3. おでん(千秋)
一気に冬も深まる十二月。ひとまず年内の原稿の山は越えたから、あとは年明けから始まる連載の構想の確認と、可能な限りの書き溜めをしておきたいところだ、と千秋はカレンダーを見ながらそんなことを考える。
一人で暮らしていた頃は、全てが自分のペースで進められたから、煮詰まっても締切ぎりぎりまで徹夜でなんとか乗り越えることも多かった。だが今は、規則正しい生活が求められる相手がそばにいる。多少は無理をすることは変わらないが、日常的に夜型になってしまえばすれ違いも多くなる。あれこれ口うるさい相手ではないけれど、何より自分が可能な限り世話を焼きたいと思ってしまうから、まあ重症だな、と改めて自覚して我知らず苦笑した。
「何かいいトリックでも思いついたんですか?」
「何でそうなる?」
「いや、千秋さんが一人でニヤニヤしてるのとか大体そんなかなって。意外と
「そうか? これくらいなら普通だろ」
「いや、普通の人、仕事で徹夜とかしないですよね?」
「必要があればする」
「働き方改革!」
はいはいと適当にいなしながら、コートを取り出して、凪にも手渡す。おや、という顔をしたけれど、特には何も言わずに素直に羽織ると、ボディバッグを背負って玄関へと向かう。
外へ出ると風がずいぶん冷え込んでいた。
「さむ……」
「あっという間に冬だな」
他愛無い会話をしながら、近所のスーパーまでの道のりを歩く。古い閑静な住宅街の庭先にはあちこちピンクや赤の花がちらりほらりと咲いている。先日、原稿のネタにもした山茶花だ。それ以外は冬の始まりで、あまり色彩がない。
「今日はずいぶん買い物に出るの早いですけど、何か急ぎで必要なものでも?」
普段は大体夕刻にでかけて、帰ってきてそのまま夕飯の支度をすることが多い。そんな生活サイクルにも、凪もだいぶ慣れている。
「いや、おでんが食いたい気分でな」
「おでん? どっか食べにいきます?」
「いや、おでんといえばでかい鍋で作るもんだろ。早い時間から仕込んでおいた方が美味いからな」
「そうなんですね。おでん……長らく食べてないなあ」
「何か好きな具はあるか?」
「え、普通に玉子とかちくわぶとか? あとは何かなあ……はんぺんとか」
指折り数える様子は子供のようだ。出会った頃からやたらと美味そうに食べるタイプではあったが、馴染んだ今となってはその傾向もより顕著だ。それでも、嫌いなものや苦手なものは、よほどのことがなければ自分からは言わないから、こうして事前に確認するくせがついていた。
「わりとオーソドックスだな。あとはじゃあ大根と練り物か」
「何ていうか、平和ですねえ」
隣を歩きながら、そう感慨深げにいう横顔は、どこか面白そうな笑みを浮かべている。昨年の今頃は、もう踏み込んだ関係にはなっていたものの、まだ一緒には暮らしていなかったから、もう少しあやふやではあった。
「特に事件は起きてないのか?」
「直近だと、クロに引っかかれそうになったくらいですかね」
勝手に名付けられたのは、この辺りでよく見かける黒猫だ。何やら凪に
「何だ、まだ折り合いが悪いのか?」
「千秋さんが僕を贔屓するのが気に入らないみたいですよ」
「別にうちの猫でもないのに?」
「モテる男はつらいですねえ」
「どっちがだよ」
笑いながら、さらに風が冷たくなってきたのを感じて、少し歩調を早めて目的地へと急ぐことにした。
帰宅してから、大根の下茹で、練り物の油抜きをしてから、鍋に出汁を沸かして具材を並べる。薄い透き通るような出し汁は関西出身らしい祖母から受け継いだ味だ。小皿にとって味を確認していると、凪が顔を覗かせる。
「何かもういい匂いがしますね」
「味見してみるか?」
小皿を差し出すと、素直に受け取って口をつける。その顔がぱあっと輝いて、どうやら合格だったらしいことを確認する。
「全然濃くないのに、美味しいですね」
「具材と一緒に煮込むともっと美味くなるぞ」
「楽しみです」
見慣れているはずなのに、その笑顔があまりにも素直で可愛く見えて、ほとんど衝動的に腰を引き寄せる。顔を寄せると、驚いたように目を見開いたけれど、それでも軽く笑って、目を閉じて向こうからその距離が詰められた。軽く三回ほど、それからほんの少しだけ深く触れて離れる——もう、何かの符号のようになってしまったその仕草に、互いに顔を見合わせて笑う。
「あとは弱火でじっくり煮るだけだ」
「……一応聞いておきますけど、お仕事は?」
「今日はもうねえな」
「
「食べる直前、だろ」
「……二個とも食べちゃってもいいですか?」
「そんなに好きなのかよ? ならもっと買ってやったのに」
口の端を上げて笑ってそう言えば、凪は少し呆れたように目を見開く。
「千秋さん、やっぱり僕を甘やかしすぎじゃないです?」
たかがおでんの具材くらいで、と言いかけた千秋の言葉を遮るように、ひどく甘く緩んだ顔が近づいてくる。
「煮るのってどれくらい時間がかかるんでしたっけ?」
「時間をかければかけるほど美味くなるさ」
冗談混じりに言った千秋に、凪は呆れたように笑ったけれど、じっくり味の染み込んだおでんを二人が食べたのは、実際のところ、ずいぶん遅い時間になってからだった。
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