第6話 条件つき交際【香織目線】

 彼の家は敷地を囲む塀に屋根付きの門まであり、御影石でできた表札には山崎と書いてある。後ろに控える大きく立派な白い建物。黒塗りの鉄門の上には監視カメラがこちらに睨みを利かせている。


「服乾くまで、居てなよ」

「うん……」


 玄関に入ると山崎くんは熱烈なおかえりの挨拶の洗礼を浴びていた。茶色、焦げ茶、白の混じった長毛種の中型犬が子どものようにはしゃいでジャンプしている。そうかと思うと立ち上がって、山崎くんに抱きついていた。


 はぁ、はぁと息を切らせて舌を出しながら、彼に撫でてと甘える。


「ペーター落ち着きなって! お客さんが来てるから、無闇に飛びつくなよ」


 バウッ! と、吠えるとさっきまでのはしゃぎっぷりは鳴りを潜めて、大人しく座った。


「なんて言う犬?」

「シェルティー……シェトランド・シープドッグだよ。牧羊犬だから、とにかく元気。人懐っこいのはいいんだけど、甘えたがりなんだ」


「私にも飛びついてくる?」

「ん~、教えてあげないと抱きつくね」


 ちょっと待ってて、と山崎くんがお家のどこかへ行ったので玄関で待つ。行儀良く座る中型犬の頭を撫でるとぷるぷると尻尾を振って喜んでいた。


 飼い犬はご主人さまに似るっていうけど、私に向ける彼の屈託のない笑顔と甘えたがりのこの子……それに一緒に遊びたくてしかたないって感じ。


 そっくりだった。


 はっ、はっ、と息を吐く中型犬と戯れていると、


「はい、これ使って」

「ありがとう」


 山崎くんがバスタオルを持ってきてくれたので髪や服に含んだ水分を拭き取ったあと、長い廊下を通り広い部屋を横目にお風呂場に案内される。


 「お邪魔しま~す」と声をかけさせてもらったのだけど、返事はなく人気もなさそう。訝しむ私に山崎くんは私に告げた。


「今日、親が医師の会合で遅くまで戻らない……」


 私が黙り込んでしまうと……


「いやなら、服の乾燥と温まったら、送っていくから」

「うん……」


 どこの家にもありそうなタイプのユニットバスだったけど、二回りは大きい。湯船なんて三人くらい入ってもまだ余裕がある。「お風呂使ってくれてもいいよ」って言ってくれたけど、お湯を張るだけでもかなり時間がかかりそうだった。


 濡れた服はそのまま洗濯乾燥機を使わせてもらう。男の子の家でシャワーを借りるなんて、要ちゃんの家以外じゃ初めて……


 お湯のシャワーは悲しみで冷え切った私の身体を温める。まるで山崎くんが私のことを思って、気遣ってくれてるかのように。



 明らかに誘われてる。



 男を知らない無垢な身体が長方形のミラーに映し出されて、見つめていた。無理やりじゃなく私に委ねるなんて、身体に当たって水しぶきが二つの流れに分かれるように私の心を揺さぶっている。


 要ちゃん……


 私、もう堪えられないかもしれない。シャワーを出ると上下のジャージとインナーが……その上にメモがある。


【こんな物しかないけど、良かったら使って】


 男物のYシャツを渡されたりするかと思ったら、案外普通だった。彼の母親の物だろうか? それとも……


 彼について知りたくなってしまっていた。胸元が窮屈なくらいで他は少しゆったりした感じのジャージに着替えると彼と一緒に部屋に入る。


 広くて清潔な部屋。もしかしたら、そういうことにたくさん使ってるのかもしれないけど、ベッドはそれほど大きいわけじゃない。


 ベッドに腰掛ける山崎くんの隣に緊張しながらも、あえて座る。少し距離を取りながら……


「山崎くんって、周りから噂されてること知ってる?」

「あ……うん」

「ごめんなさい、嫌なこと言ってしまったみたいで。もう忘れて」


 私が言ったことで罰が悪くなって、逃げるように立ち去ろうとすると腕を掴んで引き留められた。


「知ってる。噂が全部真実ではないけど、事実も含まれてると思う。千堂さんが気になるなら、ちゃんと一つ一つ答えるよ」


 女の子の気持ちをふわふわさせてくれるだけあって、山崎くんの恋愛遍歴は高校生なのに十人は超えているらしかった。


 でも、私みたいに恋人と死に別れたとか、不慮の事故で……みたいな子はいなかったらしい。


「二股とか一度に複数の子と付き合ったことはないから。だけど、こじらせてしまった子がストーカーみたいになっちゃって、新しい彼女と揉めたことはあったよ……」


 カーペットやクッション、シーツに枕……痕跡の残りやすい物を見渡したり、足をもじもじするふりして調べるけど、それらしい髪の毛は一つも落ちていなかった。


 彼がもっと節操がない人なら、こんな無警戒に家に来なかったし、彼が言ってくれた通りすぐに帰ってたと思う。


「俺、千堂さんのことが……」


 人一人分の隙間を詰め、私を熱い眼差しで見つめてきていた。私は拒むことなく、間を取るらずに彼の瞳を見つめ返す。私の肩に両手が触れられ、近づく彼の口元。


「待って……キスは……」


 もしも、もしも要ちゃんが戻ってくるかもしれない。こんなことが幼馴染に対する義理立てになるなんて思えないけど、せめて……


 私の言葉に顔を遠ざける彼。どうして? って、そんな不思議そうな顔をしていた。


「やっぱり桐島がまだ戻ってくるって、信じてるんんだ」


 彼の言葉に無言で頷く。


「キスも駄目、こっちも駄目。お尻だけなら……」


 私は……たとえ帰ってこなくても、まだ要ちゃんのことが好き。だから、これは山崎くんの気持ちを折るための方便。要ちゃんに操を立てるためという言い訳。


「あと、要ちゃんが戻ってきたら別れる」


 私程度で何、山崎くんに上から目線で言ってるんだろう。自分でも思い上がるなって、吐き気がする。


 そんなふざけた条件、OKするわけないと私は高を括っていた。軽蔑されるかもしれない。けど、それでいいと思った。もう、分かんない。分かんないよ。どうしていいのか……


「いいよ。香織ちゃんがそれでいいなら」

「えっ!? えっ!?」


 私の我が儘にも思える無茶苦茶な条件を小悪魔的と思い、かわいいと勘違いされたのだろうか? これまでよりも優しい眼差しで微笑んで、彼は私を包み込んでくる……


 打算的でとても汚い女。彼に他の女の子の影がないか、気になって仕方ないのに要ちゃんと寄りを戻せるようになんて思ってる。


「ちょっと待ってて」

「うん」


 私も人並みにそういうことには興味があった。初めては要ちゃんと、って思っていたけど、中学生のときに高校に入ってからと止められたから、自分で慰める回数は増えてる。


 どうして、こんな条件を呑んでくれたのか分からなかったけど、彼が戻ってきたことで分かった。


 山崎くんは戻ってくると医療用っぽいアルミトレーを持っていた。その上にはチューブや半分に切れた数珠のような物が乗っている。軟膏や歯磨き粉が入っているようなチューブにはキシロカインと記載されてあった。


「これって……」

「最初は痛いかもしれないから、内視鏡用の麻酔ゼリーで馴らしていくといいよ」


 条件に同意されてしまった以上、私に彼を拒めるはずもなく、優しくベッドに押し倒された。山崎くんの前戯に溶かされた私はアブノーマルな場所に彼を受け入れたのだった。


 初めてが……なんて……変な感じ。情事を終え、隣に寝転がる山崎くんに訊ねた。


「初めての私にも痛くなく終えるなんて、すごく手慣れてた……とうして?」

「あ~、その……なんて言うのかな……」


 こめかみを掻いて、とても言いにくそうにしている。


「ほらさ、前に何人かと付き合ってたって言ったでしょ。二股とかかけてないから、彼女があの日だったりしたときに、どうしても我慢できなくてそっちでお願いしてたんだよ……」

「……」


 私から言い出したことだけど、訊かない方が良かったかもしれない。だけど、山崎くんは正直だった。



 初めて山崎くんに身体を許した雨の日。そのあとも彼と逢瀬を重ねる度に彼に身体を委ねる。しばらくすると馴染んできてただのゼリーで良くなった頃だった。


「香織はあんな子たちよりずっとかわいい。ただ、メイクとかに馴れてないだけだよ」

「そ、そうかな?」

「俺が言うんだから、間違いない」


 そんな彼に戸惑う私だったけど、山崎くんは背に回した手で優しく私を導いていく。


 連れて来られたのは美容室……


「香織は元がいいから。それが悪い子はどうやってもそれなり。周りの女の子たちに変な陰口されないくらい綺麗になるよ」


 我流でやるおしゃれと違い、山崎くんに案内され、化粧品、服装や装飾品を身につけた私はまるで自分が自分でないように感じた。


 彼との交際を始めて、一月が過ぎたくらいだった。デートのあと、彼から誘われ手を引かれるままにホテルに入る。


 彼は約束通り、アブノーマルなセックスで納得してくれていた。


「いいの?」

「そういう約束でしょ? 俺は馴れてるから構わないし」

「うん……」


 山崎くんに愛され続けた結果、要ちゃんと別離した悲しみは薄らいでゆき、彼との思い出も……そんなときにまさか、要ちゃんが帰ってくるなんて。それがまさか山崎くんとの情事の最中だなんて、思ってもみなかった。

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