第24話 先輩のありがたいお話
私達がダイビングから帰ってきた頃には、既に海はエメラルドグリーンから橙色に色を変えていた。
私達が着替えている間に、夕食にするために別荘に引き上げた部員達が監督を中心にバーベキューの準備を始めていた。
遅れた分手伝おうとした時、私はこの中にいるべきでない人間が紛れてるのに気がついた。
「お前なにやってんの?」
「およぉ? ばーべきゅうの準備のお手伝いだよぉ?」
我ら白峰高校テニス部のメンバーの中に、他校のライバルがさも当然の権利のように混ざっていた。
しかもそいつは私の言ってることの意味がわからないらしく、もっさりとした動きで首を傾げた。
「いや、お前がいるのはおかしいだろ」
「なんでぇ?」
「なんでって……お前は別の高校だろ」
「もぉ、つれないこと言わないでよぉ。わたしぃと戦わなかったらぁ、彼方さぁんは強くなれなかったでしょぉ」
「そうだけど……」
確かに私の今の強さは三原との試合で目覚めたものだ。彼女はそれで私たちは実質仲間だと主張したいのだろう。
「変なことすんなよ」
「りょーかぁい」
この天才自由人を説得して退けるのは至難の業だろう。私自身納得しないながらも、害意はないだろうと放っておくことにした。
日が沈んで星がポツポツと見え始めた頃、準備が終わってバーベキューを始めた。別荘の窓から漏れる灯りと、所々に吊るされたランプの灯りに照らされて、最高の雰囲気の場所で騒ぎながら食事を楽しんでいる。
美鈴はマネージャーとして肉を焼く役割を買って出て、今も先輩に焼いた肉を配っている。一緒に食べられないのは残念だけど、美鈴がやりたいことなら仕方ない。
代わりに他のチームメイトと話しながら食べていた時、後ろから坂田先輩が声をかけてきた。
「よっ、食べてるかー?」
「ちゃんと食べてますよ」
「うむうむ、彼方はちゃんと食べて体力つけて、来年こそインターハイ優勝だな」
坂田先輩は自分の後継者として私に期待しているからか、インターハイの後から度々話しかけてくる。
「はい。先輩みたいになれるよう頑張ります」
美鈴と一緒に食べられずテンションが下がっていて、先輩に絡まれるのもいい加減うざいと思っていたから、適当にそんな返事をしてしまった。
「こら」
そんな私の心を読んだ坂田先輩に軽くチョップされた。いて、と痛くもないのに反射的にそう言って目を瞑る。そして目を開けると、不満そうな先輩が私を見下ろしていた。
「先輩の話はちゃんと聞くものだぞー」
「聞いてましたよ」
「うそつけ。真面目に話してる時なら先輩みたいにーとか言わんだろ。お前は私は私らしくとか、先輩を超えるとか言うタイプだ」
先輩の私の性格をよく分かっている発言に、適当に見えて案外この人は人のことをちゃんと見てるんだなと思った。
私が返答に困っていたら、先輩はさらに言葉を続けた。
「そんなに女神ちゃんと一緒じゃないのが不満なのか?」
「んな!? なんでいきなり美鈴の話になるんですか!」
「いやだって、お前がテンション下がる理由なんて女神ちゃん以外ないだろ。今日だってずっと女神ちゃんと一緒だったし。みんなもそう思うだろ?」
先輩が周りにいたメンバーにそう聞くと、みんな迷わず首を縦に振った。というか今日の私ってそんなに美鈴にべったりだったのか!?
周りにこんなに察されるほど私の態度は露骨だったのか。もしや、美鈴にも知られてしまっているのだろうか。急に不安になってきた。
「なぁなぁ、そろそろ先輩である私に相談してくれよー」
「えっ、何ですか相談って」
急に何の心当たりもないことを言ってきた。でも先輩は何のことか分かってるらしく、むしろ何も分かっていないのかと私に驚きの目を向けていた。
「……ちょっとこっち来い」
「え、まだ食べてる途中なんですけど」
「女神ちゃんと一緒に食べれる時間になるまで、先輩のありがたいお話を聞くのも悪くないだろ」
先輩の言うことの意味はわからないが、何となくうわの空で食べるよりは良いだろうと思って先輩について行った。
バーベキュー会場から少し離れた、薄暗い花壇の前。月光に照らされて輝く花々は、遠くから聞こえる騒がしい声に合わせてゆらゆらと揺れていた。
「海香と卯月のカップル様様だな。おかげでこんな綺麗な場所でテニス部最後の思い出が作れた」
坂田先輩はハイビスカスを愛でながらノスタルジーに浸っている。
「っと、すまんな。今はお前の話をするんだった」
先輩はハイビスカスから手を離し、ボッーと先輩の方を見ていた私と向き合った。
「……腑抜けた顔すんなよ。私が抜けた後のエースがそんなんじゃ不安になる」
先輩からの想定外の方向からの指摘に困惑する。確かにテンションは下がっていたけれど、腑抜けだとか言われるような顔ではない。
「言いがかりはよしてください」
「お前は図星を突かれると攻撃的になるよな」
「何なんだよさっきから!」
うだうだと訳のわからないことばかり言う先輩に我慢の限界がきて、つい言葉を荒げてしまった。しかし先輩はそれを意に介さず、じっと私を見つめている。
「インターハイで負けてから、お前に余裕がなくなってきた。そんなお前を放置したまま引退はできない」
「余裕がないって、何のことですか」
「今みたいなかんじ」
「それは先輩がイラつかせるからですよ」
「……意外と自分に鈍感なんだな」
先輩はやれやれと首を横に振り、私の両肩を掴んでこう告げた。
「不安なんだろ。自分が強くなれるか」
サァと潮風が吹き抜ける。その言葉を聞いた瞬間、私の中にあった訳のわからぬイライラの輪郭が少し見えたような気がした。
「インターハイの試合でお前は最後まで諦めずに戦ってた。だからこそ思っちまったんだろ、自分はここで打ち止めかもしれないって」
今度の先輩の言葉は、自然と私の中に染み込んでくる。それは徐々に私の中にあったモヤを一つの形に整えていった。
「そう、ですね」
ようやく、自分の中にあった取っ掛かりが取れたような気がした。
「美鈴と約束したんです。世界一強い選手になるって」
「ほぉ、それはロマンチックだね」
「美鈴のおかげで今の弱い自分を受け入れることができた。諦めない覚悟もできた。でも、今度はどうすれば強くなれるか分からなくなったんです」
美鈴との約束を果たすには強くなる必要がある。弱い自分を受け入れられても、ずっとそのままでいるわけにはいかない。でも、いくら練習しても自分が強くなった感覚はない。
それもそうだ。私が強くなれたのは美鈴のおかげなんだ。美鈴の応援があったから三原に勝てた。美鈴が支えてくれたからインターハイを戦い抜けた。美鈴のおかげでインターハイの後もテニスを続けようと思えた。
美鈴には十分すぎるくらい力をもらっている。だからこそ、美鈴以外に強くなる方法を知らない私には、これ以上強くなる方法が分からない。
「これ以上を、他でもない私自身が想像できてないんです」
思い返せば美鈴に依存してばっかりだ。そのせいで自分が強くなる方法が分からなくなるなんて、私ってのはどうしようもない奴だ。
「……なるほどね」
先輩は項垂れる私をじっと見つめている。そして、何やら考えがまとまったようで力強く頷いた。
「テニスプレイヤーってのはコート上で一人だけに見えるけどさ、そこに立つまでにいろんな人に支えてもらってんだ」
「いきなり何の話ですか」
「黙って聞きんしゃい。それで、コートにいる間も沢山の人に応援してもらってる。大半のスポーツ選手ってのはそんなふうに誰かに依存して生きてるんだ」
依存という言葉。先輩がわざわざそんな言葉を混ぜたのは、きっと私の考えがわかってるからだ。いつもは適当な人なくせに。
「だからお前は普通なんだ。安心しろ」
「……優しいですね」
「そうだろ? そんな優しい先輩が後輩の悩みを解決するためのヒントをあげよう」
わざとらしく演技がかった仕草で指を一本立てて、先輩は普段のお調子者な一面を少し見せた。
「お前にはまだ外せてない枷がある。それさえどうにかすれば、自然と道は見えてくる」
「えっ、枷っていったい何のことですか!?」
「それはお前自身が見つけなきゃ意味がない」
まるで漫画の中の師匠キャラみたいな意味深な事を言って、先輩はバーベキュー会場に戻って行った。
気がつけば向こうからの声も少し静かになっていて、美鈴と一緒に食べられるかもと思って私も急いで会場に戻って行った。
先輩が言う枷とは何なのか考えながら。
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