第6話 イギリス船の横暴

 幕府は度重なる異国船の到来に軍備の強化を各藩に指示するが、それは沿岸に砲台を築き、大砲を配備するだけのものだ。西洋の艦船に対抗すべき大砲を備えた大型船の建造をすると言うところまでには至らない。

 この時から20数年も後に佐久間象山が自藩(松代藩)の藩主が老中になったおり、海防意見書(西洋式軍艦建造、海軍演習、人材登用など)を提出する。

その時も意見書は取り上げられなかった。幕閣の要職には開明的な人物は居ない。


 そう言う考えを付け狙うかのようにイギリスが事件を起こす。


 文政元年(1818年)

イギリス海軍将校ゴルドン率いる商船ブラザーズ号が浦賀の久里浜沖に姿を見せる。通商を目的としたものだ。すぐさま浦賀奉行から江戸に知らせが届けられた。

 老中の青山下野守しもつけのかみ忠裕は十四年前、ロシアの交易船に対し、鎖国を理由にこれを拒絶している。


 今年新たに老中職に就いた水野出羽守忠成はその事について伺いを立てた。

「下野守様、過去ロシアに対して通商を拒絶したことで報復を受けたと聞き及んでおります。此度も同じ方針と考えてよろしいのでしょうか?」

「毅然とした態度を取らねばならぬ故、幕府の方針は変わらぬ。だが、かの国は漂流民を伴って通商を求めて来るので扱いに困る。さすがに二度は不服だったのであろう。こちらの施設を破壊した。その後、ロシア船の打ち払いを含め、北方の警備を強化した。そちも存じておろうが、7年前に松前藩がロシア人を捕縛した。数年の間、投獄したせいもあり、近頃はロシア船を見たとの報告は無い」

「はい。存じております。一方でオランダからの知らせでは近年イギリスは海軍を強化して、年々東南アジアの国々を統治下においていると聞き及んでおります」

「十年前に長崎奉行を欺いて、死に追いやっておる。油断ならぬ輩よ。だからとて今交易を認めれば、ロシアなども黙っておるまい」

「されば湾岸の軍事強化が火急な要件となりますな」

「そうだな。海防に力を入れねば。彼の者らの思いどおりにさせてはならん」

 幕府の評定ひょうじょうでイギリス人への回答は交易は行わない旨を通達した。イギリス船は何事も無く国外に退去した。


 あっさりと引き下がったところから、敵情視察とも考えられる。相手の出方を見に来たのであろう。沿岸の状況など、かなりの情報を持ち帰った事だろう。

 イギリスは翌年にシンガポールを領有し、自国の統治下に置いた。このまま黙っているとは思えない。


 文政4年(1821年)

伊能忠敬は二十年前、蝦夷地から始めた大規模な測量を十六年の歳月を要して行った。これを基にした日本地図『大日本沿海輿地全図だいにほんえんかいよちぜんず』が漸くこの年に完成した。


 測量の監督にあたる天文方御書物奉行の高橋景保かげやすにこの地図が引き渡され、幕府に献上された。天体観測を元にした測量で精度が高いものになっている。この事から幕府は海防上の理由から複製した物も含め、国外への持ち出しを禁止した。

 忠敬は感謝の意を込めて別に作製した縮図にしたものを景保に贈った。この地図が後に大きな事件の引き金となる。


 文政5年(1822年)

イギリスの捕鯨船サラセン号が浦賀に来航した。この時は悪天候により遭難した結果、物資の不足に伴い、病人まで出る始末となった。救済を求めて奇港した。

浦賀奉行所から、薪水、食糧が提供されて何事もなく、港から立ち去った。


 文政7年(1824年)5月

常陸の国の水戸大津浜に、イギリス人12人が幕府の許可なく上陸した。

水や食糧を求めて、沿岸の民家を物色しているところを通報を受けた藩兵により捕縛された。


 これを知った艦艇からは砲弾が撃ちかけられ、一触即発の状態となる。

やがて艦艇から多数のイギリス人が上陸して、捕縛した船員の解放を要求して来た。

江戸から交渉にあたる代官、通詞が到着すると会合が行われる。

「過去漂流した船にこの国に近付かないよう、申し渡しているのだか、聞いていないのか?」

「壊血病などの病人が出ているので立ち寄ったまでとの事です」

 取り調べの内容から、あくまでも食糧、病人が出たことによる医薬品などの物資の調達が目的である事が判明した。

「ならば勝手に上陸せず、然るべきところに伺いを立てるべきであろう。近隣の民家に近づくなど、ましてや物を取り上げようとする行為は許されるものでは無い」

「強奪するような行為はしていないとの事にございます」

「今回は物資を提供するので、早々に立ち去って貰いたい。以後は許さないと心得て貰いたい。今後この国に近付かないよう国の者らにも伝えよ」


 彼らは東南アジアの国々でも、物資が不足すれば寄港して、国によっては対価を払う訳でもなく、勝手に物資を掠奪しているらしい。日本に対しても同じ事を平然と行う者たちに幕閣から苛立ちの声が上がるとともに、取り締まりを強化すべきとの声も上がっている。これは当然の事と言える。


 日本の近海では鯨が良く獲れるらしい。彼らはその地をジャパングランドと称している。この時代、日本では鯨猟は行われていないため、漁民らへの影響は無い。だが捕鯨の継続を行うために食糧、水などの物資を求める船が沿岸に現れ、漁民をはじめ、村人らとのいざこざが幾つも報告されている。


 同じ年の8月

イギリスの捕鯨船が食糧調達を目的に薩摩の宝島に漂着した。複数の小船に乗った船員らが許可なく島に上陸した。

 民家に押し寄せて家畜を要求したが食用では無いので、と断りを入れた。替わりに野菜などを提供した。暫く経って再び現れると、家畜を殺して肉を持ち去ろうする。対処に困った住民が役場に通報した。


 騒ぎを聞いて駆けつけた役人が事態の制止を促したが、制止を無視したため、イギリスの一人を殺害した。他の者は死人を残したまま、逃げ去った。争い事から死者が出るまでの事態に発展する事件が起きている。

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