第9話 ウイーッスムーバーイーツッスッライッ


 突如現れた半透明の男。

 ヴァルバレッタもアーリアもこの男の出現はおろか接近すら感知できなかった。

 目深にかぶった黒い帽子のせいで表情、目線は窺い知れない。背中に背負った黒い立方体は何だ。武器か、防具か、それとも何らかの戦闘機械の類いか。

 ヴァルバレッタは瞬時にして臨戦体制を整えた。あとひと呼吸、この男を消し炭にしてやれるまでに魔術詠唱の間合いを保つ。

 アーリアは師匠の動きを感じて、せめて魔術詠唱の邪魔にならぬようにと動くのを諦めた。師匠ならばこの男程度の大きさの生き物なら一瞬で角砂糖大の体積に圧縮できるだろう。しかし自分が立ち位置を変えれば魔術詠唱に影響が出る。ここはあえて棒立ちだ。決して戦闘をサボってるわけではないのだ。

 半透明の男が一歩前に進み出た。


「ちぃーッス。ムーバーイーツッスわ。まいどぅー。マクドー、デリバリーッス。ういーッス。ライッ」


 半透明男は謎の呪文を唱えた。


「……デリバリー、だと?」


 通常、異界異国の知的生命体を召喚した場合、仲介してくれる現地神様へ幾許かの敷金礼金である対物質転移代を支払う。貴金属であったり、生贄であったり、供物であったり。代金を受理した現地神様は製造責任者として思考の段階での言語翻訳を付与してくれるものだ。だが、謎の半透明男。こいつの喋ってる言語は半分くらいしか理解できない。


「待ってたぞー! 俺のグレートマック!」


 新型密閉六畳間にこだまするヒトヒロの雄叫び。


「ヒトヒロ、まさか貴様がこの男を異界異国より召喚したのか?」


「そのまさかだ! 『ザ・ロック』新能力、とくと味わってもらおう! 味わうのは俺だけどな!」


 半透明に見えるのはそのせいか。ヴァルバレッタはようやく合点がいった。この半透明男は半分こちらの世界に足を踏み入れているが、本体はまだ元の世界にいる。つまり、ヒトヒロの部屋そのものもまた異界異国を自在に行き来できるということだ。


「wifiが開通したんだよ! ムーバーだけじゃなくヤホーショッピングも使えるぜ! これで俺は無敵だ!」


 ヒトヒロはAmaz◯n派ではなくヤホー派だった。

 wifiだのムーバーだの、異界の固有名詞はいまいち何言ってるかわかんないが、ヒトヒロのいう無敵状態が何を示すか、ヴァルバレッタには理解できた。

 ギフトがレベルアップして、望むものを異界から取り寄せることが可能になったのだ。

 これは厄介な能力だな。ヴァルバレッタは思った。これで兵糧攻めは無効になった。それだけではない。この世界には存在しない異界異国の強力な武器でも持ち込まれたら。異常に繁殖力の強い外来植物を召喚されたらこの世界の生態系すら破壊されかねない。


「つまりアレですね。料理の出前サービスですね」


 と、アーリアが半透明男に言った。


「グレートマックハイカロリーセットッス。ういーッス」


「ご苦労様です。私が代わりに受け取っておきます」


「コスプレイイッスね! ライッ。あざーッスマジあざーした!」


 半透明男は背中の立方体から油ぎった紙袋をアーリアに手渡してあっさり消えた。温められた油の食欲をそそるいい香りがする。

 アーリアは勝手に紙袋を開封し、中身を検分した。丸型パンを上下にカットし、挽肉を平べったくこねて焼いたものと細やかな野菜のようなものをはさみ、チーズとソースははみ出るくらいたっぷりと。副菜か、細長くカットされたイモを油で揚げたものが添えられている。ドリンクは、スパークリングか。シュワシュワと音を立てて嗅いだことのない甘い香りが放たれていた。


「念のため、毒見いたしますね」


 ではお先にフライドポテトを一本。カリッ、ほくっ。


「まあ、美味しいですわ」


 よくもまあ異界異国の食べ物を簡単に口にできるな。ヴァルバレッタはちょっと引き気味だ。いい匂いさせてやがる、と認めはするが。


「アーリアちゃーん! それ俺の! 俺のグレートマックセット!」


「ああ、はい。失礼いたしました。毒は含まれていないようですし、お渡ししますね」


 新型宅配ボックスにそうっと歩み寄る。


「ええと、ヒトヒロ様? こちらはどうやって開けるのですか?」


「あっ、デジタルテンキー操作わかんないか。待ってね、アーリアちゃん。今開けるから」


 密閉六畳間からピピっと電子音が聞こえた。待つこと数秒、新型宅配ボックスの荷物受け取り口がぱくんと開く。人の頭が潜れるくらいの小さな窓口だが、パッケージされた食糧品程度のものなら難なく授受できる大きさだ。


「便利なものですね」


 アーリアは細くしなやかな腕を袖まくりして、両手で子猫を抱くように、グレートマックセットの紙袋を優しく持ち上げた。中が真っ暗で内側がまったく見て取れない宅配ボックスへ差し入れる。

 ヴァルバレッタも大きな目を凝らしてよく見てみたが、ダメだ、異界物特有の黒い空間処理がなされていて境界がハッキリとしない。宅配ボックスから先は密閉六畳間という異界に通じている可能性すらある。


「さあ、ヒトヒロ様。温かなお食事です」


 グレートマックハイカロリーセットごとアーリアの腕がずぶずぶと黒い空間にのめり込んでいく。不思議な感覚だ。目の前に自分の腕があるはずなのに、まったく目視できない。体温と同じ温度で異様に圧力の小さな液体に腕を浸しているようだ。

 アーリアの白い素肌にまとわりつく粘つくような湿気。すぐ近くまで来ている勇者という孤独な男の気配。あっ、また見ているのですね。私の生の腕を、指先の始まりから肩の終わりまでじっとりと見つめていらっしゃるのですね。


「……さあ、ヒトヒロさん……」


 ふひゅう、と再び獣の吐息のような音が扉の向こうからかすかに聞こえる。そこにいるのね。ヒトヒロ……。

 ぴとっ。生暖かく脂ぎった肉のようなモノが、アーリアの二の腕に、また触れた。


「ヒット!」


 長身を跳ね上げて、黒髪ロングストレートを振り乱して、アーリアは今度こそと叫んだ。


「はい、掴んだ! 掴みましたわ!」


 渾身の力で宅配ボックスから腕を引き抜く。引き抜こうとするが、さすがは勇者レベル−15。ついさっきのレベル−4とはまるで違う手応えだ。扉が邪悪な意思を持ったかのようにガタガタバキバキ暴れ出す。


「アーリア! 今度こそ離すな!」


「わかっております、マスター! 今回は毛ではありません! お肉です! お肉掴んでます!」


「でかした! その手その足引き千切ってでも引き摺り出してやれ!」


「承知しました!」


 籠城攻防第二戦目だ。同じ轍を踏むわけにはいかない。ヴァルバレッタは召喚魔術詠唱を開始した。あとひと押し、いや、ひと引きで引き摺り出してやる。

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