第48話 無名の奇跡 <リーナ視点>
オリビアの身体を抱き上げたリーナは、絶望の中で今にも座り込みそうになっていた。呼吸が震える。晴れた空の青さが、やけに暗い。腕の中のオリビアの身体が、少しずつ重くなっていく。
身体を穴だらけにされたオリビアの出血量は夥しく、彼女を抱えたリーナの腕や手まで血塗れにして、足元にも血溜まりを作っている。その大出血と共に、オリビアの身体から、オリビアが生きていくために大事な何かが、リーナの掌をすり抜けて零れ落ちていこうとしていた。
何とか平静さを維持しようとするリーナの耳には、重たい足音も聞こえている。
地面の石畳を踏み砕く音だ。重たい足音。リーナ達を取り込むつもりなのだろう。6体のネクロゴーレム達は、死体で構築された体を不気味に揺すりながら、此方に近づいてくる。
そんなネクロゴーレム達から、リーナとオリビアを守るように立ち、肩越しに振り返ってきたロイドとレオンは、何も言わない。言葉が出ないのかもしれない。彼らの目には、僅かな狼狽と後悔が浮かんでいた。
ただ、恐怖と諦めに支配されている訳では無さそうだった。まだ力が残った眼差しをしている。
表情を引き締めたロイドが、バスターソードを両手で握りなおした。眉間に皺を寄せながらも真面目な顔をしたレオンが、杖で地面を軽く叩いてから、眼鏡を指で押し上げる。
2人は視線を交し合い、それから、悲愴な決意を籠めた眼差しで、オリビアを抱えたリーナに何かを言おうとした。多分2人は、リーナに「逃げろ」と、言ってくれようとしているのだろうと思った。
その時だった。リーナは見た。
ハッとして息を飲んだ。
レオンとロイドの向こうには、ネクロゴーレムが並んだ広場が見える。そこに、誰かが風のように駆け込んでくるのを見つけたからだ。野暮ったい灰色のローブに、さらさらとした灰色の髪をしている。小柄な少年――。
それがアッシュだと、リーナはすぐに分からなかった。
普段のアッシュは、少し変わった感じの杖を手にしていたはずだ。だが、広場に現れた彼は、白と黒の短剣を手にしていたからだ。
アイツ、剣なんて使えるの……。一瞬だけ、そう思った。そしてすぐに、「雑魚のクセに何やってるのよ。早くに逃げなさいよ」と言いかけた。
ただ、半ば呆然としていたリーナが、何らかの声を発する暇はなかった。
そんな必要もなかった。
両手に短剣を握っているアッシュが、もう既に手近なネクロゴーレムに襲い掛かっていたからだ。
あの瞬間移動じみた踏み込みも、縦横無尽に両手の短剣を振るうのも、とにかく疾かった。透き通るような殺意が仄めいているだけで、それらの動作の全てには、躊躇も、容赦も、怯みも、そういった澱みの一切が無かった。
身体を沈めたアッシュはネクロゴーレムの足元から背中、肩にかけて駆け上がりつつ、あの巨体を斬り裂き、断ち割り、切り分け、肉を剥がし、削ぎ落し、刺し貫き、深く抉り、傷を押し広げ、徹底的に破壊した。
それら一つ一つの攻撃は鮮烈で鋭く、それでいて凄まじい密度で、絶え間なかった。ネクロゴーレムが無数の肉片へと解体されるまでは、あっという間だった。
微塵に身体を刻まれているネクロゴーレムは、抵抗らしい抵抗を見せなかった。アッシュの繰り出す斬撃が速過ぎて、自分が何をされているのか気付いていなかったのかもしれない。
呆気ない程に1体目のネクロゴーレムを処理し終えたアッシュは、また別のネクロゴーレムへと音もなく飛び移り、また無慈悲な解体へと即座に取りかかろうとしていた。そして次の瞬間には、ネクロゴーレムの巨体が無残に解体され、地面に撒かれ始めていく。
リーナは我が目を疑いながら、その光景を見ているしかなかった。いや、目を逸らせなかった。目を逸らすことが怖かった。実際、アッシュの方を振り返ったロイドとレオンも、身体を硬直させていた。無理もないと思った。
2人が広場へと顔を向けた時には、もうアッシュは2体目のネクロゴーレムを解体し終えていた。アッシュが短剣を振るったあとには、地面には赤とも紫とも言えない濁った粘液が拡がり、その中にネクロゴーレムの残骸が撒き散らされているような状況だ。
「あ、アイツ……、何でここに……」
立ち尽くしたままで溢したロイドの声に、応じる者は誰も居なかった。
嫌味のように晴れた青空の下。砂埃が舞うだけだった荒れた広場に、死体と血と肉片の海が出来上がっている。その凄惨な光景の中で静かに佇むアッシュは、別人としか思えない存在感を放っている。
周囲の者を威圧的に怯えさせるのではなく、ただそこに居るだけで相手を圧倒し、竦ませ、抵抗の意思も思考も飲み込んでいく。そういう種類の存在感だった。
そのアッシュが、両手の短剣の切っ先を下げたまま、広場に視線を巡らせた。そして、リーナ達の方を見た。アッシュの灰色の目は、鳥肌が立つ程に凪いでいて、無機質で、無感動だった。殺意も敵意も、そして害意も含んでいない筈のその眼差しが、単純に恐ろしかった。
リーナは冒険者を続け、図体のデカい魔物や不気味な姿をした魔物とは何度も戦って来たし、実際に狩ってきた。肝は据わっている方だと思うし、多少怯むことはあっても、実際に戦闘に入ってしまえば、ビビることも殆どなくなった。
冒険者として成長してきた筈だった。だが今は、完全にアッシュの眼差しに飲まれ、情けないことに、歯の根が微かに鳴った。
息を詰まらせたロイドも、盛大に唾を飲み込んで背筋を伸び上がらせている。後ずさるように体を仰け反らせたレオンの喉が、悲鳴を漏らし損ねたかのように、ひゅるるっと鳴るのも聞こえた。
今なら、リーナも理解できる。
昔、養護院でアッシュに噛みついたあの痩せた狼も、あの灰色の瞳に見詰められて悟ったのだろう。逃げることも出来ない。だからせめて、楽に殺してくれと懇願する思いで地面に伏せたのだ。
ただ、恐怖というものを感じることが無いだろう残りのネクロゴーレム達は、怯む姿を見せない。アッシュを次の標的に定めたようだ。
「宇宇、ゥ、UOOOOOOォォォォ……」
「U、愚、愚愚uuu、UUUUUゥゥゥゥ……」
不気味な唸り声を上げながら、その巨体をぐにゅんぐにゅん、ぶりゅんぶりゅんと不気味に震わせて、アッシュへと身体を向き直らせている。神官であるオリビアを狙ったように、治癒術士としての力をアッシュから感じたのかもしれない。
ネクロゴーレムは、残り4体。このうち3体は、レオンの風魔法が斬り裂いたネクロゴーレムの破片というか死体を取り込み、その巨体をより膨れ上がらせていた。
このネクロゴーレム達は、人型を保ちながらも6本腕に変わっていて、見るからにパワーアップしている。単純に体積が増した分だけ、頑丈だし攻撃力も上がっているはずだった。
5等級の治癒術士でしかない小柄なアッシュなど、あのネクロゴーレム達の巨体に捻り潰されてしまって終わりだ。今までのリーナなら、何の疑いも無くそう思った筈だ。雑魚アッシュになんて、何もできない。殺されちゃう。逃げて。そう叫んでいたかもしれない。
だが、今のアッシュは普通じゃない。
猛然と躍りかかってくるネクロゴーレムを相手に、一切の怯みも躊躇も見せない。クランを組んでいた他のメンバー達が、恐れをなして早々に逃げ散ってしまうほどの怪物を相手に、アッシュは平然と前に出る。
その刹那に、アッシュはもう一度だけリーナ達を視線だけで見た。
いや、正確には、傷ついたオリビアの姿を確認したのだろう。そのアッシュの視線に気付いて、リーナはハッとした。冷静になれた。そうだ。ぼぅっとしていてはいけない。アッシュが戦ってくれている間に、少しでもオリビアに応急治療をしないと。
我に返ったリーナは、目の前にいるロイドやレオンに声を掛けるよりも先に、装備していた指輪型のアイテムボックスから魔法薬を取り出した。出血するオリビアへの止血と、回復用に2本だ。
魔法薬の使用により、リーナを中心とした地面に回復用の魔法円が浮かび上がる。魔法薬は効果も保証されているし、使用者の魔力も使わない。治癒魔法のように、術者と被術者の生命を削ることも無い。しかしその分、即効性が薄い。回復効果が出るには時間がかかるのだ。
足元に浮かび上がった魔法円の光に気付き、ロイドとレオンが、ようやくリーナに振り返った。
「お、俺の魔法薬も使ってくれ!」
「魔法薬なら、俺もいくつかあるはずだ……!」
幾分か冷静さを取り戻した様子の2人は、すぐに自分達のアイテムボックスから魔法薬を取り出そうとしてくれたが、リーナは深呼吸をしてから首を振った。
「ありがとう」自分でも参るぐらい、硬い声が出た。「……でも、魔法薬は重ねて使っても効果は上がらないから……。今のうちに、レオンも魔法薬を使って右腕を治しといて。その怪我、結構ヤバそうだよ」
「あ、あぁ」
思い出したようにレオンが頷き、小さく唇を噛みながら、オリビアを心配そうに見詰めた。
魔法薬は便利だが、即効性にかけるだけでなく、その効果にも限界がある。1回の使用で全回復とはいかない。
だからこそ、即効性もあって回復効果も大きい治癒魔法を扱える神官、或いは治癒術士といった回復役は、パーティに必須と言われるのだ。
「今のオリビアを動かすのは無理だと思う……。オリビアが回復するまでは、私はこの魔法円から出ないつもりよ」
リーナは自分を落ち着かせるように言いながら、ロイドとレオンを交互に見た。彼らは目を強張らせつつ顔を見合わせ、リーナに頷いてくれた。
「俺達も残るぞ」
「……流石に、お前らを置いて逃げるってのもな」
2人の声は少し震えていたが、その分、彼らの決意が伝わって来た。とはいえ、戦闘はアッシュに任せきりだ。リーナ達はオリビアを守るような陣形を取りつつ、アッシュが戦う姿を見守る。いや、見ているしかなかった。
「つーか、アイツ……。あんなに強かったのかよ……」
レオンが掠れた声を漏らすのが聞こえた。
「あぁ。……何も理解していなかったのは、俺達の方だったな……」
恥じ入るような重苦しい声でロイドが続き、リーナも無言のまま、胸中で頷いた。
ネクロゴーレムは、もう残り3体になっている。
リーナがオリビアに魔法薬を使っている間に、アッシュが更に1体を処理したのだ。今のリーナ達に、アッシュの助けに入るという選択肢は無い。
多分、いや、間違いなく、リーナ達が余計に動けば、アッシュの足手纏いになるだろうからだ。
アッシュと対峙している3体のネクロゴーレムは、巨大化してパワーアップした奴らだ。奴らはデカくなっただけではなく、その動作も洗練されていた。ノロくはない。力強くて俊敏だった。まるで格闘士のような素早い動きで、アッシュに襲い掛かる。
対するアッシュは、手にした短剣の切っ先を下ろしながら、ゆっくりと重心を落とす。そこまではリーナも見ていた。だが、そこからは目で追いきれなかった。アッシュの姿がブレて、消えたと思ったら、一番遠い位置に居た筈のネクロゴーレムの、その真横に出現した。
無表情のアッシュは、戦いながら気合の声を発したりしない。異様に静かだ。何の感情も窺わせない。黙ったまま、瞬間移動のようにネクロゴーレムの至近距離まで詰め寄り、白と黒の短剣を振るう。その腕の動きが見えない。
懐に入りこまれたネクロゴーレムは、瞬く間に斬り潰されて形を失う。奴らが連携する暇さえない。
神速で動き回るアッシュは、そのまま順にネクロゴーレムに接近し、解体しにかかった。残酷でありながらも優雅ささえ感じさせるその殺戮作業は、リーナ達が見ている前で、ただ静かに繰り返される。
だが、ネクロゴーレム達は、いわば死体を集合させた怪物だ。アッシュに容易く解体されたネクロゴーレム達の残骸の中には、ゾンビともスケルトンとも言えない姿で起き上がり、再び動き出そうとしているものもある。
その一部はリーナ達に近づいて来ようとしているが、やはりネクロゴーレムから分解された状態の奴らは、明らかに脆弱そうだった。動きも鈍い。
「……コイツ等ぐらいなら、俺たちでも十分だな」
魔法薬の治癒魔法円の中から、開き直ったように言うレオンが短く呪文を唱える。
もう風魔法は使う余裕は無さそうなレオンだが、その代わり、地面の石畳と土くれで、再び3体のゴーレムを作り出して応戦した。
やはり、ただのゾンビとスケルトンになった奴らは大した戦力を持っておらず、レオンが土と石で編み出したゴーレム達が、次々に薙ぎ倒していく。
「掃除ぐらいなら、俺にも任せろ!」
ロイドもゴーレム達に混じり、ゾンビ共やスケルトン共をバスターソードで叩き潰し、叩き割り、とにかく倒しまくった。
オリビアを抱えてしゃがみこんでいたリーナは、回復の魔法円が消えかかっていることに気付く。一度目に使用した魔法薬の回復効果が終わろうとしているのだ。リーナは即座に新しく高位魔法薬を取り出して、オリビアに使用する。
オリビアの身体の傷は治癒している。少なくとも出血は止まっているし、傷は塞がってきている。その筈だ。だが、嫌な予感がしていた。
リーナの腕の中にいるオリビアの呼吸が、さっきから止まっている。そんな風に見える。気の所為であって欲しい。オリビアの身体も、また重くなったような気がする。
……まだだ。まだ、回復役の量が足りないのだ。この高位魔法薬が切れたら、次の高位魔法薬を続けて使う。それしかない。
……本当に?
妙に冷静な思考が、リーナの頭の隅の方で響いた。
オリビアの負傷は深すぎて、そもそも、魔法薬の回復速度では間に合わない大怪我だったのではないか? 手を尽くそうにも、もう最初から手遅れだったのではないか? そういった疑問が頭のなかで膨らんでくる前に、複数のゾンビとスケルトンが、のろのろとリーナの方へと近づいてくる。
奴らは数が多いから、ロイドとレオンの攻撃の間を抜けてきたのだ。リーナもすぐに、炎の魔法を詠唱して対処する。初級魔法のファイアーボール。それで十分に効き目があった。
ネクロゴーレムから解除されたゾンビ、スケルトンたちは、普通の魔物よりも遥かに脆かった。奴らは簡単に燃えた。燃えながら、光の粒になって消えていく。ネクロマンサーからの呪縛が解けて、その魂も解放されたのだろう。
その淡い煌めきと、リーナの放った炎魔法の隙間を縫うように動き回り、アッシュが短剣を振るい続けている。魔法によって編まれた炎の揺らぎ、陽炎の狭間に、アッシュの姿が消えては現れる。その度に、大量のゾンビとスケルトンが細切れにされていく。
「これで終いだ!」
バスターソードを横薙ぎに振るったロイドが、最後のゾンビを両断して吹き飛ばした。ネクロゴーレムから湧いたゾンビ、それにスケルトンの数は多かったが、片付いた。多分、同時だったろうか。オリビアに使用していた高位魔法薬の効果が終了した。
「オリビア……っ!」
周囲に敵の姿がなくなったことを確認しながら、治癒魔法円の中からレオンが駆け寄ってくる。レオンの右肩の傷は、まだ完全には癒えきってはいない。だがレオンは、それがどうしたという表情だった。
「おい起きろよ、オリビア!」
強張った顔をしたレオンは、リーナの腕の中で動かないままのオリビアを見てから、力の籠った瞬きを何度も繰り返した。そして、覚悟を決め直すような、何かに耐えようとするかのような深呼吸をした。
「……マジかよ」
その深呼吸と一緒に溢れたようなレオンの声は、か細く震えていた。
「最初の傷が深すぎたんだ……。俺達がエリクシルを持っていても、治癒は間に合わなかっただろう……」
レオンの隣に駆け寄ってきたロイドは、落ち着いた声音で言いながらも、その頬が引き攣りまくっている。必死に自分を納得させて、感情を抑え、奥歯を強く噛み締めているようだった。
だが、ロイドの言っていることは正しい。治癒魔法も回復魔法薬も、あくまで生きた人間の傷を癒すものだ。筋肉や内臓の損壊、欠損さえ即座に再生させる霊薬、エリクシルだって例外じゃない。
命そのものを癒すことはできないのだ。
頭の奥がぼんやりとし始めているリーナも、腕の中にあるオリビアの重みを、やけに遠くに感じていた。
このダルムボーグに来る前も、それに来てからも、リーナ達は油断していた訳じゃない。売り出し中という事で注目され、舞い上がっていた部分があったかもしれない。だが、自信過剰になっていたということもない筈だ。
出来る準備はちゃんと整えてきたし、クランだって組んで、いざという時に備えていた。オリビアの他にも神官だって、治癒術士だっていたのだ。クランのメンバー数も多いし、団結すればネクロマンサーとだって戦える。そう思っていた。
だから、オリビアを失うなんて、思ってなかった。
冒険者として生きている以上、こんなことには慣れないといけない。慣れているつもりだった。だが、今は頭の奥がぼぅっとして、身体が動かない。やっぱり、失う存在が幼馴染だからだろうか。
意識的に呼吸しながら、リーナは腕の中のオリビアを眺めた。
彼女の頬や口許が血で濡れている。それでも、綺麗な顔をしている。神殿を訪れる者の中には、オリビアを目当てにしている者も少なくなくないらしい。そんな話を耳にしたこともあるが、それも頷ける。死の中にあっても、オリビアの美しさは保たれていた。
「……オリビア」
掠れた声でリーナは呼びかけるが、反応はない。ゾンビやスケルトンの残骸が散らばる広場に、砂埃を含んだ風が吹いていった。乾いた風は、オリビアの死には見向きもしない。そら惚けたような空の青さが寒々しい。
息をしていないオリビアの身体が、重い。
重いのに、やけに軽い。重くて、軽い。
……あれ、どっちだろう。
混乱しそうになりつつも、呆然とした。
そのままリーナの身体から力が抜けそうになった時だった。
「まだ間に合います」
すぐ隣で、静かに言い切る声が聞こえた。
両手に短剣を握ったアッシュが、リーナのすぐ傍に居た。
さっきの戦いぶりを見ていたから、いつの間に、とは思わなかった。
それは多分、レオンやロイドも一緒だろう。
2人は、助けを求めるような、赦しを請うような目になってアッシュを見ていた。リーナも似たような眼差しで、アッシュを見つめていたはずだ。
だって、アッシュは治癒術士だ。もしかしたら、という思いはあった。でも、冷静に考えれば、もう手の施しようがない筈だった。
だって、オリビアはもう死んでいる。死者蘇生は、今の魔法技術では不可能だ。リーナは傍にいるアッシュを見て、そう言おうとした。出来なかった。
その代わり、「……お願い、たすけて」という声が漏れた。オリビアの身体を抱えたままのリーナは、ほとんど無意識のうちに、絞り出すように言葉を吐き出していた。
喉が震えた。だが、せめて涙は見せなかった。何とか堪える。冒険者として、オリビアの仲間として、保たねばならない最後の矜持にも思えたからだ。だが、どうしても声音には弱気が滲んでしまった。
「た、頼む……!」
険しい顔になったロイドが、アッシュを睨み、唇を震わせていた。レオンは黙ったままだが、唇を強く噛みまくって、縋る様な眼差しでアッシュを凝視している。
この場に居る全員の視線を受け止めるアッシュは、リーナの腕の中で横たわるオリビアを見下ろしてから、手にしていた2本の短剣を繋ぐように動かし、別の姿へと変形させた。
変形の瞬間、2本の短剣に青く淡い光が灯ったのが見えた。アッシュが振るっていた2本の短剣は、やはり魔導武器なのだろう。短剣が姿を変えた。白と黒色をした杖だ。いつかレオンが「安っぽい杖だな」と見下していた、あの杖だった。
「オリビアさんの傷は、……もう塞いでくれているんですね。ありがとうございます」
リーナの傍にしゃがみ込んでいたアッシュは、リーナだけではなく、レオンとロイドにも真摯な眼差しを向けて、頭を下げた。そしてすぐに瞑目し、朗々とした声で詠唱を始める。
すると、アッシュが手にしていた杖が宙に浮いたままで静止した。そして、その杖を中心にして、複雑な紋様で象られた魔法円が展開されていく。
その魔法円が湛えた光の色は、透明度の高い緑、淡く澄んだ青が混ざっていた。こういった清らかな光が、高位の治癒魔法独特のものであることはリーナも知っている。よくオリビアが使ってくれていたからだ。
だが、アッシュの治癒魔法は、どこかオリビアの扱うものと雰囲気が違う。
その違和感の正体をリーナが掴み切れないうちに、描かれた魔法円は幾重にも折り重なりながら、微光を編み、光の線を引き、オリビアを抱いたリーナを包みこんだ。
いや、オリビアやリーナだけではない。魔法の力を秘めた光の線は、杖を中心に広場全体に及ぶ大きさに広がっていく。風ではないが、風と表現するしかない空気のうねりが、広場に吹き荒れ始める。アッシュが編み出す魔力の流れの中で、リーナの髪も強く靡き始めた。突風に煽られたかのようだ。
杖を宙に固定したアッシュは、左の掌をオリビアの胸元に向け、右の掌を自分の心臓を抑えるようにしている。その両手の掌には魔法円が浮かんでおり、魔法の光を放っていた。
「う、嘘だろ……、こんな規模で……」
光の線が無数に走る広場を見回しながら、目を見開いたレオンが驚愕のあまり尻餅をついていた。アッシュの詠唱が生み出そうとしている治癒魔法円の大きさに圧倒されているのだ。口を開けたロイドも宙を見上げたまま、手にしていたバスターソードを取り落として、立ち尽くしている。
リーナは息を飲み、オリビアの身体をぎゅっと抱きしめた。粛々と詠唱を続けるアッシュの横顔を、祈るような気持ちで見詰める。
広場を埋め尽くすかのように描き出された複数の魔法円は、オリビアとアッシュの生命に影響を与えようとしているのは明らかだった。
詠唱を続けるアッシュの右手。自身の心臓を掴むように広げた、あのアッシュの右の掌だ。そこに展開された魔法円から、黒く澱んだ赤と紫色の光が溢れ始めている。
どす黒い血のような色だ。あの禍々しい色をした光こそが、アッシュの命の、その原形質なのだろうかと、意味もなく思った。
赤と黒と紫色が混じったその光は、アッシュの心臓のあたりから溢れ、束ねられて、杖が展開する積層型の魔法円へと吸い上げられていく。その様子はまるで、周囲に展開された無数の魔法円が、アッシュの心臓から大出血を齎しているかのようでもある。
このまま、アッシュは死ぬのではないか。リーナは唇を噛みながら思う。いつかのように、痩せた狼からリーナとオリビアを庇ってくれた、まだ小さい頃のアッシュの後姿が脳裏を過っていく。
多分、今も同じなのではないか。
狼に噛みつかれたときと同じように、今のアッシュは微動だにしない。
あの時と同じように、ただただ苦痛を受け容れているのではないか――。
アッシュの左胸から溢れた赤と黒の光は、杖を中心に展開された術陣を介して、清らかに澄んだ翡翠色へと変わって零れ落ちてくる。温かく瑞々しい活力の色であり、力の漲る復活の色だった。
その濁りの無い生命の光を掬い上げているのは、アッシュの左の掌に象られた魔法円だ。
オリビアに差し出されたアッシュの、左の掌。そこに展開されている魔法円は、零れてくる光を集めながら、それをオリビアへと明け渡すようにして明滅している。
実際に、リーナの腕の中に横たわるオリビアの肉体は、まるで優しい木漏れ日の中にいるかのように、淡く澄んだ光によって包まれていた。一方で、朗々と詠唱を続けるアッシュの左胸からは、赤黒く澱んだ光が、血を吐き出すかのように溢れ続けている。
アッシュから吸い上げられた生命力とでも言うべき何かが、あの杖を中継して浄化され、清廉とした生命力となってオリビアへと浸透していくかのように。
この厳粛で鮮烈な光景を、リーナは、ただ黙って見守っているしかなかった。途切れることなく詠唱を続けるアッシュには、声をかけるのも憚られた。レオンとロイドも、呆然としつつも圧倒され、固唾を飲み、拳を握り締め、祈るような沈黙を携えて立ち尽くしている。
その時間は、どれほどだったろう。
長くも感じたし、短くも感じた。
土砂降りの雨が少しずつあがっていくかのように、広場を埋め尽くしていた魔法円が解け始め、細かい光の粒子となりながら、乾いた風の中に塗されて消えていく。
宙に浮いていたアッシュの杖が地面に落ちた。重く、乾いた金属音が透明な響きを残す中で、アッシュの詠唱も止んでいた。
厳粛な儀式が終わった直後のような、分厚い静けさが広場を押し包んだ。砂埃を含んだ風だけが、魔法円が霧散したあとの広場を横切っていく。リーナも、レオンも、ロイドも、口を開くことができないまま、その乾いた風が通り過ぎて行くのを見送った。
「……ぅ、はぁぁ……ぁ、ぁ」
静寂の中に、細い吐息が混じった、リーナの腕の中からだ。はっとしたリーナは、慌てて腕の中に横たわるオリビアに視線を落とす。安堵のあまり、身体から力が抜けてしまった。
あぁ。オリビア。オリビアが。目を閉じたままだ。でも、息を。息をしている。微かにだが、血に濡れた神官服の胸が、上下している。オリビアに、呼吸が戻ってきた。息を吹き返している。顔色も悪くない。衰弱している様子ではあるが、オリビアは間違いなく生きている。いや、生き返ったのだ。
「よ、よかったぁ……」
へなへなとした声を漏らしてしまったリーナの腕の中で、オリビアの体温が確かに帰って来ていた。
「おぉ!」
張りのある声を上げたロイドが、リーナの腕の中を覗き込んで、オリビアの様子を確かめた。
「マジか……!」
尻餅をついていたレオンも慌てて起き上がり、リーナの傍へと駆け寄って来た。
リーナ達はオリビアが生きていることを確かめて、顔を見合わせる。心からの安堵を共有して、自然と全員の表情から強張りが抜けて、笑みに近づいた。
ロイドの目は微かに潤んでいるし、膝に手をついたレオンは、そのまま後ろに寝転がってしまいそうな勢いで安心して脱力している。リーナだって、ほとんど半泣きだった。
「アッシュ、……ありがとう!」
緊張が解けたことで弾けそうになる感情を必死に抑え、小さく笑みを作ったリーナは、アッシュの方に顔を向ける。
そして凍りついた。
詠唱を終えたアッシュは、リーナの腕の中のオリビアを見て微笑んでいた。無事に息を吹き返したオリビアに、胸を撫でおろすような笑みだ。控えめで遠慮がちな、いつもの、あの曖昧な、それでも優しさのある笑みだった。
ただ、そのアッシュの目や鼻、それに耳から、ドロドロっと血が溢れていた。ヤバい血の出方だと思った。やはり、オリビアを蘇生させた先ほどの大規模な治癒魔法は、いや、――治癒魔法らしい何らかの魔法は、アッシュの肉体に強烈な負荷を強いたのではないか。
治癒魔法は、肉体を癒して活力を齎す。その代償として、術者と被術者の生命力を削る。では、被術者を一方的に回復させる類の治癒系統の魔法、魔術があったとしたら――。
術者の生命を更に大きく削るのではないか。
いや、そういった特質的な魔術系統があることは、リーナも知っている。オリビアから教えて貰ったことがあるからだ。
他者に命を与える、“生命付与”。
疑似的な古代蘇生魔法。
治癒魔法には完全に素人のリーナだが、記憶だけしていた幾つかの言葉が頭にチラついて、すぐに消えた。
リーナの視線を追ったロイドとレオンも、血塗れの顔で微笑むアッシュを見て、明らかに息を詰まらせる気配があった。取り返しのつかないことをして、そのことに、漸く気付いたように。
「あぁ、これぐらいなら平気です」
この出血は別に大したことはないと、アピールするような口振りだった。血で濡れた顔の穏やかな表情を崩さないままで、アッシュは地面に落ちた杖を拾う。そして、ローブの袖で顔のぞんざいに拭った。
雑な手つきだったせいで、大怪我をしたようにアッシュの顔は余計に赤くなった。いや、実際に今のアッシュは、僅かに息を切らしている。神速でネクロゴーレムを解体している時には、全く呼吸を乱していなかったのに。
それに、鼻血や血の涙みたいな出血に気を取られていて気付かなかったが、凄い汗を掻いている。
やはり、アッシュはオリビアの為に、何らかの大きな代償を支払ったのではないか。いや、代償などが無かったとしても、途轍もない負荷をその身体で受け止めてくれた筈だ。そう思わずにはいられない。何度も唾を飲み込みながら、リーナはアッシュに何かを言わなければならないと思った。
その時だった。
アッシュの身体が、ふらっと揺れた。
揺れて、大きく傾いた。
「お、おい!」
そのアッシュの傍へと駆け寄ったロイドが、屈むようにしてアッシュの身体を支えた。
「す、すみません」
か細い声のアッシュが、ロイドの方を見ないまま、申し訳なさそうに言う。ロイドは強く首を振った。
「謝らないでくれ! とにかく、しっかりしろ! あぁ、そうだ! 俺の魔法薬を使うといい!」
「ぃ、いえ、大丈夫ですよ。少しふらついただけです」
慌てた手つきで魔法薬を用意しようとするロイドを、アッシュはそっと手で制してから、ロイドから離れた。その態度はロイドを拒絶するというよりも、ロイドの厚意に感謝しながらも、それを受け取ることを恐れているふうでもあった。
「ぃ、いや、大丈夫には見えねぇよ! 黙って受け取れっつーの!」
今度はレオンがアッシュの傍に駆け寄り、自分のアイテムボックスから高位魔法薬を取り出して使用した。すぐに回復用の魔法円がアッシュを包んだ。
一瞬、アッシュは驚いた顔になってレオンを見たが、すぐに眉尻を下げた。そのままレオンとロイドを順に見てから、「ありがとうございます」と静かに頭を下げた。
オリビアを助けて貰っておいて礼を言われている状態なので、レオンとロイドが少し反応に困っている。勿論、それはリーナだって同じだ
ただ、レオンが使用した魔法薬が非常に高価であることを、リーナは知っていた。それを躊躇わずにアッシュに使ってみせるあたり、やはりレオンも、素直な態度や言葉には出ないが、アッシュには感謝しているようだった。
魔法薬の回復効果を受けるアッシュも、少しずつ呼吸を落ち着かせつつあるし、周囲を見回す眼差しにも力が戻ってきている。さっきの魔法で生命力を使い果たした影響で、いきなり絶命したりとか、そういったことはなさそうだ。
とにかく、この場に居る全員が無事でよかった。
リーナは安堵を味わい直しながら、オリビアを腕に抱きなおす。
オリビアはまだ目を覚まさない。でも、呼吸には力があり、しっかりしている。顔色も良い。そのうち意識も取り戻すだろう。ただ、ゆっくりもしていられない。まずはこの場を離れ、ダルムボーグから出ることが優先だ。
リーナはこの場にいる面子を見回し、そう言おうとしたときだった。
『おいアッシュ! そっちはどうなってる?』
いきなり声が響いた。この場に居ない筈の、女性の声。
聞いたことのある声だ。これは――。間違いない。
カルビの声だ。でも、何処から?
少し驚いている様子のレオンとロイドも、広場に視線を巡らせている。
『つーかよ、お前も怪我してないか? 無事なんだろうな?』
荒々しくも心配そうなカルビの声は、杖を持つアッシュの右手あたりから聞こえてくる。
回復薬の魔法円の中で、アッシュは左手に杖を持ちかえ、右手の甲を顔に近づけた。そこでリーナも気づく。アッシュの右手の人差し指に、アイテムボックスとは様子の違う、指輪型の魔導アイテムが嵌っている。恐らく、カルビの声はあの指輪から発せられているのだろう。
「えぇ。皆さん無事です。……よかったです」
指輪越しにカルビに応えたアッシュは、この場に居るレオンやロイド、それからリーナ、オリビアへと視線を移した。アッシュの声には飾り気のない安堵が含まれていて、その言葉が嘘ではないのだと分かる。
『よーし。流石だな、アッシュ。なら、アタシらと合流するか? お前ら、まだ広場に居るんだろ?』
アッシュの指輪から聞こえてくるカルビの声には、リーナ達の様子を窺うような気配がある。
「はい。でも、広場にはもうすぐ、『ゴブリンナイツ』の方々が――」
「むぅっ! そこのキミ達!! 無事だったかね!?」
勇ましく野太い大声が広場に飛び込んできて、指輪越しにカルビへと応えようとしたアッシュの声を遮った。レオンとロイドが、ビクリと肩を振るわせていた。何事かと思い、リーナも声がした方へと視線を向ける。
リーナ達の居る方へと向かってこようとしているのは、重厚な銀の鎧を纏った騎士団だった。全員が分厚くて大きな盾を持ち、長大な突撃槍を構えている。彼らは隙なく隊列を組み、素早く此方に駆け寄って来る。ガチャガチャと金属が鳴る音が、重く響いてくる。
ただ、彼らの身長は低い。リーナの半分くらいだろうか。彼らが手にしている突撃槍の方が遥かに大きいほどだ。だが彼らの足取りは、その体の小ささとは不釣り合いなほどに力強く、迫力がある。
間違いない。
あれは、クラン『ゴブリンナイツ』のメンバー達だ。
全員が『2等級・銅』の認識プレートを首から下げている。
駆け寄ってきた鎧ゴブリンの1人が、被っていた兜の面頬をシュパっと上げて、リーナ達の姿を睥睨した。兜の中に覗く彼の顔は、やはり人のものとは違う。尖った鼻、薄い唇、鋭く並んだ牙、少し緑がかった肌の色、ギョロっとした眼など、ゴブリン種としての特徴を備えている。
「我々は今、ダルムボーグから冒険者達を撤退させる任務についている!」
リーナ達を前にした彼は胸を反らし、高らかな声を発した。我々が来たからには、もう安心だと言わんばかりだ。彼は、任務、という言葉を使った。
“ネクロマンサーによって多数の冒険者が犠牲にならないよう、冒険者ギルドが手を打って彼らをダルムボーグに向かわせたらしい”という噂も、やはり本当だったのだと分かった。
実際、彼らには実力も実績もある。
ゴブリンナイツのメンバーであるゴブリン達は、身長が低くとも筋骨隆々で、1人1人が勇猛果敢な戦士である。彼らは戦闘になれば、あの大きな盾と突撃槍を構え、一部の隙もない隊列を成し、そのまま容赦なく敵に突撃して粉砕する。
見れば、ゴブリン達が着込んだ銀の鎧には、あのネクロゴーレムのものと思われる赤とも黒とも言えない粘液が、頭から被ったかのように盛大に付着している。恐らく、ここに来るまでの間に、彼らはネクロゴーレムを粉砕してきたのだろう。
「さぁ、キミ達も我々に着いてきたまえ!」
リーナ達の返事を待たない彼は、有無を言わさぬ口調でそう告げて、後方に続いていた部下であろうゴブリン達に振り返り、腕を振った。
「おい! 倒れている神官様を運んで差し上げろ! 傷は治癒されているようだが、くれぐれも丁重にな!」
人間と共存関係にある彼ら、ハイ・ゴブリン達も、女神ルミネーディアを信仰しており、治癒魔法を扱えるゴブリンも珍しくない。重装備の彼らの後方には、軽装のゴブリン達の姿もある。後衛としての攻撃魔法、治癒魔法を担当するのが、恐らく彼らだ。
「えっ、ちょっと、待って……!?」
軽装のゴブリン達が、リーナの腕の中で横たわるオリビアに腕を伸ばして来た。
「お、おいっ」
「まだオリビアは……っ」
レオンとロイドも一瞬だけ顔色を変えたが、これもギルドから要請された彼らの仕事なのであれば、触るなとも言えず、ほとんど為されるがままだった。だが、ゴブリン達はオリビアを慎重に抱き上げたあと、用意していた大掛かりな担架らしきものにオリビアを寝かせてくれた。
オリビアを扱うゴブリン達の手つきは誠実そのもので、女神に仕える神官への敬意に溢れていた。更に、オリビアを寝かせた担架を守るようにして重厚な鎧ゴブリン達が配置され、なんとしてもオリビアを守護する、厳重な陣形をとってくれた。
あれだけ強固にゴブリンナイツが護衛してくれるなら、オリビアの心配は要らないだろう。リーナがホッとしそうになったときだった。
「ひゃあっ!?」
「おわぁっ!?」
「ちょっ……!、ちょ、待っ、け、ケツが痛ぇっ!!」
ゴブリン達はオリビアだけではなく、リーナやロイド、レオンにまで駆け寄ってきて、まるで胴上げでもするみたいに持ち上げて、そのまま運び始めた。ゴブリン達の手際があまりにも良すぎて、誰も抵抗できなかった。
えぇ、何この状況。待って待って……!
しかも、速い……! 速い速い……ッ!
力強い彼らの行進は素早く、あっという間に広場を抜けていく。更には廃墟が並ぶ市街地をも駆け抜けて、崩れた防壁の外へと真っ直ぐに向かってくれている。
昔の戦士は、仲間の死体を盾に乗せて運んだとかいう話も聞いたこともあるが、ゴブリン達はリーナ達の周囲に盾を構えてくれているのが分かる。ネクロゴーレムが湧き始めた今のダルムボーグから、疲弊し、負傷した冒険者達を撤退させるのが彼らの任務なのだ。
リーナのお尻の下あたりで、「ぎゃあぎゃあ!」「ギャウ!ギャウ!」と、人間の言葉ではない言語を交し合う声が聞こえる。ゴブリン達のその騒がしい声と反比例するように、彼らの動きには迷いはなく、迅速で、統率が取れている。
ゴブリンナイツは戦闘力も高くて大所帯のクランだし、今のダルムボーグには、リーナと同じように、力強いゴブリン達に運ばれている冒険者が他にも居るのだろうと思った。それも現在進行形で。
ゴブリン達に運ばれながら、リーナは、あれ? と思った。
ざっと周りに視線を流す。
ゴブリン達の上でぐらぐらと揺られ、「ぎひっ、ケツ、ケツがぁ……っ!」と、尻を抑えて苦悶の声を上げているレオンは、自分の尻を必死に守るような姿勢を取ろうとしている。レオンの下にいるゴブリン達の鎧の、その肩の部分がレオンの尻にガツガツと当たっているようだ。
ロイドの方は、ゴブリン達に運ばれる振動で早くも酔ったのか。「おぉぉ、おぉぉ……」などと変な声を漏らしながら青い顔を宙に向けている。頼りになるのか情けないのか分からない姿だ。
オリビアを乗せた担架は、澄んだ青い光によって包れていて、リーナ達のように強い振動を受けることも無く、静かで穏やかな様子で運ばれている。あの青い光はバリアというか、結界のようなものか。オリビアを守るべく編まれた防御魔法であり、担架と並走する術士ゴブリンの力によるものに違いない。
とにかく、レオンも、ロイドも、それとオリビアも居る。
みんな無事だ。それは良い。でも、いつからだろう。
アッシュの姿が、どこにも無い。
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不定期更新ではありますが、
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