第7話 腕力。それは美しき暴力。
異界異国より召喚された勇者ヒトヒロ、前人未踏のレベル−4を突破。その道のりは険しく、厳しく、果てしなく。
「さすがは異界勇者ヒトヒロ様。普通の人間ならばいろいろ諦める数値です」
「勇者ヒトヒロよ。胸を張って生きろ。その数字は誇っていいぞ」
ヴァルバレッタとアーリア師弟は咄嗟にアイコンタクトをとって褒めて伸ばす方向性に切り替えた。伸ばすって、マイナスの方向に。
勇者として、男として、人間として、その質は果てしなく地に落ちていくが、何とか振り分けポイントは獲得できている。行けるとこまで行ってみよう。
「そもそも初期設定がレベルマイナスっておかしいだろ」
異界異国の勇者様が誇る特殊能力によってがっちりロックされた閉鎖環境六畳間にヒトヒロの声が響く。
「そこはほれ、人間力ってヤツは絶対値がモノを言うからな」
「ベクトルの問題ですよ。ベクトル量の増大にプラスもマイナスも関係ありません」
「ふん、もう騙されねえぞ」
宅配ボックスの荷物投入口がぱくんと押し開かれて、食べかけ腐りかけのリンゴが放り出された。
ころりころころ転がって、歪に齧り取られた面を上にしてアーリアのブーツにこつんと当たる。大きな噛み跡は角山羊のもの。そのクレーターに被るように小さな齧り跡が二つある。ヒトヒロのものだ。一応は齧ったのだな。
勇者レベルマイナス4程度の学習能力ならもう一回くらい使えそうだ。ヴァルバレッタは小さな手で歪なリンゴを拾い上げた。
「ヒトヒロ、ひもじくはないか?」
返事はない。
「ヒトヒロさん。犬や豚が寝床にするようなその小部屋にそれほど食糧の備蓄が残されているとは思えません。何か食べないとお身体に障りますよ」
アーリアの一見して優しくて慈愛に満ちてそうだけどさらっと毒が仕込まれてる言葉にも、ヒトヒロは反応しなかった。完全無視作戦か。
ヴァルバレッタは腐れリンゴの比較的きれいな面をそうっと撫でた。古代エルフ種特有の妖精のような細腕に光が宿り、光は柔らかく脈動し、リンゴの表面が共鳴するかのように輝き出す。
瞬く間にリンゴは新鮮さを取り戻した。甘い香りもみずみずしく、それは自然が生み出した樹になる宝石のよう。片面だけは。もう片面は雑草でも苔でも何でもすり潰すようにして食べる角山羊が齧って食べ残した腐れクレーターリンゴのままだ。
よし、と頷いて腐れリンゴをアーリアに手渡す。
はい、と楽しそうにそれを受け取り、宅配ボックスに忍び足で近寄るアーリア。
衣擦れの音も立てないようにそうっとローブを腕まくり。ほっそりとした二の腕どころか、柔らかくてよく動きそうな白い肩まで露出して、宅配ボックスの荷物投入口に自らの腕を差し入れた。
「ヒトヒロさん。リンゴです。今度はちゃんとした新鮮なリンゴです。樹からもいだばかりのような甘酸っぱいリンゴです」
かすかに中に聞こえるように宅配ボックスへ小声で語りかける。この声が届くのなら、扉の相当近くにヒトヒロはいるはずだ。
「どうぞ、お食べ」
宅配ボックスの中に素肌を露わにした肩まで捻じ込んで、密閉六畳間の中へリンゴの甘く爽やかな香りを振りまく。それと同時に、リンゴを持つ右手首に垂らした香水から大人の女性の色めき立つ妖艶な芳香が。
宅配ボックスの中は意外に湿度が高く温かかった。アーリアの白い素肌にまとわりつく粘つくような湿気。すぐ近くまで来ている勇者という孤独な男の気配。あっ、見ているのですね。私の生の腕を、指先の始まりから肩の終わりまでじっとりと見つめていらっしゃるのですね。
「……さあ、ヒトヒロさん……」
ふひゅう、と獣の吐息のような音が扉の向こうからかすかに聞こえる。そこにいるのね。ヒトヒロ……。
ぴとっ。生暖かく脂ぎった肉のようなモノが、アーリアの二の腕に、そっと触れた。
「ヒット!」
長身を跳ね上げて、黒髪ロングストレートを振り乱して、アーリアは叫んだ。
「はい、掴んだ! 掴みましたわ!」
渾身の力で宅配ボックスから腕を引き抜く。引き抜こうとするが、さすがは勇者レベル−4。そう簡単に一本釣りされない。扉が邪悪な意思を持ったかのようにガタガタ暴れ出す。
「よし、アーリアよくやった! どこだ? どこを掴んだ? 絶対離すなよ!」
自分の細腕では逆にあの謎ボックスに引き摺り込まれていただろう。ヴァルバレッタはアーリアとヒトヒロの腕力の駆け引きに思わず見惚れた。
スカートがはだけようと、長い脚を振り上げて扉にブーツを押し当ててガツンと踏ん張るアーリア。対してヒトヒロは扉や壁に体当たりでもしているのか、網にかかった巨大魚のごとくにビチビチバタバタ大暴れしている。力任せの二人に挟まれた扉は今にも張り裂けそうだ。
「やだ! これって人間のパーツですの?」
「どうした、アーリア!」
「もちっとしてるかと思えば、モジャモジャしてます! モジャってます!」
なんだそれ。そんなパーツ、人間にあったか? ヴァルバレッタはちょっと変な方向で考えてしまった。ひょっとしたら、異界異国の勇者ヒトヒロは人間ではない名状し難き存在、あらゆる不運の集合体生物なのでは。
「ええい、往生際が悪いですわよ!」
「いやあ、そこはやめてくれ!」
ヒトヒロの悲痛な叫びも虚しく潰える。いくら長身スレンダーモデル体型とはいえ女性は女性。こもりびとなる成人男性に腕力で負けるはずがない。しかし、ヒトヒロはレベル−4勇者。対してアーリアはレベル24魔術師。その差は歴然だった。
「そこだけはやめてー!」
ブチブチ、ブチッ。
嫌な音を立ててアーリアの腕は宅配ボックスからすっぽ抜けた。危うく尻もちつきそうになるが、ブーツの音も高らかに踏み留まる。その手には、多数の髪の毛と思しき黒い毛状の物質が。
「あっ」
「あっ」
ヴァルバレッタとアーリアは同時に口籠もってしまった。やり過ぎたかもしれない。勇者ヒトヒロの貴重で希少な前髪を大量に毟ってしまった。
ピコココココン! 唐突にヒトヒロのステータスウインドウが激しく光った。
『レベルダウン! 異界の勇者ヒトヒロはレベル−5になった!』
『レベルダウン! 異界の勇者ヒトヒロはレベル−6になった!』
『レベルダウン! 異界の勇者ヒトヒロはレベル−7になった!』
『レベルダウン! 異界の勇者ヒトヒロはレベル−8になった!』
『レベルダウン! 異界の勇者ヒトヒロはレベル−9になった!』
レベルダウンファンファーレはしばらく鳴り止まなかった。
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