第21話 カナヅチ

 熱した鉄板のように熱くなった砂浜とのギャップもあって、海水に最初に触れた時はかなり冷たく感じた。


 こんな冷たい水に全身浸かるのかと思っていたのもほんの数分で、いつの間にか私は平気で全身海に浸かっていた。


「あー、冷たきもちいい……」

「夏の沖縄は暑いもんな」


 今私がいる場所の水深は大体一メートル。ちゃんと足がついて顔も出るから、まだ一人でいられる。


 だけどこれ以上進んだらカナヅチな私は溺れてしまう。完全なプライベートビーチだからライフセーバーさんはいない。


 元々の持ち主はここに来る時は雇っているらしいけど、海香ちゃんのお願いは本来の予定には無かったものなので、一泊できるようにするのが限界だったらしい。


 監督やコーチみたいな大人の人はいるけど、もしもの事が起きたらという不安は拭えない。


 そんな事を考えていたら、彼方が私の肩を優しく叩いた。


「よし、それじゃあ始めるか」

「へ? なにを?」


 彼方の目的語がない台詞に理解が遅れる。


「美鈴、カナヅチだって言ってたろ。私が泳ぎ方教えてやるよ」


 彼方は任せとけと言うようにドンと胸を叩いた。あの時の話を覚えててくれたんだと感動すると共に、私がもっと海を楽しめるようにしようとしてくれる彼方をカッコいいと思った。


「それじゃあまずはこれつけて」


 そう言って彼方はどこから取り出したのか知らないけど、水泳帽とゴーグルを手渡してきた。


「とりあえず水に慣れるところからだ。それつけて一旦潜ってみて」

「わかった」


 彼方に言われた通りに水泳帽とゴーグルを装着する。ゴーグルを通して見た世界は少し彩度が落ちていた。


 思いっきり息を吸い込んで海に潜り、反射的に閉じてしまっていた目をゆっくりと開けると、美しい海の世界が広がった。


 透明度の高い水の世界に水面から太陽光が差し込み、波に合わせてゆらゆらと揺れる。砂浜に足がつくくらいの浅瀬だけど、画面を通さないリアルな情景に感動した。


 少し苦しくなってきたので水から顔を出すと、彼方が私を見ながら満足そうにうんうんと頷いていた。


「別に水が怖いとかじゃなさそうだな」

「うん。泳ぎ方がわかんないだけ」

「それならすぐにできそうだな」


 その後、彼方は私に丁寧に泳ぎ方を教えてくれた。バタ足はどうやるとか、水をかく時の手の形とか、あまり力みすぎないようにとか。おかげで私はすぐに最低限泳げるようになった。


「やっぱ頭いいな。上達がはやい」

「彼方の教え方が上手かったからだよ」


 理論派な選手と坂田先輩に評されるだけあって、彼方の教え方はかなり分かり易かった。スポーツの指導者なんかにも向いているかもしれない。


「それじゃ、一緒にあっちまで行ってみよう」


 あまりに何でもない事のようにそう言われて、少しビビってしまった。彼方のおかげで少しは泳げるようになったけど、いきなり浮き輪もなしに深い場所に行くのは怖い。


 彼方の言葉に返事ができないまま立っていたら、彼方は優しく私の手をとってくれた。


「大丈夫。私がいるから安心して」


 そうやって太陽みたいに眩しい笑顔を見せるものだから、私の恐怖は一瞬で消え失せてしまった。


 彼方に誘われ、私は未知の領域へ踏み出す。もう足のつかない場所にいる。足が突然つったり、泳ぎができなかったりしたら溺れてしまう。普段の私ならその恐怖で縮み上がってしまっていただろう。


 でも、今は違う。


 心強い大好きな人がそばにいてくれる。それだけで私は無限に力が湧いてくる。


 彼方に教わった通りに体を動かすと、想像していたより簡単に私は泳ぐことができていた。


「か、彼方! 私泳げてる!」

「おう。上手にできてるよ」


 普通に泳げただけなのに、何故か無性に嬉しくなって、褒めて欲しい子どもみたいな事を言ってしまった。それを彼方は親のような優しい目で見ていてくれた。


 そのまま結構深いところまで来たら、少し体力がキツくなってきた。それを鋭敏に察知した彼方は、私のそばによって来て支えてくれた。


「ありがと」

「別になんてことないよ。体力は有り余ってるから」

「ふふっ、流石彼方だね」


 彼方に支えられ、浅瀬まで戻っていく。


 カナヅチな私は彼方のおかげでもういない。思えば、臆病で何もできなかった私が変われたのは彼方がいたからだ。


 そして、彼方も私の応援で強くなれたと言ってくれた。遠くの太陽を眺めるだけだった私は、少しずつ太陽のそばで輝く一等星に近づけている。


 その証拠に、浅瀬に戻る間、触れ合った肌からは冷たい水の中であってもお互いの熱が伝わっていた。

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