第39話 傍観者よろしく



 エルン村から少し外れた草原では、太い煙が幾条も上がっていた。


「しかしまぁ……。焼かなくちゃいけねぇゾンビ共の量がヤベェな」


 軽装のカルビは肩に戦斧を担ぐように持ちながら、疲れた声を出した。彼女の目の前では巨大な炎が渦を巻き、燃え盛っていた。


 だが燃え広がることはなく、赤橙色の炎は荒々しさを保ちながらその場に留まり続けている。カルビの意志に忠実な巨大な獣が、狩りの命令を待つかのように。或いは、餌を与えられて貪るように。


 あの獰猛な炎は、カルビが編んだ魔力の炎だ。そしてあの炎に包まれているのは、エルン村を襲って来たゾンビ共の残骸である。


「これでやっと半分超えたぐらいか?」


「えぇ。多分、それぐらいだと思います」


「……マジで大量だな。やってられねぇ」


「北側防壁での戦いで倒したゾンビも、かなり多かったですからね」


 覇気のないカルビの声に苦笑で応じながら、アッシュは草原を見回してみる。


 今日は朝から快晴だが陽射しは柔らかく、心地よい風が緑の匂いを運んでくる。このエルン村に本来あるはずの長閑さを、この景色自体が思い出そうとしているかのように感じられた。


 そんな穏やかな草原の彼方此方あちこちでは、炎と煙が点在している。村を攻めてきたゾンビの残骸をここまで運んできて来て寄せ集め、それを焼いているからだ。


 ゾンビの肉片やら何やらは、アイテムボックスを用いて運ぶことが可能だったので、そこまで重労働ではなかった。ただ、ゾンビの腐肉を焼却処分するには、ただ燃やせばいいという単純なものではなかった。


 ゾンビの腐肉はネクロマンサーの魔力によって汚染されており、そのまま土に返せば土地が汚染されてしまう可能性があるからだ。


 この厄介なゾンビの残骸は焼却処分をするにしても、まずは治癒術士が“浄化の霊炎”などの魔法で、ゾンビの腐肉から魔力汚染を取り除かねばならない。更に普通の火では焼き尽くすことも困難なので、魔術による炎を要したのだ。


 今も、エルン村に残っていた冒険者パーティや、『正義の刃』に所属している魔術士、治癒術士達が協力し、精密な魔法処理によってゾンビの腐肉を灰に変えて行っている。


「ただ焼くだけなのに、余計な手間が掛かるのが面倒くせぇんだよ」


 ボヤくようにカルビは言いながら、ボリボリと頭を掻いた。


「だがまぁ、魔力汚染を残したまま焼いちまうと、あとの灰だの炭屑だのの浄化処理が必要になっちまうっつーオチだからな」


「えぇ。きっと、そちらの方が大変だと思います。ゾンビの肉塊を少しずつ浄化しながら、焼却していくしかないですよ」


「面倒だが、やるしかねぇ……ってか」


眉を押せて顎をしゃくれさせたカルビが、流れていく雲の長閑さを羨むように見上げながら、気怠そうに息を吐いた。


「ローザ達も、崩れた村の建物なり防壁なりを直すのに大忙しだしな」


 カルビの言う通り、ローザとネージュ、そしてエミリアは、今のアッシュ達とは別行動だ。ローザ達は村の内部の片付け、修繕に回ってくれている。


「……アタシ達だけ楽するわけにもいかねぇか」


 仕事の山を目の前にして、渋い苦笑と溜息を溢すかのような、いかにもやる気が無さそうに続けるカルビだが、その声音とは裏腹に、大戦斧を肩に担いだ彼女の表情は引き締まっていた。


 口では文句を言うカルビだが、基本的に根は真面目なのだ。


「えぇ。僕も手伝います」


 アッシュも頷いてから、カルビの視線を追うように空を見上げてみる。


 少し深く呼吸をしたところで、草原を渡ってきた緩やかな風がアッシュの頬を撫でていく。涼やかで心地よい風に揺れる草の音は、今のエルン村の忙しさを冷やかすような平穏さだ。


 女神ゾンビの襲撃を退けてから、今日で4日目。


 明らかになったエルン村の被害状況は、小さなものではなかった。


 クラン『正義の刃』のメンバー、そして冒険者達が力を合わせた神殿防衛戦における攻撃魔法の余波や、墜落した有翼ゾンビの巨体によって、村の家屋の幾つも押し潰されるように破壊され、崩れ落ちていた。


 村の彼方此方に転がる、肉塊と残骸と化したゾンビ共の焼却処分も含め、戦いを終えたあとのアッシュ達は、そうした後始末に追われることになった。


 建物を修繕するのも、そしてゾンビ共を片付けるための人手も、戦いが終わってからの疲労状態の中では、なかなか揃わなかった。


 そしてそもそも、戦いの中で負傷した者の数も少なくなかった。


 エルン村を守るための戦いには勝利したが、誰もが疲弊していた。


 そこでまずは、村の住人の体力と気力の回復を優先しつつ、戦い終えた冒険者達の傷を少しずつ癒すことになったのだ。


 クラン『正義の刃』のメンバー達が寝泊まりしていた長屋には現在、包帯、ガーゼ、傷薬や麻酔薬などが大量に持ち込まれ、傷が癒えきっていないクランメンバーや他の冒険者達が並んで横たわっている。


 治癒魔法によって大きな負傷を一気に完治させようとすれば、被術者の寿命を大きく削ることになる。そのため、重傷者には数日の時間をかけて、傷を塞ぐ処置を取っているのだ。


 神殿防衛戦が終えてから2日ほどは、治癒術士であるアッシュも、負傷者の回復を手伝いに足を運んだ。


 清潔感と閉塞感のある薬品の匂いと、幾人もの人間の体温が無造作に混じり合う空気の中、治癒と治療を待っている者達が無造作に寝転んだり座り込んだりしているのは、ちょっとした野戦病院のような風情だったのを覚えている。


 ただ、本当の野戦病院のような緊迫感は無かったし、痛みに叫び、もがき苦しむような者も殆どいなかった。寧ろ、多くの種類の談笑が小さく弾けながら、リラックスした気配が漂っていた。


『正義の刃』に所属している治癒術士隊のメンバーが、入れ代わりで重傷者の治癒を継続しているため、命の危機に曝されているような重体の者は、もう既に回復は済ませていたからだ。


 止血、痛み止め、応急処置用の治癒魔法薬に関しても、『正義の刃』が十分に用意してくれていたのも大きい。このあたりの準備の量や周到さは、やはり武闘派クランと言ったところだろう。


 負傷者の数は多かったものの、その大半は、体の奥深くまで与えられた傷と、そこに残った痛みを安静にしながら取り除いていく段階だった。



「そう言や……神殿の礼拝室で寝込んでる村の奴らも、まだ多いんだろ?」


 カルビが首を曲げて、眉を下げた顔になって聞いてくる。


「えぇ。あの夜の戦いから、まだ傷が癒えきっていない人達も多いですから」


 ゾンビの群れと戦った冒険者達だけでなく、村の住人たちの中からも、体調不良を訴える者や、気力を消耗しきったように倒れる者も出た。


 無理も無かった。戦闘の経験も碌に無いまま一晩中、生きるか死ぬかの緊張に曝され続けたのだ。これで心身共にダメージを負わないという方が不自然だろう。


 精神的な消耗、体調不良を訴えた村の住人達は、神殿の礼拝室の一角を医務区画として、そこで治癒施術を受けられるようになってある。


 昨日の夜から今朝まで、アッシュも冒険者パーティ所属の治癒術士達と共に、神殿で身体を休める者達を癒すことを手伝っていた。エルン村の神官達も、今は規則ではなく教義と良心に従い、無償で治癒魔法を提供していた筈である。


「……まぁ、冒険者も村の奴らも、バタバタとくたばるようなことにならなかったっつーのが、何よりだよな」


 遠くの方へと視線を投げたカルビが、軽い溜息と共に溢した。自分に言い聞かせるような、随分と抑えられた低い声音だった。


「本当に、それが一番良かったですね……。村に戻って来られた『正義の刃』の別動隊の方々も、皆無事だったようですし」


 アッシュが控えめに頷くと、「だな」とカルビが軽く笑った。


「今回のネクロマンサー共の狙いが何であれ、調査中だっていう地下施設がどういうモンであれ、アタシ達が生き残ってること以上に重要なことは無ぇよ。……んん?」


 そこでカルビは、訝しげに眉を寄せて首を曲げた。


 その視線の先では、他の冒険者パーティの魔術士と治癒術士が、ぐったりと草原の上に座り込んでいた。どちらも若い男性で、彼らの目の前には焼却すべきゾンビの残骸が積まれている。


 まだ浄化処理が終わっていない様子だが、見たところ、彼らは酷く疲れている様子だった。少し顔色が悪いようにも見えるし、もしかしたら体調でも悪いのかもしれない。


 アッシュ達が担当しているゾンビの焼却作業は、今日も朝早くから続いている。既に5時間近くは休憩なしでの魔力行使が続いているため、肉体や精神にも、そろそろ疲労が降り積もってくる頃合いだった。


 とはいえ、アッシュもカルビも、まだ他人の心配を出来る程度には余裕がある。


「……少し、声を掛けて来ましょうか? 体力回復の魔法なら、僕も少しは扱えますし」


 言いながら、魔力回復用の魔法薬も一緒に渡すべきかと考えていたアッシュが歩いていこうとしたところで、ぐいっと襟首を後ろから引っ張られる。


「うっ……!?」息を詰まらせ掛けながら後ろに仰け反ったアッシュは、そのままカルビの腕に抱き留められて、くしゃくしゃと頭を撫でられた。


「アタシが行って来る。お前は此処で、ちょっとのんびりしとけ」


「えぇと、でも……」


「お前は働き過ぎなんだよ。村のヤツから聞いたぞ」アッシュが喋ろうとするのを遮るようにして、少し屈んだカルビは戦斧を地面に突き立てたあと、アッシュの両頬をムニムニと摘まんでくる。


「昨日も殆ど寝ずに、ずっと神殿で他の奴を癒してたんだろ?」


「え、えぇ、まぁ」


 昨晩、アッシュは神殿で、体調不良や疲労が残っている村人の治癒と処置にあたっている神官達の手伝いをしていた。


 一方の買カルビは、『正義の刃』の治癒術士隊のメンバーと共に、冒険者達の治癒にあたっていたはずだ。ローザやネージュ、エミリアは、再びゾンビや魔物が村に忍び寄ってこないかを見張るための守備任務に就いていた。


 ネクロマンサーの操る女神ゾンビ、そしてゾンビの群れは退けたものの、まだ安全だとは言い切れない。寧ろ、疲弊している今こそ気を引き締め直さねばならないタイミングだと、サニアも判断しているらしい。


 そもそもネクロマンサーの脅威があろうとなかろうと、野生の魔物に対する守備体制は常時必要だ。『正義の刃』の別動隊も村に戻って来ていたので、彼らが中心となって村の防衛任務は継続されている。


 今のエルン村の平穏さは、冒険者全員の力によって維持されているものだ。


 だからアッシュは、自分だけが特別に気を張っているという感覚は無かった。体調自体も悪くない。だがカルビから見れば、アッシュの表情や所作にも、意識できない程度に疲れが現れているのかもしれなかった。


「ちょっとぐらい肩の力を抜けよ。そんな風に自分を痛めつけるみてぇにして、誰かに尽くそうとするのは感心しねぇぞ。お前の悪いところだ」


 指を向けて来るカルビの顔は少し怒っていたが、その声は優しく、草原の静けさに馴染んだ。彼女がアッシュのことを心配してくれていることを察せないわけではなかったし、素直に嬉しく思った。


「……気を付けます」申し訳なさを苦笑で伝えて、アッシュは少しだけ頭を下げた。「では、お願いしますね」


「おう。ちょっと行ってくるぞ」


 カルビは鷹揚に言ってから唇の端を持ちあげ、アッシュの肩を叩いて歩いていく。強くもなく弱くもない、繊細な力の籠め方だった。他者に対して興味も敬意も払わず、ただ自分勝手に生きてきた者には絶対に出来ない力加減だと思えた。


 ――カルビは冒険者を続けながら、何を求めているのだろう?


 草原の上にへたりこんでいる魔術士、治癒術士らしい男性2人に歩み寄っていくカルビの背中を見送りながら、アッシュはふと思った。


 数日前に、エミリアが冒険者を続けているのは、クラン結成を目指しているから、という話を聞いたのを思い出す。あのときのエミリアと同じように、カルビの持つ強さの背後にも、何らかの切実な想いと理由があって、冒険者を続けているのではないか。


「おーい。手を貸してやるぜ」


 恩着せがましく言いながらカルビが近づいていくと、草原に座り込んでいた魔術士、それから治癒術士らしい男性2人が、やや鬱陶しそうに顔を上げた。


 疲れているらしい2人の表情には苛立ちが滲んでいたが、すぐにカルビが担いでいる大戦斧の巨大さに目を丸くしている。


 そして、数日前の神殿防衛戦で、爆炎の魔力を纏って戦っていたカルビの姿を思い出したのか。顔を見合わせた2人は慌てた様子で立ち上がって背筋を伸ばしつつ、顔を引き攣らせつつカルビに会釈をし始めた。


 アードベルから遠く離れた地でも、他者からの畏怖を集めてしまうカルビの存在感は寛ぐことがない。それに彼女の持つ、意外に世話好きな一面も。


 その様子を眺めていたアッシュが、ローザ達がカルビの事を好ましく思うのを、改めて理解できると思ったときだった。


「あー! アッシュ君だ!」

「え! あっ、マジじゃん!」

「おーい! アッシュくぅ~ん!」


 瑞々しく華やいだ声が、草原の静けさを彩りながら近づいてくる。アッシュが振り返ると、3人の女性冒険者がアッシュに手を振ってくれていた。彼女達の名前は教えて貰っている。


「あぁ、おはようございます。ルフルさん。それに、マリーテさん、ステファさんも」


 アッシュが軽く頭を下げると、彼女達は嬉しそうに声を弾ませた。


「チィ――ッス! アッシュくぅーん! 今日も可愛いね~! 」


 馴れ馴れしいというよりは、人懐っこい笑みでピースサインを作って見せた彼女の名は、確か、マリーテ=ルノティフだった筈だ。


 彼女は背も高いしスタイルもいいので、艶のある赤紫の髪を後ろで束ねているのも、颯爽とした雰囲気があって似合っている。すっきりとした美人顔と、切れ長だが少し垂れ気味の目許が印象的な女性だ。


「おはよぉ、アッシュくぅん! っていうか、あたし達の名前も覚えてくれてんの、何気に嬉しいんだけどぉ!」


 艶のある褐色の肌、猫のようにくりくりとしていながらも、何処か眠たそうな目、そしてクリーム色のセミロングの髪の毛が色っぽい彼女の名は、ステファ=シェルル。無邪気な少女のような笑顔に、ぷっくりとした彼女の唇が艶を与えている。


 2人は小洒落た濃紺色の魔術士装束の上から、『正義の刃』が採用している軽装防具を身に着けている。だが今は非戦闘時であるためか、胸当ての類はしていない。それに、ある種のファッションのように魔術士装束の胸元をはだけさせて着崩している。


 いい加減でだらしない着方という感じではなく、彼女達の感性とファッションによるものだと分かった。ただ、『正義の刃』のクランメンバーらしからぬというか、やや露出度の高い恰好だ。


「そりゃあ言うて、最強ギャルのあーし達とアッシュ君は、バッチリ共闘した仲だしぃ?」


 明るい声で言いながら、アッシュにずんずんと近づいてきたのはルフルだ。


「あーし達とアッシュくんの間には、確かな絆が芽生えまくりだもん、ねー?」


 アッシュの目の前まで来たルフルは、膝に手をついて屈むような姿勢になって悪戯っぽくウィンクをしながら、ぺろっと唇を舐めて見せた。


 暗黄の魔術装束と軽装鎧を組み合わせた姿のルフルもまた、胸元を大胆にはだけさせていて、揺れる乳房の豊かさを強調するかのようだった。しかもルフルは腰を落として前屈みになっているので、アッシュは目の前に乳房が突きつけられているような状況だ。


「え、えぇ。神殿の防衛戦では共闘させて頂いて、お世話になりました」


 ルフルの乳房の谷間を見ないように、こっそりとアッシュは視線を斜めに逸らしながら頭を下げた。勿論、そのまま頭を下げるとルフルの乳房に頭突きをしてしまいかねないので、2歩ほど下がりながらだ。


「もぉー。そんな堅苦しい挨拶はいいって」


 屈んでいた身体を起こしたルフルが、不満そうに頬を膨らませて腰に手を当てた。


「そーそー」とマリーテが赤紫の髪を揺らして、うんうんと頷く。「ウチらには、もっと砕けた態度でいいよ。そんな肩肘張ってたら、疲れちゃうっしょ?」


「もっと甘えてくれるくらいの方が、あたしとしても嬉しいかなぁ」にんまりとした柔らかい笑みを浮かべたステファが、甘ったるい言い方をした。「まぁ、そういう真面目なところが、アッシュ君のいいところなんだろうけどね~」


「でも、真面目に戦ってるときのアッシュくんって、めちゃんこ強いし、目つきとか雰囲気とかバチバチに怖かったしさ~。今の可愛い感じのアッシュくんじゃないと、ウチらはビビって声も掛けれなかったと思うけど」


 嫌味のない言い方をするマリーテが、冗談めかして笑う。心臓に鈍い痛みを感じた。アッシュは危うく顔を引き攣らせそうになって、咄嗟に笑みを作った。


 二振りの短剣、エンクエントとパルティダを振るい、敵対するものを破壊している自分。

 リユニオンを手に治癒魔法を扱い、村の人々を癒している自分。


 本来なら僕は、どちらに重心を置くべきなのだろう。

 本当の自分は、どちら側の本質を備えているのだろう。


“テメェ、何者だよ……”


 怯えと驚愕交じりのネクロマンサーの掠れた声が、また聞こえた気がした。今はそれを無視したアッシュは、何とかこの場に相応しい笑みを取り繕う。


「……今日は皆さんも、焼却作業に入られていたんですね」


「うん。あーし達は魔術士だし、ステファは治癒術系統の魔法も扱えるからさ」


 ルフルがステファの方を見ると、彼女は目の横あたりでピースサインを作って、「凄いでしょ~?」と無邪気な笑顔を浮かべている。


 ステファのピースサインには、同じように顔の横にピースサインを作ったルフルが「イェーイ!」などと言いながら応じた。そのついでに、ルフルは視線だけで草原を見回していた。


「そんでもって、浄化も焼却もやりながら、ついでに言えば、草原に火が燃え広がったりしないように気を付けるのが、サニアから指示されたあーし達の仕事って感じ」


「水、土属性の魔法を、ウチが得意としているからさ。万が一の時の消火役ってワケ」


 自分を指差してからからと笑ったマリーテが、「まぁ、消火役はそろそろ交代なんだけどね~」と、背後を振り返った。彼女の視線を追うと、少し離れたところで2人の青年の姿が見えた。


 彼らの名は確か、レニー=スコーブ、そして、ガヴェリー=レイゴッドだった筈だ。金髪美青年のレニーが、アッシュに向かって深く頭をさげてくれている。傍にいる黒髪のガヴェリーも、丁寧な会釈をしてくれた。


 アッシュも慌てて頭を下げる。


『正義の刃』の魔術士隊に所属している彼らが、マリーテやステファ、そしてルフル達の仕事を引き継ぐことになっているようだ。


 そこでマリーテが「それにしてもさぁ~」と、芝居がかった仕種で肩を落とした。


「アッシュくんも朝から働き詰めでしょ~? 早朝からゾンビを運んでは焼いての繰り返しだし、マジでお腹空かない?」


「はーい! あたしは腹ペコでーす!」ふわふわとした笑顔のステファが、暢気な声で言いながら挙手をした。「お腹と背中がくっつきそうでーす!」


「ウチも、おっぱいが萎んじゃいそうでーす!」と、この話題を持ち出したマリーテも、半笑いになって挙手をした。


「じゃあ、多数決ぅ!」


 楽しそうな顔になったルフルが勇ましい声を発した。


「あーし達の仕事もひと段落しそうだし、そろそろお昼ゴハンにしたいひと―!」


「「ウェーーイ!!」」


 声を弾ませたマリーテとステファが、挙手をしていた手で勢いよくハイタッチをした。そしてルフルも満面の笑顔を作って、両手を上げて2人とハイタッチをしてみせる。


 彼女達の連帯感というかテンションに置いてけぼりにされつつあったアッシュだったが、そう言えばと思って空を見上げる。


 さっきは殆ど意識しなかったが、太陽は空の頂点に差し掛かりそうな位置にあった。懐中時計で時間を確かめるまでもなく、もう正午近くであることが分かる。


「というワケで!」


 言いながらルフルが、小走りになってアッシュの後ろに回り込んでくる。


「ねぇねぇ! アッシュくんも一緒にさ、あーし達と一緒にゴハン食べに行こうよ!」


 やはり楽しそうなルフルは、快活な笑顔のままで後ろからアッシュの顔を覗き込んでくる。この嫌味のない人懐っこさはローザと似たものを感じるものの、ルフルの方が若干距離が近い。


 距離感と言う意味でも、そして物理的にもだ。さっきからアッシュの首元に乗ってくる、たっぷりとした柔らかな重みと温かさが気まずい。しかも、ルフルに肩を両手で掴まれているため、アッシュは前にも横にも動けない。


「え、えぇ。でも、僕はカルビさんを待っているところなので……」


 やんわりと断りながら、密着してくるルフルから身体を離そうと思ったアッシュの言葉を、マリーテのはしゃいだ声が遮った。


「そうと決まれば、ウチらと村まで行こっか! 腹が減ってはテンサゲって言うし!」


 ニッと唇の端を持ち上げたマリーテが、うきうきとした様子でアッシュの右側から身体を寄せて来て、更には腕を絡ませてくる。


「あたし達も、実はアッシュくんと色々と話をしたいと思ってたんだぁ」


 ふんわり笑顔のステファが、「えへへ~」とアッシュの左側から身体を寄せてきて、マリーテと同じように腕を絡ませてきた。


 ルフルもそうだが、マリーテにしてもステファにしても、アッシュよりも上背がある。それに加えて彼女達のスタイルの良さもあり、アッシュの顔の高さに彼女達の胸があるのだ。


 可憐で魅惑的なルフル達の乳房が、左右と背後から迫ってくるのは絶景なのかもしれないが、興奮や喜びよりも当惑の方が勝っていた。


「あ、あの、ですから僕は……っ」


 この話題をどうにかして切り上げて、彼女達の体温から逃げようとしたときだった。


 いきなりだ。草原の中に爆音と爆炎が上がる。ルフル達が「えぇッ!?」「ひゃあ!?」「んひっ!?」と三者三様の驚きの声を上げて身を竦ませ、アッシュに縋りつくようにして、その柔らかな身体をぎゅうっと寄せて来る。


 彼女達の体温に押し潰されそうになったアッシュも、「もぁぁー……!」と変な声が出そうになった。


「オイオイオイ……」


 そんなアッシュ達のもとに、とんでもなく低い声が届いてくる。


「アタシのアッシュに抱きついて随分と楽しそうだなぁ、お前ら」


 さっきまでの草原の長閑さを焼き払うかのように、濁った赤橙色の魔力が塗された熱風が、身体を叩くように吹いてきていた。


 物騒に片目を窄めながら笑顔を浮かべているカルビが、大戦斧を担ぐように持ちながらこっちに歩いてくる。彼女の背後では、積まれていたゾンビの残骸が轟轟と燃え上がっていて、ものすごい迫力だ。


 さっきまでカルビの治癒と回復を受けていたのだろう魔術士と治癒術士の男性2人はといえば、さっきの爆風によって吹き飛ばされたのか、草原の上でひっくり返っていた。


 取り敢えず彼らは無傷ではあるようだし、彼らが処理に手こずっていたゾンビ処理もカルビが片付けたようなので、まぁ、問題は無いのかもしれない。魔法炎の扱いに長けたカルビなら、草原に延焼させることもないだろう。


 カルビは優秀な冒険者らしく、他者の仕事を手伝ってきただけである。


 ただ、此方に歩み寄ってくるカルビの存在感と威圧感は凄い。まるで空腹で不機嫌になっている巨竜が、自分の巣穴に攻め込んで来た冒険者パーティを見つけたかのようだ。


「アタシも混ぜろよ」


 凄みのある笑顔で言うカルビに、身の危険を感じたのだろう。


 アッシュの左右から抱き着いてきていたマリーテとステファが今度は、ささっとアッシュの後ろに回った。丁度、ルフルを間に挟むようにして、アッシュの背後に隠れたのだ。とはいえ、アッシュよりも彼女達の方が背も高いので、全く隠れてはいない。


 ただ彼女達も、今回の戦いの中でカルビという人物が、噂で語られるように無闇に暴れたりはしないと知った筈なので、ちょっとは強気になれるのか。


「こんちゃーっす! カルビさん! あと暴力はんたーい!」


「ちわーっす! あとついでにィ、アッシュくんの独り占めも、はんたーい!」


 マリーテとステファが挨拶に付け足して抗議の声を上げるが、「暴力でも独り占めでもねぇよ」とカルビが鼻で笑う。


「アタシはまぁ、アレだ、アッシュのお姉ちゃんみてぇなモンだからな。アッシュが悪い女に騙されないよう守るのが、このカルビお姉ちゃんの役目なんだよ」


 余りにも堂々とお姉ちゃん面をするカルビに、今度はルフルが挙手をした。


「あーし達は悪い子じゃないので、大丈夫でーす! ね? アッシュくん、ねー?」


 ルフルは同意を求める言い方をしながら、アッシュの顔を覗き込むようにして右肩に顎を乗せて来る。カルビが眉間を絞って舌打ちをするのが聞こえた。


 それでも険悪な雰囲気にならないのは、ルフルもカルビも、互いの実力と人格を認めているからだろう。そしてそれは、アッシュも同じだった。


「えぇ。そう……ですね」


 頷きながらアッシュは、身体を密着させてくるルフル達の腕を解きながら、振り返る。


 あまり深刻に言葉を受け取っていてはキリが無いが、何故かこの時は『悪い人』という言葉が、やけに強い言葉に聞こえたのだ。


「エルン村に詰めている冒険者の皆さんが、どのような人生を送ってきたのかは全く分かりません。誰にも明かすべきでもないような、暗い傷痕や想いを抱えているひとも、少なくかもしれません。でも……」


 あの夜は、そういった者たちも冒険者の一人として、エルン村の為に命を懸けて戦った。その紛れもない現実は、無かったことにはならない。敢えて善悪という基準で人を分けねばならないのだとしても、その事実の尊さを無視することはできないだろう。


「他の冒険者の方々を含め、この村を守るために戦かった皆さんのことを、悪い人だと思うのは難しいです」


 正直な思いを口にすると、アッシュ自身も意識はしていなかったが、自然と口許に笑みが浮かんだ。


 するとマリーテとステファが、「う……」とか「ほわぁ……」などと変な声を漏らし、ちょっと驚いたような顔になってから、何度か瞬きをしながら頬を赤らめた。


 衝撃を受けたように目を少し見開いたルフルも、唇をへの字に曲げて僅かに体を引いている。


「……いやぁ、アッシュくん。そんな風に笑うのはズルいってぇ……」


 渋い顔になったマリーテが頬を指で掻き、ちょっと悔しそうに呟いた。


「うんうん! 今みたいに笑って何かをお願いされちゃうと、何でもきいてあげたくなっちゃう!」


 はしゃいだ言い方をするステファも、ふんわり笑顔のままで少し息を荒くしている。


「アッシュくんを胸キュンさせちゃおうと思ってたけど、逆に強烈な胸キュンをさせられちゃうとは、あーしも不覚だったわ~……。うぅ~ん……。魔性の少年って、ヤツぅ?」


 強敵を分析するような口振りのルフルも、ちょっと頬を赤くしながら唇の先を舐めている。


「え、魔性の……、何ですか?」


 彼女たちからの眼差しがやけに熱っぽくなって、アッシュが当惑しそうになったときだった。後ろから肩に手を置かれて、ぐいっとカルビの方に振り向かされた。


「お~い、アッシュ~?」


 何かを確かめるような、ちょっと拗ねたような声になったカルビが、アッシュを見下ろしながら両手を伸ばしてくる。アッシュの頬に。


「むぇ?」


 再び、むにゅっと両頬を摘ままれたアッシュは、変な声を出してしまう。だがカルビはお構いなしに、アッシュの頬をムニムニむにょむにょと動かし始める。


「そうやってなぁ~、相手を信頼しきった無防備な感じでなぁ~、ふわっと笑い掛けるのはよぉ~、アタシ以外にはやめとけって言ったよなぁ~?」


「あもあもあもあも……!」


 ゆったりとしたカルビの確認口調は、アッシュの返事を求めているものではなかった。実際、アッシュは両手をわちゃわちゃと動かすのが精一杯で、殆ど喋れなかった。


「あぁ~! いいなぁ~、ウチもやる~!」


「その次はあたしも~!」


 マリーテとステファが順番待ちを始めつつあったが、それはカルビが「駄目だ」と一喝する。そんな暢気な様子を見て可笑しそうに笑っていたルフルが、「いや~、でも、アッシュ君のさっきの笑顔は、サニアには見せない方がいいかも」と冗談めかした。


「ほら。サニアは“剣聖”なんて呼ばれるだけあって、腕っぷしが強くて男くさい連中を相手するのは慣れてるだろうけど、アッシュくんみたいな子には免疫が無いだろうからさー。もしかしたら、ガチ恋しちゃうかも」


 架空の話を面白がるように続けたルフルに、不味そうな顔になったカルビが「もう手遅れだったりしてな」と、軽くあしらうような相槌を打つ。


 カルビの雑な言い方が気に入ったのか。またルフルが可笑しそうに笑ってから、「あぁそうだ」と、何かを思い出したように軽く手を叩いた。


「今はカルビさんもいるから、丁度いいや」


 この場での立ち話に区切りをつけるように、ルフルが少し真面目な声を出して、アッシュとカルビを見比べた。マリーテとステファの2人も、道を譲るようにすっと黙って、ルフルの発言を促す。


「もぁ……?」


 カルビに頬を引っ張られたままのアッシュは、顔と視線を何とか動かしてルフルの方を見た。「ん? アタシがどうかしたか?」と、カルビも訝しそうに眉を下げている。


「えぇ、カルビさんにって言うか、カルビさん達のパーティに、サニアから伝えて欲しいって言われてたことがあるんですよ。それと、アッシュくんにも」


 言いながらルフルは、アイテムボックスから細身の眼鏡を取り出し、その眼鏡を掛けながら、次は書類の束を取り出して、ぺらぺらと捲り出した。そこで、「あ」と声を出したルフルが、アッシュとカルビに向き直って、くいっと眼鏡を指で持ち上げ見せた。


「どうですか? 眼鏡っ子ギャルのあーし! 似合ってます!?」


 にひひ、と笑うルフルに、アッシュは頷こうとしたが出来なかった。まだカルビが両頬を持ち上げてくるからだ。カルビは鼻を鳴らして顎をしゃくった。


「おう。とりあえず要件を言えよ」


「反応うすっ!」


 ルフルがショックを受けたように体を僅かに仰け反らしたが、すぐに書類に視線を戻した。


「えぇーと、カルビさん達のパーティとアッシュくんが、このエルン村に滞在して貰う期間は、まだもうちょっとあるんですよね」


 書類のページに指を這わせたルフルが、ちらっと顔を上げた。クラン『正義の刃』、6番隊副隊長の眼差しになった彼女の瞳には、知的で静かな光が灯っている。


「で、その間の何時でも良いんで、ウチのクランが使わせて貰ってる長屋……、というか、サニアのところに皆さんで顔を出して貰いたいな~、と」


「ほぉ~ん……。“剣聖”サマからの呼び出しか」喉を鳴らすように軽く笑ったカルビが、そこでアッシュの頬から手を離した。


「お叱りを受けるようなことをやらかした覚えは、アタシには無ぇんだがな」


 低い声で不敵な言い方をするカルビに、ルフルも肩を竦める。


「そりゃあ、お叱りとは違う要件だからですよ。きっと、カルビさん達のことをクランに勧誘したいんだと思いますよ。サニアは」


 自分の上司の心境を推察するというよりは、親しい友人を思い浮かべるようにルフルは言う。「ウチのクランは、いつでも優秀な人材を求めてるんで」その表情も穏やかだ。


「いや、でもマジで、カルビさんのパーティ、村に詰めてる冒険者の間でも話題っすよ。スゲー美人揃いの凄腕パーティだぁ、って」そう続いたマリーテが、「まぁちょっと、スケベな話題も多いみたいですけど」と苦笑した。


「うちのクランメンバーの大半も、カルビさん達のパーティを見直してましたよぉ。あれだけ戦力になってくれるなら、同行依頼を出したらどうかって」


 嫌味の無い笑顔を浮かべたステファも、そう付け足した。


 クラン『正義の刃』はアードベルを拠点にしているため、そのメンバー達も、ローザ達がトラブルメーカーであるという噂は耳にしたことがある者も多いのだろう。だが実際に共闘してみれば、ローザ達が誠実な冒険者であることは分かるはずだ。


 ローザ達の評価や印象が良くなったことには、アッシュも素直に嬉しかった。だが一方で、「あぁ、なるほどな……」と低く呟いたカルビの表情は冴えない。


「そういうことなら昼飯を食ったあとにでも、ローザ達と一緒に剣聖サマのとこに顔を出してくるぜ」


「そうして貰えると助かります。ご協力感謝しまっす!」


 快活な笑みのルフルは、掌を額に添えるようにして敬礼のポーズをとってみせる。それから、「それじゃ……、あーし達は一旦、村に戻ろっか」と、マリーテとステファを引き連れていった。


 サニアの要件がクラン勧誘であるならば、カルビもパーティ同士で話し合う必要があると考え、これ以上の立ち話を遠慮したのだろう。


 彼女達の去り際、マリーテとステファが何度もアッシュ達を振り返って、「カルビさん、アッシュくんも、また今度一緒にゴハン行きましょー!」「是非ウチに入ってくださいね~!」と、手を振ってくれたのが印象的だった。


 涼やかな草原の静けさの中に残されたアッシュとカルビは、暫く無言のままで風に吹かれていた。彼女達の声の華やかさも余韻として残っていたが、すぐに透明な風の中に紛れて行った。


「さて……」


 先に口を開いたのは、首を曲げてゴキゴキと鳴らしたカルビだった。


「ローザ達がどうするかだが、アタシは『正義の刃』に入るつもりなんざ無ぇしし……」


 難しい顔になったカルビが、視線を落としながら呟いた。


「場合によっちゃ、ローザ達ともパーティ解消だな」


 その言葉を聞いてアッシュは、自分でも驚くほど動揺した。ローザ達が好意的に受け入れられるという先程の喜びを、大きく凌駕するほどに。


 だが冷静に考えれば、冒険者パーティが解散するなんてことは、この業界では珍しくも無いことなのだ。もとより冒険者として評価されていくということは、裏を返せば、其々のパーティの意味を変えてしまうということなのかもしれない。


 ローザパーティの消滅。


 それは冒険の中にある危機や障害によってではなく、寧ろ、彼女達を高く評価する者達が増えるほどに現実感を増していくのだと感じた。


「取り敢えず、アタシ達も村に戻るか。話はそれからだ」


 どんな結論が出ようとも、それを受け容れる準備が既に出来ているのかもしれない。落ちついた声で言うカルビが、今は妙に大人びて見えた。


 一方のアッシュは、ローザ達のパーティでないにも関わらず、酷く落ち着かない気分だった。だが、同行依頼を受けているソロ冒険者である自分が、一体、何を言えるのだろう。



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