第23話 アメリカの目論見
清国がイギリスに敗れ、割譲された香港を拠点に琉球、日本を次の狙いに見定めていた頃のアメリカは、まだ東南アジア諸国に交易圏を広げるまでに至っていなかった。
イギリスが南京条約を締結すると、アメリカ政府は東インド艦隊司令長官のジェームス・ビッドルに清国との条約を結ぶよう指令を出す。
翌年1845年の12月に清国との間に「
弘化3年(1846年)7月
ビッドルは二艘の軍艦(コロンバス、ビンセンス)を率いてマカオを出港した。
既に異国船打払令が解除されているため、二艘の軍艦を率いて浦賀に入港したビッドルは、何事も無く沖合に停泊することができた。
直ちに浦賀奉行は旗艦コロンバス号に与力、通訳の者を向かわせた。
「貴公たちの日本への目的は如何なるものか?」
「はい。私はアメリカ政府から遣わされたビッドルという者です。この日本と交易を行いたく来日致しました。あなた方のご意向を是非伺いたい」
「日本国の交易はオランダ、清国、朝鮮国と決まっておる。またその受け入れは長崎港になっている。救難以外であれば、ここでは無く、長崎に回航いただきたい」
「あなた方は何故、もっと多くの門戸を開いて他国との交易を行わないのですか。お互いが利益を享受する事で国同士が豊かになるとは思いませんか?」
「そのような事は私の預り知らぬ事です。どうかお引き取りを願います」
これ以上の話し合いは無意味だと悟ったビッドルは一旦マカオに戻る事にした。
話し合いが終わり奉行所に戻る途中、随行した若い与力が上長に尋ねる。
「過去にも幾度なくありましたが、なぜ異国人はこの国に来て交易を迫るのでしょうか。我らが断っているのですから諦めては貰えないのでしょうか?」
「互いの利益などと体の良い事を言っておるが、大砲などを積んだ大型船を自由に扱えることで、他の弱い国を力で抑えて自国の利益を広げているのであろう。あの清国でさえ、それに反抗したが故に一部領土を取られてしまうような目にあった」
「次は我ら、という事になるのでしょうか?」
「そうなるかもしれんな。我らももっと気概を持たなければならんぞ」
「私たちも異国人と同様な力を持てば良いのではないでしょうか」
「滅多な事を申すものではない。自分たちの首が飛ぶぞ」
この若者が気にしていたように、未来の世界は力の無い国も最新式の武器を所有する事で、他国からの侵略を回避する唯一の手段だと考えるようになってゆく。
このときアメリカは日本の事よりももっと重要な局面に対じしていた。太平洋に面した西側の地域を支配下に治めて、太平洋進出を果たすべくメキシコと争っていた。
そのカリフォルニア、テキサスを米国に併合するためにメキシコ政府との交渉が行われていた。テキサスを併合後に、国境を巡って戦闘が勃発した。
戦闘に勝利したアメリカはついに念願のカリフォルニアを手に入れる事に成功した。そのカリフォルニアを縦断するシェラネバダ山脈から大量の金が採掘される。
いわゆるゴールドラッシュが起きる。
富を求めて沢山の人がこの地に訪れる。これに伴い輸送手段である船舶、鉄道が発達する。特に蒸気船の性能が目覚ましく向上した。
1850年当初に世界で最速ノットを計測した。この事が捕鯨の発展に繋がる。
交易の市場を中国大陸に求めるために、アフリカを経由する大西洋ルートでは半年かかるのに対し、太平洋ルートではひと月足らずで航海できると試算された。
但し、途中で石炭、水を補給する中継地点が必要となる。そこで目を付けたのが日本をその地にするという事になった。近年日本近海での捕鯨で、物資の調達に日本人との間にトラブルが発生している事が中継地点の確保の気運は高まっていた。
国務長官は直ちに大統領のフィルモアに日本に対し、通商を行う旨を記した国書を依頼するとともに議会からの承諾を得る事ができた。
更に1852年3月に東インド艦隊の司令長官に着任したばかりのマシューペリーに日本への折衝を指示する。
国務長官はペリーを呼び出し、日本との交易をまとめる事を説き、大統領の国書を手渡した。
「長官殿、指令を受けるにあたり、この国書の内容を見る事をお許しください」
「これなるは日本国の将軍家宛てに書き記されたものだ。如何なる者とてこの封緘を解く事は許されない!」
「だ、大統領のご意向が分からずに、この責務を果たす事はできませんぞ」
国務長官は暫く押し黙ったが、これを黙認した。
国書の内容は以下であった。
・使節派遣の目的は日本と交易を行う事。
・アメリカはイギリス異なり侵略の意思が無い事。
・アメリカは太平洋を挟んだ対岸にあたる場所にあり、本国の蒸気船で20日以内で行き来できる事。
(これは明らかに恫喝のような気がする)
・鎖国政策の方針を変更して、段階的に交易港を増やして行く事。
・アメリカ船遭難時の生命と財産の保障、寄港先での物資の供給。対価を支払う事。
過去を遡ればロシアも半世紀前から日本にアプローチして交易を求めているが、幕府の政策を理由に拒否されている。先年のビッドル提督もやはり何ら成果は上げられていない。
そこでペリーは日本との交渉にあたり、日本人というものを理解するために様々な文献を見た。特にシーボルトが残した日本の文化や江戸参府の様子などを記したものには、大いに参考になる記述があった。
(日本人はとても勤勉で、礼節を重んじる民族性のようだ。同じ東洋人でもアジア諸国や清国とも異なるようだ。将軍をトップに武士という者がこの国を動かしているらしい。それだけに融通が利かないところもあるようだ)
ペリーは過去の事例から来訪に出向く艦船が1、2隻程度である事に気付いた。相手に威圧を掛けるだけの艦隊で行く必要があると考えた。そこで先ず、参加できる艦艇を集める事から始めた。
当初、サスケハナ号、ミシシッピ号、サラトガ号、プリマス号、ポーハタン号、レキシントン号の6隻の艦隊を検討していた。
結果的にサスケハナ号を旗艦として、ミシシッピ号、サラトガ号、プリマス号の4隻が編入された。この内、サスケハナ号、ミシシッピ号が蒸気船で、サラトガ号、プリマス号は帆船になる。
弘化3年(1852年)11月
アメリカ東海岸のノーフォークに集結した4艦はアフリカのケープタウン、マカオの大西洋ルートを経由して日本に向かう航海に出る。
太平洋をひと月足らずで航海できると言っておきながら、大西洋ルートでの航海を選んでいる。やはり補給地点が少ない大海原のルートは、リスクの大きさがわかる。
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