第5話 更なる脅威
長崎での事件は、この国の海防の脆弱性を世界に知らしめた。幕閣の中からも交易船以外の異国船に対しての方針を改めなければとの声も上がっている。その最中にまた蝦夷地に異国船が到来して、事件がおこる。
文化8年(1811年)
ロシア海軍大尉ヴァシリー・ゴローニンは命じられていた千島列島の探索を終えた。
未開の地とされる南方の諸島に関心を持っていた彼は北方に向かわず、進路を南に取った。数日経ち、彼が指揮するディアナ号は国後島南部の
今年の当番藩で湾を警備している南部藩は得体の知れない船に大騒ぎになる。
「異国船の襲来だ———っ」
「先年択捉島の役場が砲撃されたが、今度はこっちをやるつもりか」
「正にあれなるはロシアの艦船だ。報復に来たに違いない、打ち払うべし」
警備側からの大砲による迎撃が開始される。砲撃に驚いたディアナ号は砲弾の届かないところまで後進する。
暫くすると船から沿岸に向けて、何か箱のような物が投じられた。警護の者が小船に乗り、投じられた物を回収し、上長の者に手渡す。
「攻撃体制を解け。あの者たちは戦いに来たのでは無いようだ」
船からは水、食糧など物資を要求している事がわかった。藩からロシア語を介せるものを伴い、ロシア船に近づく。下船して指示に従うよう通達した。
船長のゴローニン以下、数名の乗組員が下船して近くの陣所に引き入れた。食事などの接待を受けた後、一旦船に戻ろうとすると役人から言及された。
「これより松前奉行所の長官に補給に関しての許可を取らねばならん。許可が下りるまでは、ここに居て貰わねばならぬ」
「そのような事には従えぬ。我等は港に居る故、状況が変わったらお知らせ願いたい」
「そう言う訳には参らぬ。そなた達の容疑が晴れていない。者どもロシア人を引っ捕らえよ」
「おのれ、我らを謀ったな」
警備の者に捕えられ、松前に護送される。そこで全員投獄される。翌年に脱走を試みるが、数日後に捕えられて再び入獄させられてしまう。
副艦長のリコルドは下船した者達が投獄されたと聞くや次の手を打つため、一旦ロシアに帰国した。帰国後、日本人漂流者を載せて松前藩を訪れる。
ゴローニンと交換するよう交渉するが、幾人かの役人に会わされたあと、最後に担当した役人は、彼は死罪で既に執行されたと言い渡された。
交渉する気が無いだけで
帰路の途中、日本の
「我らは身分の卑しい者では無い。あなた方を捕縛したのは、日本の方々に我らに協力を願いたいがためにこの様な事をした。先ずは許されたい」
船の形状、船員の服装から海賊ではないと思っていたが、その申し出に驚いた。
「我らでお役に立てる事があれば何なりと」
「昨年、我らは国後島を探索していたおり、我が船長ら数名が松前藩の役人に捕まってしまいました。そして未だに投獄されたままとなっております。数ヶ月前に日本の漂流者を連れて交換頂くよう、松前藩まで出向いたのですが、取り合って貰えませんでした。何か方策は無いか教示頂ければありがたい」
「数年前にロシア国が利尻島、択捉島の幕府の施設を破壊したと聞いています。そちら様の事情は分かりませんが、蝦夷地にはロシア船を攻撃する命令が出ています。交渉事が上手く行かないのは、その事が根底にあると思われます」
「そうであったか。交易どころか我らを憎んでいるということか」
リコルドは何とも哀しげな表情を浮かべる。
「私どもには政に口を出す事など出来ません。ですが商人の立場から致しますと、取引と言うものは一方的であってはならないと存じます。お互いが納得して行うものです。ロシア様からすれば、漂流民の引き渡しと言う人道的な事をした上で、その見返りに交易を望むお考えのようです」
「その事をきっかけに交易できれば良いと考えたようだ」
「ですが日本からすれば、漂流民という言わば人質を返す交換条件が交易だと理解されたのではないでしょうか」
「なるほど、そう言われれば次元の違う取引をした事になるな」
「差し出がましいとは存じますが、先ずは砲撃事件の謝罪と船長殿の身の潔白を明かす事が先決に思われます」
「お言葉感謝致す。ではそのように取り計らう」
嘉兵衛の指摘で先年の砲撃事件の謝罪状が作成された。カムチャッカの長官の名義を借りて、リカルドが文面を作成した。
その書状を持ってリコルドは、交渉の通訳と仲立ちを嘉兵衛に依頼し、再度松前を訪れた。
幕閣の意見はやはり一つにまとまらない。釈放を拒む者に対し、これ以上の拘束は戦いの危険を増す事になると主張する者が彼らを抑えた。
これ以上、ロシアとの争いを起こしたく無いのは皆の思うところだ。
利尻島、択捉島の襲撃にゴローニンが関わっていない事に加え、襲撃の支持がロシア政府によるもので無い証明する事をもって釈放の条件とした。
松前奉行は釈放を認めたが、幕府からはゴローニンの配下だったリカルドが作成したのであれば信頼性に欠けるとして、政府高官のものが書いたものを要求した。
カムチャッカに戻ったリカルドは、イルクーツクの長官に頼んでおいた謝罪文を受け取る。これによりゴローニンの容疑は晴れ、リカルドの要求が認められて、その日の内に牢から解放された。
史実にはゴローニン事件として記されている。
本国に戻ったゴローニン、リコルドはこの時の体験を手記『日本幽囚記』に残した。囚われの身となったゴローニンだが日本人の対応に、これまで聞き及んでいた未開で野蛮な人種という事を改めている。またゴローニン奪回に向けたリコルドと高田屋嘉兵衛の間で芽生えた友情の物語として日露との友好関係を著わした。
御物書奉行の高橋景保らがこれを翻訳して『遭厄日本紀事』として紹介している。
1825年の出来事。
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