5. みかん(凪)

 バイトを終えて帰宅したところで、ピコン、と聞き慣れた通知音が鳴った。画面を見ると見慣れた名前が浮かんでいる。といっても僕にメッセージを送ってくるのなんて千秋さんかこいつくらいしかいないんだけど。


『今ひま?』


 問いかけが端的過ぎて小学生か、みたいな気持ちになるけど毎回のことなのでもう突っ込む気にもならない。

『今帰ってきたとこ。この後は特に予定はないけど』

『じゃあ遊びに行っていい?』

『何で?』

『おっと、俺たちトモダチじゃん?』

『唐突にも程があるだろ。さては湊さん今日も仕事なんだな?』


 そう打ち込むと、「鋭い!」というポメラニアンが褒めてるんだか小馬鹿にしてるんだかわからないスタンプが返ってきた。大学の友人、かいの最近のお気に入りらしいが、どう見ても本人にしか見えなくなってきて困る。どちらかというと、出身地を思えばもっとこうシベリアンハスキーとかそっち系のイメージのはずなのに。


 ともあれ家主千秋さんに一応確認してから、了承のメッセージを送る。三十分ほどしてピンポーンとのどかなチャイムが鳴った。玄関に出ると、一抱えほどもある段ボールを持った櫂が、やけにご機嫌な顔で立っていた。

「やっほー、凪。元気?」

「昨日も会っただろ。っていうかそれ何?」

「みかん」

「え、もしかしてお前それ持って電車乗ってきたの?」

「うん。そんなに重くないし」

「改札通る時に止められなかったのかよ?」

「あ、それは調べたから大丈夫。三辺の合計が250cmまではいけるらしいよ」

「……何でそんなとこだけ詳しいんだよ」

 呆れてため息をつきながらも、まあ櫂らしいと何だか納得してしまう。迂闊なくせに、こいつは大事なところでは外さないし、だからこそまあ何だかんだ一緒にいる時間が長いんだろう。


 とりあえず居間へと通すと、入るなり櫂が目を輝かせた。

「おお、これは憧れのこたつじゃん! すごい幸せの楽園なんだろ?」

「何の話だよ。とりあえず手洗いうがい!」

「はーい」

 素直に頷いて、ダッシュで戻ってきたかと思うと、そのまま滑り込むようにこたつにに潜り込んだ。途端にその顔がほんわかと幸せそうに緩む。

 まるきり櫂が普段送ってくるスタンプそのものの顔に、何だかいろいろ尋ねる気も失せてしまう。実のところ、千秋さんがこたつを出してくれた日から、僕も家にいる時はほとんどそこに入り浸っている。こたつの素晴らしさについては、僕が一番よく知っているのだ。

 ぬくぬくと幸せそうな顔に、やれやれとため息をつきながら、こたつの脇に置かれている箱を開けると、オレンジ色の実がぎっしりと詰まっていた。


「ところで何でみかん?」

「こたつでみかんは王道だろ?」

「こたつがあるかどうかなんて知らなかっただろ?」

「いやー、千秋さんちならあるかなって。ザ・日本家屋! って感じだし」

「まあ、それはそうだけど」

「同じゼミに実家がみかん農家のやつがいてさ。前に一個もらったらすごく美味かったから、二箱頼んどいたんだよ。千秋さんにはいつもお世話になってるし」

「僕にもだろ」

「え、そうだっけ?」

「さんざんノート見せてやってるだろ」

「そうでした、いつもありがとう!」

 そう言って差し出されたみかんは、すごく鮮やかな色をしている。皮を剥くと爽やかな香りが広がって、口に放り込むと、薄皮も柔らかく、みずみずしくて、何よりすごく甘い。

「うま……!」

「だろ? きっと凪も好きだろうと思って」


 そう言ってニッと笑った顔に何だか心の奥がざわざわして、その理由に思い当たって唐突に鼻のあたりがつんとして、とっさに窓の方に視線を逃がす。


 去年の今頃は、もう千秋さんと一緒だった。でも、千秋さんが一緒だった。


 あの頃の僕は、まだ家族を亡くしたことに慣れていなくて、だからほとんど誰かと深く関わることをしていなかった——できなかった。同じ大学に進学した同級生はいなかったし、まっさらな人間関係しかない中で、千秋さんだけが特別で、けれど凛さんや櫂と出会って、少しずつ日常を取り戻していったんだろう。


 櫂はそんな僕の内心なんてお見通しだというように、ぐしゃぐしゃと僕の頭を撫で回した。まるで子供にするみたいに。

「俺の方がお兄さんだからな」

「何の話だよ?」

 手の甲で鼻を擦りながら、反対の手でお返しに頭をわしわしと撫で回すと、くすぐったそうに目を細める。そんなところは本当に犬みたいだ。飼ったことはないけれど、結構大型の、ラブラドールレトリバーとか、でかくてやたらとうるさくて、でも優しそうなやつ。

 思わずくすくす笑った僕に、櫂が怪訝そうに首を傾げる。

「何?」

「ポメラニアンよりはそっちかなって」

「だから何⁉︎」

「別に」


 言いながらもう一つ、今度は自分で箱から取り出した橙色のその果実は、やっぱり持ってきた本人みたいな、太陽みたいに鮮やかで暖かい色をしていた。

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