廃都のネクロマンサー
第43話 僕は弱い1
エルン村から帰ってきて、今日で一週間ほど経った。
クラン『正義の刃』の派遣部隊と力を合わせ、無事にエルン村を防衛出来たことに関しては、相応の貢献度をアッシュも加算されることになったものの、等級自体の変化は無かった。
また、アッシュやローザ達がエルン村の防衛任務に参加したのも、墳墓ダンジョンを崩落させたことに対する、半ばペナルティめいた部分もあったため、得られた報酬もそこまで大きな額では無かった。
食糧や水以外の消耗品を殆ど扱わないアッシュはともかく、魔法薬や魔法弾を扱うローザ達にとっては、結果的には大きな赤字だったようだ。
その赤字を取り返すべく、ローザ達は冒険者としての日常に入っていく必要があったし、その同行の依頼として、アッシュも彼女達に声を掛けられていた。
「やっぱりアッシュ君に同行して貰うと、パーティ戦の安定感が段違いだよ」
「そ、そうですか?」
「そりゃそうだよ。アッシュ君がいれば、前衛も後衛も任せられるもん。どのタイミングでも、誰のカバーにでも入って貰えるしさ」
今しがたトロールダンプの地下16階層から“セーブエリア”に上ってきたアッシュとローザは、エリア内に店を出していたアイスクリーム屋台に立ち寄り、アイスを片手に雑談しながら地上へと向かっていた。
赤い舌でイチゴアイスを舐めたローザは、目許を緩めてアッシュを横目で見ながら、「私だと援護できない時でも、アッシュ君なら皆を助けてくれるっていう安心感があるもん」と付け足した。
「オマケに今回は、アッシュ君に斥候まで任せちゃってるもんね~。……いやぁ、人使いの荒いパーティでゴメンね」
「いえ、そんなことは……。それに僕のは斥候なんて上等なものじゃないですよ。ただ、コソコソと周囲を窺っているだけです」
曖昧に笑みをつくったアッシュは俯きがちに視線を逃がして、アイスを舐めた。
「またそんなこと言って謙遜しちゃって」
悪戯っぽい笑みを浮かべたローザが肘を曲げ、アッシュの顔を覗き込むようにして腕を軽く小突いてきた。
「今日だってアッシュ君の御蔭で、トロールを避けるルートを選べてるからさ。16階層まで余計な戦闘が無い分、弾薬費もメチャクチャ節約させて貰ってるし。ホントに助かってるよ」
アッシュは知らなかったが、トロールダンプの16階層周辺はレア鉱石である精霊鋼の採掘ポイントとしても有名らしい。
精霊鋼は魔法伝導率が非常に高いのが特徴で、各種産業で需要があって高値で売れるダンジョン産の鉱石だ。また、ローザが使用する魔導弾の材料にも必要だということで、ここ数日は、アッシュもローザ達の採掘活動を手伝っている。
ちなみに、今回のトロールダンプでの探索は順調で、採れた精霊鋼の量も十分だったようだ。エルン村での戦いで大量の魔法弾を消費したローザにとっては、弾薬補充も兼ねた大きな収入になるということで、彼女の機嫌も良さそうだ。
「僕の逃げ足の速さが、ちゃんとお役に立てているなら良かったです」
「役に立つどころか、こっちが恐縮しちゃうぐらいだよ」
そう言って肩を窄めてみせるローザに、アッシュも小さく笑みを浮かべつつ、考えていた。
誰かからの同行依頼を受けることを、もうアッシュが打ち切るつもりであることを、どのように伝えれば良いのかと――。
エルン村から戻ってきてからアッシュは、すぐにその旨をローザ達に伝えようとしたのだ。だが、できなかった。エルン村からアードベルに帰ってくる道すがらでも、その話を切り出すタイミングは間違いなくあった。
それなのに、アッシュは躊躇った。今もぐずぐずとして言い出せないまま、彼女達に求められる“誰か”である自分を、手放すことに怯んでいた。
今日こそ、言おうと思った。
もう、同行依頼は受けないつもりであると。
そしてこれっきり、彼女達と顔を合わせるのも止めるのだ。
最後の別れなどと言えば大袈裟かもしれないが、それぐらいの気持ちで彼女達とは決別しなくては、アッシュはこのまま、ずるずると彼女達を求めてしまう気がした。
“お前も化け物か?”
ここ数日、イルム町の自治冒険者達の、あの冗談めかした言葉を何度も思い出していた。ローザ達の同行依頼を受けるのも、エルン村での防衛任務で最後にしようと決意したのも、夜の森を彼らと移動しているときだった。
だが、結局アッシュは未練がましく、ローザ達との繋がりを断ち斬れずにいる。
僕という存在そのものを認めて欲しい――。
冒険者ではない、本当の僕を見て欲しい――。
そしてそれでも、僕を必要として欲しい――。
こうした心の変化は間違いなく、あの夜に危惧していた通りに、アッシュ自身の内部に根付こうとしていた。手遅れにならないうちに、早く引き抜かねばならない。たとえ、傷みがあっても、この感情が自分の手に負えないほどに育ってしまう前に。
今だ。そう思った。
今の柔らかな空気なら、言い出せる。
アッシュは一度唾を飲み込み、唇を舐めて湿らせ、ぎゅっと拳を握った。
次の瞬間だった。
「あ、そうそう」
アイスを舐めながら笑みを作ったローザが、何かを思い出したような高揚を含ませた。タイミングを潰されてしまい、アッシュは一瞬、鼻白んでしまう。自分が何を言い出すのか、悟られたのかと思った。だが、違ったようだ。
「アッシュ君と出会った時に討伐したシャーマントロール、覚えてるよね?」
人懐こくも優しいローザの笑顔を向けられると、少しだけ胸が苦しかった。それを悟られたくなくて、アッシュも今の会話に集中した。
「え、えぇ。……強かったですよね。多彩な魔法を高レベルで扱っていたと、ネージュさんも言っていましたね」
「うん。私達だって、トロールのシャーマンを相手にしたのは、あの時が初めてじゃないし、何度も遭遇して、返り討ちにしてきたんだけどね。明らかに、アイツだけ別格だったよ。装備品とかも凄かったしさ」
ローザの話を聴きながら、アッシュも、あの時のトロールシャーマンの姿を思い出していた。よく覚えている。忘れられそうにない。だってあれは、ローザ達と出会った日の事だ。
トロールのシャーマン……。杖や水晶といった装備に、じゃらじゃらと身に着けた腕輪やら首輪などの装飾品が特徴的だった。
「それで気になって、歴史とかダンジョンとか、魔物だとかのマニアに色々と訊いて回ってたんだけど」
そこまで喋ったローザはアイスを舐めつつ、ちょっと真剣な眼になってアッシュを見下ろした。ただ、彼女の口許には笑みが残っていたので、これが暗い話題ではないのだと分かる。
そのことに何となくホッとしつつ、アッシュは先を促すように目線で頷いた。そこで更に勿体ぶるような間を置いたローザは、妙に嬉しそうだった。
「どうもあのシャーマントロール、昔はかなり有名って言うか、伝説的な上位トロールかもしれないよ」
ローザが訊いてきた話は、トロールダンプで大昔に行われた“大遠征”まで遡る内容だった。
この“大遠征”は、ダンジョンの最奥まで踏破して、そこに残されているとされる“魔王”達の負の遺産――異界へと物理的に繋がったままの魔法陣を解除しようというものだ。この世界と異界との接続を断ち、トロール達が入り込んでくることを防ごうとしたのだ。
最初の“大遠征”対象がトロールダンプとなったのは、単純にトロール達による被害が大きかったのが理由だった。トロールダンプから湧き出てくるトロール達は、周辺の農村や集落に壊滅的な被害を与え、牧草地や農地を荒らしまっていた。
各地の森海などで野生化しているトロール達は、この時にダンジョンから出てきた個体の子孫だと言われている。
強靭な身体を持つトロール達は環境適応力も高く、このままでは地上を侵略されてしまうのではと危惧した王国は、トロールダンプを踏破させるべく、かつての“勇者”の末裔達を招集した。
こうして強力な“勇者”の末裔たちのパーティを編成し、正規軍を加え、更に高名な神官と治癒術士を多数同行させた“大遠征”は、世界最強クラスの戦力を投入したダンジョン攻略だった。食料や魔法薬を運び込む為の、野良の冒険者パーティも多数参加していた。だが、失敗した。
“勇者”の末裔たちと、そこに従う軍属のパーティが60階層まで踏破したところで、思わぬ強敵と遭遇した。
それが、上位トロールの戦闘集団だった。
前衛の戦士と後衛のシャーマンに分かれた彼らの集団は“オーグルス”と呼ばれ、勇者の末裔パーティと遜色のない戦闘力と連携を見せたという。“大遠征”は何度か行われたが、この“オーグルス”たちによって勇者パーティは悉く退けられていた。
そして、ローザが訊いてきた話によると、アッシュ達が討伐したあのシャーマントロールは、この“オーグルス”の生き残りではないかと噂されていたようだ。
ローザがこの話を聴き出したのは元冒険者の鍛冶屋からで、もう10年以上前になるが、トロールダンプの10階層付近には時折、洒落になっていない強さのシャーマンが出没するという噂が流れていたらしい。
周囲に多数のダンジョンが存在するアードベルには、胡散臭い伝説や大袈裟な噂、与太話の類は山ほどあるし、毎日のように追加されては淘汰されたりしている。
ローザが訊いてきた話もかなり古い噂ではあるが、当時は上級者パーティがトロールダンプで全滅、あるいは潰走したりしてくることもそれなりにあったのは事実だったようだ。その時に地上へ逃げかえって来た冒険者達は口を揃え、“やばいシャーマンと出くわした”と証言していたという。
「そのシャーマンの特徴と、アッシュ君が前に討伐したシャーマンの特徴がさ、ある程度一致してるんだよ。……どう? ちょっとロマンを感じない?」
手にしたアイスを舐めながら、少年のように目を輝かせるローザは楽しそうだった。
「飽くまで都市伝説的な話だけど、鍛冶屋のオジサンからその話を聞いたらワクワクしちゃってさ。昔の上級冒険者だけじゃなくて、勇者の末裔パーティまで苦戦させた伝説の魔物を、私達が討伐したのかも! ってね」
はしゃいだ声で言うローザだったが、すぐに「まぁ討伐したのは、私達って言うか、アッシュ君なんだけど」と肩を竦めた。「御蔭で私達も全員、無事に帰ってこれたしさ」
「あのときにシャーマンを斃したのは僕かもしれませんが、皆さんが無事だったのは、ローザさんの援護があったからこそですよ」
アッシュは緩く首を振ってから、周囲を見回した。
「そう言えば、他の皆さんは買い物に行かれたんですよね」
「うん。ちょっと色々と見てくるって言ってたよ。此処のセーブエリア、割といろんな店が入ってて、掘り出し物も多いんだってさ」
アイスを舐めるローザが、ゆったりとした視線で周りを見回した。ちょっと不穏な地下商店街といった雰囲気のセーブエリアは、その不健全さと活気のある騒がしさで辺りを満たしている。
「あの3人が目の届かないところに居ると、どこかで揉め事でも起こしてないか、仲間ながらちょっと心配になったりするんだよね」
冗談めかしたローザが、明るい苦笑を漏らした。
「特にカルビとネージュは、前の決闘劇でもやらかしてるしさ」
「……確か決闘劇というのは、8号区大広場で行われる、お祭りみたいなものですよね?」
「あぁ、そっか。アッシュ君は冒険者になって、ちょうど1年ぐらいなんだっけ。だったら、まだあんまり馴染みも無いか」
そう言って軽く笑ったローザが、簡単に説明してくれた。
やはり決闘劇とは、アードベルの冒険者居住区で開催される一種のお祭りであり、腕自慢の冒険者達が魔導人造兵と一騎打ちをするというもので、勝てば賞金も出るそうだ。毎回、我こそはと思う冒険者で盛況なのだという。
決闘劇は冒険者ギルドや機械術士組合、魔術士組合などが合同して主催しており、アードベル市民の娯楽の一つであると同時に、試作段階にある魔導人造兵の実戦テストという側面もあるらしい。
各組合から審査員として会場に来ている者達は、冒険者達の武術や魔術に対し、試作魔導人造兵がどこまで対応できるかを見極めながら、魔導人造兵との試合で怪我を負った冒険者に回復薬を売りつけるようとしているらしい。そのために、錬金術士協会の者達も呼んで救護テントを設けたりもしているとのことだった。
こういった催しでも分かるように、魔術士、錬金術士協会、そして機械術士組合、冒険者ギルドの繋がりは強固で、互いの利権分野を侵害することなく、利益を分かち合うことを第一にしている。
各組織が己の利益を優先しあったところで、碌なことにならないのが分かっているからだ。魔法技術が齎す利益のパイは、奪い合うよりも譲り合う方が結果的に大きくなるのを、先人たちは知っている。
そしてこの利益もまた、アードベルのような超大型都市を含む市町村、街、ひいては冒険者及び住人に還元することで、巨大な経済的循環を生み出す一助となっている。
市民が娯楽として楽しめるよう設計された決闘劇は、まさにその分かりやすい一例だろう。
「お祭りとしては規模も大きめで賞金も出るから、参加するために他の街から足を運んでくる冒険者も多いよ。……まぁ、カルビとネージュは次の大会、出場禁止を食らってるんだけどさ」
「えぇ……、そ、そうなんですか?」
「うん。エミリアはともかく、あの2人は派手にやり過ぎてね」
歩きながらアイスを舐め終えたローザは、困惑するアッシュを横目にカップを齧りながら、目許を緩めた。
「前の決闘劇で、どっちが賞金を多く手に入れられるかってことで競い始めてさ。試作の魔導人造兵を何体もスクラップにして、賞金を全部巻き上げる勢いだったんだよ。それで、他の街から来た冒険者と揉めて、最後には大喧嘩になってさ」
そこでローザは、思い出し笑いを堪えきれなかったように、軽く息を吐きだした。
「カルビとネージュが、他の冒険者を30人ぐらい叩きのめしちゃってね。エミリアが何とか2人を止めてくれたんだけど、賞金も無しになって、ひどい有様だったよ」
楽しそうに話すローザだが、聞いているアッシュの方は頬が引き攣った。
「賞金が無くなるだけで済んで、良かったと言うべきなんですかね……。市街地での冒険者同士の戦闘は、普通だったら厳罰ものじゃないですか」
「まぁ、そもそもが物騒なお祭りだからね。それに、先に手を出したのもカルビとネージュじゃなかったから。そこは正当防衛ってことで、お咎めは無かったよ」
とは言え、2人とも過剰防衛気味だったことは間違いないんだけどね~……。そう言葉を付け足したローザは苦笑を浮かべていた。もう笑うしかないといった感じである。
カルビとネージュの2人が、無闇に誰かを傷つけたりする人間ではないことはアッシュも理解しているつもりだ。だが同時に、敵意を持って近づいてくる者には容赦しないだろうということも想像に容易いので、ローザの苦笑に引き摺られるようにして、アッシュも眉を下げた。
「……ねぇ、アッシュ君」
アイスのコーンまで食べ終えたローザが興味深そうというか、悪戯を思いついた子供のような笑みを浮かべ、隣を歩くアッシュを横目で見下ろして来た。
「な、なんですか?」
アッシュは少し警戒しながら、半歩だけ距離を取った。猫みたいな口になったローザが、キラリと目を光らせていたからだ。
「いや、今度の決闘劇、アッシュ君も出てみたらどうかな~って思って」
「えっ、ぼ……、僕がですか?」
「そ。アッシュ君だって、めちゃんこ強いじゃん? 結構イイ感じで活躍できるんじゃない? 何なら、賞金もガッポリだよ?」
「そ、そうですかね……」と曖昧に応じながら、アッシュはどう答えるか迷った。
気が乗らないというワケではなく、そういった“正しさのある賑やかな場所”に、自分は相応しくないと思ったからだ。だが、それを正直に伝えるのも憚られて、結局は誤魔化すようにして質問を返してしまう。
「……ローザさんは、出場されないんですか?」
話しを逸らすようにアッシュが尋ねると、「私はパス」と、ローザは首を竦めるようにして腕を広げた。
「あの2人と違って、私は近接戦闘もそこまで得意じゃないし、魔法も生まれつき使えないからね。一騎打ちで魔導人造兵になんて、勝てっこないよ」
「でも、ローザさんの扱う魔導銃なら……」とアッシュが言いかけたところで、ちょっと真面目な顔になったローザが指を立てて見せた。
「あとついでに言うと、市街地での魔導銃使用はマジで厳罰だから。下手すると死刑だもん」
「え……、冒険者の戦闘行為が許される決闘劇でも、ですか?」
「そうなんだよ。やっぱり魔導銃ってのは、王族や貴族の人達も危険視している武器っぽいからね~……。ほら、かなり暗殺向きでしょ?」
声を潜めたローザは、ちょっと悪い顔を作ってみせた。冗談だと分かっているので、アッシュも苦笑で付き合い、頷く。
「言われ見れば、そうかもしれません」
引き金を引く。その小さな行為だけで、強力な魔法攻撃を齎す武器と言うのは、権力者や指導者階級の人間にとっては、あまり面白くない存在なのかもしれない。
「魔導銃とか魔法弾を所持するだけで、個人情報をギルドに提出しなけりゃいけないのも、無理ないのかもね。売買するのも届け出が居るし」
僅かに目を細めたローザが、肩から下げた魔導ショットガンをチラリと見た。
「でも裏を返せば、その煩雑さ自体そのものが、魔導銃が強力なことの証だからね~。……まぁつまり何が言いたいかって言うと、私が強いんじゃなくて、私の持ってる装備が強いってこと」
苦笑交じりのローザの口振りには余計な気負いや自嘲、自虐がなく、その言葉が本心なのだと分かった。だからこそローザは、パーティ戦での自分の役割を明確に理解しているに違いなかった。
「私って、等級自体はカルビとかネージュとか、エミリアよりも高いけどさ。実際のところは3人よりも全然、大したことないんだよ」
アッシュ君にとっては、何を今更って感じだろうけど。そう言い足したローザは、窮屈そうに眉を下げて小さく笑う。その自分を見下すようなローザの言い方に、アッシュは何となく、むっとした。
ダンジョン内では誰よりも冷静に状況を把握し、前衛として戦うカルビとネージュ、エミリアに向けて的確な指示を出しながら、魔物に怯むことなく遊撃に走り、3人の援護に回るローザの姿を、同行依頼を受けてきたアッシュは、もう知っている。
だからだろう。生意気な話ではあるが、自身のことを低く評価しているローザの言葉を、アッシュは否定したくなった。
「……でも、その魔導銃や魔導弾の使用や製作ができるのも、ギルドから許可を得た一部の人物だけですよね?」
そう言いながらアッシュも、ローザが肩から下げているショットガンを一瞥してから、ローザの横顔を見上げた。
「魔導銃を扱うには、発砲の際の多大な魔力消費に耐えうる魔力量だけでなく、魔導弾を製作するための特殊な技術や知識が必要だということも、僕は最近になって知りました。……その全てを備えて活躍しているローザさんは、やっぱり凄いと僕は思います」
自分で思っていたよりも真剣な声が出てしまい、アッシュは少し焦った。だが、間違いなく本心であったので別にいいかと思った。数秒の間、驚いたような顔になったローザはアッシュを凝視していたが、すぐに視線を逸らした。
「えぇと、うん、まぁ、……そう、なのかな?」
鼻の頭を指で掻くローザは、アッシュに一瞬だけ目線を返してから、少しだけくすぐったそうに笑みを過らせた。照れ笑いを隠し損ねたようでもある。
歩く速度を少し早めたローザはアッシュをチラリと見て、何かを言いたそうに唇を動かしたが、結局何も言わず、また鼻の頭を指で掻いただけだった。
「……エミリアとかカルビとか、ネージュとかと比べるとやっぱり、ちょっとしょっぱいかもだけどね」
微かに頬を赤くしたローザが眉尻を下げた笑みで、ぽしょぽしょとした声を溢したのは、それから少ししてからだった。ローザの声は、セーブエリアの賑やかさに攫われてしまいそうだったが、アッシュは聞き逃さなかった。
「皆さんも、ローザさんのことを頼りにしていると思います。そうでなければ、ローザさんに背中を預けたりはしない筈ですよ」
どんな明確な事実であっても、身近にあり過ぎると真実味を失うのかもしれない。
「“ローザさんよりも強力な魔導銃を使う人が居たとしても、後衛と遊撃を的確にこなしたり全体の状況を読むことに関しては、誰もローザさんに敵わない”と……、皆さんも言っていましたし」
ほとんど反射的にそこまで言ってしまってから、自分は何を出しゃばった真似をしているのだろうと思い、アッシュは今の自分の勝手な真剣さが恥ずかしくなった。ちょっとだけ頬を赤くしたローザの方も、俯き加減になって「そっ、そうなんだ……」と呟き、右手で髪を弄っている。
「す、すみません。同行しているだけの身で、生意気なことを言ってしまって……」
ローザから視線を外したアッシュは、俯きながら謝罪の言葉を口にした。
「えっ、いやいやっ、同行して貰ってるのは私達の方だから! 生意気だなんてとんでもないよ」
ローザは髪の毛を弄っていない方の手を振って、明るい声を出した。
「何か、気を遣わせちゃったかな。ごめんね。ありがとう」
「いえ。そんなことは……」
アッシュも緩く首を振って、ローザから視線を逸らす。片付けにくい沈黙が続きそうになったところで、セーブエリアの出口が近づいてきた。外の空気が流れこんできているのが分かる。幅の広い通路と階段を上りきると、夕日に近づく太陽の光が、ローザとアッシュを迎えてくれた。
「う~ん! やっぱり、外の空気の方が美味しいね~!」
深呼吸しながら空を見上げたローザが、少しだけ勢いをつけて腕を上げ、ぐぐぐっと大きく伸びをした。そのポーズの所為で、ローザの大きな乳房もぐぐぐっと強調されていた。何気ない仕種であっても、美人でスタイルの良いローザがやると、とんでもないセクシーポーズに見える。
アッシュは慌ててローザから視線を逸らすついでに、頭上へと視線を投げる。空は青く、太陽は頂点を少し過ぎた位置にあった。さぁぁっと涼しい風が吹いてきて、アッシュ達を包むように流れていく感触が心地よい。
「地上に戻ってくるのは夕刻になると思っていましたが、早めに帰ってこれましたね」
アッシュも深呼吸をしてから言うと、隣にいるローザがアッシュの肩を軽く叩いてきた。
「それもあるけど、行きも帰りも、余計な戦闘を省いてるからだよ。これもやっぱり、アッシュ君が斥候に出てくれる御蔭だって」
ローザは明るい笑顔で言ってから、「カルビ達、まだ来そうにないね~……」と、トロールダンプの入り口を振り返る。
「取り敢えず、ここで3人が来るまで待っててあげよっか」
「えぇ。そうしましょう」
アッシュも短く応えて頷き、トロールダンプの入り口を振り返った。トロールダンプの入り口は、端的に言えば、地面に空いた巨大な穴だ。縦向きの洞窟と言った風情でもある。
この入り口の周囲には魔導人造兵が多数配置されているだけでなく、塁壁が築かれ、更には正規軍の監視砦まである。万が一、トロール達がセーブエリアを越えて地上に出てくるようなことがあっても、王国の正規軍が食い止めるためだ。
軍の仕事の規模は、当たり前ではあるが冒険者よりも遥かに大きい。
ダンジョンから出てくる魔物を食い止めるだけでなく、点在する町村や田畑地帯を野生の魔物から守り、神官や医術士、錬金術士が作成した薬品など領土各地に届けるなど、公衆衛生の維持にも関わっている。
「カルビ達を待つ間、ちょっと向こうで座ろうよ」
ローザがアッシュに向き直り、出口から少し離れた場所を指差した。塁壁から少し外に出たところに木陰が在る。アードベルの広場にようにベンチなどは設置されていないが、短い草が芝生のように茂っていて、座り心地は確かに良さそうだった。
「えぇ。行きましょう」とアッシュが頷いてみせると、ローザはすぐに駆け足になって木陰に入り、「ひゃ~、あったかくて気持ちぃ~」と大の字になって寝そべった。
アッシュを信頼しているのか、男として見ていないのか。
あまりに無防備な姿である。草むらの上に豪快に寝転んだ彼女の乳房が、“ぷるるんっ”というか、“たぷたぷんっ”という感じで健やかに弾んだ。本当に気まずくて仕方がない。
軽く咳払いしたアッシュは視線を落ち着ける場所を探すように、適当に辺りを眺めることにした。そこで魔導人造兵がこっちを見ていることに気付く。ダンジョンの入り口前で暢気に寝転んでいるローザの姿は、彼らには不審者に見えるのかもしれない。
「……あそこの魔導人造兵、ローザさんを見てますよ?」
アッシュは言いながら、ローザの方を見ないようにして木陰に腰を下ろした。
「大丈夫だよ。別に悪いことなんて何もしてないし」
欠伸交じりの気の抜けた声に、アッシュは横目でローザの方を窺った。
エルン村からアードベルに帰ってきてから、魔法弾関連の出費を補填すべく、色々と計画を立てるだけでなく、連日連夜、魔導弾の製作を行っていたらしい。その影響もあってか、この気持ちの良い暖かさの中では、どうしても眠気を覚えるのかもしれない。
大の字になって寝転んでいるローザは少しだけ顔を上げて、気の緩んだような眠たげな笑みを浮かべて魔導人造兵を眺めていた。
「何か言ってきても、大人しく言う通りに従えば問題ないって。別に襲い掛かって来るワケじゃないんだから」
気楽そう言うローザからは悪意らしきものを感知できなかったのだろう。此方を見ていた魔導人造兵はすぐに警邏に戻っていった。異常は無いと判断したのだ。
彼らが傍に居る限りは、ローザがどれだけ無防備に過ごしていても、まあ安全ではある。墳墓などのダンジョンの入り口付近では、生い茂った木々の所為で魔導人造兵の目が十分に届かない場所もある。そういったところでは、冒険者を狙った冒険――レイダーと遭遇することもある。
「確かに、魔導人造兵が襲い掛かってくることはないでしょうけど……。やっぱり、あんまり無警戒だと危ないですよ。トロールダンプはレイダーも多いそうですし」
「……みたいだね~」
欠伸を飲み込むような気配と共に、大きく伸びをしたローザが声を少し固くした。
「難関ダンジョンとはいえ、トロールの魔晶石は高値で売れるからさ。セーブエリア付近の3階層とか4階層あたりで、何とか1体か2体ぐらい討伐しようっていうパーティは結構多いんだよ。実際、今日のセーブエリアも賑わってたでしょ?」
そう言われて、アッシュは頷く。セーブエリアで見かけた冒険者の中には、3等級の冒険者も少なくなかった。
2等級以下の冒険者たちがトロールダンプに訪れるのは、トロールを狩って稼ごうというよりも、難関ダンジョンにチャレンジするという意味合いが強いらしい。こういった場馴れしていない冒険者達は、レイダーにとっても格好の獲物になる。
「レイダー達が動いてるのも、この3階層から4階層までの間だろうね。それに比べて……」
そこで言葉を切ったローザは、大の字になったまま空を見上げた。温かく緩やかな風が吹いてくる。
「ダンジョンの中と違って、此処には魔導人造兵が何体もうろついてるし、正規軍の監視砦まで傍にあるんだから。昼寝ぐらいしてても平気だって」
寝転がったまま、のんびりとした声で答えるローザに、「まぁ、それはそうかもしれませんが」と、アッシュは眉を下げて苦笑を返す。ローザの大胆とも悠長とも言える態度にも、上級冒険者の貫禄があるように思えた。
「それにさ」
ローザがもう一度伸びをしてから、ゴロンと寝返りを打った。
「もしも私がレイダーとかに襲われても、アッシュ君が守ってくれるって信じてるからね。だからこうやって、安心して寝転がってられるってワケ」
横向きに肘杖をつく姿勢になった彼女は、「にひひっ」と悪戯っぽい笑みを見せる。少女のように笑うローザは、じゃれついてくるような口調だった。
彼女は美人だが、こういう時には可愛さが前に出てくる。
ただ、先程からローザが“レイダー”という言葉を口にする度に、その声音には、微かな翳りと緊張があるのをアッシュは感じていた。
エルン村でレイダーに襲われた時も、ローザは取り分け、レイダー達に対して厳しい態度を取っていたのを思い出す。もしかしたら彼女の過去に、何らかのレイダー達が何らかの影を落としているのではないかと思った。
それを無邪気に尋ねるのも憚られたし、この場で訊くべきことでは無いだろう。代わりに、アッシュは静かに頷いた。
「えぇ。……僕が助けられるのなら、ローザさんを必ず守ります」
出来るだけ、今の穏やかな空気を壊さないように言ったつもりだった。
そして、後悔した。今日でローザ達と別れようと思っているのに、そんな勝手なことを言っている自分が、酷く浅慮で不誠実にも思えた。
だが、以前とは少しだけアッシュの考え方が変わったのは事実だ。
ソロでダンジョンに潜っている頃なら、そういう悪党の手合いは相手にせずに済んだ。徹底的に無視すればいいだけだった。放っておけばいい。アッシュに追い縋ってこれるような者は、今まで誰も居なかった。
今、もしも本当にレイダー達が襲い掛かってきたのなら、今のアッシュは逃亡を選ばない。
アッシュ自身を害しようと近づいてくる者達ならば、特に何も思わず対処するだろう。だが、それがローザを害しようとしている者達ならば、アッシュは敵意と害意を以って、積極的に殺傷するだろうと思った。
結局のところそれは、アッシュ自身が自分よりも、ローザのことを大切に感じていることの証拠なのだろうと自覚する。――そしてこの感情を処理するためにも、ローザ達からの同行の依頼を受けるのも、今日で最後にすべきだと思った。
このアッシュの後ろ向きな決断を慰めるように、穏やかで、温かな風がまた吹き抜けていく。心地良い風だった。
「そ、そっかぁ……。うん、ぁ、ありがと」
アッシュから帰ってくる反応が、思ったものと違ったのか。また少し驚いたように目を丸くしたローザが、そっぽを向いて鼻の頭を掻いていた。
不自然な感じに会話が途切れている間に、アッシュも茂った草の上に腰を下ろしてみる。陽の光に温められた感触は柔らかく、ローザが寝転んでしまった気持ちも分かる。アッシュは後ろに手をついて、ゆっくりと深呼吸した。
――“お前は無価値だ”
不意に、あの男の声が耳の奥に蘇って来た。
――“お前の意思になど、意味はない”
――“お前は人形だ”
――“お前は出来損ないだ”
男の声はアッシュの意識の隙間を縫って、暗い記憶が滲み出すかのようだった。アッシュは唾を何度も飲み込みながら瞑目し、男の声が消えるのを待とうとした。
だが、その必要は無かった。
「アッシュ君て、今は一人で住んでるんだよね?」
傍に居るローザの快活で気軽な声が、頭の中に響いてくる男の声を掻き消してくれた。
「……えぇ。アードベル4号区の貸し宿で、部屋を借りてます」
アッシュは答えながら、自分が拳を握り固めていたことに気付いた。そっと手から力を抜きながら、細く息を吐きだす。ローザの方へと顔を向けると、彼女は上半身を起こしていて、片方の膝を抱え込むような姿勢だった。
その膝の上に頬を乗せたローザは、何かを確かめるような目つきでアッシュを見つめていた。澄んだ桃色の瞳に見据えられて、アッシュは何故か少し怯みそうになる。ローザの眼差しが、余りにも真っ直ぐだからだろうか。
「ふぅん……。その借りてる部屋ってさ、かなり豪華だったりする?」
「いえ、豪華というか寧ろ、かなり質素な方だと思います。一応、シャワーとトイレはありますけど」
「なるほど~……。じゃあアッシュ君てば、実は凄いグルメだったり? ほら、料理も上手だしさ」
「多少の料理は出来ますけど、美食街の方には殆ど行きませんし……」
「ほうほう。じゃあ、ギャンブルとかは? 4号区だと歓楽街も近いでしょ?」
「確かに、宿から歓楽街は近いので夜も騒がしいですね。でも、殆ど通ったことはありません」
「そっかー。夜遊びもしてないんだー……」
面白くなさそうというより、ちょっと残念そうに言うローザを横目に見たアッシュは、この話がどこに向かうのか少し怖くなった。ローザの明るい声で紡がれる言葉は、紛れもなくアッシュの内部に向けられたものだ。何でもない雑談に紛れ込んだ彼女の真意が、少しずつ近づいてくるような気配があった。
何か、話題をかえるべきだと思ったが、間に合いそうになかった。
「無欲なんだね、アッシュ君は」
ローザの声には、アッシュを馬鹿にしてイジろうとするような気配は無い。ただ妙に澄んでいて、アッシュとの距離を確かめ直すような響きがあった。
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また次回更新の際には、皆様にお付き合い頂けば幸いです。
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