第6話 未来永劫~みらいえいごー~
ぶわっ、と奥義書の上に、大きな影が盛り上がった。
腰には剣、頭には金の角。
(ヒュベルムート、の、幻影……?)
サイスは私を腕に抱いたまま、後ろに下がる。
「何だこれは!」
「さっきの、のーるとおなじだ」
肌がピリピリする。膨大な魔力に戦慄しながら、私はかろうじて口を動かした。
「この本にも、ばいんべるとのタマシイがこめられてる。だから、シャイスの中にあるじぶんのチカラに、きづいたのかも」
「俺が本に触れたからか。くそ、しくじった」
サイスが舌打ちをする。
ゆらり、と影は近づいてきた。
『我が力を返せ。我が封印を解き、我を縛りつけた国など破壊し尽くしてくれる!』
「まぼろしに、そこまでのチカラはないわ」
私はサイスに囁く。
「シャイスのチカラをつかわれたとしても、血は
「でも?」
「王宮くらいはふっとぶかも」
サイスは私を抱いたまま、走り出した。
私は彼の首にしがみつき、肩越しに後ろを見る。
奥義書が書見台から浮かび上がり、こちらに向かってきた。しかし、ガキーン、という音。鎖が伸びきったのだ。
けれど、本から抜け出した幻影は、まだ追ってくる。サイスは一度振り向き、気合いとともに魔力をこめた剣を振るった。
ビキッ、と空間が裂けるほどの衝撃とともに、幻影が吹っ飛ぶ。
(さすが、綺麗に魔力の集中したところを狙ってる。昔から、魔法剣の技は得意だったわね)
私が感心している間にサイスは階段を駆け上がり、地上の書庫に躍り出た。
「陛下、ディアイラ様! 何が」
見張っていたハーディが驚く目の前で、私は怒鳴る。
「シャイス、おろして!」
彼の手から飛び降りた私は、杖をかざした。すぐに出入り口が閉まり始める。
しかし、ガコン、という感触とともに、閉じる動きが止まった。
幻影の巨大な手が、その指が、石盤の隙間からのぞいている。そのまま、ぐぐっ、と押し広げ始めた。出ようとしているのだ。
「くっ」
歯を食いしばると、すぐに杖を持つ私の手に、サイスが自分の手を重ねた。
二人の魔力が合わさり、杖が光を放つ。いったん、石版は止まった。
しかし、じわじわと押し返され、再び石版が開き出す。少しずつ、少しずつ。
(……強い。私たちの魔力だけじゃ足りない)
このままではまずいと悟った私は、とっさに叫んだ。
「ハーディ、『あかずのま』から、かいちゅーどけいをもってきて!」
「かい……何です!?」
「とけい! 手にもつやつ! かきものづくえの、いちばんうえのひきだし、にじゅーぞこになってりゅから!」
書き物机の一番上の引き出しが、二重底になっている。フランデリーナは大事なものをそこに隠していた。
サイスが彼女の生前のままに部屋を残しているなら、まだあるはずだ。
ハーディは戸惑ったようにサイスを見たけれど、サイスはうなずく。
「急げ」
「はっ!」
ハーディは走り去る。
私たちはひたすら、杖に魔力を集中した。
混じり合った二人の魔力が、鮮やかに、二人の記憶を呼び起こす。
『いよいよ即位式だな。俺もいずれ、近衛隊で隊長になってフランディを守ってやるよ』
『あら、言い切っちゃっていいの? ライバルも多いでしょうに。私は贔屓はしないわよ』
『俺の実力を知っているくせに、疑うのか? じゃあ、誓いの印に、これをやるよ』
『懐中時計?』
『自分で買ったんだが、同じ頃に父に時計をもらって、そっちばかり使っていてな。こっちはお前にやる』
フランデリーナがサイスにもらった、懐中時計。
女王になってから、魔力がうまく制御できずに不安になると、いつも時計を握っていた。魔力を逃がす場として、時計に魔力をこめていたのだ。
流れ込む魔力でクルクル回る時計の針を見つめ、フランデリーナは何度も、心の中で唱えていた。
『大丈夫。サイスが私を守ってくれる』
「──陛下、ディアイラ様、時計です!」
ハーディが戻ってきた。
「かして!」
私が片手をあげると、ハーディの手から時計が飛び出して、私の手のひらに飛び込むように収まった。
(ここにはフランデリーナの魔力が詰まってる。濃縮された、強い魔力が。これを引き出して使えば!)
私はとっさに、手の上にノールの奥義書を出現させた。石版の上にたたきつけるように置き、さらにその上に時計を載せる。
時計にかざした私の手に、サイスの大きな手が重なった。
私は、詠唱する。
「ノールの名において命じる。ばいんべると、しょもつの中へかえれ!」
ふっ、と、こじ開けようとしていた力が消えた。
「うっ?」
隣のサイスが、変な声を上げた。
ズズズ……ガコン。
音を立てて、石版が閉まった。
あたりが静まりかえる。
「…………やった」
私はそのまま、床にへたり込んだ。
「うまくいった。ばいんべるとのあるじはノールだから、本をつかってノールのなまえで命じれば、いけるかとおもって」
「…………」
「シャイス?」
何やら黙りこくっているサイスを、私は見上げる。
「どしたの?」
「その……さっきの呪文だが。ディアイラはヴァインヴェルトに、奥義書の中に帰れと言ったよな」
彼は呆然とした様子で、私を見る。
「うん。ゆったけど?」
「ヴァインヴェルトは、つまり、ヒュベルムートのこの世での名前なんだよな」
「そうよ」
「だからか」
彼は、自分の両手を見つめる。
「俺の中から何かが飛び出して、幻影と一緒に古書館に吸い込まれていくのを感じた。たぶん、俺の中のヒュベルムートも一緒に、本に」
「えっ」
私はハッとして、ガバッとサイスの左手をとった。
私とサイスの手の甲に出ていた婚姻の印が、光の粒になって浮かび上がり、少しずつ消えていく。
(ヒュベルムートが本に封じられたから、私がヒュベルムートと交わした契約も消える……!?)
ハーディがおそるおそる口を出した。
「あの、契約解除ということですか? よかったではないですか! まさか一晩で目的を達成できるなんて」
私もサイスも、それには答えない。ただ、黙って手を見つめる。
やがて、印はすっかり消えてしまった。
同時に、サイスの身体を取り巻いていた私の契約の魔法もまた、ふわっ、とゆるむようにほどけ、魔力は私の中に吸い込まれるように戻った。
不意に、サイスが私を抱き上げながら立ち上がった。
「わっ」
ノールの奥義書と時計を抱え込みながら、あわてて彼にしがみつくと、彼はハーディに言う。
「ハーディ、心配をかけたが、もう大丈夫だ」
「は、はあ」
「今後のことは明日、話そう。俺とディアイラは部屋に戻る。お前も休んでくれ」
そして、サイスは大股で歩き出した。
月明かりに照らされた、王宮の庭。
私の部屋の外階段に、サイスは私を下ろして座らせた。彼も、私より低い段に座る。ちょうど、目線の高さが合う位置に。
「ディアイラ」
静かに、きちんと名前を呼んだサイスの大きな両手が、私の左手を包んだ。優しく握る。
彼の青い瞳を見て、私は確信した。
(ああ。気づいたのね。……そりゃあ気づくわよね)
かくして、彼は続けた。
「女王の懐中時計、その隠し場所を、ディアイラは知っていた。思えばお前は、俺を召喚した時、言っていたよな」
『なんであんたがここにいりゅのよ!』
「──さすがに、国王と国民の関係で出る言い方じゃない。あの時はそれどころではなかったから気づかなかったが」
サイスは、顔をくしゃりと歪める。
「幼女の姿だが、十五歳。計算は合う」
抑え気味だった声が、震えた。
「フランディ、なんだよな? そうだと言ってくれ。十六年、思い出さなかった日はない。フランディなんだろう?」
「シャイス……」
私はそっと、時計を手にとって見せた。すでに魔力は抜け、ただの時計になっている。
「この時計、わたしが十五さいでそくいする時に、あなたがくれたよね。ずっとだいじにしてた。またてにできて、うれしい」
「フランディ……!」
サイスは、私の手に額を押しつけた。まるで、かしずくように。
「済まなかった。俺はお前を守れなかった。ずっと、後悔していたんだ」
私はそっと、小さな手でサイスの頭を撫でる。
女王を守る騎士としての責任が、果たされなかったのは事実だ。でも、私は恨んでなどいないのだから、彼を解放したい。
胸を刺されて声が出なかったあの時に、本当は言いたかった。言えないまま逝ってしまったから、サイスはずっと苦しんできたのだ。
「フランデリーナの名において、あなたをゆるします」
額を押しつけたままのサイスの手が、ぎゅっ、と私の手を握り直した。もしかしたら、泣いているのかもしれない。
私は聞く。
「シャイスがずっとどくしんなのは、まもれなかったわたしがどくしんのまま死んだからなの?」
「…………う」
「ずぼし? シャイスはまじめだから、じぶんだけしあわせになるわけにいかない! とか、かんがえてそーだとおもったのよね」
ため息をついて見せてから、私ははっきりと告げた。
「国王をひきうけたんだから、ケッコンもちゃんとしなしゃいよ。ようじょじゃなくて、としごろのおんなのひとと」
サイスは姿勢を変えないまま、低く答える。
「……ああ」
「よし。ホッとした。これでわたしも、いまのりょうしんのところにかえって、幸せにくらせるわ。……グレンドルをおねがいね」
ようやく顔を上げたサイスは、少しだけ赤くなった目で私を見つめる。
「……わかった」
ぽつぽつと、思い出話をしながら、静かな夜は更けていった。
翌日、サイスは『自分の意志で物事を決められない幼子を妻に望むとは、罪深い行為だった』とようやくまともなことを言って、私との婚姻を解消したことを臣下に伝え──
私は、両親の元に帰ったのだ。
あれから、一年の月日が流れた。
よく晴れた空のもと、私は杖をゆったりと振って、洗濯したシーツをふんわりと広げながら庭のロープにかける。今日はすぐに乾きそうだ。
家の中では、父が古書や絵画の修復作業をしていて、台所では母がクッキーを焼いていた。甘くて美味しそうな匂いが、ふんわりと漂ってくる。
(平和ね……)
フランデリーナが死ぬときに望んだ来世の幸せは、今世できっと手に入れられるだろう。まだ魔物を召喚する気にはなれないけれど、いずれはそれなりに強力なしもべを手に入れる。魔女ディアイラは、魔法で人々を助けて大活躍する予定だ。
本当の意味での、『我が儘』な生き方をしよう。
心のまま、素直に生きて、好きな人と結ばれて。
(好きな人、か)
心の片隅に引っかかっている何かが、私に小さなため息をつかせた。
その時、声がした。
「町で評判の、美しい娘御の家は、ここか?」
「えっ?」
振り向くと──
──サイスが立っていた。
私は思わず、声を上げる。
「
彼は微笑む。
「俺の名前、きっちり発音できるようになったか。すっかり大きくなったもんな」
「ま、まあね……」
私はあたふたしながら、意味もなく自分の長い髪をいじった。
この一年で、私はものすごいスピードで成長し、見かけは十歳くらいの少女になっていた。急に解かれた契約魔法、その魔力が戻ったせいで、身体が今までの分を取り戻そうとしているらしい。
サイスは私に歩み寄りながら、言う。
「町で評判というのは本当だぞ。魔法修復師の家の娘が成長したとうわさを聞いたから、あわてて今日やってきたんだ。この分だと、あと一年もあれば実年齢に追いつきそうだな」
「そうかもね」
目を合わせられなくて、そっぽを向く。
私は一方的にサイスを好きなわけだけれど、久しぶりに会ったのが嬉しくて、気づかれそうで、でも気づかれたくない。
サイスは言う。
「俺は、お前の言った通り、ちゃんと結婚しようと思う」
ちくんと、胸が痛んだ。私は痛みを誤魔化すように言う。
「何よ、わざわざその報告に来たわけ?」
すると、サイスの手が伸びて頬に触れ、私は彼の方を向かされてしまった。
「相手は、お前がいいと思っている」
私は瞬きをした。
「……は?」
サイスは、真顔だ。青い瞳には熱がこもっている。
「告白する。俺はずっと、フランディを想っていた。時計を贈ったのも、俺の代わりにお前のそばで一緒に時を重ねるように……という、勝手な気持ちを込めてのことだ。結ばれないと決まっているのだから軽蔑されると思って、言えなかったが」
「ほ、本当に……?」
呆然とつぶやく。
(軽蔑されるって、私も思ってた。同じことを考えてたなんて)
「前世では打ち明けることすらできず、死後も忘れられなかった相手が、生まれ変わってそこにいるんだ。虫がいいかもしれないが、今なら制約もない。何年か待ってでも、絶対に手に入れようと決めた」
サイスは私を見つめたまま、続けた。
「お前は、俺が真面目だから、女王への償いのために結婚しなかったんじゃないかと言ったな」
口の端が上がり、笑みを形作る。
「真面目なんじゃない。しつこいんだ」
胸の中が、温かくなる。
私も、自然に笑みを浮かべた。
「そんなにしつこいんじゃ、逃げられそうにないわね」
目を見開き、サイスが勢いよく言う。
「じゃあ、結婚してくれるんだな?」
「うーん……複雑。だってサイス、おっさんじゃない」
「傷つくな……! 心はあの頃のままなのに」
少しおどけて胸に手を当てるサイスに、私は吹きだしてしまった。
「私、前世の分もいっぱいワガママ言うわよ。いいの?」
「もちろん。俺のしつこさを受け入れてくれるなら、それくらい」
「怖っ」
言ってから、私は一歩前に踏み出した。
軽く地面を蹴り、両手を伸ばして、サイスの首に抱きつく。
サイスの両腕が、私を優しく抱きしめた。
私とサイスの左手に、再び婚姻の印が刻まれるのは、それから一年後のことになる。
【ワガママ転生! 完】
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます