相手を小馬鹿にするような、どこまでも不誠実な仕草だ。


「貴方のような人でなしの口から、アッシュ君の話は聞きたくなかったわね」


 そんなギギネリエスに対して、ネージュが刃物のような声音で言う。ネージュの纏う全身鎧も、彼女の頭部を全て覆うようにして変形している。カルビと同じく、その表情はアッシュからは見えない。だが、声には静かな怒気が籠められているのが分かった。


「……でも、“教団”について知っていることがあれば、全部吐いて貰うわ」


 すっと重心を落としたネージュは、手にした大槍に魔力と冷気の渦を巻きつけながら、すぐにでもギギネリエスへと踏み込める姿勢になる。“教団”という言葉を口にしたとき、ネージュは、今までにないほど明確に殺意を放ち始めていた。


「過去の話ばかりする殿方というのは、本当に見苦しくてかないませんわね」


 傲然と胸を張ったエミリアが、手にした大盾を地面にズゴォォン!! と突き立てるようにして支え、実に下らないと言わんばかりに盛大に鼻を鳴らした。


 「アッシュさんがどのように生まれてきたかよりも、どのように生きているのかの方が遥かに大事ですのよ! そこのところが分かっていなようですし、キッチリバッチリギッタギタに叩きのめして、“淑女”であるこぉぉぉの私がァァ! 懇切丁寧に説いて差し上げますわよォ!」

 

 エミリアは鼻息を荒くしつつも、その目つきは堂々としていて冷静だ。そんなエミリアの背後にいるローザは、ギギネリエスとカルビ、ネージュ、それからアッシュ達の距離を測るように視線を動かしながら、大型の魔導拳銃に弾薬を籠めている。


 黙り込んでいるローザの表情は険しい。感情を必死に押し殺しているようでもあるし、何らかの作戦を必死に考えているようでもある。


 そのとき、ローザがアッシュの方を見た。やはり落ち着いた眼差しだった。アッシュとシャマニを素早く見比べたローザは、片目を瞑ってみせる。そこに籠められたメッセージはやはり、シャマニを守って欲しいというものだろうと分かった。


『シャマニ、応答しろ』


 唐突だった。アッシュの背後で低い声がした。

 苛立ちと焦りが浮かんだ、女性の声音だった。


 アッシュは長刀を構えて詠唱を続けつつ、肩越しに視線だけを向ける。エリクシルの回復魔法円の中に倒れているシャマニの耳元だ。そこに小さな魔法円が展開されており、声はそこから聞こえている。通信用の魔導具が起動しているのだ。


『おい、聞こえないのか』という音声の後に舌打ちが聞こえ、次に、戦闘音らしい、重たくて鈍い金属音が響いてくる。シャマニの仲間、『鋼血の戦乙女』のメンバーからの通信だと分かった。


 アッシュは咄嗟に詠唱を一時中断し、回復中である今のシャマニの状態を伝えようとした。


 だが、『すぐにそちらに向かう』と、ぶっきらぼうな言い方が続いて、通信用の魔法円は消えてしまう。アッシュは、その薄れていく魔法円に追い縋るようにして振り返りかけたが、出来なかった。


「――そう言えばお前、今は“アッシュ”とか名乗ってるのかい?」


 ギギネリエスが酷薄そうに片方の眼を細めながら、アッシュを見詰めてきたからだ。


「それに、他の冒険者とパーティまで組んでるなんてねぇ」


 唇の端を吊り上げたギギネリエスは、ローザ達へと順に視線を流してから、またアッシュに向きなおった。


「人間のフリは楽しいかい? 即興で冒険者を演じていて、充実した時間を過ごせるかい?でも、気を付けないといけないよ。勘違いしちゃいけない。どれだけ人間らしく振舞っていても、お前は俺の製作物なんだからねぇ」


 幼い子供に言い聞かせるような、それでいて、アッシュの動揺を楽しむような優しい声音で言う。


「お前は屍骸から成る“人形”なんだ。誰かを愛したり、愛されたりする資格なんて、お前には無いよ。そんなことはお前が一番よく分かっているだろうけど、まぁ、確認しておかなきゃいけない。歯磨きと一緒で、忘れちゃいけない大事なことだからねぇ。親心ってヤツだよ」


 それらの言葉は透明な杭となって、アッシュの心に深々と突き刺さる。いや、心だけでなく、アッシュの持つ記憶の淵までを貫いていく。精神の内部を激しく揺さぶられ、治癒魔法を詠唱する声が揺れる。


 シャマニの回復を手助けしている今のアッシュは、何も言い返すことが出来ない。為されるがままだ。ギギネリエスの言葉に閉じ込められていく感覚があった。


 同時に、アッシュの脳裏に、あの悪夢の――。いや、自らの過去の記憶が、生々しく立ち上がってくる。


 暗く冷たい石室の空気と、幾重にも描かれた禁忌魔法の術陣の光。ローブの男の声。お前は無意味だという、男の声。アッシュの全てを否定して、踏み潰すかのようなあの声が、耳の中で木霊する。


 呼吸が千切れてくる。ギギネリエスを睨み据える視線が揺れる。そんな不安定な様子のアッシュを見て、ギギネリエスは満足そうに薄く息を吐き、「俺はお喋りが好きでねぇ」とローザ達を見回した。


「もう少し付き合ってくれよ。是非聴いて貰いたい話があるのさ。きっと気に入ってくれるよ。俺の自慢の息子の……、いや、“アッシュ”の話さ。まぁ、別に聴いてくれなくてもいいさ。俺が勝手に喋るから」


“アッシュ”の名を口にするときのギギネリエスの口調は、聞く者を震え上がせるほどに嗜虐的だった。ギギネリエスは薄気味悪いほど、優しい笑みを湛えている。


 この場でアッシュの過去を語ることで、アッシュの抱えてきた苦悩に土足で踏み込んで痛めつけるだけでなく、その上で、ローザ達とアッシュの関係を破壊してしまおうという魂胆が透けて見える笑みだった。


 アッシュは、自分の内部から誰にも明かすべきではないものを引き摺り出され、それを白日の下に、そしてローザ達に曝されることに、胸が苦しくなるような怯みを感じた。


 そして、それと同じぐらい、アッシュ自身すら知らない、もっと忌避すべき己の事実を、ギギネリエスの口から知ることになる予感に恐怖した。


 アッシュは今、ほとんど自分自身の存在を恐れていた。倒れているシャマニを庇うように立ち、ただ治癒魔法の詠唱の維持するのが精一杯になるほどに。


「じゃあ、問わず語りと行こうか」


 動揺から立ち直れないままのアッシュを横目に見たギギネリエスは、ゆっくりと首を傾けてから、唇の端をチロリと舐めた。紫色をした奴の舌は、やけに長かった。


「喋んなって言ったよな……!」


 即座に動いたのは、全身鎧から炎を吹き上げるカルビだった。地面を踏み砕きながらギギネリエスに迫るカルビは、その一歩ごとに纏った熱波を膨れあがらせ、手にした大戦斧にも炎の塊を轟々と巻き付けている。


「黙らせてやるわ」


 そのカルビの後に続く形で、全身鎧から冷気を放散しているネージュも、弾かれたように飛び出した。ネージュが駆けたあとの地面は凍結したように氷が残り、凍えた空気が白く霞んで渦を巻いている。


 強大な魔力を帯びたカルビとネージュが迫ってくる、というか、押し寄せてくるのを見ても、太々しいほどに悠然とした態度のギギネリエスは、ゆったりと肩を竦めた。


「そう焦っちゃ駄目だよ。お楽しみはこれからさ」


「黙れっつってんだよ……!」


 ギギネリエスが語り出すの阻むべく、大戦斧を振りかぶったカルビが肉薄する。


 爆炎そのものとなったカルビは身体を斜めに回転させて、戦斧を豪速で振り抜いてぶち込んだ。戦斧の延長線上にも炎が流れ、迸った。それは武器での一撃と言うよりも、爆発系統の魔法をそのまま叩き込むような攻撃だった。


 回避も防御も難しい筈だが、ギギネリエスは左手を翳して防御円を展開し、カルビの大戦斧と、濁流のように押し寄せる炎を受け止めきっている。


「クソが……ッ!!」


 吼えたカルビは戦斧を引き、即座に体勢を立て直してから、更にもう一撃をぶち込んだ。そのインパクトの瞬間。また密度の高い爆発が起きて、アッシュの方にも熱波が吹き付けてくる。


 詠唱を維持するアッシュは咄嗟に振り返りながら、エリクシルの魔法円の内部へと踏み込むと同時に、シャマニを横抱きに抱える。自分の身体を盾にして熱波を受け、砂混じりの熱風からシャマニを庇うためだ。


 今のアッシュの役割は、シャマニが回復しきるまで彼女を守ることだ。その役割こそが、ギリギリのところでアッシュの冷静さを保たせていた。


 アッシュの腕の中で、僅かに顔を歪めたシャマニが苦しげな呻き声をあげている。微かな声だったが、ほぼ瀕死であった彼女の肉体が順調に回復している証拠でもある。


 アッシュは右手の長刀の感触を確かめつつ、左腕でシャマニを抱いた姿勢でしゃがみ、詠唱を維持し続ける。――この場で自分にできることは、まだある。


 シャマニの体内に流し込まれたというギギネリエスの魔力を濾過し、回復を早めつつ、彼女の苦痛を取り除くことだ。まだ彼女の意識が戻る気配はない。彼女の纏っている鎧の、内側から破裂したような破損具合の深刻さも、ギギネリエスから受けた彼女のダメージの大きさを物語っていた。


 一方で、シャマニを死の淵に追いやった本人であるギギネリエスは、愉快そうな声で語り続けている。この場に居る全員に、アッシュの過去にまつわる話を聞かせるように。


「昔々、というほどでもないけどねぇ。20年以上も前だが、俺は“教団”の奴に声を掛けられてね。あぁ、そうそう。“教団”ってのはアレだよ、魔王復活を目的とする胡散くさい連中どものことさ。キミ達も知ってるとは思うけど、あの頃の“教団”は、その教義の解釈を巡って幾つかの派閥に分かれていてねぇ。よくある話さ。まぁ、派閥同士で対立してたんだよ」


 シャマニを横抱きにしたままのアッシュが、肩越しに視線を戻した。そのときにはもう、ギギネリエスは発生させていた防御魔法円を更に大きく展開し、荒れ狂う爆炎ごとカルビを大きく押し飛ばしていた。


「ぐっ……!!」


 体勢を崩しながら、ザザザザザァァーー!! と後方へと押されたカルビの脇を、蒼い冷気を纏ったネージュが駆け抜けていく。


 唇の端を吊り上げるギギネリエスは、ネージュの動きを目で追いながら喋り続ける。まるでネージュに応戦すること自体が、喋るついでのような風情だ。


「魔王復活を目的するにも、まぁ当然ながら、それなりに理由があった。当時いくつかあった“教団”の連中は、古代魔法を極めた魔王達の持つ、その知識や技術を手に入れることだったんだよ。その為には、かつての魔王達の魂を現代に呼び込む必要があったってワケさ。そうやって復元した魔王の力を使って何をしようとしてるのかは、訊いても教えてくれなかったよ。残念ながら。いや、言うほど残念でもないんだけどねぇ」


 大槍の穂先を下げたネージュは、喋り続けているギギネリエスへと、真っすぐに突っ込んで行く。そう見せかけてから横へとずれ、グンと加速した。ギギネリエスの斜め後ろあたりまで、一気に踏み込んだ。カルビを弾き飛ばした防御魔法円を、横から回り込んだ位置だ。


「凍りなさい……!」


 ネージュは身体を翻しながら、鋭く大槍を薙いだ。


 その攻撃の刹那に、分厚く容赦のない冷気へと変換されたネージュの魔力は、振るわれた大槍の穂先で凍てつき、巨大な氷の刃を象っていた。防御魔法円を回り込まれたギギネリエスは、カルビを弾き飛ばした姿勢のままで、完璧にネージュの間合いに捉えられていた筈だった。


 だが、ギギネリエスはネージュの大槍にも反応してみせた。


 防御魔法円を解いたギギネリエスは、特に焦ったり、力んだ様子は無かった。赤黒い魔力の光を灯した、髑髏の杖。片手で握っていたアレで、ネージュの大槍を受け止めるだけでなく、押し返すようにして弾いた。筋骨隆々といった感じではないギギネリエスだが、カルビにも劣らない怪力の持ち主なのか。


「くっ……!」


 大槍を弾かれたネージュの体が僅かに泳いでいた。それは一瞬だったが、間違いなく隙だった。ギギネリエスはその隙を見逃さず、即座にネージュとの距離を詰めた。とんでもなく鋭い踏み込みと共に身体をしならせたギギネリエスは、赤黒い魔力を纏った髑髏の杖を横向きに薙いだ。


 ネージュの防御は間に合わなかった。

 彼女の全身鎧の、脇腹のあたりだ。


「かはっ……!!」


 そこに、魔力の籠った杖での殴打を叩きこまれ、ネージュは大きく吹き飛ばされた。「ぶぉぁ!!?」その途中でグァッツーーーン!! とカルビにも激突し、2人は揃って廃墟に突っ込んで行った。


 ギギネリエスの殴打の威力は凄まじかったようで、カルビとネージュの2人は、そのまま5、6件の廃墟をドガン! ズガン! ドゴォォン! と派手に貫通していって、次々と崩落させた。瓦礫がぶつかり合いながら地面に落ち、土煙が濛々と膨らんで、青空を汚すように立ち昇っていく。


 あれは、流石の2人でも死んだのではないか。


「ッ……! カルビさんっ! ネージュさんっ!」


 詠唱の途中で呆然としてしまったアッシュは、思わず2人の名前を叫んでしまった。


 だが、彼女達からの反応は無い。齎された破壊の余韻の中で、カルビとネージュを飲み込んだ瓦礫の上に、パラパラと細かい石の屑が転がり落ちるだけだった。アッシュは唾を飲み込み、唇を噛んだ。頭の奥が痺れる。エリクシルの魔法円の中で、シャマニを抱えた腕に力だけが籠もる。


 詠唱を。詠唱を再開しないと――。

 冷静であるために、アッシュは自分に言い聞かせる。


「アッシュ君!」


「アッシュさん!」


 声がした。今更になって気付く。ローザ。エミリアも。彼女達はカルビとネージュが埋まってしまった瓦礫の山を心配そうに見ながらも、こっちに駆けてくる。


 アッシュのすぐ傍まで駆け寄ってきた2人は、アッシュの腕の中にいるシャマニの顔色や、その体の傷がゆっくりとではあるが、再生していること手早く確認した。


 そしてまずローザが、苦笑と言うには力強い笑みを浮かべ、頷いてみせた。


「流石に今回は、私じゃカルビとネージュに混ざれないどころか、邪魔になっちゃうからね。今から私も、シャマニが回復しきるまでの壁役ってことで」


「カルビさんとネージュさんなら、大丈夫ですわ!」唇を舐めて湿らせたエミリアが、2人が吹き飛ばされた方を見ずに、自分に言い聞かせるように言う。


「あれぐらいじゃ、あの2人はビクともしませんもの……!」


「だね。……すぐに戦線復帰してくるから、私たちは後衛として頑張らないと」


 エミリアに続いたローザが、シャマニを横抱きに抱えているアッシュの肩を軽く叩いてくれた。


「私達だけじゃ、シャマニを助けられなかったよ。……ありがとう」


 ローザは真っ直ぐにアッシュを見つめ、芯の通った声で言ってくれた。揺れの無い声音だった。ただ、今のアッシュは、その曇りの無いローザの視線を受け止めることが出来なかった。


「いえ、僕は……、ただ」


 余りにも真っ直ぐなローザの視線から逃れるように目を逸らすと、アッシュの声は縺れるようにして震えた。言葉が続かない。その動揺を誤魔化すように、アッシュは中断していた詠唱を再開した。シャマニの苦痛の和らげ、回復を助ける。その自分の役割に縋るような様子のアッシュの姿が、嗜虐芯を擽ったのか。


 悠然と立つギギネリエスが、やけに楽しそうに笑いながら此方を眺めていることに気付く。


 前衛として交戦していたカルビとネージュを吹き飛ばしたヤツは、だが、ローザやエミリア、それにシャマニに対しても、積極的に攻撃してくる気配はない。


「あぁ。安心しなよ。実は俺、攻撃魔法の類が苦手でね。御蔭で冒険者をやってたときも、『4等級』止まりの低級だったんだよねぇ」


 ヘラヘラと笑うギギネリエスは、過去の自分の不甲斐の無さを、冗談めかして明かすような口振りだった。それでいて、何からかの時間を稼いでいるような、余った時間を楽しく潰そうとしているような気配がある。


 彼方此方から戦闘音が聞こえているダルムボーグの中で、ヤツだけが不真面目で遊び半分だ。えへらえへらしながら、またアッシュの過去を掘り起こし始める。


「“教団”の奴らが何をしようが俺には関係なかったけどねぇ。魔王の復活なんてクソ面倒なことをマジで成し遂げた暁には、この世界に何が起こるのか……。それを考えると、なかなか面白そうだと思ってねぇ。いっちょ俺も手伝ってやろうと思ったワケさ。復活した魔王が本物なら面白いし、その魔王が魂だけじゃなくて肉体まで持つようになったら、ぶっ殺して、死体を頂いちまおうなんて思ってたのは、今だから言えるヒミツだよ」


 自分でも下らないと分かっている冗談を話すような、お道化た口調になったギギネリエスは、濁った黄土色の瞳を妖しく光らせた。


「……それでねぇ。奴らが俺に頼んだのは、“器”を用意して欲しいって話さ。復活した魔王の魂を定着させるための、肉の“人形”が欲しかったんだよ」


 ギギネリエスが、シャマニを抱えるアッシュに体ごと向き直った。


「“教団”から声を掛けられたネクロマンサーは、実を言うとねぇ、俺だけじゃなかった。少なくとも、俺の他に2人はいたよ。……んん~、この話を続けると脱線しそうだから、また次の機会にしよう。さぁて、大事なのはここからさ」


 今まで経験したことがないほど、アッシュは自分の身体が強張るのを感じた。頭上の青空が、ひどく暗い。遠くで、『ゴブリンナイツ』や『鋼血の戦乙女』のメンバー達が戦っている。戦闘の音は、絶えず聞こえている。その筈なのに、やけに静かに感じた。


 そこで気付いた。無防備なほどに饒舌なギギネリエスだが、ヤツの持つ髑髏の杖には赤黒い光が不気味に灯り続け、脈動するように明滅している。何らかの大きな魔法を発動させるべく、その準備を進めているのか。ただ、ギギネリエスが何を目論んでいても、それを阻むのは容易ではない。


 アッシュはシャマニを庇っているし、ローザが構えた魔導ショットガンも、弾数が無限にあるわけではない。そして、ローザ、シャマニ、アッシュの3人の盾役として立つエミリアも、前には出られない。

 

 今のアッシュ達は、圧倒的に不利だ。だが、ギギネリエスは攻めてこない。この膠着状態を維持している。その間にギギネリエスは思う存分、アッシュを甚振るための昔話を披露したかったのだ。


「教団の奴らが言うには、“器”を用意する方法は2通りあるらしくてねぇ。1つは、生きている人間の――、とくに、穢れの無い子供の精神内部をぶっ壊すことで、中身を空にして“器”にする方法。もう1つは、すでに死んじまってる人間を“器”にする方法さ。復活させた魔王の魂に、余計なものを付着させないことが大事なんだそうだよ」


 ギギネリエスの口振りは気が滅入るほどに牧歌的で、話の内容のおぞましさを増大させていく。その不気味さは圧力となって、今のアッシュ達を押さえつけている。言葉を奪ってくる。ローザとエミリアが唾を飲み込む音が聞こえた。


「そこでだ。俺が丹精こめて造り出した“器”が、お前ってワケだよ。“アッシュ”」


 ヤツの語る言葉と声は、ぐらぐらと揺れていたままのアッシュの内部を突き崩してくる。その衝撃に必死に抵抗すべく、腕の中に居るシャマニに施す治癒魔法を、アッシュは懸命に維持した。


 沈痛と鎮静、それに、ギギネリエスの魔力汚染を除去・洗浄を司る治癒魔法は、少なくとも、エリクシルの回復効果を助けている。その事実が、アッシュの精神を支えていた。対するギギネリエスは、遠慮なく舌を滑らかに動かしている。


「死体ってのは魂の抜け殻だが、その肉体そのものに戦闘の技術や記憶が残ってるものなんだよ。それを屍肉からじっくりと抽出して、イイ感じに統合させるのには、流石の俺でも苦労したんだ」


“お前は人形だ”


 悪夢の中で繰り返し聞いた男の声が、アッシュの内部で再生される。あの男の声が、頭の後ろの方で聞こえてくる。幻聴だ。分かっている。だが、それを止める術はない。鳴り止まない。そのまやかしの声に、ギギネリエスの声が混ざる。


「“教団”の連中が最終的に、お前にどんな精神改造を施したのか、お前の身体にどんな調整を加えたのか、そこまでは俺も把握していないよ。まぁ、お前が治癒系統の魔法しか碌に使えなくなっちまったのも、その辺の影響が下手に出たんだろうがねぇ」


 ゆっくりを首を振ったギギネリエスは、緩やかで優しげな声を出した。


「俺が造り上げた魔人シリーズの、最初期のプロトタイプ……。そのお前は、最初は黒髪だった筈だよ。だが、禁忌魔法での肉体強化処置を受け過ぎて、その髪も灰色になっちまったんだろう?」


 ヤツの愉しそうな声が、耳に障る。


「懐かしい話だけど、お前だって覚えている筈だよ。忘れられないだろう。思い出せよ。あの地下の石室で、お前が禁忌魔法の処置を受けているときのことさ。実は俺もね、あの石室の、魔法合金の扉の外にねぇ、居たんだよ。あそこで、あのゴミ屑野郎が偉そうに語るのを聞いてたんだ」


“お前は失敗作だ”


 耳の奥で、あの男の声が響く。脳裏には、あの悪夢の光景が繰り返し明滅している。冷えた石室、その床に蹲る自分の姿が見える。


 ――“お前は無価値だ”

 ――“お前は無意味だ”

 ――“お前は人形だ”


 アッシュは耳を塞ぎたかった。だが、無理だ。アッシュは右手に長刀を持ち、左手でシャマニを抱えている。自分の身体が硬くなり、震えているのが分かった。


 そんなアッシュの様子を傍で見ていたエミリアが、何かを堪えるように奥歯を噛み締め、威圧的な細い息を吐き出していた。同時だった。ギギネリエスを黙らせようとしたのかもしれない。


 険しい表情のローザが、魔導ショットガンを構えてぶっ放した。立て続けに3発。


 ローザの魔導ショットガンから撃ち出された魔法弾はザザザァァーーっと解けていって、ギギネリエスに向けて無数の魔法円を展開する。賞金首を捕獲するための石化弾だろう。黒っぽい、褐色の光を放つ魔法円の群れだった。凄い密度だ。あれは回避できない。


 だが、無数の魔法円を前にしたギギネリエスは、落ち着き払って様子で防御円を展開した。カルビの爆炎攻撃を防いだのと同じ、禍々しく澱んだような、あの赤黒い防御円だ。ローザが撃ち出した石化魔法弾の全てを、その防御円で弾き、防ぎながら、ギギネリエスは再び喋り続ける。


「あのゴミ屑は、“我々の施術を受け容れろ”だなんて、恩着せがましくお前に言っていたがねぇ。アイツがやったのは結局のところ、余計な真似ってヤツだよ。お前の身体を弄り過ぎたのさ。その結果、お前っていう“器”に感情や意思なんてものを発生させちまった挙句に、“無意味で無価値な失敗作”だと言いやがった。ムカつく野郎だよ。あの場で殺してやろうかとも思ったが、まぁー、それも面倒くさくてねぇ。結局、俺は“教団”から離れたんだよ」


 ギギネリエスの微笑めいた表情の動きは、どこまでも嗜虐的で、残酷な色が浮かんでいた。これから語る言葉によってアッシュの精神と記憶の内部に侵入し、その心の根幹をなす部分に、無遠慮な傷を与えようとする意図が浮かんでいる。


「さぁて……、ここからはサービスだ。いいことを教えてやろう。“アッシュ”。お前が“教団”に居た頃、何度も何度も殺し合いをさせられただろう? “器”としての調整だのと言って、お前と同じような、灰色の髪をした奴らとか、もう人間らしい形をしていないような奴らとか。……実はねぇ、アイツらも俺が造ったんだよ。まぁ、お前の後期バージョンだ」


 ギギネリエスの楽しそうな声は、アッシュの身体から皮膚や骨、腱や筋肉、内臓などの全てを丹念に分解し、アッシュが目を背けたい過去の記憶を暴き、それをこの場にぶちまけるかのようだった。


「これも、今だからこそ言えるヒミツなんだが……。俺は結局、お前を越えるような“器”を造れなかったのさ。それでまぁ、つまりだよ? あの頃のお前は、弟とも妹とも言えない奴らを殺しまくってたんだよ。……いや、ちょっと違うな。アイツらも死体の人形だったから、そもそも人間じゃないし……、まぁ、殺したっていうより、壊したって言った方が正しいんだろうけどねぇ」


 暢気な口振りのヤツは、アッシュが誰にも知られたくない部分を丁寧に掻きだし、無遠慮に曝していく。アッシュの脳裏には、いつかのカルビの声が響いていた。

 

 “美味いメシでも食ってるときに、実は昔よー、てなぐらいのノリが一番いい”


 アッシュの過去を明かすときには、そういう雰囲気であってほしいと、カルビが言ってくれたのだ。ローザもネージュも、エミリアも、その優しい願いを理解してくれていた。


 だが今は、そんな彼女達の温かさも、ギギネリエスに踏み躙られてしまった。アッシュがひた隠しにしていたものは無残にも、目の前でただ乱暴にぶちまけられただけだった。


「うるさい、うるさい……!」


 そのことに対する怒りからだろうか。唇を噛んだローザが更に魔導ショットガンを撃つ。撃つ。撃つ。ギギネリエスの悪意によって、無防備に痛めつけられるアッシュを、守ろうとするかのように。


「うるさいッ……! うるさい、うるさい……ッ!!」


 ギギネリエスをねめつけるローザが、魔導ショットガンだけでなく、拳銃も取り出して撃ち出す。魔導銃を瞬間的に連発することで、自身の魔力を大量に消費しているせいか。目を怒らせたローザは息を弾ませていて、その白い頬には汗が幾筋も伝っていた。


「ロ、ローザさんッ!?」


 焦って驚くようにエミリアも振り返っている。


 自分の命を削る勢いでローザは魔法弾を撃ち出し続けるが、そのどれもがギギネリエスに届かない。ヤツが展開した防御魔法円が、ローザの攻撃を嘲笑うように遮断する。


 ローザとギギネリエスの魔力のぶつかり合いは、派手に弾け散る光の量に対して、異様なほどに静かだ。その不気味な静けさの中、シャマニを抱えたアッシュは詠唱を続け、エリクシルの治癒補助を維持しながら、必死なローザの横顔を見ていた。


「あ、なた……、は……」


 アッシュの腕の中から、掠れきった声が聞こえたのはその時だった。


 エリクシルの強力な回復効果、それにアッシュの治癒魔法が功を奏したようだ。ギギネリエスの魔力で汚染され、肉体の再生が遅れていたシャマニだったが、ようやく意識を取り戻した。彼女は薄目を開いて、アッシュを見上げていた。


 弱々しく呼吸をするシャマニと目が合ったアッシュは。詠唱を続けたままで頷き、すぐに目を逸らした。ギギネリエスの言葉が、まだアッシュの内部で木霊し続けている。その動揺から回復しきっていないアッシュだったが、自分の役割は明確だった。


 とにかく、シャマニの肉体が癒えきるまで、彼女を守ることに集中するしかない。ギギネリエスが本格的にアッシュ達に襲い掛かってくるような状況になれば、シャマニを抱えてこの場を離れる必要もある。


 だが、もしもそうなったときは、ローザとエミリアを置いていくことになるのか。そういう残酷な選択を、ギギネリエスが面白がって迫ってくる予感を持っていたのは、アッシュだけではなかったようだ。

 

 「……状況によっては、シャマニさんを連れて、この場を離脱してくださいまし」

 

 誰よりも凛然とした声で言いながら、肩越しに振り返って来たエミリアが笑みを見せてくれる。アッシュは息を縺れさせたまま、頷くことも首を振ることもできなかった。だが、エミリアが抱いている覚悟の強度だけは、間違いなく感じた。

 

 一方で、馴れ馴れしい笑みを浮かべたままで、ローザの撃ち出す魔法弾を全て防いでいるギギネリエスは、だが、さっきとは少し雰囲気が違っていた。妙だと思った。


「……お前を“教団”に残していくことに、あの頃は特に何も思わなかった筈なんだがねぇ……。不思議なモンだ。今の俺はこの再会に、何か運命的なものを感じているよ」


 アッシュ達を観察するような、それでいて、ギギネリエス自身の内部を見詰め直すような、落ち着いた目をしているのだ。


「今この場で、改めてお前を評価するなら……。お前は俺の最高傑作だよ。無意味でも、無価値でもないよ。お前は特別だ。なんてスペシャルなんだい。屍骸のクセに、自我と意識まで育んで、冒険者にまでなってやがるんだからねぇ」


 そこまで喋ったギギネリエスが、不意に表情を消した。

 無表情になって、静かな眼差しになった。


「どうだい、“アッシュ”……。俺と一緒に来ないか?」


 今までのギギネリエスの声とは違う、それが本気だと分かる声だった。アッシュの名を口にする声音からも、揶揄するような嫌らしい響きが抜けていた。


 呆気に取られたような顔になったローザが、汗だくのまま息を切らし、思わずと言った様子で銃撃の手を止めた。戦闘が唐突に途切れる。エミリアも言葉を失い、立ち尽くしかけている。ただ表情を消したギギネリエスの黄土色の瞳が、じっとアッシュを見つめていた。


 その暗い眼光に射すくめられたわけではないが、思わずアッシュは詠唱を止めてしまう。


「冒険者の真似事をして、どうにか人間社会に潜んできたようだがねぇ。やめておいた方がいい。お前の居場所なんて、どこにも無いよ。だって、お前は屍骸なんだから。人間じゃない。不純物でしかない。化け物だ。お前は、そこに居るべきじゃない。相応しくないよ」


 曇った鏡を覗き込むような目つきになったギギネリエスは、淡々とした声で言う。今までのふざけた話し方とは、様子が全く違った。


「その『5等級』の認識プレートを首から下げることで、お前は、“最低等級の冒険者”っていう、1つの役割を得ようとしているんだろう? それが重要なことだってのは理解できるよ」


 俺も一緒だったからねぇ。そう含みのある言い方をしたギギネリエスは一瞬、自分の記憶に振り返るような、少し遠い目つきになった。だが、すぐに酷薄そうに唇の端を歪めて、首を傾けた。


「身元もクソもない冒険者業界になら、紛れ込むことも容易だよ。でも、お前は怪物さ。お前の居場所はそこじゃないよ。お前がそこに居ることこそが、無意味で、無価値なんだよ」


「そんなことっ……!」


 魔導ショットガンを構えなおしたローザは、ギギネリエスの言葉を否定するかのように、再び発砲しようとしていた。だが、その手が止まる。


「あぁ、そうだ。冒険者業界には、同行依頼ってのがあるだろう?」


胸を広げたギギネリエスが、皮肉っぽく笑ってみせたからだ。


「あれだと思ってくれていいよ。俺の手伝いをしてくれればいい。アッシュ。お前と俺は似ているよ。だから俺なら、お前に存在意義を与えてやれそうだよ。お前の行動と思考と存在に、意味を持たせてやれるよ。自分は何者なのかって、今までさんざん、悩んで来たんじゃないか? でもねぇ、そんな下らない自問は、もう要らないよ」


「な、なにを……っ」


アッシュとギギネリエスを見比べ、狼狽しつつあるエミリアが声を揺らした。


それに対し、ギギネリエスがアッシュに向けて来る眼差しには、密かな熱が籠り始めている。その言葉を端々からは、情熱らしさのようなものさえ感じた。


「なぁ、“アッシュ”。お前は人生を選び直せるんだ。本当のお前は、お前の人生は、お前自身が全体として生きる時間は、今日、ここから始まるのさ。さぁ、俺と一緒に、法を越えた世界に来い。俺を手伝えよ。そうすりゃ報酬代わりに、普通の奴らが絶対に味わえない悦びを教えてやるよ。俺は、お前を愛してやる。お前が、お前自身を愛せるようにもしてやろう。人生は楽しんだ者が勝ちさ」


 アッシュには、ギギネリエスの目的がわからなかった。見当がつかない。こんな状況で同行依頼なんて、理解できない。ローザやエミリアのことも愚弄しているのか。許せない。許せないと思うが、そこに怒りという感情が、明確に伴わなかった。


 怒りという感情の輪郭がぼやけ、やけに遠い。その代わり、“本当のお前”というギギネリエスの言葉が、胸の内側に突き刺さるのを感じた。


「ぼく、は……」


 今のギギネリエスに返す言葉は、悪夢と過去の狭間で、意識を立ち往生させたままのアッシュの中には、存在していなかった。


 腕の中にいるシャマニの実在的な重さが、アッシュの精神を危ういところで現実に繋ぎとめている。震える唇を噛む。シャマニの視線には気付いていたが、無視し続けた。


「僕は……」


 アッシュが進めかけた言葉は、何度も喉に閊えて前に出ない。力が抜ける。右手から長刀が零れ落ちた。だが――。未だエリクシルの回復効果の最中にある、傷ついたシャマニの身体だけは、放してはならないと思った。


「……あなたが聴いてほしい話って、それだけ?」


 アッシュの代わりに、息を切らして大量の汗を掻いたローザが、ギギネリエスを睨み据えて低い声をだした。きっぱりとした拒絶と嫌悪を露わにした、ローザのこんな声を聞いたのは初めてだった。




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