第21話 アヘン戦争(二)
条約が締結するまでの間、清国側で新たな事態が発生した。本格的な戦闘が行われない敗北に不満を持つ主戦論者がこの時を待っていたかのように動き出す。
軍を指揮する将軍は皇帝への拝謁が許され、紫禁城に出仕する。
「皇帝陛下におかれましては、この度、拝謁のお許しを頂き、感謝申し上げます」
すると側近の国務大臣が将軍に問いただす。
「すでにイギリスとの和平交渉が纏められつつある中、これを破談して再び戦争を継続するとは。ご宸襟に背くと言うのか!」
「このような事態になったのは皇帝のお側近くにいる貴公らが交易の詳細を把握していない、いや、己が利益のために放置したためにありますぞ」
「な、何を言うか。変な言いがかりは謹んで頂きたい」
「このような理不尽な行いが罷り通るのであれば、我等はイギリスの植民地になり下りますぞ。私は皇祖武皇帝に申し開きができません」
皇祖を持ち出され、皇帝が口を開く。
「その方の存念を申してみよ」
「それでは申し上げます。そもそも交易の対価にアヘンなどを持ち込んだイギリスのやり方に問題があります。酒や煙草などより依存性が高く、摂取過多になると体を壊すほどのものになります。それを抑止しただけで、それを拒まれると国外退去に仕向けたたけで、あなた方大臣は次の手を打たなかった。だがそれを逆恨みするようなイギリスの態度には憤りしかありません」
「だが、条約を破棄して戦争ともなれば勝算はあるのか?」
「海上では勝ち目はありませんが、陸地戦ならば勝機があります。先の戦いでは兵の動員がなっておりません。先ず本格的な徴兵を行い、しかるのちに上陸させるよう誘い込む策を立て、その後これ等を殲滅させるつもりにございます。我が軍の練度からすれば問題ないものかと」
皇帝はこの国の武術や軍略は世界に引けを取らないものと信じて疑わない。まだ本当の戦いはしていない。
「命を下す。先に川鼻で交わされた条約を破棄するものと致すようイギリスに通達せよ。その上、しかるべき戦に備え、万事滞りなく手配致せ」
将軍は跪き命に応える。
「拝命しかと承りました。必ずや蛮族どもを殲滅致します」
皇帝を説き伏せ、条約の正式な署名を拒絶する旨をイギリスに通告した。
これに激怒したイギリスは前回より兵力を増やした大規模な軍勢を清国に向かわせた。清国は広州に大軍勢を集結して、イギリス軍を迎え討つ準備をしていた。
一方、イギリス軍は広州に大軍勢がいる事を察知し、これを避けて、分散した部隊で清国の各拠点を攻め立てる。兵力を集中できない清国側は徐々に各拠点を制圧されてゆく。
優勢になったイギリス軍は揚子江の入り口を封鎖し、北京への物資の供給を遮断した。
更に上陸したイギリス兵らは婦女暴行、略奪行為を行った。清国の戦意を削ぐために上級士官もこれを認めた。清国の名立たる将軍も相次いで戦死したと報告された。
これにより、道光帝ら北京政府の戦意は完全に失われた。
紀元前の頃、中国の孫武なる人物が戦いというものの真髄とも言える兵法書を記した。
世に名高い『孫子』である。これを理解し、活用した者は一定の成果を為している。
日本では武田信玄、毛利元就などが挙げられ、フランスのナポレオン、アメリカではマッカーサーが愛読していたと伝えられている。
その後の日本もそうなってゆくが、相手の力量を知らずに精神力だけで戦えば、上手く行かない事がわかる。
天保13年(1842年》8月
イギリスとの間に南京条約が締結される。
アヘン戦争以前に開かれた広東、福建、浙江に加え、福州、上海を加えた5港を自由貿易港として開港。イギリスへの賠償金の支払及び香港(香港島)の割譲が定められた。
また、翌年の追加条約では治外法権、関税自主権放棄、最恵国待承認などの不平等な事項が追加された。川鼻条約を破棄した事で、更に厳しい条件が課された。
その後の日本に課せられる日米通商修好条約のモデルとなるものが、この時に結ばれた。
戦後イギリスは清国に対し、交易において一定の成果は上げた。条約にアヘンに関することは書かれている筈は無く、アヘンの取り扱いについては以前と状況は変わっていない。
イギリス商人は依然として利益をあげるためにアヘンの密売をしている。アヘンの取締りに限度を感じた清国は銀流出を減らすため、自国内で安価なアヘンを製造させて、流通した。
その事がのちのアロー号事件(第2次アヘン戦争)へと発展していく。
後の話になるが、戦後、大量に残った銃器、弾丸がイギリス人商人トーマス・グラバーの手に渡る。
外国との通商が可能となり、長崎で貿易商をしているグラバーのもとに、このとき近くで亀山社中という商社を営んでいた坂本竜馬が訪れて、武器購入の取引をまとめる。
長州藩は先年、攘夷の先駆けとしてイギリス船を砲撃した。その後イギリス、フランスなど四ヶ国の連合軍からの報復を受ける。これにより、海外からの武器調達ができなくなる。
慶応元年(1865年)幕府からの長州征伐が始まると長州藩士の伊藤俊輔、井上聞多が長崎で亀山社中という商社をしている坂本竜馬を訪ねる。
このときに竜馬は同じく親交のある薩摩藩を取引先にグラバーから銃器の購入をまとめている。当時犬猿の中であった長州藩に事実上、武器を贈った事になる。これがのちに薩長連合のきっかけになってゆく。
武器調達に奔走した伊藤俊輔は、のちの内閣総理大臣伊藤博文、井上聞多は伊藤内閣で大蔵大臣を務めた井上馨。
いずれも明治に元老と言われた人物だ。人と人との繋がりは誠に興味深い。
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