第7話 異国船打払令の発布

 水戸藩、薩摩藩からそれぞれの情報が幕府に報告される。年二度にまで渡るイギリスの掠奪行為に幕府への不信がつのっている。


 幕府では直ちに今後の方針を決めるべく、老中はじめ、若年寄、大目付、勘定奉行らを江戸城本丸御殿の大広間に集めて評定を開いた。また、この中に海防の観点から、日本の地理に精通している御書物奉行の高橋景保が特別に呼ばれている。彼も異国船の打ち払いを幕府に提言したため、列席する事になった。


 評議が始まるや、早速、若年寄たちから不満の声が挙げれる。

「救難を求めての寄港なら、いざ知らず、近頃のイギリス人は勝手に上陸して、食糧などを掠奪しているでは無いか。このままではこの国の威信に関わる。皆様方のご意見を伺いたい」

「過去にも長崎でオランダ商館員を人質にとり、物資が奪われたとか。当時の長崎奉行が自ら責めを負って自刃したと言うではないか」

 また、別の者からは異論を唱える意見が出される。

「二年前に浦賀に来たイギリス船なども実は救難を装って、この国の内情を探っていたのでは無いのか。このままではアジア諸国の様に、あれらの国に蹂躙されてしまいますぞ」

「漂流や遭難であれば、救難信号を掲げれ良いでは無いか。あの者らは我らを国家などと思うておりませんぞ」

 事実、一部のものは日本人を野蛮な民族と思っている。

「脅せば何でも貰えるものと思っているに違いない」

「このまま、黙っている訳には参りますまい。ここは彼らとの戦も辞さない覚悟を決めねばならないと考えます」

 若年寄たちの意見を一旦遮るように老中水野忠成が口を開く。

「前例を上げれば、18年前にロシアとの間に衝突がありました。幕府が管理する施設を破壊したため、打ち払い令を発令しています。この度はイギリス船をはじめ、それ以外の国に対しても打ち払い令を発するのかを決議しなければなりません」

「漂流民は引き取るが、交易を断る事を二度までも行ったので、その報復と聞き及んでおりますが———」

「漂流民の返還でこの国の政策を変えるなどとは、些か虫が良すぎるのでは無いか。その事で報復などとは、やり過ぎではないか」

 老中水野忠成は、上席老中青山忠裕の方を見る。

「皆様方の懸念どおり、あの折は幕府の施設が破壊されたため、こちらもロシア船に対して打ち払い令を発したまでの事。艦船に大きな被害を与える事は出来なかったが、威嚇としては十分に役割りを果たした」

「なるほど。その後、ロシア船の拿捕などもあり、ロシアは大人しくなったと言う事ですな。ならば打ち払い令を出すべきかと存ずる」

 そうだと、同調する声があちこちから聞こえる。


 あの折り、自分たちで異国船を追い払い、力を見せ付けた事で以後の患いから逃れたと認識している者も多い。

 だが、その時期にロシアは日本を相手にしている余裕など無かった。フランス革命以降、防衛戦争を目的としたナポレオン率いる軍隊がオランダ、プロイセン(ドイツ)を陥落する。次なる目標をロシアと定め、50万を超える兵力を持ってモスクワを侵攻していたからだ。

 その後、ロシアに深く入り込み、冬将軍の到来で身動きが取れなくなったフランス軍が壊滅した事でロシア側の危機は回避された。


「本評定では日本国を十数年にわたり測量し、『大日本沿海輿地全図』製作を監修した御書物奉行の高橋景保殿に来て頂いている。海防の観点からご意見を賜りたい」

 景保か立ち上がると羨望、軽蔑など様々な視線が一斉に向けられる。

「ご紹介に預かりました高橋です。一奉行の立場から意見するのはおこがましいと存じますがご容赦願います。周知の如く日の本は四方を海に囲まれています。その他、佐渡、対馬、五島、奄美などの諸島を防備するとなると各々の奉行所から近隣諸藩の出兵を願わねばなりません。打ち払い令を発布するにあたり、諸藩も財政が逼迫している最中、これに従うような内容を明記頂きたいと存じます」

「いかにもその通りでこざる。イギリスの暴挙をこれ以上、見過ごす事はできぬ。国家の威信を示すためにも打ち払いを断行すべきと考える」

「それでは幕府の方針は、日本近郊に現れた貿易国以外の艦船は、見つけ次第打ち払うと言う事で宜しいでしょうか?」

 評定内で異議を唱えるものは居ない。

「では、今決まりし事を幕府の方針とし、各藩に通達いたします」


 文政8年(1825年)

諸大名が治める各藩に対し、幕府から異国船打払令が発布された。それとともにオランダ商館に対して、打払令を異国に通達するよう指示がされた。

 長崎以外の地において、相手側の艦船が如何なるものであろうと、発見次第に打ち払いを行わせる事を命じるものだ。無条件に攻撃する事から、無ニ念打払令などとも呼ばれた。

ロシア船以外の全ての異国船も打ち払いの対象として拡大された。


 この異国船打払令には、以下の但し書が補記されている。

『清国、朝鮮の船ならば容易に見分けがつくが、西欧となるとオランダ船との見分けはつきづらい。長崎以外で誤ってオランダ、清国の船に攻撃をしても罪に問わない』と言うおぞましものだ。


 異国船の勝手な振舞いが横行したのだから、これは致し方ない事だ。


 法令の発布から暫くの間、異国船を砲撃したとの記録は無い。その間、異国船の往来が無かったのか、それとも上陸の意図がなければ諸藩がこれを見逃していたのだろうか。

 初めて異国船を砲撃したのは4年後の文政11年(1829年)になってからである。

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