第44話 僕は弱い2


 彼女に気取られないよう静かに唾を飲み込んだアッシュは、視線を落としながら「そうでしょうか」とだけ答えた。「うん。私からは、そう見えるかな」と、ローザ頷く気配があった。


「前にカルビも言ってたけどさ、アッシュ君の強さなら、ソロでもかなり稼げる筈だもん。それこそ、前のトロールシャーマンを狩ったときだってそうだったけど」


 記憶を慎重に辿り直すように、視線を落としたローザは少しだけ声音を硬くした。


「あの上位トロールの魔骸石をマテリアルショップに持ち込めば、かなりの大金になったはず……。でも、アッシュ君は自分の依頼を達成することを選んだでしょ?」


 自分の言葉を真剣に扱おうとするその様子は、理知的でありながらも、理屈っぽくない真剣さがある。


「報酬も貢献度もかなり低く抑えられてて、王都への奉仕同然の依頼だったのにさ。それでもアッシュ君は依頼達成を優先したから、何て言うか、無欲なんだな~って思ったんだよ」


「あの件は、僕も少し軽率でした。マテリアルショップに持ち込んでおけば、皆さんにも大きな実益があったはずなのに、……申し訳ありません」


「ぃ、いやいや、謝って貰うことなんてないよ! 前も言ったけどさ、そもそも上位トロールを倒したのはアッシュ君なんだし、私達はそのアッシュ君に同行して貰ったる立場だったんだしさ!」


 お金がどうこうっていうことを言いたいんじゃなくて……、と言葉を繋いだローザは、少し考えこむような間を置いてから、アッシュの方を見た。彼女はアッシュが首から下げている5等級の認識プレートを一瞥してから、少し尊敬するような、眩しそうな目つきになった。


「“冒険者”として立派だなぁ、と思ったんだよ。お金とか名誉じゃなくて、飽くまで依頼をこなしていくっていう感じでさ」


 上級冒険者であるローザが、最低等級のアッシュに向ける言葉としては、ともすれば皮肉や揶揄にも聞こえかねないものではあった。だが、「アッシュ君がその気になれば、報酬も貢献度も稼げるどころか、とっくに私達の等級なんて追い越してるもんね~」と付け足したローザの声音には、そういった暗い響きは一切なかった。


「……ここからは私の憶測だから、聞き流して欲しんだけどさ 」


 そのローザの穏やかな口調は、確かにアッシュの返事を求めているものではなかった


 「……ここからは私の憶測だから、聞き流して欲しんだけどさ。アッシュ君は私達の同行依頼を受けてくれているけど、報酬はともかく、それで得られる貢献度は全部、ギルドの窓口で“辞退”するつもりだったんじゃない?」


 ローザ達から、アッシュがどのように見えているのか、どう捉えているかを伝えおきたいといった、柔らかな言い方だった。


 貢献度加算の辞退。

 これは、ある種の冒険者の救済処置でもある。


 等級が上がっていくに連れて、半年ごとにギルドに支払うべき“冒険税”の税額も上がるからだ。この“冒険税”はギルドに所属するための組合費のような側面もあり、冒険者の生活を極端に圧迫するほどの額ではないものの、軽くはない負担となっている。


 冒険者は基本的に、収入や資産に関わる幾つかの税から解き放たれている。その代わりに、この“冒険税”を滞納し続けた者への行政からの対応は、とりわけ容赦がない。正規軍に無償従事させられ、未開地開発での魔物との戦闘、強制労働を課せられたりといった厳しい処置を受ける。


 だから、どんなゴロツキの冒険達でも、この“冒険税”だけは滞納しない。ただ、冒険者というものは危険が伴う職業であるため、この支払いが遅れそうになる場合もある。


 何らかの理由で冒険者パーティが解散したり、パーティから冒険者が抜けた場合、そのパーティに所属していた冒険者達の収入は減少することが殆どだ。これが一時的なものであれば、そこまで問題はないかもしれない。


 だが、怪我をして治癒を終えても後遺症が残ったりしている場合や、パーティを離脱した冒険者の素行が悪いことが知られていたりすると、他のパーティに所属できなかったり、儲けの大きい依頼を受けることができなかったりする期間が長引くこともある。


 そうなった場合、冒険税の支払いが滞ってしまいかねない。そこで、この冒険者税の税額を減少させるために、自身が加算してきた貢献度を、ある程度遡って辞退することができるのだ。


 この制度を利用するには、最近の依頼達成状況や収入額、所属しているパーティの状況や、銀行口座の預金の動きなど、ギルドからの審査を受ける必要がある。自白魔法を用いた厳しい審査だが、今までアッシュは引っかかったことはない。


 そもそもアッシュは最低等級のソロであるし、今まで達成した依頼についても、難度はともかく、得られる貢献度と報酬額が低いものばかりを選んできた。わざわざ税を逃れるほどの活躍ではないし、ギルド側もアッシュのことを弱小冒険者として評していたはずだ。


 いや、或いは……、アッシュの過去と現在を照合すれば、自ずと低級に固定されるのかもしれないが――。


「意図的に5等級を維持するには、貢献度の加算を辞退しないと無理だろうし……。このまえのエルン村を守った依頼も含めて、アッシュ君は今までの貢献度を全部受け取ってこなかったのかな~……って」


「いえ、僕は……」


 アッシュも何かを言わねばならないと思うが、後が続かない。黙ってしまう。その沈黙は、彼女の推測を肯定するのと、ほとんど同義だった。ただローザは、本当に話したいことは別なのだというふうに、黙ったままのアッシュを横目に見て、優しく言葉を進めてくれた。


「アッシュ君が5等級を維持しているのも、ソロ冒険者を続けようとしてるのも、何か理由があるんだよね? それは私達だって分かってるよ。でもそれは、私達がアッシュ君を信頼して、同行を依頼しているのとは、また別の話だから」


 少し力を籠めたローザの言い方は、アッシュとローザ達との関係の結び目を確かめて、慎重に結び直すような響きがあった。


「私はもう、アッシュ君のことを仲間だと思ってるし。何か相談したいこととか、困ったことがあったら、私達のことを頼ってくれていいからね」


 少し照れ臭そうに「にひひ」っと笑ってくれるローザに、アッシュは胸を強く押された気がした。心の中で何かが軋むような苦しさがあった。その痛みに耐えている間に、またローザに応えるべき言葉を見失ってしまう。


 そのうち、「ちょっと話がそれちゃったね」と肩を揺らしたローザが、「アッシュ君は実力もあるのに、落ち着いた生活を続けてるんだな~、と思ってさ」と優しい言い方をして、話を戻した。


「……僕の場合は落ち着いていると言うよりも、贅沢の仕方が分からないのかもしれません」


「そっかぁ~。なら、アッシュ君には何か趣味とか、好きなコトってある?」


「そう、ですね。何と言いますか、えぇと……」


 俯き加減で曖昧な笑みを保ちながら、アッシュは頭の中で言葉を探す。だが、自身の生きてきた時間を注意深く思い返してみても、熱意や興味を預けようとするものが見当たらなかった。


「僕は、その……、趣味らしい趣味も、持っていないと思います」


 自分の内部に広がる空虚な時間を取り繕うように、アッシュは何とか笑みの形を保つ。穏やかな表情のローザは、アッシュから目を逸らそうとしない。それに、アッシュの言葉を逃がそうとしない気配があった。


 ただ彼女は、アッシュの話を真剣に聴いてくれている。そこにアッシュが存在しているのだと、アッシュに語り掛けるような優しい眼差しで。


「強いて言うなら、少し本を読むことぐらいでしょうか」


 自身の人生の中から、楽しみや安らぎを感じた瞬間を絞り出す思いで、そう答えた。自分の笑顔が強張っているのが分かる。また風が吹いてきた。優しい風だ。沈黙を作るのが何となく怖くて、アッシュはそこで顔を上げて、ローザの方を見た。


「つまらないヤツで、すみません」


 自虐的に謝ったアッシュに対して、ローザは「ううん」と首を振ってくれた。


「つまらないヤツだなんて、そんなことないよ。趣味とか贅沢に振り回されないってことはさ、落ち着いて、穏やかに日々を過ごす才能があるってことだと思うんだよね」


 抱えた片膝に頬を乗せたローザは、アッシュを見守るような表情をしていた。


「それに言い方を変えればさ、これからアッシュ君が好きなことを見つけるチャンスも、まだまだ一杯あるってことじゃん?」


「……前向きに捉えれば、まぁ、そう言えなくもないとは思います」


 アッシュが頷くと、ローザは笑みを深めながら「でしょ?」と、嬉しそうな声を出した。


「なんか、色々と尋ねちゃってごめんね。……何て言うか、私も知りたくてさ。アッシュ君のこと」


 口許に微笑みを灯したローザの言葉には、アッシュの内部へと踏み込もうとするような強引さはない。あくまで、よりアッシュと親しくなりたいという、控えめな意思表示のように思えた。


 「まぁ、エルン村では、ちょっとだけセンシティブなことも、カルビが無理矢理に話題に上げたどさ」と眉尻を下げたローザが、優しい困り顔で言ってから、また茶目っ気のある笑顔に戻った。


「さてさて……、それじゃ今度は、アッシュ君が私に質問してみて?」


「えっ」


「ほらほら、遠慮しなくてもいーよ? あっ、でも、ローザお姉さんのスリーサイズは企業秘密だからね」


 気持ちを切り替えるように軽くウィンクしてみせるローザに、アッシュは少しドキリとした。そして、悲しい気持ちにもなった。


 今日で、ローザ達に同行する冒険活動を最後にしようとアッシュは決意していた。つまりは、こうやって彼女の優しさに触れる機会も、これで最後なのだと改めて感じたときだった。


「……おいおい。アタシら抜きで随分と楽しそうにしてんじゃねぇか」


 潤いのあるそよ風を乱暴に押しやるようにして、ちょっと不機嫌そうな声が届いてきた。


「おっと。2人も戻って来たね」


 声がした方へとローザが振り返った。今までの会話が中断されたことに少しホッとしつつ、アッシュもそれに倣う。


 トロールダンプの入り口の方から、カルビとネージュ、エミリアが歩いて来ていた。3人とも鎧を着こんでいるが、手ぶらだ。恐らく、買い物で手に入れた品や武器類は、既にアイテムボックスに仕舞ったのだろう。


「何の話をしてんだよ。ネージュとエミリアはともかく、アタシは混ぜろよ」


 アッシュとローザが何の話をしていたのか気になるのか、カルビが妙にウキウキとした声で訊いてくる。


「……何で私をハブろうとしてんのよ。凍らせるわよ?」


 カルビの隣に立つネージュの方は眉間に皺を刻み、並みの冒険者ならそれだけで凍りつかせてしまうような冷酷な声で言う。


「このパーティのリーダーであるわたくしを除け者にしようなど、許されぬ行為ですわ。特にィ?アッシュさんと共有される話題に於いてはァァ? 万死に値しますわよォォォォン?」


 青筋を額に浮かべたエミリアが、片方の目を窄めて、もう片方の目を見開いて歯を剝いた。カルビに噛みつきそうな表情だ。


 だがカルビの方は、ヒートアップする2人を視線で一瞥しただけで、「はいはい」と軽く手を振ってあしらって見せる。


 そんなカルビを横目で睨んだネージュが恐ろしい舌打ちをして、「おいテメェ……!」と怖い声になったエミリアが肩をいからせた。すかさずローザが「まぁまぁ」と宥めに入り、状況を説明する。


 アッシュが同行するようになる前から何となく分かっていたが、この4人のいつもの流れは、だいたいこんな感じだった。カルビとネージュ、エミリアが自由に何かを言い合ってはぶつかりそうになり、それをローザが止めに入って、話が進むのだ。

 

 彼女達にとっては何気ない遣り取りなのかもしれないが、今のアッシュは、その何気なさが眩しかった。


「アッシュ君のことについて、色々と話をしてたんだよ」


 気軽い感じでローザが言うと、「マジかよ。どんな話だよ」とカルビが面白がった。


「……僕の趣味や暮らしぶりなど、そういった話です」


 意識的に笑みを作ったアッシュは曖昧に答える。


「へぇ。それは興味深いわね」


 ネージュは微笑みを浮かべてアッシュを見つめてきたが、その瞳の奥はやけに真剣だった。


「寧ろ、これ以上に有意義な話題が地上に存在するでしょうか」


 どこか陶然とした様子のエミリアも、やけに力の籠った声で言いながら嫣然と微笑み、アッシュに顔を向けて来る。


「おい、ネージュ。それにエミリアもよぉ。そんな迫真の目力でアッシュを睨むんじゃねぇよ。変な空気になるだろうが」


「睨んでないわよ!」


「睨んでませんわよ!」


「はいはいそこまで」


 ムキになるネージュとエミリアを宥めつつ、草むらに座っていたローザがゆっくりと立ち上がる。


「それにしても2人共、買い物にしては長かったね。他の冒険者達から絡まれたりでもしてたの?」


 お尻についた草や埃を払いながら、ローザは溜息交じりに言う。するとカルビが、「まぁな」と唇の端を狂暴そうに歪めた。


「逆。逆ですわ」顔を顰めたエミリアは溜息交じりだ。「カルビが絡みに行ったのよ」と続いたネージュも、疲れたような息を吐いてみせる。


「違ぇよ。アレは絡みに行ったんじゃねぇ。世間話に混ぜて貰おうと思っただけだ」


 明らかにとぼけた口調でカルビは両手を広げてから、「アタシがそんなガラの悪いことをするように見えるか?」と、アッシュを見下ろして来た。アッシュは一瞬、反射的に頷きそうになったが、「い、いえ」と何とか愛想笑いを浮かべた。


「アッシュ君の前ですっとぼけるのは止めなさい」


 不味そうに顔を歪めたネージュは、横目でカルビを睨んだ。


「私も見てましたわよ。カルビさん貴女、世間話をするよりも先に、わざわざ装備用のアイテムボックスからクレマシオンを召び出していたじゃありませんの」


 腰に手を当てたエミリアが、糾弾するように指を向ける。


 最近になってアッシュも教えて貰ったが、クレマシオンとは、カルビが扱う大戦斧のことだ。使用者の魔力を流し込むことで、途轍もない破壊力を発揮するという、魔王戦争時代の武具らしい。


「貴女に絡まれていた冒険者達は皆、顔を引き攣らせてたわよ?」


 ネージュに指摘され、カルビはやれやれと首を振った。


「アタシは別にな、絡もうとかそういう意図は全く無かったんだよ。アイツらがアタシの方を見ながらヒソヒソと何か言ってやがってたからよ。だからアタシの方から、“何か用か?”ってな具合で、フレンドリーに話しかけに行ってやっただけだぜ?」


「あんな威圧的な大戦斧を担いでおいて、フレンドリーだなんてよく言うわね……」呆れたように言うネージュの後で、「傍から見てたら、ほとんど恐喝でしたわよ」と、半目になったエミリアが付け足す。


「ちょっとさー……」ローザも眉を顰めてカルビを見た。「人造兵だって一杯いるんだから、セーブエリアでの揉め事は駄目だって。また貢献度をマイナスされちゃうよ?」


「分かってるっつーの。流石にな? ぶちのめしたり、金目のモノを受け取ったりはしてねぇっつーの。人造兵共に目を付けられるようなことは何もな」


 カルビの方はうるさそうに溜息をつき、後頭部をガシガシと掻いた。それから、「あぁ、そうだ。話が逸れて忘れるところだってぜ」と、何かを思い出したように不敵な笑みをつくり、アッシュ達を順に見た。


「それでだ。さっきアタシがフレンドリーに、そう、飽くまでフレンドリーに話をした奴らから、面白い話がきけたぜ?」


 フレンドリーという部分を殊更に強調するカルビに、腕を組んだネージュとエミリアも鬱陶しそうに目を細めている。だが、もう口を出さなかった。余計なことを言えば、話が逸れることが分かっているからだろう。


 ローザも何か言いたそうに唇を動かしているが、カルビの話を中断させるようなことはせず、黙って先を促している。


 アッシュとしても、カルビは他の冒険者達とフレンドリーに話をしたのではなく、その威圧感を遠慮なく叩きつけて震えあがらせて、彼らの持っている有益な情報を無理矢理に引き摺り出したのではないかと思った。

 

 取りあえず全員が黙って、カルビの話を聴く姿勢になった。そのことに機嫌を良くしたカルビが「吐かせるのに苦労したんだぜ」などと、とうとう手柄を自慢するようなことを言い出したので間違いないだろう。


 とはいえ、カルビが私利私欲のために暴力を手段として、他者に詰め寄ることはしない筈だ。それは、エミリアやネージュにしてもそうだった。


 彼女達は腕の立つ冒険者だが、その強さを暴力という手段として用いる人物でないことも、やはりアッシュはもう知っている。


 カルビがフレンドリーに話をしたという冒険者達はきっと、カルビだけではなく、或いは、ローザ達のことまで悪し様に言っていたのかもしれない。


「フレンドリーに情報を吐かせたんだね」


 軽くツッコんだローザが半笑いになって、ネージュとエミリアが不味そうな半目になっている。「まぁな」と、何故か得意げになったカルビはもう一度全員の顔を見まわしてから、僅かに声を潜めた。


「アタシ達も前にギルドで聞いただろ? ダルムボーグに潜んでいるとかいう、あのネクロマンサーの噂だ。アレ、結構マジっぽいぜ? ……『鋼血の戦乙女』と、『ゴブリンナイツ』が動き出したそうだ」


 言いながらカルビが唇の端を持ちあげ、ニヤリと笑う。


 その2つクランの名前はアッシュも知っている。『正義の刃』と同じく、どちらも有名なクランだ。


『鋼血の戦乙女』は、機械術士組合のアードベル支部が抱えたクランで、機械術士達が開発した特殊な装備を扱う戦闘集団だ。先鋭化された魔法機術武具に適応できるのが殆ど女性であるという理由から、クラン名に“戦乙女”の名を冠しているのが特徴的だ。


『ゴブリンナイツ』はその名の通り、ゴブリン種だけで結成されたクランだが、その集団戦闘能力は非常に高いというのが評判だ。魔王戦争時代の地下墳墓などの危険なダンジョンに向かい、魔物の討伐と地図の作成を行うクランで知られている。


 へぇ……と、意外そうな声を出したのはローザで、軽く鼻を鳴らしたのはネージュだった。


「珍しいわね。ほとんど私兵みたいな『戦乙女』が大きく動くなんて」


「あそこはアードベルの治安維持にも関わっていますものね……。アードベル外でのことで動くのは、あまり例のないことだと思いますわ」


 思案顔になったエミリアも頷く。「……どっちも実力派のクランだから、ギルドからの調査依頼が出たのかもね」と、難しい顔になったローザも腕を組んだ。


「多分、そうだろうな」


 そこでカルビが、少しだけ真面目な表情を作ってみせる。


「ダルムボーグ周辺のダンジョンとか狩場なんかでも、ゾンビが見つかってるってのは確からしい。その御蔭で、ネクロマンサーの賞金を目当てに挙って動き出した冒険者共も、あちこちに振り回されてたみてぇだな」


「賞金首のネクロマンサーの噂自体は少し前から流れていましたけど、まだ見つかっていないんですね……」


 アッシュはエルン村でのことを思い出し、ネクロマンサーという言葉に忌避感を覚えつつ口にした。カルビがゆっくりと頷く。


「あぁ。その噂のネクロマンサー探しが過熱し過ぎて、もうギルドでも手に負えねぇのかもな。……ついでにここ最近は、そのネクロマンサーの賞金を狙った冒険者共が、もう何人も行方不明になってるっていう話だ」


 真面目な表情を維持しているカルビの言葉を聞いて、アッシュの脳裏にはリーナ達の後ろ姿が過っていた。彼女達も賞金首のネクロマンサーを捜索すべく、確か、他のパーティと一時的なクランを結成するという話をしていた筈だ。


 ――その行方不明者の中に、リーナ達が含まれているのではないか。その当然の可能性と不安を、咄嗟にアッシュが飲み込んだときだった。


「つーワケで、アタシらも行くか」


 声に獰猛さを灯したカルビが、その美貌に不敵な笑みを刻んだ。


「いや、どういうワケですの?」と珍しくエミリアが軽くツッコみ、「行くか……って、ダルムボーグに?」不審そうな顔になったネージュが、カルビに目線を向けた。


「そこ以外に何処があんだよ」と、カルビは唇を歪めながら肩を竦めるようにした。


「アタシ達なら、ダルムボーグの魔物どもに後れを取ることもねぇ。それに賞金首のネクロマンサーを捕らえたとなれば、アタシもネージュもエミリアも、『2等級』に戻れる程度には貢献度も加算されるだろ。ローザだって、1等級入りは間違いねぇ」


「まぁ、それはそうだけど……」


 ネージュは迷うように視線を落としたが、カルビの発言を拒否する気配は無かった。


「ネクロマンサーの噂話が本当だとして、実際に被害が広がっているというのであれば……野放しにするのも気が引けますわね。“淑女”としてッ」


 その豊かな胸の内で、正義感を燃やすようにエミリアが続く。


「エルン村でのこともあります。ネクロマンサーが何かを企てているのならば、それを未然に防ぐのも、わたくしのようなパァァァァァフェクトな“淑女”冒険者の務めですわ!」


「実際、このネクロマンサーの話は、悪くねぇチャンスだと思うがな」


 エミリアのあとに言いながら、カルビはぐいっとアッシュの肩を組んで来た。瞬時にネージュが眉間に皺を寄せて、エミリアが目を吊り上げる。だが、そんなことには全く気付かないカルビは、「首尾よくいけば、アッシュも一気に『2等級』ぐらいまで上がるんじゃねぇか、なぁ?」などと意気揚々とした様子だ。


「僕の場合は等級が低すぎて、ネクロマンサーを捕らえるのに貢献したのかどうかさえ、疑われそうですけど……」


 アッシュが眉を下げて答えたところで、何かを考えこむように視線の動きを止めていたローザが緩く息を吐き、ちらりと視線を上げてカルビを見た。


「……まぁ、ダルムボーグに行くこと自体は反対じゃないよ。とりあえず、ここ数日はアッシュ君にも手伝って貰って、前の赤字も黒字になったし。新しい装備や準備を整えるぐらいなら手持ちもあるから、そこは問題無いとして……」


 慎重そうに言葉を続けるローザは、また視線を下げてブツブツと言い始める。


「他の冒険者パーティも居るっていうことは、いざという時に協力は出来なくても、私達が完全孤立しちゃうってことも無さそうだもんね。……まぁ、賞金首を無理に探して出さなくても、ダルムボーグ周辺の魔物を狩りに行くと考えれば、まぁまぁの利益も出そうだし……」


 ネクロマンサーを捕らえるような一攫千金ではなく、あくまで地道な実利重視の冒険活動を視野に計画を練っているのだろうローザを他所に、「決まりだな!」とカルビが溌剌と笑う。


「でも」と、すかさずローザが声音を硬くした。「この件に関しては、まだアッシュ君に同行依頼をしてないからね。私達だけで勝手に話を進めるべきじゃないわ」


 そうゆっくりと言ったローザは、カルビとネージュを視線だけで交互に見た。その真面目な口振りは上級冒険者としてものであり、アッシュのことを対等な仕事相手として扱ってくれているのが分かる。


「あぁ、そりゃそうだな」と、アッシュと肩を組んだままのカルビも素直に納得して、組んでいた肩を解いてくれた。


「えぇ。ある意味、この場で一番大事な話がまだだったわね」と真面目な顔のネージュも頷き、アッシュに頷いてくれる。


「アッシュさんが同行して下さるかどうかで、私達の冒険活動は随分変わりますからね」


 アッシュに向き直ったエミリアが、期待の籠った眼差しを向けて来る。だが、アッシュの同行を強要するような威圧感は全くなかった。寧ろ、アッシュに向けられた純粋な期待以上に、彼女の誠実さが窺えた。


 その2人の反応を確かめたローザが、ちょっとだけ表情を緩めてアッシュを見た。


「今の話の通り、私達の次の目的地はダルムボーグで、ネクロマンサー探しに出遅れて参加するわけだけど……。私達の同行依頼、受けてくれるかな?」


 ローザの口振りは軽快ではあったが、同じ冒険者として、アッシュに対する敬意が籠められているのは、十分に伝わって来た。ここでアッシュが断れば、きっとローザは「そっか。うん。分かった」と言って、潔く引きさがってくれるだろう。


「ネクロマンサーの賞金を山分けすることになるかもしれねぇから、流石に今回は、微に入り細を穿った契約書でも用意するか?」


「そういう話は、アッシュ君が同行してくれると決まってからにしなさい」


「そうですわよ。アッシュさんが同行して下されば、まさに天にも昇る歓びであり、もう雄叫びを上げて歓喜の祝福の舞踏を披露したくなる程ではありますが……、そうやってせっつくような真似は感心しませんわ」


「……エミリア、貴女もちょっと落ち着きなさいよ。そんなものをこの場で披露し始めたら、警邏中の人造兵に不審人物認定されるわ」


「そうだぜ、エミリア。アタシ冗談なんかより、鼻息の荒いお前の浮かれポンチ仕種しぐさの方が、よっぽど洒落になってねぇし感心できねぇンだよ」


 カルビとネージュ、エミリアが交わす冗談めかした遣り取りの雰囲気にも、アッシュの選択を尊重する意思が窺える。あの騒がしさにも意味があるのだ。彼女達は飽くまで、アッシュを同等の仕事仲間として捉えてくれているのだと実感した。


 アッシュは胸の中に温かな気持ちを感じるのと同時に、頭の中に、あの悪夢の声が這い上がってくる。象牙色のローブを被った男の声が、背後で言う。


 ――まだだ。

 ――もっと殺せ。

 ――お前の価値を証明しろ。

 ――お前の意味を立証しろ。

 ――殺戮という機能によって。

 

 頭の中にこびりついた言葉を記憶の奥底へと押しやりながら、アッシュは俯き、そして、ローザ達を順に見た。優しい彼女達と、これ以上、共に居てはいけないのだと思った。

 

 アッシュはこっそりと拳を握る。

 断ろう。この同行依頼は、この場で断るべきだ。

 そして、もう自分は誰にも同行しないことを告げるべきだ。

 

 エルン村でも、サニアからの同行依頼をきっぱりとは断れなかった。曖昧な言葉で承諾し、後悔していたのだ。実際に同行を依頼されるかどうかも判然とはしないが、そのときには深く謝罪し、丁重に断ろうと思っていた。それが、サニアからの信頼を裏切ることだとは分かってはいるが、優柔不断で、意志の弱い自分が悪いのだ。


 もう、あの失敗を繰り返してはいけない。

 ローザ達からの同行依頼は、ここで断らねば。

 そう思うのだが……。


「僕は……」


 アッシュは、すぐに言葉を紡げなかった。

 喉に見えない何かが閊えたように。


 不自然な沈黙を齎したくなくて、アッシュは焦る。

 言わなくては。もう、同行依頼は受けないと。

 ただ、それだけを言えば、ローザ達は分かってくれる。

 

 だから、あとはアッシュ次第なのだ。

 アッシュさえ彼女達の存在を遠ざければ、それで終わる。

 もう会うことも無い。これっきりにできる。

 

 その筈なのに――。

 さっき、ローザは言ってくれたのだ。

 

 これからアッシュが、何かを好きになっていくチャンスが数多くある筈だと。


 嬉しかった。

 身の程も弁えずに、嬉しかった。

 今になって、ひどく胸が軋む。

 

 何かを好きになるチャンスが幾らあっても、僕には、何かを好きになる資格など、恐らく無いのに。


 そうだ。

 僕は無欲などではない。

 強い欲望を抱いている。

 抱いてしまっている。


 愚かにも僕は、彼女達に求められている喜びを、もう手放したくないと思っている。必要としてくれたという恩に報いたいという希望を、持ち続けたいと思っている。


 ローザ達と出会って共に冒険を続ける中で、その想いにアッシュ自身でも無自覚ではなかった。だが、ローザ達との関係を完全に打ち切ろうとしたときには、自分でも困惑するほどに強い願いへと変わっていた。


 それはまさしく、欲望と言っても差し支えないはずだった。


 「……僕は」

 

 だからこそ、この場で言わねばならない。

 

 彼女達と決別する意思を、明確にすべきだ。

 そしてアッシュは、再び孤独に戻るべきだった。


 無数の冒険者達の中に、埋没していくのだ。

 何者でもない、最低等級の冒険者として。

 ささやかに社会に貢献しながら。

 人生を放棄しない程度に、死を待つだけの存在。

 それを、再び目指すべきだと思った。

 

 僕は、そうあるべきだ。分かっている。

 分かっているからこそ、ローザ達が眩しいのだ。

 彼女達の優しさが、どこまでも恋しくなるのだ。

 その未練を、今ここで、断ち切ろうと思った。


 さぁ、言え。

 自分で、自分の背中を強く押し出すような気持ちだった。

 

「……僕で、良ければ……、同行させていただきます」

 

 喉から出てきた言葉は、アッシュの意志から逃れて、勝手に漏れ出していた。もう捕まえ直すことはできない。


 軽い眩暈がした。あぁ……。駄目だ。自分の意志と、自分の体が上手く繋がらない。いや、そうじゃない。違う。違う。


 連動していないのは、僕の意思と身体ではない。

 

 僕の意志と、僕の願い――欲望だ。


 僕は、ローザさん達と一緒に居たいと思っているのだ。

 いぎたないことに。薄汚れている願いだと、自分でも思う。

 その欲望を振り払えない僕は、どこまで弱いままだった。


 これが最後だ。

 この冒険こそを、彼女達との最後の冒険活動しよう。

 

 そんなふうに決意を改めながらも、僕の同行を喜んでくれる彼女達の存在に慰められようとしている自分が、酷く醜い存在に思えた。俯くのを必死に堪えているアッシュに、ローザが快活な笑みを浮かべ、さきほど同じようにウィンクをしてくれる。


「じゃあ、よろしくね。アッシュ君」


今の僕は、せめて上手く笑えているだろうか。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――――





読んで下さり、応援や★評価で支えて下さり、本当にありがとうございます。

不定期更新ではありますが、少しずつ物語を進めていければと思います。


『次回更新が気になる』『面白い』と少しでも感じて頂けましたら、

★評価、応援を押していただければ幸いです。大変励みになります。


今回も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました!


 

 



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