第37話 ピンチ、ダウン <ローザ視点>



「Ainoutawo慈悲をbavnioa愛tokurusirmiwo涙をnsotionb救いirgueai涙ni……」


 夜の上空では女神ゾンビが特大魔法円を2つも展開し、深紫の光弾を星屑のように降らす準備をしている。


 単純に考えてさっきの倍の数の光弾が降ってくるとしたら、凌ぎきるのは至難だろう。……というか、次にアレを撃たれたら多分、もう終わりだ。


 何が目的であれ、あんな規模の攻撃魔法を展開してくる時点で、もうネクロマンサーにとっては瓦礫と死体の山を作りたいだけなのかもしれない。


 女神ゾンビの魔法が完成すれば、守備陣形をとっている冒険者諸共、神殿そのものも薙ぎ払われるだろう。少なくとも、壊滅的な状況に陥るのは目に見えている。


 勿論、女神ゾンビの詠唱を阻止すべく、神殿を背に守っている冒険者の中には、大弓や弩を構えて矢を射る者も複数いる。だが、効果的とは言い難かった。


 女神ゾンビの周りを固めていた有翼ゾンビ共が盾となるように動いて、冒険者達の射かけまくる大矢の連射を全て阻んでしまうからだ。


 其々の冒険者パーティの中からも、魔術士であろう者達が魔法を唱え、炎弾や雷槍を幾度も放っているが、これは女神ゾンビの魔術防壁で掻き消されてしまっている。


 空に陣取る女神ゾンビ共は、まさに鉄壁だ。

 物理攻撃も魔法攻撃も通さない。


 硬い防御姿勢を取っている女神ゾンビの眼下では、濁った紫色の魔法円が不気味な明滅を速めながら、ぐんぐんと膨らんでいこうとしている。


「解放の歌をutaimasyou喜びと共にAAAAAAAAA福音の調べをmitibiki涙をnuguwazu……――」


 あの詠唱が完成するまでの正確な時間など、ローザには分かるはずがない。でも、何としてでも阻止しないと。


 ――焦ったら負けだ――。


 これも父の口癖だった。こういう時こそ落ち着くべきだということも、ローザの父は酔って笑いながら教えてくれた。冒険者になってから、その通りだと思うことが何度もあった。


 今もそうだ。


『――無謀としか言いようがありません。ですが……』


 実際、ローザが実行しようとしている作戦をサニアに伝えたとき、通信用の腕輪越しに返ってきた彼女の声音は、怖いくらいに落ち着いていた。


 侮蔑や軽蔑の気配も一切無かったし、何を馬鹿なことをとでも言いたげな呆れもない。ただただ静かな覚悟があり、己の力不足への慚愧があった。


『……お願いします。あの指揮個体のゾンビに有効打を与えるには、貴女の力が必要です』


 彼女の声のあとには、剣の柄を強く、強く握り直す気配が伝わってくる。


『私も今、神殿の西側に回りましたが……。遺憾ながら今の私にできることは、この命と剣をもって、敵の攻撃を受け止めることのみのようです』


 引き絞られたサニアの声は懺悔のようでもあり、既に己の死に場所を定めた者のような静けさもあった。

 

『私はここで、貴女の作戦の成功を祈っています』


 どうか御武運を。最後にそう付け足して、サニアは通信を切った。

 

「……ありがとうございます」


 短く礼を述べたローザは、サニアのことを殆ど知らない。


 “剣聖”と呼ばれるに相応しく、強く聡明で気高い女性であり、その勤勉さと厳しさの余り、他者から疎まれたり煙たがられたりしている。エルン村に来てから、その程度のことを察した程度だ。


 だが、こうした命を賭した戦い中でも、ローザの武運を純粋に祈ってくれるサニアの善意こそは、いかにも“彼女らしい”ように感じられた。

 

 ただ、“剣聖”に武運を祈られたら、やるしかない。

 ローザは肩越しに、守らねばならない神殿を振り返った。


 状況は膠着しつつも、ローザ達は間違いなく劣勢であり、決着に向かいつつある。


 だが神殿の東西南北、この四方を守る部隊は健在だ。


「クソ……! 空を飛んでるゾンビ共が邪魔過ぎるぜ!」

「身体もデカいし数も多いのが最悪だ!」

「矢が届かねぇぞ畜生!」

「魔法だ! 魔法でぶち抜け!」

「さっきからやってるわよ!」


 神殿の西側守備についている冒険者パーティは、戦いの疲労を抱えたまま、其々の仲間の魔術士を中心に据えて、戦闘を続行するつもりでいる。まだ折れていない。


「盾、準備!!」

「応……!!」「応……!!」「応……!」

「治癒魔法薬、魔力薬を所持している者は!!」

「応……!!」「応……!!」「応……!!」

「他の冒険者達の援護と回復に回れっ!!」


『正義の刃』のクランメンバー達は、この冒険者達をカバーしつつ陣形を整え、盾を構え、次のゾンビ共の突撃、強襲、或いは、女神ゾンビからの攻撃を防御すべく備えていた。


 次にローザは、神殿屋上にも目を遣る。


 冒険者達の分厚い守備に守られた地上からではなく、やはり守備人数の少ない神殿屋上からの侵入を諦めていないのか。


 女神ゾンビの許に集まらなかった有翼ゾンビ共が、散発的に屋上に飛来している。あの様子では、魔術士達を守るべく戦っているアッシュとルフルは、まだ動けないだろう。


 この場に居る全員が、戦いの最中にいた。この景色の中では、傍観者など1人も居ないのだ。


「行きましょう、ローザ」


「うん……。じゃあ、行こっか」


 ローザはすぐ隣にいるネージュと軽く頷きあって、駆け出す。


 女神ゾンビが両腕を広げ、おぞましさを感じるほどの美声で詠唱を紡ぐのを聞きながら、前に出る。守備隊列から抜けて、吹いてくるぬるい夜風を身体で割りながら、前へ。前へ。


 女神ゾンビの真下に向かって、空中に陣取るゾンビ共の群れへと距離を詰めていく。それとほとんど同じタイミングだったので、空と地面で、すれ違うような形になった。


「遺遺遺遺遺遺遺遺遺遺……――!!」

「亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜……――!!」

「怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨……――!!」


 女神ゾンビを中心にして、数えきれないほどの数で夜空に陣取っていた有翼ゾンビが、ローザ達の頭上を通過するようにして、神殿の西側に目掛けて殺到していく。


 幾重にも折り重なって降ってくる奴らの濁声は、黒々とした夜の空気を澱ませながらローザの頭上を通り過ぎつつも覆いかぶさってきて、そのまま身体を押し潰さんばかりだ。


 圧力さえ感じるし、そのまま押し返されてひっくり返りそうだった。ローザは再び、肩越しに背後を見た。


 守備陣形についている冒険者達と『正義の刃』のクランメンバー達が、有翼ゾンビ達がぶつかろうとしている。既に陣形から突出していたサニアは自らの身体を餌にするようにしてゾンビ共を寄せ、瞬く間に10体近くを斬り捨てていた。


 彼女の剣の煌めきは濁り無く、ただ厳然として“剣聖”としてそこに在った。

 ローザの心配など、今の彼女には不要だ。 


 神殿を目前にして行わる戦闘を背に、ローザは前に出る。

 サニア達が戦ってくれている間に、前へ。

 私達は前へ行くんだ。前に。前へ出る……!


「……やばい。自分で考えた作戦なのに、足が震えてるよ」


 自嘲気味にローザが笑うと、並走してくれているネージュが頷いてくれた。兜を被っているから、やはりその表情は分からない。だが微かに、兜の奥で彼女が笑みを作る気配があった。


「一応、エリクシルは持っているから安心して」


「……や、それって、私が1回死んでも大丈夫って意味? 安心するどころか、逆に怖くなるんだけど」


「そうならないよう、私達もカバーするわ」


「……うん。頼りにしてるよ」


 走りながら肩を竦めたローザが、夜空にデカデカと魔法円を描き出している女神ゾンビを見上げた時だった。


「ぜぇぜぇ……!! ローーザすわぁぁぁん!! ぜぇ……! シャァァァイニィィィング&パァァーーーーフェクトな淑女であるわたくしもお忘れなくゥゥ!!」


 横合いから、馬鹿みたいに威勢のいい声が迫ってくる。


「この作戦ではァァァ! ま・さ・に!! ぜぇ……! ゴホっ……! こ、このわたくしが備えたァァ、ぜぇ……! 他の追随を許さない、圧倒的な“淑女POWER”が必須なのですからッ!!」


 漆黒の重装鎧を着込んだエミリアが、紅の縦ロール髪を揺らしながらドッスンドッスンと並走してくる。その顔は笑顔だが、頬が引き攣っていて汗だくだった。


 とにかく力技が得意なエミリアだが、跳んだり走ったりするのが意外と苦手なのだ。既に息が切れているのも彼女らしい。


「必須なのはアタシ達全員だっつーの」


 エミリアの反対側から、ローザ達に並走してくる者が居た。カルビだ。


 赤と黒のド派手な全身鎧を纏い、巨大な戦斧を肩に担ぐようにして持っている彼女だが、こうして走っていても全く息を切らすこともなく、涼しい顔で汗一つかいていない。


「……つーか、おいエミリア。お前もうヘロヘロじゃねぇか。大丈夫かよ?」


「これしきのことォォ、何の問題もありませんわ! ぜぇ……! でも、やはりわたくしの淑女的高貴さは、か弱さと繊細さを内包していますから……。多少、疲れやすい体質かもしれませんわね……。ぜぇ……! ゲホホッ!!」


「……お前のガタイの、一体どこらへんが繊細なんだよ。重戦車みたいに頑丈さだけが取り柄じゃねぇか」


「褒めるところがそこしか無いみたいな言い方ァ……ッ!?」


 エミリアとカルビは、先程ローザが伝えた通りに合流してしにきてくれたのだ。


 言い合う2人は足を早め、前衛としてローザとネージュの前に出てくれる。直後には、女神ゾンビの周囲を固めていた有翼ゾンビの群れの中から、十数体がこっちに向かって急降下してくる。


 神殿を防衛していた冒険者の陣形から、突出してくるローザ達を警戒したのだろう。女神ゾンビに近寄らせないつもりのようだ。


「ちょっと数が多いけど、対処はお願いするよ。カルビ、エミリア」


 走る速度は落とさず、ローザは前を行く2人に声を掛けた。「私とローザは、魔力を温存しておくわ」とネージュも続く。


「ぜぇ……! 了解ですわ!」


「おう。任せとけよ」


 2人は振り返ることなく応じつつ、有翼ゾンビの群れを迎撃する。まず動いたのはカルビだった。


「オラァ……ッ!!」


 カルビは自分の体ごと大戦斧を振り抜き、炎と共に空間を薙ぎ払い、焼き払い、急降下してくるゾンビ7体を横殴りに吹き飛ばした。魔力の熱波が、吹いてくる夜風を灼熱に染めていく。


「お退きなさァァい!! 邪魔ですわよォ!!」


 そのカルビの攻撃を抜けてきたゾンビ6体を、今度はエミリアが大盾で殴り飛ばして粉砕する。エミリアは大盾に装着している鎖を握り込んでいるため、攻撃範囲とリーチが伸び、凶悪な殴打武器を振り回しているのと変わらない。


 カルビとエミリアは強力な前衛であり、文句なしの突撃力と殲滅力を持っている。更に十数体の有翼ゾンビ共の群れが、2度、3度と波状攻撃のように急降下してきたが、2人はこれを正面から突き破っていく。


 有翼ゾンビ共の腐肉の身体が粉砕される衝撃、燃える音、熱、鉄塊の風切り音。それらを置き去りにするようにして、ローザ達は駆ける。


「……ここまで密度を高めて氷を編むと、私も魔力枯渇になりそうね」


 ローザの隣では表情を消したネージュが独り言ち、カルビとエミリアの戦いを見据えながら詠唱を始めた。今のネージュは大槍をアイテムボックスに仕舞い、代わりに、両の掌の中に魔法円を展開している。


『必須なのはアタシ達全員だっつーの』

 カルビは先程そう言ったが、その通りだった。

 ネージュの扱う防御用凍結魔法は、まさに必須だ。

 カルビも、エミリアも、そしてローザ自身も。


 このパーティだからこそ、活路がある。


「ここまで寄れば……!」


 焦りを抑えながら、ローザは上空に目をやる。


 詠唱を続ける女神ゾンビの両脇では、魔法円が完成しつつある。濁った紫色の光が明滅しながら、魔法円の中心に収束しつつあった。


 もう猶予はない。


 だが、女神ゾンビには近づいた。

 見上げた先の上空だが、ここまで近付けば――。

 間に合え。間に合え。間に合え。


 奥歯を噛みながら強く念じるローザは、全ての装備をアイテムボックスに仕舞いこんだ。同時だった。ネージュが軽く息を吐くのが聞こえた。詠唱が完了したのだ。


「……いつでも言って。タイミングは貴女に任せるわ」


 目を見交わしたネージュが、頷きながら言ってくれる。


「ありがと。じゃ、今すぐ行って来るよ」


 声が震えて掠れないよう気を付けながら、少しだけ笑った。


 泣いていても始まらないし、笑うしかない。「分かったわ」とネージュが短く応じてくれたあと、彼女の両手の掌に展開した魔法円が、蒼い光の線となって解けていく。


 蒼い魔力の光線は、絡まるようにしてローザの身体を覆いながら、蒼い氷へと姿を変えていく。それはネージュの魔力で編み込まれて生成された氷の装甲であり、頑強な氷の鎧だった。


「出来る限りの……、魔力を籠めたわ。強度は十分の筈よ」


 多大に魔力を消耗したのだろう。女神ゾンビを見上げるネージュの声は、僅かに揺れて、掠れていた。兜の奥でくぐもる息が、荒く乱れている。


「ありがと。ネージュの扱う凍結魔法だもん。私も信じてるって」


 呼吸を整えるような間を置いたネージュに、ローザは短く礼を言ってウィンクした。それからすぐに、エミリアに向き直る。「それじゃあ、お願い」


「えぇ、善は急げ! ですわ! ……でも、ホントにやるんですの?」


 つい今しがた襲撃してきた有翼ゾンビを大盾で殴り飛ばしたエミリアが、微かに不安そうになる。そんなエミリアの目を見詰めながら、ローザは苦笑した。


「勿論。エミリアの淑女パワーを貸してよ」


「……了解ですわ。あの距離なら、ギリギリで私も援護できますから。どうか御安心を」


 覚悟を決めたように声に力を籠めたエミリアが、大盾が水平になるように両手で持ち直して、すっと姿勢を落とした。その深紅のバラと茨が描かれた大盾の上に、ローザは軽く跳んで飛び乗った。


 心臓が暴れはじめる。大丈夫だ。私は落ち着いている。口が異様に乾くし、頭の後ろとか背中が痺れているような感覚があるけど。集中できる。いける。足が震えるのだけは必死に堪えた。


 ……ごめん。

 ……やっぱり、めっちゃ怖い。

 でも、そんなことは言ってられない。

 ビビってられない。


 歯の根が鳴りそうになったとき、横合いから背中を叩かれた。


「大丈夫だ。アタシが居るんだ。死にゃしねぇよ」


 既に大戦斧と鎧に炎を灯しているカルビが、その凄絶な美貌に凶悪な笑みを刻んで見せる。根拠のないことを言うカルビだが、今は頼もしくて仕方がない。


「それじゃ手筈通り、雑魚を薙ぎ払うのはアタシに任せとけよ。ローザ」


 そう言ったカルビは、「ハァァァaaaaaaAAAAAHH――……!」と、長く大きく息を吐き出しながら身体を前に折り畳むように、自分の魔力を体内に凝縮させるように曲げていく。


 カルビの吐息には火の粉が混じり、彼女が纏う全身鎧も、バキバキと音を立てて姿を変え始めた。鎧の肩と背中部分が盛り上がり、流動的に変形し、狂暴な竜の頭を模したような猛々しいフォルムの兜が生成されて、カルビの頭部を覆っていく。


 また、鎧の肩や腕部分も全体体に刺々しく横に広がり、伝説にあるような竜人にも似た形態へと変わった。その竜の顎に似た兜からは、彼女の息遣いが炎となって「KA、HAAAAHHHH……――!!」と漏れ出している。まるで、竜種の吐火のように。


『飛んでるだけの雑魚共は、全部まとめて炭屑にしてやるぜ。それに合わせろよ、エミリア』


「合点承知の助! ですわ!!」


 威勢よく応じたエミリアも、自らの肉体を強化する詠唱を素早く済ませていた。


 エミリアの着込んでいる漆黒の鎧の内側からは、ミシミシミシ……ッ! という、筋肉が密度を増して凝縮していくような、パワフル過ぎる音が聞こえてくる。


 というか、女性にしては大柄なエミリアの身体が、また一回りくらい大きくなったような気さえする。


 ついでにエミリアは、ローザが乗っている大盾にも魔力を流し込んでいるようで、紅の薔薇の花弁まで盛大に吹き上がり、舞い上がり始めていた。明らかに無駄な演出ではあったが、それを指摘するような余裕は、今のローザには無い。


 もう喋れない。全然、そんな余裕がない。ただ、女神ゾンビによって夜空に描き出された、あの魔法円の中心に収束していく、濁った紫色の光を睨んでいた。


「詩をutai死をnageki悲しみwo濯ぎnagasi命をnagiharai全te余燼ni砕けyo愛の下に慈悲nomooni……!!」


 女神ゾンビの声が、さらに美しく澄んで、悲哀を滲ませたような切なさを周囲に響かせた。


 ローザは鳥肌が立つのを抑えられなかった。背筋が冷たくなる。


 やはり、あれは詠唱ではなく歌だ。愛と死を歌っている。悲しさと優しさが漲る歌を。そんなことを無意味に考えてしまう。だが間違いなく、聞く者の心を打つ歌声だった。


 だが、もういい。十分だ。


『いい加減うるせぇな……』


 そう思っていたのはローザだけではなく、両手持ちした大戦斧を体の後ろに構えたカルビも同じだったようだ。


『ローザ! アイツを黙らせて来い……ッ!』


 声音の端に凶暴な笑みを滲ませたカルビは夜空に向けて、爆炎を纏わせた大戦斧を思いっきり振り抜いた。その肉厚の刃が描く斬撃の軌跡をなぞるように、赤橙色の光が盛大に奔った。


 あれは魔法や魔術ではなく、ただカルビの肉体の持つ魔力が放散されているに過ぎない。だって、カルビは詠唱も触媒の準備も、何もしていないのだ。


 それでも、あの威力と範囲だ。魔導銃を扱うローザでも圧倒されるし、そもそも魔法を使えないエミリアは驚愕するしかないし、高レベルの魔術を扱えるネージュだって舌を巻くだろう。


 カルビの扱う炎は、その破壊力ゆえに、ダンジョン内でも迂闊には使えない。だが、夜空に向けてならば遠慮は不要だ。


 大戦斧を介してカルビが解き放った爆炎の塊は、陰影を象りながら巨大な姿を得て、雄々しく翼を広げていく。魔力の炎によって編み上げられたあれは、ドラゴンの髑髏、その幻影だった。


『VOOOOOORAAAAAAAAAHHHHHHH……――!!』


 燃え盛る炎の音は、女神ゾンビ達に襲い掛かろうとする髑髏竜の咆哮となった。


 それは殆ど、幻想的でさえある光景だった。


 炎で象られた巨大な髑髏の竜が夜空へと飛翔し、炎の大翼で夜気を打ち、爪牙を広げ、有翼ゾンビ達を飲み込み、抱き込むように巻き込み、焼き払い、消し飛ばしていく。ローザの『クリムゾン・エクスプロージョン』にも劣らない威力だ。


 だが、あの炎で編まれた髑髏の竜でも、女神ゾンビの展開している魔術防壁までは突破できなかった。


『GOOOOOOAAAAAAAAAAAAAHHHHHHHHH……――!!!』


 術陣が象られた魔力の防壁に激突し、その一瞬の硬直のあと、髑髏の竜は熱波を撒き散らしながら消散してしまった。まさに邪悪な竜が、聖なる女神の力を前にして、敗北するかのように。


 そんな神話的な絵画にも似た光景を、のんびりと眺めている場合ではないし、そんな気分でもない。自分に躊躇を許したくなかったローザは、すぐに叫んだ。


「エミリア……! お願い!」


 鋭くローザは言いながら、アイテムボックスから防護ゴーグルを取り出して装着した。ネージュによって生成された氷の鎧に、自分の体温を託す。


「えぇ! 行きますわよォォォオ……!!!」


 ローザを乗せた大盾を両手で持っているエミリアは、「シィィィィ……!!」と鋭く息を吐いてから、地面をズッドォォン!!と踏み砕いて陥没させながら、一歩前に出た。そして体を大きく捻り、ローザを乗せたままで大盾をぶん回す。


「“淑女道奥義”ィィ……!! エェェキセントリィィィック・メガハードヒロイック・エミリア・カタパルトォォォオアアアアア……ッ!!」


 いったいどこら辺に淑女要素があるのかは完全な謎だが、エミリアのパワーを用いたカタパルトという点では分かりやすい技名だ。ほんの一瞬だけ、ローザの脳裏をそんな暢気な思考が過った。


 その時にはもう、ローザは空を飛んでいた。

 いや、とんでもない速度で正確には射出されていた。

 一気に夜空へと昇っていく。


 身体中の内臓が裏返って、押し上げられて口から出そうだ。軽い吐き気を無視しながら、絶対に下は見ないようにした。


 流石に怖過ぎるし、ここで集中力が切れたら笑えない。下唇を強く噛んで前だけを、というか、上だけを見ていた。


 ローザの身体は今、女神ゾンビへと急接近している。

 見る見るうちに、両腕を広げた女神ゾンビが近づいてくる。


 うひぃ……!


 変な声が出そうになるのを飲み込みながら、ローザは両手の感触を確かめる。


 今のローザは手ぶらだ。何も持っていない。何処かで戦況を見ているだろうネクロマンサーに、手の内を悟られたくないからだ。


 女神ゾンビの周囲を強固に守っていた有翼ゾンビ共の群れは、さきほどカルビが放った炎の竜が、大量に食い散らかしてくれている。


 夜空が広くなった。そんな気がした。

 ただ、有翼ゾンビ共は全滅させたわけじゃない。

 まだ残っている。20体ぐらいか、30体くらい。

 その半分ぐらいは、まだ女神ゾンビを守る壁として陣取っている。

 動かない。周囲を固めているのだ。


 そして、それ以外の有翼ゾンビ共が、こちらに向かって来ようとしている。エミリア・カタパルト(仮)で射出され、女神ゾンビに向かって突貫していくローザに向かって。


 更にヤバいことに気付いたが、投げ飛ばされているローザの軌道が、若干、女神ゾンビから逸れているのだ。


 このままだとローザは、女神ゾンビの脇をビューンと無意味に通り過ぎていくことになってしまう。


 ……でも、大丈夫。

 落ち着け、私。こういうのは想定内だ。

 うん。いける。この作戦は、もう半分は成功している。

 ここまで来たなら――。


「届かせてみせる……!」


 夜空の真ん中に飛び込んでいくローザは、腹筋に力を籠めて、口の中だけで呟いた。


 同時に、アイテムボックスから魔鋼ワイヤーガンを取り出し、空にしていた両手の、その右手でグリップを握り込む。そして即座に構えて、引き金を引いた。


 魔鋼ワイヤーガンから放たれたワイヤーの先端には、強力な鉤爪を装着している。鉤爪は人間の手のように“掴み”の動作ができるよう設計されており、着弾した地点にあるものに引っかかるようになっている。


 空中をぶっ飛んでいるローザにとって、射撃体勢もへったくれも無かった。だが、こういう時に外さない程度の集中力と度胸を発揮することには、冒険者をやっていて流石に慣れた。


 ドンピシャだった。


 ビシュルルルルーーーーッ!! と伸びた魔鋼ワイヤーは、女神ゾンビの横合い、そのすぐ左側に陣取っている有翼ゾンビの脇腹に着弾した。


「亜亜……?」


 有翼ゾンビが怪訝そうに、自らの身体を見下ろすような素振りをした。


 もっとも、有翼ゾンビ共は死体の異種移植によって造り出されたアンデッド兵器のようだし、その姿形も不調和で、どこまでも歪だ。普通の生き物と同じような行動をするかどうかはローザには分からない。


 ただ、それらしい動作をした、ということだけが分かった。それで十分だった。有翼ゾンビの動きが、空中で数秒だけ止まったからだ。ワイヤーの先端にある鋭い鉤爪も、有翼ゾンビの左腰の肉にガッチリと食い込んでいる。


「……王手!」


 ローザは魔鋼ワイヤーガンの引き金を再度引いて、放たれたワイヤーを高速で巻き戻す。ギュゥゥーーーン!! と身体が引っ張られた。右手と右腕に自分の体重が一気に加わり、ミシミシと嫌な音がした。


 だが、上手くいった。


 このワイヤーガンの力によって、女神ゾンビから逸れていく軌道を取っていたローザの身体に、また違うベクトルが加わる。つまりは、女神ゾンビの正面からではなく、横合いから飛び込んでいく軌道へと変わったのだ。


「無亜亜亜……ッ!」


 ワイヤーによって猛然と接近してくる、というか、殆ど飛んでくるローザを墜落させようとしたのだろう。ワイヤーガンを撃ち込まれた有翼ゾンビが、自分の脇腹の腐肉ごと、ワイヤーの鉤爪を引っ掴んで、抉り外した。


 だが、もう無駄だ。


 十分な慣性と勢いがついたローザの身体は、そのまま女神ゾンビに突っ込んでいく軌道に乗っている。


 ただ、ローザは自由に飛行できるわけではないので、空中で襲われたら不味いことになる。勢いがなくなれば落下するしかないし、再びワイヤーガンで軌道を変えることも無理だ。


 だが、そんなローザの事情など知ったことではないという風に、有翼ゾンビ達が群がって来ようとしている。奴らは縦横無尽だ。上下左右、正面からローザに迫ってくる。有翼ゾンビ共の巨体が、視界を埋め尽くそうとする。


 ローザは右手に握っていたワイヤーガンを手放しながら、場違いな愚痴を胸中で溢す。無意識のうちに、ローザは魔導銃をアイテムボックスから取り出しそうになる。


『大丈夫よ。ローザ』


 まるで冷気そのもののようなネージュの声が聞こえたのは、そのときだ。通信用の指輪からだ。直後だった。


 ローザが纏っていた氷の鎧が、パキパキ……! バキバキ……ッ!と澄んだ音を立てながら、その左腕と左手の装甲だけを残して弾け飛んだ。氷の破片が夜空に撒かれ、其々が淡い魔力光を溢しながら渦を発生させていく。


 キラキラと蒼く光る氷たちは魔力の粒子を帯びながら、渦の中で巨大な氷柱となり、槍となり、ローザに襲い掛かろうとした有翼ゾンビ共を逆襲した。


 凍結防御魔法に用いた魔氷を、リモートによって攻撃魔法に転じたのだ。こんな芸当ができること自体が、ネージュの持つ魔術的な素養が尋常ではないことを物語っている。


 これで、今のローザの軌道を邪魔する者はいなくなった。あとは、出来るだけ近くまで女神ゾンビに向かって近づくだけだ。


『後は任せたわ、ローザ』


 通信用指輪の向こうで、少しだけ穏やかな声になったネージュが言ってくれる。


『ぶちかましてやれ! ローザ!』


 乱暴で威勢のいいカルビの吼え声には、勝利を確信したような響きがあった。


『やぁぁぁっておしまいなさぁぁぁい! ローザすわぁぁん!!』


 テンションが上がっているらしいエミリアの大声は、通信用の指輪から飛び出してくるかのようだった。


 仲間達の声の御蔭で、身体か余計な力が抜けるのを感じた。イイ感じに集中力が高まっていくのも分かった。意識が研ぎ澄まされて、余計なものが感覚から消えていく。


 もうローザの視界にあるのは、夜空の中で神々しく両腕を広げて、ほとんど詠唱を完成させつつある女神ゾンビだけだ。その女神ゾンビとの距離は、もう10メートルも無いぐらいまで詰まっている。


 もう射程に捉えたときだった。


 女神ゾンビが、グルンッ……! と首だけを回して、ローザの方を見たのだ。気付かれてはいるだろうとは思っていたので、そこまで驚く必要も無かった。


 女神ゾンビがノーモーションで魔術防壁をもう1枚展開して、空中を突貫してくるローザを止めようとするのも、まぁ、予想はしていた。


 だからこそネージュのには、魔力によって生成された氷の鎧を、左腕と左手に残しておくよう、予めお願いしていたのだ。


「だぁぁあああああああ……ッ!!」


 女神ゾンビに突撃している状態のローザは空中で身体を捻り、思いっきり左拳を突き出した。目の前に展開された魔術防壁を、殴りつけた。ネージュが纏わせてくれた氷の篭手と、女神ゾンビの防壁が激突する。


 ガッキィィィン……――ッ!! という、乾いていながらも澄んだ音が響く。ローザの拳と腕、肩にかけて強烈な衝撃が走り、背中のあたりに抜けていった。


 うぁ……、痛ァ……!


 意識が飛びそうになる痛みがあって、ローザは歯を食い縛る。ローザの左拳を包む氷の篭手は、その表面を鋭く尖らせた剣山のように変形しており、女神ゾンビが展開した防壁に突き刺さっている。


 その氷の篭手に支えられて、引っかかるような態勢のローザは、すぐに落下することは無かった。だが、女神ゾンビの防壁を破ることは出来ていない。止められている。


 ローザはこれ以上、女神ゾンビに近付くことは出来ない。

 そこで、ローザは見た。


 此方を見降ろしてくる女神ゾンビが、その口許に笑みを過らせるのを。あれは、明らかに嘲笑だった。弱者の抵抗を踏み躙ろうとする、酷薄な笑みだ。


『残念だったなぁ、クソ雑魚がァ……』


 更に女神ゾンビは、あまりに乱暴な口調で、そんなことを言って見せた。


『そのまま落ちて死に腐れカス』


 幼さが残ったようなその高い声音は、女性のものだった。

 いや、女性というよりも、女の子と言った方が雰囲気に合うだろう。


 だが、それは奇妙なことだった。


 ゾンビが感情など持ち合わせている筈は無いからだ。


“指揮個体”であるらしい女神ゾンビが、何らかの特別な術式で、より生物に近い存在として造られたのか。


 或いは、どこかでこの戦況を眺めているネクロマンサーの表情や感情、言動そのものと、この女神ゾンビが同期でもしているのか。


 魔術に疎いローザには分からないが、どうも後者の方が可能性は高そうな雰囲気だ。だが、そんなことは重要でない。


「そっちこそ残念だったね」


 ニィ……と、ローザも不敵な笑みを女神ゾンビに返す。


『あぁ……?』


 土気色の頬を怪訝そうに引き攣らせた女神ゾンビに、これ以上は何も喋らせるつもりは無かった。ローザは空いている右手の中に、アイテムボックスから魔導具を取り出して握り込む。


 マジックキャンセラーNX9だ。

 この距離なら、女神ゾンビは完全に効果範囲に入っている。


「黙るのはそっちだよ」


 そう告げたローザは、間髪を入れずにマジックキャンセラーを発動させる。


 周囲の空間が、短くも激しい振動に包まれた。ローザの右手を中心にして、淡い光の揺らぎが球状に大きく広がって、すぐに夜の暗がりへと溶けていった。


 一瞬の静寂のあと。


 マジックキャンセラーの使用に伴う大きな魔力消費によって、ローザは夜空のド真ん中で、1秒半ほど意識を失った。その束の間に、手の中からマジックキャンセラーを取り落としてしまう。アイテムボックスに回収するのも間に合わなかった。


 ローザは回復しかけた意識の中でマジックキャンセラーの値段を思い出し、また意識が遠のきそうになった。ただ、訪れた結果は絶大だったし、意識を失っている場合でないことはすぐに把握できた。


『オ……ォ……!?』


 女神ゾンビが何を言おうとしたのかは謎だが、明らかに動揺した声音だったし、そもそも言葉としての形を成していなかった。


 それもそうだろう。


 マジックキャンセラーの効果によって、ローザの周囲にある魔術的効果は全て掻き消されて、強制的に無力化、無効化されているのだ。


 ネクロマンサーが安全なところから女神ゾンビに魔力を送り込み、遠隔で操っていたとしても、その魔術自体も維持できなくなる。


 同時に、女神ゾンビを経由して展開されていた攻撃用の魔法円も消散を始めた。ローザの接近を阻んだ強固な魔術防壁も、輪郭をぼかしながら薄れ、消えていこうとしている。


 魔法、魔術効果の喪失を齎せるマジックキャンセラーの効果は、当然のことながらローザにも及ぶ。ネージュのよって編まれた左腕と左手の氷の鎧も、例外ではない。音も無く消え去ってしまう。


『ァ……ァ……』


 擦り切れた吐息のような声と共に、女神ゾンビの身体が傾き、落下していく。


「ぅわわ……っ!」


 そして、支えを失ったローザの身体も、真っ逆さまに落下を始めていた。


 命綱も無く夜空の中に放りだされ、四方八方から重力が取りすがってくる。ローザの身体は何の抵抗も無く、ただ下へ下へと引き摺り下ろされる。なされるがままに内臓が押し潰されて押し上げられる感覚は、恐怖以外の何物でもない。


 そのうちローザの身体は、脚が上になった。

 頭から落ちているのだ。


 だが、ローザはパニックにはならなかった。

 こうなることは分かっていたし、覚悟していた。


 冷静に恐怖と向き合いながら、解けていく緊張を感じた。

 広がっていく視野を意識すると、自然と目が神殿を向く。


 見れば、神殿を襲っていた大量の有翼ゾンビ共も次々と墜落をはじめているのが分かった。


 やはり、あの無数の有翼ゾンビも、“指揮個体”である女神ゾンビからの魔力共有を得ていたようだ。


 その肝心要の女神ゾンビが、マジックキャンセラーによって駆動自体が不可能になったため、奴らも文字通り、糸が切れた人形のように落下を始めているのだ。


 結果としては、この作戦ともいえないようなローザの作戦は、成功した。


 だが、まだ安心はできない。当たり前だ。現在進行形で、ローザはピンチの最中にある。だって、夜空のド真ん中から地面に向かって、まっすぐに落ちているのだ。


 このままだとヤバい。即死。ぺしゃんこだ。


「ホント……、魔力の残りもギリギリだなぁ……」


 頭を下にしたままで地面を見据えたローザは、魔導拳銃を真下に構えて3連射した。


 強烈な魔力消費で、流石に意識が飛んだ。無理も無かった。


『クリムゾン・エクスプロージョン』を使ったし、それより前にも、有翼ゾンビ共を相手にそれなりに魔法弾を撃ったし。おまけに今は、マジックキャンセラーまで使った直後なのだ。3秒ぐらい気を失った。


 視界が戻って来たときには、地面との距離は一気に縮まっている。土と雑草だらけの、何の変哲もない地面が、ローザの頭に近付いてくる。


 だが、その地面とローザの間に、急激に膨れ上がるものがあった。


 魔力によって発生した、水の球だ。


 ローザが魔導銃で3連発したのは、墳墓ダンジョンでも活躍してくれた『アクア・ウォール』弾であり、巨大な水球を発生させる効果がある。


 これを3つ同時に使ったので、ローザの落下地点には見る見るうちに水の球が膨張し、ボコボコボコ……ッ!と広がって、特大のクッションとして完成していた。


 あぁ、ちょっと深すぎたかな。溺れちゃいそう。


 朦朧とした意識の中で、ローザは息を吸い込み、息を止めた。その1秒後には、肩から水球の中へと飛び込むことになった。


 ザップーーーーン……ッ! という派手な音と、ほぼ同時。グシャッ……! というか、ドグチャァ……ッ!とった感じの、肉が叩き潰される鈍い音を聞いた気がした。


 ローザの視界の隅に、後頭部と背中から地面に激突する女神ゾンビの姿がチラッと見えた。次の瞬間には、その視界自体が水で覆われてグチャグチャになる。


 全身が水に浸される重さ。

 濡れた身体が一気に沈んでいく感覚。

 泡の気配。隔てられた夜の風と空気。

 体重が減少するような浮遊感。


 その全部を味わいながら、ローザは水の球の中を泳ぎ、水球の横側に抜けるような感じで外に出る。


「ブハァァ……ッ!!」


 息を吸い込むと同時に、身体から力が抜ける。


 ローザが前のめりに倒れ込んだところで、背後の水球が形を失いながら周囲に溢れ出した。流石に3発分の『アクア・ウォール』弾だったので、その水の量も結構なものだ。


 ふらふらで態勢を崩しかけていたローザは、背後から来るその水流に耐えることも出来ずに押し流され、ずぶ濡れになりながら前のめりに倒れた。そのまま仰向けに転がる。


 気付けばローザは、水浸しになった土と雑草の匂いの中で大の字になっていた。夜空が目の前に広がっていて、風が吹いていく。


「ゲホッ! ゴホ……ッ!! ハァ……! ハァ……!!」


 荒い呼吸をしながら、後頭部と背中に地面の硬さを感じるローザの胸中には、物凄い達成感と、生きているという実感が同時に去来していた。


“やってやったわよ、私達!” みたいな、何とも言えない充実感のようなもので、ローザは半分ほど虚脱しそうになっていた。それはもう多幸感と言って差し支えない歓喜を、胸いっぱいに満たして味わう寸前だった。


 耳を疑った。


『……アァァアアア……!! いい所で邪魔しやがってェェ! うぜぇうぜぇうぜぇ……! クソうぜぇぞボケカスがぁぁ……!』


 とんでもない汚い言葉遣いをする、女の子の声が聞こえたからだ。


「は……?」


 仰向けに寝転んでいるローザは、その態勢のまま後頭部と髪を地面に擦るようにして首を曲げ、一緒に墜落してきた女神ゾンビの方を見た。今度は目を疑った。


 いやいや……。何で……?

 マジックキャンセラーは間違いなく発動していた。

 魔術効果、魔法効果は全て強制解除されていた筈だ。


 ゾンビ共を遠隔で操るネクロマンサーの魔術も。

 ゾンビ共に目的を与えて統率する魔法効果も。

 全部を打ち消した。


 なのに――。


『クソ雑魚の分際でやってくれるじゃねぇか、このカスがよぉ……!死ねよ死ね死ね今すぐ死ねよっつーか今すぐ殺すわマジでオメーは殺す……!!』


 というか、あの高さから落下してきて、まともに地面に叩きつけられているのだ。


 腕や脚や首やらが変な方向に曲がって、破裂したように歪んでいるのに、何であの女神ゾンビは、ガクガク、グラグラと身体を揺らしながらも立ち上がれるのか。


 しかも、手にした錫杖を杖が代わりにしている女神ゾンビは、ただ立ち上がるだけではなく、厳粛で壮麗な法衣を内側から破裂させるようにして、ズバアアアア!! っと巨大な翼まで生やしてみせる。


 ローザは自分の心が折れそうになるのを感じた。女神ゾンビはアンデッド兵器としての機能を停止しているどこから、絶賛稼働中だ。


「……勘弁してよ」


 思わず呟いてしまったローザは、慌てて手をついて立ち上がろうとした。だが、ガクンと膝が折れてしまう。


 身体に力が上手く入らないし、まだ視界にも霞がかかったような状態だ。魔力消費が激し過ぎたせいで、まともに戦える状態じゃない。


 というか、もう魔導銃を撃ちだす魔力は、ローザの身体には残っていない。


 根性でどうにかなる話ではなく、これはもう殆どローザは確信していたが、次の一発を撃てば自分は死ぬのが分かった。


「こっちはもう、ヘロヘロなんだからさ」


 ローザは膝立ちになりながら魔導拳銃を握り締め、せめて精一杯の減らず口を叩く。今にも砕けそうな闘志を、必死に両手で支える思いだった。


「……再起動させるなんて、そりゃあ反則だよ」


『黙れよクソカス……! ネクロマンサーを舐めるじゃねぇぞォオラァ!!』


 そのキレまくった口振りと発言を聞いて、ローザは確信した。


 この声を発しているのは、やはり、今の状況を把握しているネクロマンサーなのだ。目の前の女神ゾンビがまだ動いてるのも、やはりネクロマンサーによる魔力の再装填によるものに違いない。


『とりあえず死ね……!』


 体中の関節を変な方向に曲げてバランスを崩しまくっている女神ゾンビが、手にした錫杖をローザに突き付けてくる。錫杖の先端には魔法円が浮かび上がり、濁った紫色の光が音もなく灯った。


 無詠唱の攻撃魔法が来る。

 ローザはそう思った。その通りになった。

 錫杖の先から放たれたのは、炎と雷を混ぜ込んだ塊だ。

 それも、かなりデカい。


 ふらふらのローザでは避けられない。ならば、正面から掻き消す。いや、それも無理だ。さっき取り落としたマジックキャンセラーを拾いにいく間もない。魔導拳銃を撃つしかない。――つまりは、もう死ぬしかない。


 上等。ローザは奥歯を噛みながら笑い、魔導拳銃の引き金を引こうとした。だが、その必要が無くなった。


「オラァ……!」

「ローザ伏せて……!」

「やぁぁらせませんわよォォォォォンン!」


 仲間である3人が、ローザの盾となるべく横から飛び込んできてくれたからだ。


 陣形としては、大盾を構えたエミリアを中心にして、その両脇についたカルビとネージュが、大盾の端を持ち上げるようにしている。


 魔法を使えない筈のエミリアの持つ大盾には、燃え盛る炎と頑強な氷が溶けあうようにして魔術紋様を描き、魔術防壁として機能していた。


 あれは、カルビとネージュの2人が、互いの魔力をエミリアの大盾に受け渡すことで可能にしているようだった。やはりエミリアの持つ大盾も、魔力伝達率の高い武具なのだ。


 ローザ目掛けて放たれた、雷炎編みの巨大球。バッチバチゴウゴウ……!と唸りまくる魔法攻撃を、エミリア達は真正面から受け止める。


「これぞ“淑女道”奥義!! フレンドリィィーアットホォォーム・ウルトラプロテクトシィィーールドォォォァァァアアア!!」


 いや、受け止めるだけでなく、雷炎の巨大球を押し返しながら弾き飛ばしながら、3人は大盾を構えた姿勢のまま、物凄い勢いで女神ゾンビに突撃していった。


「&ォォォオ……!! 追撃のフレンドリィィーアットホォォーム・ヴァイオレンスダイレクト・スマァァァッシュュォォォオラアア!!」


 迫真の大声で必殺技を叫ぶエミリアのあとに、「技名がダセェんだよ!」「しかも無駄に長いわね……!」という、カルビとネージュの文句が聞こえてきた。だが、その威力は十分だった。


 カルビとネージュの魔力が編んだ魔力防壁を、直接叩き込むシールドバッシュだ。しかも、そこにパワー自慢のエミリアの突進力も加わっている。並の破壊力じゃない。


『こぉぉの、カス共がぁぁあ……!!』


 悪態をついた女神ゾンビは、慌てて魔術防壁を展開したが、エミリア達はこれを力技で突き破っていく。巨大なガラスを、ハンマーでたたき壊すような音が辺りに響き渡った。


『ぐぅうぅ……!!』


 直後には、女神ゾンビは炎と氷の魔力に飲まれながら、大盾の一撃をまともに喰らい、10メートル以上をぶっ飛んで、ゴロゴロゴロ!!っと派手に地面を転がった。その様子を呆然と見ていたローザに、エミリアとカルビ、ネージュが振り返ってくれる。


「私が来たからには、もうローザさんには指一本触れさせませんわよぉ!」

「おう、ローザ! 生きてるか!? 生きてんな!? よしッ!」

「本当に無事で何よりね……。頼りになるわ」


 3人の声を受け止めると、自分が生きている実感以上に、仲間という存在の心強さに胸が打たれた。自分が1人ではないという当たり前の事実をこんなにも有難く感じるのは、やはり、全員が冒険者だからだろう。


「……ありがと、みんな」


 込み上げてくる何かを飲み込み、ローザは唇の端を持ち上げて、頷く。ついでに、魔力回復用の魔法薬を取り出して使用しながら、神殿の方を窺った。


 神殿に襲い掛かっていた有翼ゾンビ共が、ほぼ全て地面へと落下しており、既に戦闘自体は終了している様子だ。


 やはりローザのマジックキャンセラーは十分に効果を発揮し、女神ゾンビから有翼ゾンビ共への魔力供給を断っていたのだ。


 神殿を守備していた冒険者達も、いきなり有翼ゾンビが落下してきたことに驚いただろう。だが、彼らも今のローザ達の方を見て、何が起こっているのかを理解しつつあるようだった。


 あとに残すは“指揮個体”である女神ゾンビのみであり、その女神ゾンビが、まだしぶとく何かをしでかそうとしている、というのが今の状況だ。


 決して油断はできないし、楽観もできない。だが、大量の有翼ゾンビで時間を稼がれ、巨大な範囲大魔法で全滅させられるような危機的状況は脱している。


 間違いなく、戦いは終わりに近づいている。

 エルン村の夜明けは、もうすぐそこまで来ている。


 ローザだけじゃなく、この戦いに参加した全員がそう思いたかった筈だ。


『あぁぁぁぁあ……!! マジでうぜぇぞテメェらこのクソゴミ共が舐めやがって死ね死ねああぁあああああムカつくんだよ死ねボケェェ……!!』


 だが、ネクロマンサーだけは諦めていないようだ。


 エミリア達によってぶっ飛ばされ、もうズタズタの襤褸雑巾のようになった女神ゾンビを無理矢理に立たせ、そして翼を羽ばたかせて、再び空へと舞い戻ろうとしている。


 ローザを守る位置で戦闘態勢を構えたエミリア達も、女神ゾンビと向き合う。


『殺す殺す絶対死なす死ね死ね死んじまえクソ冒険者が……!』


『目的を見失ってはいけませんよ。私達は仕事中なのですから』


 そこで、また別の者の声が混じった。

 ゾッとするような、やけに温みのある男の声だった。


『その4人の女冒険者は放っておいて、そろそろ剣聖を仕留めましょう』


『うるせぇ指図すんじゃねぇよテメェから殺すぞ!』


『では、私よりも先に剣聖をお願いします』


 男の声は飽くまでも温和で、気味が悪い程に優しげだった。


『その試作体のゾンビも、もう稼働限界のようですし。あの神殿の前であなたの魔力を暴走させ、焦熱自爆でもさせればいい』


 まるで花に水でもやるかのような長閑さで、男の声が続く。


『村人も冒険者も皆殺しにして、私達も死体を補充しましょう。……まぁ剣聖の死体も黒焦げでしょうが、持ち帰れば文句は言われないでしょう』


『分かってんだよンなことはよォォォォオ……!!』


 完全にブチ切れているという風の狂猛な少女の声は、そのうち、あの怖気が走るほどに美しい歌声となって言葉を紡ぎ、詠唱となっていく。その聖歌のごとき詠唱には、明らかに破滅的で、自暴自棄な声音の響きが混ざっているのが聞き取れた。


 濁った紫色の魔力が暴風となって吹き荒れ始め、ローザ達の身体を激しく打ってくる。その魔力を帯びた突風は容赦なく、エミリアもカルビも、そしてネージュとローザを、押し流した。


「ぐぉぉおっ……!?」


「くっ……!」


 後方に押し流されたカルビとネージュが膝立ちになって、「んほおおおン!?」後ろにひっくり返りそうになっているエミリアを支えていた。


「まだ、こんな力を……!?」


 ローザも地面に手をついた姿勢で、暴風を何とかやり過ごす。


 今のローザ達は無防備だったが、その隙を女神ゾンビが衝いてくることはなかった。寧ろ、捨て置かれてしまった。


 翼を力強く打った女神ゾンビは、相対していた筈のローザ達に背を向け、神殿に向けて滑空していくのだ。


 その間際に、女神ゾンビは詠唱の声を束の間だけ中断させて、ローザ達を順に見回すように顔を動かしていた。そして、『テメェらの顔は覚えたかんなぁ……!』と、捨て台詞を吐き出すのを聞いた。


 そして、ローザ達が追い縋ろうとしたときにはもう、女神ゾンビは凄まじい速度で飛行して、神殿へと向かっていく最中だった。


「おい、何かヤべぇ感じだぞ……!」


 慌てて女神ゾンビを追いかけようとしたカルビだが、女神ゾンビには全然追い付けないような絶望的な距離が、すでに開いてしまっていた。


 しくじった。失敗した。駄目だった。


 じわじわと身体の芯を蝕んでくるのは、そんな絶望にも似た敗北感だ。数秒の間、ローザ達は立ち尽くした。身体から力が抜けそうになるのを、奥歯を噛みながら耐え、神殿の方を眺めるしかなかった。


 無論、ローザ達は諦めたのではない。

 だが戦う意志があっても、戦える状況ではない。

 その舞台から、強制的に降ろされてしまったのだ。


 焦熱自爆。

 そんな物騒な言葉が、間違いなく聞こえた。


 女神ゾンビは、自爆する気なのか。いや正確には、ネクロマンサーが遠隔で自爆させるのだろうが、どう考えてもヤバそうだった。


 最後の最後で、仕留めきれなかった。その煮え滾る後悔の中で、ローザは、血が出るほどに両手の拳を握っていた。カルビも、ネージュも、エミリアも、強張った表情と眼差しで目を神殿の方に向けている。


 高速で夜空を移動する女神ゾンビが、集積型の魔法円を纏いはじめる。


 濁った紫色の魔力光が帯を引き、不気味な明滅を夜の暗がりに残している。あの不穏で不吉な魔力の煌めきは、自爆攻撃の前触れに違いなかった。


 村の住人と、冒険者達の全滅。それが現実のものとなる気配が、この光の無い暗い空の中に満ちようとしていた。


 だがそのとき、ローザは見た。


 照明器具によって周囲を照らしている神殿の方から、1人の女性が暗銀の魔力光を剣に纏わせ、守備隊から突出して駆け出してくるのを。あれは、間違いない。サニアだ。


 この戦いの最中にある彼女は、どこまでも一人だった。

 ――いや、違う。今の彼女は一人ではない。


「……あれは、アッシュ君……?」


 たった一人で女神ゾンビに向かっていくサニアのあとを追うように、神殿の屋根の上から、小柄な人影が身を躍らせていた。まるで夜の闇から、零れ落ちた雫かのように。


“剣聖”として孤高に命を懸けようとする彼女の覚悟に、彼もまた一人で寄り添おうとしているのだろう。


 夜空に垂れこめた雲には再び切れ間ができて、淡い月明かりが滲むように辺りに広がる。


 決着の到来を告げるようなその柔らかな光を受け、彼が手にする長刀が静かに、鈍く輝いていた。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




温かい応援、★評価を寄せてくださり、ありがとうございます。

更新が遅くなっており、申し訳ありません……。


戦闘回が続いておりますが、

また次回の展開に興味を持っていただけたり、

少しでも面白いと感じていただけましたら、

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お忙しいなか最後まで目を通して下さり、ありがとうございました。









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