第8話 シーボルト来日

 ドイツで生まれたシーボルトは幼い頃から動植物に大変興味を持っていた。動植物の学位を修めるが、祖父の代から医師を勤める名門の家柄に育ち、医学についてもその技術を身につけている。

 

 町の開業医として生計を立てるが民族学、植物学に対する思いは捨てきれず、世界の国々と交易のあるオランダに行く事を決意する。医学を修めた事でその医療技術が認められ、国王の典医からの推薦でオランダの軍医になる事ができた。


 東南アジアのオランダ領にある陸軍病院に配属され、勤務の傍ら、日本の事を考えるようになる。

(日本には独自の文化があり、見た事の無い動植物も沢山ある筈だ。どうにかして行く手立ては無いものか)

思案したあげく、この地での最上官にあたる東インド総督に直談判する事を決意する。

「総督閣下にお願いの儀があります」

「そなたの医術を通じた働きは私の耳にも入っている。何か問題でもあるのかね?」

「はい。私は兼ねてより日本と言う国の文化に興味があります。長崎のオランダ商館の一員として派遣させて頂けないでしょうか?」

「それは商館付きの医師と言う事ですかな」

「はい。医師として必ず彼の地の信頼を得るよう努めます。また、こちらに有益な情報であれば必ずや、商館長に報告致します」

 表向きは町医者として信頼受け、半ばスパイのような事も行う事を条件に日本に入る事を希望した。


「―――――」

 総督は暫く考えた後、口を開く。

「商館長の報告によると、フランスの統治から解放されて数年経つが、取引額がまだまだ少ないとの事だ。そのためにはより一層日本からの信頼を得る必要がある」

「私が学んだ医術を生かし、必ずや日本の役に立つよう励みます」

「そなたの思い良くわかった。次の交易船が出る時に日本に行くがいい。商館長にはオランダ商館付きの医師を派遣する事を通達しておく」

「ありがとうございます。感謝します」

 総督の執務室を出たシーボルトの顔は喜びが隠し切れない程の表情だ。これで思う存分に研究ができるとひとりごちた。


 文政6年(1823年)8月

オランダ国の命により長崎に来日する。

この年にタイミングよく新商館長のスチュルレルとの入れ替わりがあり、その船に便乗する事ができた。


 意気揚々と長崎に来たシーボルトであったが、商館員から驚愕の事実を突きつけられる。

「我ら、異国の者はこの出島から出て、町の日本人と触れ合う事を許されてない」

(それでは何のためにこの地に来たのかわからないではないか)

「何故ですか、オランダはこの国の交易国では無いのか?」

「それがこの国の仕来りです。従って貰わねば処罰されます」

 納得できないシーボルトは商館長室にスチュルレルを尋ねに向かう。

「商館員の方々から、我らは出島の外に出る事を禁じられていると伺いましたが誠の事でしょうか?」

「君も存じておろうが、この地は徳川幕府の管轄地で長崎奉行が治めている。長崎奉行の許可なく、我々は出島の外に出ることは許されていない。そこは心得て貰わねばならない」

「それではこの国の文化に触れる事は出来ないのでしょうか?」

「あなたの任務は、この居留地に働く者の健康を管理する主治医です。母国のような自由な行動は出来ない事を理解して頂きたい」

気落ちしているシーボルトに商館長は優しく告げる。

「商館長の私はオランダ領事館や時には、長崎奉行所に出仕するため、出島を出る事を許されています。先任の商館長からの話では医療行為が必要な場合、オランダ商館付きの医師は奉行所からの要請で呼び出される事もあるので、そう悲観しなくても良いのでは」

「分かりました。よろしくお願いします」

 この言葉にシーボルトは今こそ自身が学んだ医術をこの国のために役立てると心に誓った。


 そんなある時、出島の外で急病人が出た。

百姓の荷車に積まれた道具の中にあった鎌の刃が荷車の外に出でいた。すれ違った子供の腕がそれに触れ、深く切れて酷い出血になった。

 直ちに当たれる医師がいないので、島の中に医師がいないかを告げに来た者がいた事でシーボルトの耳に届いた。

 話を聞いたシーボルトは、商館長に状況を説明するよう他の商館員に告げ、現場に向かった。

 泣き叫ぶ子供をなだめ、自らが持ち込んだ鎮痛剤(主成分にアヘンが含まれている)を使用して、切り口を縫合して止血の処置を済ませた。その後、子供の案内で住まいまで送り届けると、母親は泣いて感謝を伝えていく。

「術後の経過を見ます。5日ほどしたら、出島に私を訪ねに来て下さい」

「お代はどのようにすれば良いでしょうか?」

 この貧しい人からお金など取れないと思ったシーボルトは辺りを見回すと、住まいの中に一輪の赤い花が竹筒に生けてあるのが見えた。

「あの赤い花は何という花ですか?」

「はい。あれはツバキと言う花で、長崎の離島の五島に咲く花です」

「素敵な花ですね。あれをお代に頂けますでしょうか」

「あのような物でよろしいのでしょうか?」

「えぇ。私に取っては十分なお代です」

 出島に戻ったシーボルトは、商館長に呼び出された。

「今回は私の方から奉行所に状況を報告しておいたので事なきを得た。君の思いはわかるが、この様な振る舞いは二度としないで貰いたい。今後は奉行所の指示の下に行動するよう心掛けてくれ。でなければ我らの地位が危ぶまれる」

「申し訳ありません。以後、商館長の命に従います」

 自室に戻ると早速にそのツバキの花を紙に描いた。その眼はとても輝いていた。

数日後、出島を訪ねた子供からお礼にとツバキの種を貰った。


 この事があってから、奉行所内で体調不良などがあるとシーボルトが呼び出されるようになった。近隣の住民も困った事があると奉行所を経由して、彼に診察して貰ったりしている。シーボルトの名声は徐々に上がり、奉行所から信頼を得るようになって行く。

町の人たちと触れ合うために日本語を懸命に理解しようとする姿に皆、心を動かされる。


 年が明けた文政7年(1824年)

スチュルレルとシーボルトは奉行所に呼び出された。

「お奉行様にはご機嫌麗しく存じます。この度はどのような要件にございますか?」

 二人同時に呼び出される事はこの所あまり無かったので、緊張した面持ちでいる。

「そう畏まるような話では無い。こちらからの頼み事があってお越し頂いた」

「それは安堵しました。お話願います」

「シーボルト殿の優れた医術のお陰で、我ら奉行所の者をはじめ、近隣の者たちも大変感謝している。診察に当たっては出島からの往来では刻が掛かるとお見受け致す。この長崎を預かる奉行として、シーボルト殿には良き所を見つけ、そこに診療所を作りこれまで通り皆を診ていただきたい」

 これはスチュルレルが本国から聞いていた通りのシーボルトの技量の高さに感銘を受け、広くこの国に役立てもらいたいと以前から奉行所に懇願していた事が漸く叶った。

 シーボルトにとっては願ってもない話だ。

「ありがとうございます。早速に良い場所を探します」


 翌年、鳴滝村にある2階建ての家屋を購入する。1階を診療室とし、2階は医療知識を幅広く伝えるための教場とした。鳴滝塾と名乗った。

西洋の医療技術の高さを聞いた高野長英ちょうえい、伊東玄朴げんぼく小関三英こせきさんえいなど多数がここを訪れ、門下生になる。

また、各藩からはオランダ語の話せる者が講義を受けに訪れる。彼らはここで天然痘の初期治療とされる牛痘法を教示される。


 シーボルトが植物に興味がある事を知った近隣の子供らは、珍しい植物を見つけると診療所に訪れる。シーボルトの喜ぶ顔の見たさに彼らがせっせと運んでくれる。お礼に西洋の菓子などをもらうと子供らは大喜びする。


翌年には出島内に植物園を拵え、薬草だけでなく、貰った草花の種を蒔いて花壇も作った。

 医療行為以外でも地域に無くてはならない存在になってゆく。


1829年に出国が認められ、帰国後は日本植物誌『フローラ・ヤポニカ』の編纂に打ち込み、やがて世界中に照会される。

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