第15話 長崎からの知らせ

 モリソン号が去ってから1年近くが経ったのち、長崎のオランダ商館に、到着した交易船の荷の中から商館長宛ての手紙が届いた。

 手にした書簡の差し出し人はオランダの外務大臣で、商館長のニーマンは唯ならぬものを感じる。


 ニーマンは受け取った手紙を読み進めるうちに顔色が青ざめてゆく。

(これは何と言う事か。大変なことになった。長崎奉行の久世様に報告しなければ———)


 突然のオランダ商館長の来訪に長崎奉行の久世広正は驚いた。その表情はいつに無く険しい。

「商館長殿、いったい何事ですかな?」

「御奉行様、先ずはこの書簡をご覧になってください」

 差し出された書簡を手にし、読み進めて行くと次第に事の深刻さを知る。

「————」

 暫く沈黙が続く。

「なんたることか。不埒なイギリス船を追い払っただけのものと思っていたが、そのようなものが来ていたとは」

「御奉行様、アメリカの外務省からオランダに通達があり、仔細を日本に伝えるよう私のもとに知らせがありました」

「その方も存じておろうが、過去のイギリスの横暴から幕府は異国船を打ち払うよう、諸藩に命じた。その折、オランダ商館から諸外国に対し、勝手に上陸しないよう通告させた筈だが、それが上手く伝わっていなかったのであろうか」

「イギリス籍の艦船であれば、こちらからの言い分も通せるでしょう。ですが相手がアメリカでしかも商船です。特に人道的な観点を問題視しております」

「この件は奉行たる私の一任で対処できるものではない。江戸に早飛脚を立てる。但し、帰国できなかった者たちは、この秋に来るオランダ船に乗せる事を承諾頂けるよう具申するつもりだ」

(異国と言うのは他国をどう思っているのか。なぜ事前に来航の通達を出さぬ。漂流民の返還なら尚更ではないか。勝手に来るから、このような仕儀になるのだ。困ったものだ)

 奉行の思いはごもっともである。


 オランダからの書簡に長崎奉行の添え状が付けられ、幕府の老中水野忠邦宛てに送られた。書簡を受け取った忠邦は直ちに評定を開くため、他の老中職の者を招集する。


 江戸城西の丸の大広間に早々たる者が集まる。老中首座の松平和泉守乗寛のりひろ(61)、次席は水野越前守忠邦(45)、太田豊後守資始ぶんごのかみすけもと(40)、脇坂中務大輔安董なかつかさたいふやすただ(72)、堀田備中守正篤びっちゅうのかみまさひろ(29)のちに改名して堀田正睦まさよしの5名が任命されている。


 かみは平安時代に唐の国の律令制度を取り入れた際、官位の従五位じゅごいに割当てられる官職である。中央集権から任命された地方の国の行政を治める国主にあたり、税や兵役などの租庸調を管理していた。鎌倉時代の武家政治が始まると、その職は衰退する。

 戦国時代になると、家臣に与える恩賞がわりに使用するようになるが、本来の意味は無く、勝手に使用する単なる名誉だけのものになっている。

 その時代、上杉謙信が治める越後の国では宇佐美駿河守定満するがのかみさだみつ、武田信玄が治める甲斐の国では板垣駿河守信方するがのかみのぶかたなどと同時期に同じ官職の者が存在していた事からも明白である。

 江戸時代になってもそれは変わっていない。


 集まった中でも堀田正睦はこののち再び老中職に任命され、アメリカ総領事のタウンゼント・ハリスが日米修好通商条約の調印を求める際に立ち会っている。

 太田資始などは水野忠邦とは意見が合わず衝突し、老中首座となった水野忠邦から罷免を受けるか、忠邦の失脚後、2度も老中に復職しているほどの人物だ。


 なお、同じ老中職でも最年長の脇坂安董、太田資始などは功績などにより将軍付きの本丸老中で、実際の政務を執り行なっている。一方、水野忠邦、堀田正篤は西の丸老中で大御所、次期将軍となる者の政務を取り仕切る。役目上は本丸老中の方が上役にあたる。忠邦、資始などは互いに意見がぶつかる事もあり、相手の存在を疎ましく思っている。

 脇坂安董はこの事があった2年後に没している。将軍の薨去、水野忠邦が老中首座になった時期と重なっている事から西の丸派の毒殺ではないかとまことしやかに囁かれた。


 評定がはじまると、先ず書簡を受け取った水野忠邦があらましを説明する。

「お集まり頂きましたのは、昨年の7月に起きました異国船への対処につきまして、先方の国からの抗議の通達がオランダ商館を通じてこちらに届けられました———」

 年長の脇坂安董が空かさず切り出す。

「知っておるぞ。性懲りも無くまた、イギリス船が勝手に上陸しようと押し寄せたので、年番の小田原藩、川越藩が浦賀で砲撃を加え、退去させた事であろう」

「はい。浦賀を去ったその船は鹿児島港に行ったそうでそこでも矢張り、砲撃を受けて自国に退去したそうにございます」

「諸藩は異国船打払令に従っての行いであれば、当然の仕儀で何ら問題無いもの存ずる」

 居合わせる者は皆、追い払った事は当然で問題は無い思いでいる。

「左様にございますが、書簡の内容に依りますと、いかばかりか問題が出ています。幕府としての返答を協議したいと思います」


 忠邦は記載内容の要点を読み上げる。

「我が国に寄港しようとした船はアメリカ国の商船で国家の使節団では無いものが勝手にしかも、武装した状態で浦賀に近づいた事への非礼を詫びています。その事について我らの対応を非難するつもりは無いとあります」

 老中首座の松平乗寛は冷静に口を開く。

「イギリス船では無かったのだな。しかし、商船とはいえ、武装した船なれば致し方あるまい。その先の薩摩の対応に問題があると言う事だな」

「いかにもそのようです。鹿児島港に入る前に武装を解除して停泊していると、薩摩藩の役人と思しき者がこちらの船に来ましたので当方の目的が日本人漂流者の返還が目的である事を伝え、指示に従って停泊していたとあります。ところが翌日早朝、港からの砲撃を受ける事になり、やむを得ず、湾外に退去したようです。先方の抗議は以下の2点になります。

 ひとつ目は武装を解除した船を警告射撃ではなく攻撃したかと言う事。今ひとつは漂流者を返還する目的を告げたにもかかわらず、砲撃した事への抗議にございます。人道に劣る行為だと非難しています」

「薩摩藩は過去にイギリス船が許可なく上陸して住民から略奪している事があったゆえ、致し方無いものかと存ずる」

「人道にもとる行為と言うが、事前に何の通達もなく来航し、漂流者の返還だから上陸させろとは些か勝手が過ぎると存ずる」

「異議は無い。遭難救助ならまだしも真偽など、わかったものでは無い。こちらから謝罪する必要など無い」

 憤りの発言が飛び交うだけでは解決策にならない。

「それでは砲撃の件につきましては、武装を解除したとは言え、その目的が事前の通達も無く不明瞭なため、俄かに信じ難い事で国外退去させんがための行為とします。次に漂流者の返還の件になります。これはオランダ商館長の提案ですが、彼等をオランダ船にて送還し、長崎でその身を引き受ける事とします。これでいかがでしょうか?」

 一同、異議は無いようだ。


 この件は忠邦から勘定奉行、大目付、儒役の林述斎にも諮問している。述斎は暗に異国船を打ち払うような事はせずと、打払令には消極的な考えを示す。


 勘定奉行、大目付からの意見は漂流民の返還が通商と引き換えが条件と言うのであれば返還の必要は無いと厳しい意見だ。


 忠邦は、傍らで評定の内容を記録している者に向かって指図する。

「ではその旨を返書としてまとめ、オランダ商館に届ける。記録方から右筆へ返書を作成するよう手筈を整えよ」

「は、畏まってございます」


 忠邦がオランダ商館長に返答した内容は以下である。

・漂流民らは今年の秋に来るオランダ船に載せて帰国させる事。

・送還が通商を行う事の条件などとは論外である。その場合は漂流民の受け入れは行わない。


 この記録方の者は尚歯会の一員でもある。問答を記録しながらも、何故このような事になってしまうのかと悲しくも複雑な思いを抱える。

 また、彼はモリソン号が近いうちに再度来航するものと勘違いした事も、後の悲劇に拍車を掛ける事になってしまうのである。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る