女勇者と非常食

広河長綺

女勇者と非常食

地平線から顔をだした太陽が、グラーシア村を照らし始める。

グラーシア村の上空で100年以上も常に滑空している巨竜が、地鳴りのような声で鳴き、朝を告げる。


アナベラは眠い目をこすりながら、妖精保管庫の窓を開けて降り注ぐ朝日を室内に入れた。


妖精保管庫の木製の床に置かれた鳥籠の中にいる妖精たちが嬉しそうに日光をついばんだ。


もちろん、妖精保管庫の番人はアナベラではない。村の北端で森と接する位置にある妖精保管庫は、森に生息するゴブリンに襲撃されやすく危険が伴う。村の中でも屈強な男が担う大事な役目だ。16歳の少女であるアナベラに与えられる役目など、村の酒屋での皿洗いがせきのやまである。


ではなぜアナベラが妖精保管庫の窓開けを毎朝しているかと言うと、妖精の悲鳴がうるさいからだった。


今みたいに毎朝妖精保管庫の窓を開けていなかったときは、酷かった。


『出してくれぇ』『飢え死にしちまうよ』『苦しいよぉ』


あまりに凄まじい妖精の悲鳴にアナベラは耐えられなかった。脳の奥を揺さぶるような音圧を感じ、嘔吐したこともある。


さらにやっかいなことに妖精の悲鳴はアナベラにしか聞こえない。どうやら妖精の悲鳴は魔法的なメカニズムでアナベラの脳にだけ届いているらしいのだ。だから大人たちに訴えても幻聴だと思われて終わり。対応してくれない。


だからアナベラは自分で村の小型図書館へ行き、妖精は日光を食べるという情報を得たので、妖精保管庫の窓を開けて朝日を浴びさせることにしたのだ。


『出してくれ』という妖精たちの要望には応えられなかったが、日光を捕食できた妖精たちは以前のような悲鳴は発しない。少々不満そうな顔で、鳥籠の中で口をモグモグと動かす。


「朝ごはんおいしいですか?じゃあ、私はこれで」と軽く会釈して、アナベラは鳥籠をまたいで、出口に向かった。


鳥籠の数に対して狭すぎるこの妖精保管庫は、小屋と呼ぶのがしっくりくるような小さい1階建ての建物で、正式な番人は1人だけしかいない。そしてやる気は全くなく、出勤は遅い。


しかしアナベラとその正式な門番が鉢合わせするとマズい。妖精保管庫に不法侵入したアナベラは大人たちにこっぴどく叱れれるだろう。


だから妖精さんたちが満足したことを確認できたなら、素早く小屋から出たほうがいい。


小走りで妖精保管庫の出口へ行き、木製の鍵もないボロい扉を開ける。村のハズレの森が近いので、朝の見回りに行く木こりの後ろ姿が扉の隙間から見えた。


木こりたちに目撃されないように、彼らが十分森に入って行ってからそっと出たところで、おや、と思った。


木こりの集団の後ろに女性がいる。


長い赤髪。白いスカート。遠目からでも女とわかる。しかしこの村にそんな派手な格好をする女などいない。つまり部外者だ。


いったい誰なのだろう。


好奇心でアナベラがボーっと眺めていると、いきなり部外者の女が振り返った。


アナベラは一瞬呼吸を忘れるほど、驚いた。なにせ、アナベラは木こりの集団から十分に距離があいたタイミングで妖精保管庫から出たのだ。


顔が目視できないほど、徒歩数分離れた距離で、背後から見てただけなのに、女はアナベラの視線に気づいた。


気配に対する常人離れした敏感さ。武道の達人に違いない。


そしてアナベラはようやく思い出した。この村は魔王討伐に向かう勇者の通り道にあるということを。


今さら思い出してももう遅い。勇者のことを忘れていた自分の迂闊さを後悔しているアナベラの元へ、女部外者が走って引き返してきた。


近くで見るとその女の凛とした美しさが際立つ。


深い赤色の瞳には眼光があり、強い意志が少しムッとしている真剣な表情の顔は、人を近づけないタイプの美しさを放っていた。


「何のようでしょうか?」

「私は女勇者してるコト―ニです。ねぇ君、妖精の声が聞こえるよね?」

女勇者は自己紹介から、間髪入れず、核心をついてくる質問を投げてきた。


一般人のアナベラとしては、もう、正直に答えるしかない。

「はい。この妖精保管庫から妖精の悲鳴が聞こえます。だから窓を開いてあげていたんです」


「ふーん。それじゃあ少女よ、」

「勇者様!!アナベラなどという低俗な者と話さなくても良いですよ」

アナベラに何か質問しようとしたコトーニを遮ったのは、コトーニを追って引き返してきた木こりのおじさんだった。


「なに?何故この娘は低俗なの?」


「女だからです。コトーニ様のような女勇者は別ですが、そのような才能もない女は弱く愚かで男に劣るものです」


「あなた、何を言ってるの?」


コト―ニは驚いていた。コト―ニと同時に、アナベラも驚いた。女勇者が驚いていることに驚いたのだ。グラーシア村では女が男に劣っているというのは常識だったので、それに対して怒るというのがどういうことかわからない。アナベラとしては、賛成反対とかもできず、ただ呆然とすることしかできない。


そうしたアナベラの態度にも苛立ったように、コト―ニは赤い瞳を吊り上げる。

「アナベラ、あなたも女として怒りなさいよ。まぁいいわ。今は話を戻しましょう。それで?この小屋は妖精をどうしてるの?」


「えっと」アナベラはコト―ニに圧倒されながら答えた。「妖精を檻に入れて集めています。商人しかいないこの周辺の村々の、商売繁盛の伝統なので」


「確かにここ、グラーシア村と周辺の村は立地の関係で農業をせず、交易と森林伐採だけで稼いでるのよね。でもこの倉庫に魔法はない。なんで妖精を監禁したら、この村の商売が繁盛するの」


「なんでと言われましても」


「そもそも妖精に対する虐待も、人間への虐待と同じように罰せられるべきでしょ?ここでグラーシア村がやってることって、妖精虐待だと私は思う」


「すいませんコト―ニ様。男と女を平等に、とか。妖精に対する虐待とか。考えたことないのです」

聞いたことないコト―ニの主張に混乱しながらも、アナベラはとりあえず謝罪した。


そもそもグラーシア村は海と森に挟まれた辺境の地にある。商業がメインで部外者がよく入ってくる村であっても、村の伝統を曲げることは基本的にない。


だから横でコト―ニとアナベラのやり取りを聞いていた木こりの男たちは、明らかに苛立ってきていた。


「おい。コト―ニ様はこの村の伝統を否定するのかい」

怒りが滲んだ声できいたのは、木こり集団のボスの、シルワだった。


「うん。この村の伝統はクソだから消えるべきだよ」空が青いと言うほど当たり前のように、コト―ニは断言した。


「女勇者だからって、調子に乗るなよ」


怒ったシルワが、屈強な腕で持っていた斧をコト―ニに向けて振り下ろした。


しかし当たらない。

コト―ニが一歩、シルワに歩み寄っていたからだ。


斧の刃は棒の先にある。棒の内側に入ってしまえば刃が当たらない。


そして空を切った斧に体のバランスを崩したシルワが、前方によろけ、顔が前に出た先に、いつのまにかコト―ニの肩があった。しかもシルワの鼻がちょうどコト―ニの肩の一番固いところにあたる位置に。


ゴッという気持ちの悪い音とともに、顔面を強打したシルワは倒れた。


コト―ニは剣を抜いていないし、拳も振るっていない。ただ前に向かって歩いただけ。しかし終わってみれば、コト―ニよりも大柄な男が地面に転がっている。


まさに武術の達人。木こりたちはコト―ニに恐れをなして、逃げ出した。


アナベラも一緒に逃げようとした。逃げるべきだった。しかしできなかった。


逃げていく男たちには目もくれず、颯爽と妖精保管庫に不法侵入していく、コト―ニが美しすぎたから。


コト―ニが妖精保管庫に駆け込んだ次の瞬間、妖精保管庫の窓、さっきアナベラが開いた窓から、妖精たちが飛び出し、空へと舞い上がっていった。


毎朝早起きして、村の男たちに隠れて、コソコソ窓を開けていたアナベラの努力がバカらしくなるような、爽快な解決がそこにあった。


全ての妖精を逃がし終えたコト―ニが、妖精保管庫から出てきて、アナベラの方を向いた。


「じゃあ、アナベラちゃんは今日から私の助手ね」コト―ニはさらっと言い放った。「妖精の声が聞こえる人は魔術の才能があるの。私の助手として、役に立つと思う。どうせ村からは反逆者扱いでしょ」


乱暴な提案だったが、その通りだった。


こうしてアナベラはコト―ニの助手としての人生を歩み始めることになった。


それしか道は無かったのだが、実のところ、そんなに嫌じゃない。アナベラにとって、コト―ニの妖精開放は痛快で魅力的に見えていたのだった。


だから喜んでコト―ニに付いて村を出ていき、進んで雑用をした。


野宿。武器運び。魔術の練習。


村娘として暮らしていたアナベラにとって慣れないことだらけだったが、数週間すると、段々慣れてきた。



グラーシア村の遥か上の空で巨竜が脱皮したのは、アナベラとコト―ニと妖精がグラーシア村を出て32日後のことだった。


巨竜は人間とは生きているスケールが違う。雲の上を飛んでいるから地表から観察するのは困難だし、前回脱皮したのは100年以上前のことだったらしく、人間の社会には記録が残っていない。


だからみんな知らなかった。


巨竜の脱皮した皮が1つの島ほどの大きさになることも。巨竜の脱皮が海に落下すると衝撃で巨大な津波が発生することも。津波によって道や川が壊れて、グラーシア村や周辺の村々が孤立して、農家がないこれらの村では食糧難になることも。


アナベラとコト―ニが、慌ててグラーシア村に引き返してみれば、村人は全員餓死していた。道が壊れていて、コト―ニですら、グラーシア村に入るのに20日かかったのだ。国からの救援も間に合わなかったらしい。


骨が透けて見えそうなほどに、やせ細り皮だけの手足。食べる物がなさすぎて人肉食をした痕跡。

正に地獄だった。


しかし、グラーシア村の周囲の村へ行ってみると、みんな辛うじて生きていた。アナベラとコト―ニの助けにより、脱出に成功。グラーシア村以外では餓死者が出なかった。


この結果は女勇者コト―ニの手柄として称えられると同時に、ごく一部では非難の対象となった。


なぜならグラーシア村と同じ被害を受けて、同じように農家もない周辺の村人は、妖精保管庫の妖精を食べることで餓死せずに済んでいたからだ。「妖精保管庫を作れ」という伝統は、本当は「災害時のための非常食を備蓄しろ」という意味だったのに、長い年月の間に理由を忘れ、盲目的に伝統に従っていたのだろう、というのが学者たちの見解だった。


そのような学者たちからの批判をコト―ニは、王への報告の場で受けた。しかしコト―ニは、全て笑って聞き流した。


「あの、」王城からの帰り道、コト―ニの後ろを歩きながら、アナベラは尋ねた。「コト―ニさんが妖精保管庫の妖精を解放したことって正しい行いだったんでしょうか?」


「もちろん正しいことよ。グラーシア村の住民は古い価値観をアップデートせず、女性差別や妖精虐待という悪い行いをしていた。だから餓死しても自業自得なんだよ」

グラーシア村以外の人たちが助かった事と整合性が取れない、強引な理屈。


しかしそれを言うコト―ニは堂々としていて、迷いがない。コト―ニの深紅の美しい瞳は、輝かしい未来だけを見つめている。


自分の「正しさ」を全く疑わないコト―ニ。もうすでに本来のミッションである魔王退治のことだけを考え、前へ向かって歩いていく。


そんなコト―ニの背中が、アナベラの目にはとても美しく映った。

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