第12話 蘭学者たちの集い

 天保5年(1834年)

水野忠邦が老中に就任する。水野家と言えば徳川家康の母方の系譜にあたり、幕府での親藩となる家柄だが、忠邦の父方の系譜は豊臣政権における五奉行を務めた浅野長政にあたる。血筋としては悪くない。祖父の代で水野家の養子になる事で、その縁戚に加わる。


 忠邦も幕閣上層部への異国船の来訪に対する海防認識、飢饉に伴う税収減に対する施策の緩慢さについて不信感を持っていたが、改革を断行するだけの権力は無かった。この点は崋山、長英の思いと合致していたと言える。

 

 自身で何か出来ないものかと思案し、有益なものは如何なるものでも取り入れたいと考えていると、勘定方に抜擢されて目をかけている川路聖謨かわじとしあきらから申し入れがあった。

「ご老中様、紀州藩の近くで藩士の遠藤なる者が尚歯会なるものを立ち上げ、救民を目的とした意見交換などを行っていると聞いております」

「ほぉ。して、他にどのような者が加わっておるのか?」

「はい。三河は田原藩家老の渡辺殿、麹町で蘭方医を開いているものなどが居るそうです」

「田原藩などは飢饉で餓死者は出ていないと聞いている。学ぶところがあるのかもしれんな。では、その方と太郎左衛門とで様子を見て参れ」

 江川英龍ひでたつ(太郎左衛門)も川路と同じく有能な若者で、何れ自身の側近にしたいと目をかけている者の中の一人だ。

「承知しました。では早速に」


 川路、江川の二人は尚歯会を訪れる。

「我らはともに今年老中になられた水野忠邦様の下で働く者にございます。ご老中におかれましては内憂外患のこの時期、幕閣上層部の財政、対外政策の立て直しに緩慢な事を憂いております。我らに何かできる事が無いかと思案していましたところ、あなた方の事を知りました。是非、我らも一員にお加え願えないかとまかり越しました」

 後に伊豆韮山の代官となる江川の迫力に主催の遠藤も度肝を抜かれる。

「尚歯会は古来、隠居した知識のある者が集まり、それを披露し、見識を高める場所にございます。決して人を指南する事や、その成果を問う所ではございません。また、思想、立場などから相手を非難するような言動は謹んで貰わなければなりません。そこはご理解頂きたい」

「不躾な申し出、失礼致しました。我らはただ、皆様方と交流させて頂く事で自身の見識を高めたいと願うだけにございます」

「それなれば、ここに集う方々とともに知識を高めて合っては頂ければ幸いです。ご紹介します。こちらは三河田原藩家老の渡辺崋山殿にございます」

「渡辺崋山です。家老職と申しましても末席でまだまだ力不足ではありますが、よろしくお見知りおき下さい」

「そして今ひとりのお方が高野長英殿にございます」

「長英です。これなる崋山先生とは今は亡き吉田長淑先生の蘭馨堂の同門で兄弟子にあたります。今は麹町で小さな診療所を営んでおります。ともに学んだ学問が世のために役立てたいと、ここに集っております」

「幕臣の川路聖謨と申します。ただ今は勘定方の下役を勤めています。お二方の事は存じております。蘭学を修められていると聞いています。是非に異国の知識を教示願いたい」

「江川英龍です。伊豆韮山で我が兄が代官をしております。私はその下で見習いをしています。西洋の技術を学び、この国の防衛に役立てたいと思っています」

 こうして幕臣の二人が新たに会の一員になった。崋山、長英のふたりは植物学にも精通しており、生活の必要になるものをまとめ、地域の者たちに知識を提供している。


 幕臣のふたりは特に長英が長崎で体験した話や西洋の技術を書き記した物に大変興味があり、下には置けぬ程の関係性になっている。彼らにとっては国防、海防の方に関心があるようだ。


 時が経ち、長崎生まれで蘭学を学び、オランダ商館にも勤めた経歴を持つ幡崎鼎はたざきかなえも長英の存在を聞き、会に加わっている。幕臣らにとってはまたと無い人材が加わった。彼らがもたらした情報は後に大いに役立ってゆく。その時に彼らはこの世は居ないという何とも皮肉な事である。


 尚歯会の門人も増え、賑やかになった頃、ひとりの男が会を訪れる。

「ごめん下され、どなたか居られるか?」

訪問客の声に長英が応対する。その顔が驚きに変わる。

「こ、これは小関さんでは有りませんか。お元気そうで何よりです。渡辺さんとも案じていました」

「お主も無事で何より、二人がここに居ると聞いて、私も是非仲間に入れて貰いたく参上した。会の主催に取り次いで頂きたい」

「そうでしたか。それは願っても無いことです。斎藤さんもきっと喜んで下さいますよ」

「ちょうど上方の旨い酒がある。今夜は久しぶりに3人で語り明かそうではないか」

 小関の入会が認められ、蘭馨堂の門人であった者たちが再会した。


 その日の夜半、3人のささやかな宴が開かれた。酒は江戸において下り酒と言われる灘の清酒。肴は干し芋と焼いた目指しが少々ある程度だ。早速、再会の祝杯をあげる。

「小関さん、折角良い酒を用意頂いたのに宛てはこのくらいしか用意出来なくて申し訳ない」

「なにを言うか。このご時勢だ、致し方あるまい。それより長英、長崎を出た後の事を話してくれないか?」

 長英は鳴滝塾を出てからここに至るまでのあらましを話す。


 酒の事が気になった崋山が小関に尋ねる。長英も真剣な眼差しで小関を見つめる。

「上方の酒と言う事は大坂あたりにいたのですね」

「そうだ。鳴滝塾は長英が出て、暫くして閉門させられたよ。奉行所からは簡単な質疑はあったが、地図の存在すら知らぬ我ら塾生はひとりも罰せられなかったよ」

「そうでしたか、あの折は小関さんの機転で私は上手く抜け出しましたが何事も無く良かったです。その後はいかがなされたのですか?」

「岸和田あたりで小さな診療所をやって、それが認められて藩医になる事ができた。オランダ語が訳せるから、藩命で江戸に行く事になり、今は天文方で書物の翻訳の手助けをしている」

「さすがは小関さんだ。西洋の医術が役に立ったのですね。案じていましたが小関さんならきっと大事ないと思っていました」

「勘定方の者たちが、この会とお主らの事を話していたので驚いたよ。居ても立っても居られずに来たって訳さ」

「その方々は恐らく川路さんと江川さんで、会に参画しています。老中水野忠邦様に目をかけられているようで、将来有望な人たちですよ」

「彼らは儒学を重んじている者たちであろう。教えは悪くないが考え方が古い。大丈夫なのか?」

「我等と同様、国の行く末を憂いてここに来ています。西洋の技術の高さを理解しており、我等から学ぼうと真剣取り組んでいます」

「なら良いが。そう言えば幡崎くんもここにいるとか、中々の人物が集まっているな。儂はこれから、西洋の歴史やそれに関わった人物などの史記に触れてみたいのだよ。そういう研究をしてゆきたい」

「では今の翻訳の仕事は打って付けという所ですね」

 三英は技術者ではなく、根っからの学者肌なのだ。今の仕事に満足しているようだ。

「小関さんや長英が羨ましい。私などは西洋の知識といっても江戸で書物などから知り得たものでしかない。ふたりは長崎の地で異人と触れ合い、誠の知識を得ている」

「私が知り得たものは崋山先生にもお教え致します。そのためにここに集まったことですから」


 こうして、蘭馨堂の門人であった3人は再会し、知識を高めあってゆく事になる。

再会を祝した彼らの話は止まない。夜が更けても尚、心ゆくまで語り合うのであった。

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