第10話 ついにヒトヒロが引き摺り出される時


 新型宅配ボックスの黒い虚空に沈むアーリアの両腕。ずぶ、ずぶり、まるでそれはアーリアの腕を侵食しているようで、滑らかな曲線を描く筋肉を透過し健康的な骨を直接鷲掴みしていた。


「あの、マスター? ヤバいかもです」


 珍しく弱気なアーリア。


「何がだ? ヤバいじゃわからん」


 新たな召喚術の簡易術式を組成しながらヴァルバレッタは聞き返した。もうすぐだ。異世界ではなくこの現世界から契約した存在を現場召喚する術式だ。この召喚さえ成立すれば勇者ごとき簡単に引き千切れる。


「さすがは、勇者様です。マイナスレベルとは言え、私、引き込まれてます」


 見れば、すでにアーリアの両肘まで黒い虚空の中だ。ずぶ、ずぶり、まるでゆっくりと咀嚼して巨大な舌で彼女の生肌を舐め回すように己が絶対ルールである密閉六畳間に取り込もうとしている。

 このままではアーリアも引きこもりだ。


「まあ待て。今助っ人を喚ぶ」


 術式組成完了。ヴァルバレッタの小さな唇が古代エルフ語で契約呪文を唱えた。

 その瞬間、六畳間のすぐそばに球状の光が現れる。それはヴァルバレッタとアーリア二人分以上に大きく、清らかな白い光に満ち溢れていた。ヒトヒロのドス黒く濁った宅配ボックスの中とは正反対だ。


「ただいま喚ばれて参りました! 近衛第三師団付きザザンでございます!」


 光の球の中から現れた巨体。それは神々しく金色の剛毛に覆われた筋肉と腕力の申し子、王国近衛師団所属のオークエリート兵だった。宮廷付きの召喚術師団とは持ちつ持たれつの部隊であり、ヴァルバレッタと個人的にも懇意にしているオークである。


「うむ。忙しいところ緊急で喚び出してすまない」


 身長2.5メートルをゆうに超える体躯の持ち主で、その上半身はデフォルメされた筋骨隆々の山のよう。1.4メートルしかないヴァルバレッタの2倍はありそうな上からでも丁寧で物腰の低い言葉使いで接してくれる心優しきオーク、ザザン。


「とんでもない。ヴァルバレッタ殿の召喚ならばたとえ火の中水の中、喜んで馳せ参じます」


「ありがたい。早速で悪いが、アーリアがあんな状況だ。その腕力をあてにしたい。生憎と私の腕は細過ぎる」


 その細過ぎる白い腕で閉鎖環境六畳間に引き摺り込まれつつあるアーリアを差す。ヴァルバレッタの身体よりも一回りも二回りもありそうな腕を振り回し、オークエリート兵は驚きの声を上げた。


「なんと、アーリア殿! ただいま助太刀に参る!」


 ザザンの動きに躊躇も戸惑いもなかった。両肩付近まで侵食されつつあったアーリアの胴回りに優しく方腕を巻き入れて、もう片方の剛腕を新型宅配ボックスの荷物投入口に強引に捩じ込んだ。


「きゃーっ! 何この毛むくじゃら!」


 とは、六畳間に引きこもる勇者ヒトヒロの悲鳴である。人の胴回りもありそうな金色の剛毛が生えた筋肉の塊が、突然、安らぎのマイルームに侵入してきたのだ。そりゃあ絹を裂くような声も出てしまうというものだ。


「掴んだ! 掴みましたぞ!」


 上腕二頭筋がぶわりと膨れ上がる。みちっと筋肉が軋む音が聞こえた。血管が筋肉に圧迫されて盛り上がり、熱を帯びた腕力はますます獲物に食らい付いて、剛腕が黒い虚空へと突き入れられる。


「あんっ」


 筋肉自慢のザザンによって、まずアーリアの身体がすぽんと引き抜かれた。尻もちをつくような形で放り出され、まるで両腕を巨大な粘菌に絡ませていたかのようにぬらぬらてらてらとさせてアーリアはすぐさま立ち上がった。


「ザザンさん、気を付けて! ヒトヒロ様は相当お強いです! レベル−15です!」


「それは初耳! 楽しみですな!」


 オークはニヤリと野生的かつ紳士的な微笑みを浮かべた。レベルマイナス。初めて聞く領域だ。これは久しく出逢えていない強敵となり得る存在。


「あえて、好敵手と呼ばせていただく!」


 ずんぐりとした短く太い脚で踏ん張り、丸太のように極太の左腕で六畳間の外壁を突っ張り、腰に力をどすんと蓄える低い姿勢を取って、ザザンは渾身の腕力を振り絞った。


「ザザン、一気に引き抜いて構わん!」


「承知っ!」


 ここが勝負の分かれ目。ヴァルバレッタはそう判断した。もう二度と食べ物で釣る作戦は効かないだろう。一日経てば警戒心も薄れてまた釣れるかもしれないが。

 これが勇者を部屋から引き摺り出す最後にして最大のチャンス。今しかない。


「こいつは、手強いですぞ!」


「援護する!」


 古代エルフ種の魔力の真髄を見せてやる。まずは摩擦を増やす。ザザンのビッグサイズブーツとレザーグローブの摩擦係数を増大させる。これで脚や指が滑って取り逃すことはなくなる。

 次は空気圧だ。ザザンの呼吸に影響ない極小範囲の宅配ボックス周りをほぼ真空に近付けてやる。密閉室内の方が気圧が高くなり、内容物がぶりゅっと外へと吸い出し安くなる。

 そして、これはある意味賭けだが、瞬間的にザザンのエリート兵レベルを2倍に引き上げてやる。ザザンは確かレベル35エリート兵だ。古代魔術で瞬間的にレベル70の腕力を引き出せるようになる。

 しかしながらその強化魔法はザザンと接触しているヒトヒロにも効果が及ぶ。ヒトヒロは瞬間的に前人未到のレベル−30に到達してしまう。何が起こるか、想像もできない。


「だが、やるしかない!」


 ヴァルバレッタは魔術詠唱を始めた。

 ぶち、ぶちっ! ずる、ずるり!

 それはすぐに効果を発揮する。

 耳障りな粘着く音を立てて、それは引き千切れた。

 すぽんと吹き飛ぶザザンの巨体。

 ばきんと金属質な音を立てて歪む宅配ボックス。

 扉は開かれない。

 ヴァルバレッタは吹き飛んだザザンに駆け寄った。アーリアがザザンの巨体にすがりつく。ザザンは二人の手を借りてすぐに立ち上がり、手にした物体を高く掲げた。

 そこには、一本の、野太く灰色にきらめく触腕がぬらぬらと蠢いていた。

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