第5話 王族秘話~おーぞくひわ~

「…………ちょっと、ふとった気がしゅるわ」

 私は黒のローブに袖を通しながら、顔をしかめた。

 サイスは私の支度を待ちながら、ニヤリと笑う。

「幼な子が、そんなこと気にするもんじゃない」

「十五歳よっ。だいたいあなたが食べさせるから……!」


 私がつつがなく王宮にいられるよう、夫婦仲(!)のいいところを見せようとして、サイスが私を臣下たちとの食事に連れて行くのである。そして私を膝に乗せ、

「ディア、これも美味いぞ」

「しっかり食べて、早く大きくならないとな」

 とか何とか言って、アーンみたいなことを仕掛けてくるのである!

(皆の前で嫌がるのは良くないと思っておとなしくしてれば、こいつは……!)

 ひょっとして、逆立ちを命じた意趣返し? などと思わないでもない。


 とにかく、王宮に来てから二十日が経った夕方である。

 暮れ始めた空に上った月は、まさに満月を迎えようとしていた。

「したく、できたわよ」

 私は確認して声をかける。

 黒のローブ、使い込んだ杖、首にかけた護符アミュレット、そして賢者ノールの奥義書。

「その本も持って行くのか」

「いちおーね。いい、シャイス」

 私はビシッと人差し指を立てる。

「シャイスの剣に、ホウギョクをまきつけてありゅから。ひちゅようなときには、わたしのチカラをそこにながしゅから、うまくちゅかうことね」


 王族であるサイスも元々魔力持ちで、自分の全身や武器防具に魔力を宿らせて力の底上げをし、物理で戦うタイプである。一方、私は魔力そのものを武器や防具や薬にするタイプだ。

 契約を交わしたので、私たちは魔力の共有ができる。何が起こるかわからないので、必要な時、必要な場所に魔力を集中させられるようにしておいた。


 サイスは手甲のベルトを留めながら、うなずく。

「わかった。もちろん、しもべは主を守るさ」


 

 王宮の、奥庭。

 大賢者にして建国王のヴァインヴェルトが、自分専用に建てた石造りの書庫が、月明かりに照らされてひっそりとたたずんでいる。

 もはやあちこちが崩れ、中の本は全て運び出されているけれど、実は中の本棚のひとつに仕掛けがあった。棚の一番下の段、奥板のはがれた部分にくぼみがあり、杖に魔力を込めてそこを押す。

 ガコン、ズズズ……という音がして、書庫の中央の敷石が下がって横にずれ、地下へと続く階段が姿を現した。

 王宮古文書館──別名『大賢者の隠れ家』である。


(ふわぁ、ワクワクが止まらない! ついにここに入れるのね!)

 密かにソワソワする私である。

「私はここで見張っております。二時間待って戻られなかったら、教会の魔法使いを呼びます。どうかお気をつけて」

 ハーディに見送られ、私とサイスはゆっくりと階段を下りた。


 中はどういうわけか青白い光に満たされていて、視界にはあまり困らない。

 降りきったところは、大きなホールの中央だった。

 階段に向かい合う壁に大きな窓があり、地下のはずなのに月明かりが射し込んでいる。床は板張りだけれど、まるで時が止まったかのように真新しく、傷んだり腐ったりしていない。

(綺麗……)

 ここには、書棚はひとつもない。ただ、窓の方を向いた書見台が、等間隔でずらりと並んでいた。一つの台に一冊ずつ、がっちりした革表紙の本が置かれ、台に鎖で繋がれている。持ち出せないようになっているのだ。


(これ、片っ端から読みたいっ)

 目をギラつかせている私の横で、サイスがつぶやく。

「で、ヴァインヴェルトの奥義書はどこだ?」

「ええと、さすがにとくべちゅなところに置かれてるとおもうんだけど」

 私もサイスもぐるりと見回してみたけれど、空間はここ一つだ。


「書見台の本のどれかがそれ、ということか? 一冊ずつ確かめてみるしかないか」

 書見台の間を歩きだそうとするサイスを、私は止める。

「まって。ここの本ぜんぶ、ひょうしやせびょーしに、だいめいがない。ひらいてみないと、なんの本かわかんない」

「なら、開いてみよう」

「バカなの? 何がおこるかわからないわよ」

 そうは言ったものの、いったいどうすれば探せるのか。


(そうだ)

 私は、片手を差し出した。ぽん、と手の上に書物が現れる。

 ヴァインヴェルトの弟子、賢者ノールが記した奥義書だ。

「この本に、おししょーさまの本をさがしてもらおう」


「そんなことができるのか?」

「よんでみて、わかった。ノールはこの本に、タマシイをこめてかいてりゅ。だから……」

 私は、手書きの原本を読む時、いつも書き手の想いと一体化しようとする。最初は癖のようにそうしていたけれど、今世では研究して魔法の一つに練り上げていた。

 目を閉じ、魔力を込めて本を開きながら、つぶやく。


書森彷徨しょしんほーこー


 さあっ、と、髪がたなびく。

 頭の中に、広々とした丘が広がった。そこには、白い旗が幾本も幾本も、まるで森のように立っている。

 よく見るとその旗は本のページで、ひらひらと風に揺れながらキラキラ光る文字をまとわせていた。

 その合間を歩きながら、私は探す。

 この本を書いた人の、面影を。


 ――やがて、旗と旗の合間から、ゆっくりと。

 ほっそりした人影が、現れた。 


 目を開くと、手にした本の上にも、同じ人物が小さな姿でユラリと現れていた。顔はよく見えないけれど、長いローブを着た、痩せた男性のようだ。

 男性の幻は、すーっと宙を移動し始める。まるで尻尾のようにオーラが後を引き、本につながったままなのがちょっと可愛い。

「けんじゃノールは、ばいんべるとのことを深くかんがえながら、この本を書いたみたいね。その気持ちが、本にのこってる。……あっちよ」

 私はサイスに声をかけ、後をついていった。


 やがて男性は、いくつも並んだ書見台の、窓側から数えて十七列目──階段を下りた場所より後ろだった──、右から六番目の書見台にたどり着いた。

 台には、何の変哲もない茶色い革表紙の本が置かれている。鎖が鈍く光った。


 男性の幻は、その本の表紙に片手を触れさせた。

 するとたちまち、茶色かった本は緑色の本になった。


「しゅごい。さっきまでの本はきっと、いつわりのすがただったんだ」

「ノールが触れたから、本当の姿を現したと……? 隠されていたのか。よほど秘密にしたいことが書かれているとみえる」

 私とサイスは視線を交わし、うなずく。

「開くぞ」

「まって、わたし! わたしがひらく!」

 私は両手をのばしてつま先立ちをする。ここの書見台の高さは大人向けだ。

「ああ」

 サイスはひょいっと私を抱き上げ、左腕に座らせた。これでよく見えるようになった。


 手を伸ばし、表紙を開く。

 中表紙には古代文字で、『グレンドル王国の成立と魔法の体系化およびその奥義』というタイトルと、『ヴァインヴェルト』の署名が書かれていた。


「間違いないな」

「うん。ばいんべるとのおうぎしょだわ」

 私は言いながら、一枚めくる。

 そこは、前書きのページだった。数行の文章の下に、魔法陣が一つ書かれている。

 わざと不完全に書いて、発動しないようになってはいるが、その陣は……


「えっ」

 私は思わず固まり、サイスが「ん?」と私を見た。

「これ……わたしがシャイスをよびだしたときと、おなじ魔法陣なの。つまり、魔王ふべるむーとをよびだした陣」


「なぜそんなものが、前書きに?」

「まって」

 私は文章の方を読んだ。


──『我が名はヴァインヴェルト。この世におけるこの名は、主ノールに与えしものである』──


「『この世におけるこの名』!? 『主』!?」

 私は驚き、うろたえた。

「のーるが、ばいんべるとのあるじ? それじゃあ、ばいんべるとの正体は」

「魔王、ヒュベルムート……」

 さすがにサイスも、声がかすれている。

「グレンドルを建国した王は、魔王だった、ということになるのか」


 私は『書森彷徨』の魔法を使い、この奥義書の森に分け入って、文字だけではない内容を『見た』。


 大陸で各地の有力者が争い、混沌とした時代。賢者ノールを指導者とした集団は、ノールが魔王ヒュベルムートを召喚し使役したことで勝利した。

 この時、ヒュベルムートがこの世での名前として名乗ったのが、ヴァインヴェルトである。

 しかし、ノールには持病があり、余命いくばくもなかった。ノールが死ねばヴァインヴェルトも魔界に帰り、大陸は再び混沌の時代に戻ってしまう。

 ノールは、禁呪を用いることを決意した。

 ヴァインヴェルトを、人間としてこの世に縛りつけたのだ。

 その様子が、奥義書にはまざまざと残っていた。


 目を開いた私の説明を聞き、サイスは唸った。

「人間というかたちに封じられたヴァインヴェルトは、多少はその力が弱まったとはいえ、やはり強力な存在だった。そんな彼によって、グレンドルは建国されたのか」

 彼は顎のあたりに触れながら、信じがたい事実を咀嚼している。

 私も心の中で、このことを整理した。

(封印され、祀られたことで、神様のように崇められる存在になったのね。だって実際、ヴァインヴェルトはノールたちを勝利に導いたんだし、それが神聖な存在か魔物かなんて一般人にはわからない。そうしてヴァインヴェルトは人望を集めて国王になり、ノールは秘密を隠蔽するために、彼を最初から自分の師だったかのように偽ったんだ)


「……ディア」

 サイスのうめき声に、私はハッとして顔を上げる。

 彼は私を見つめた。

「つまり、グレンドルの王族は、魔王の血を引いていることになる。もしくは、代々の国王が、その身に密かに魔王ヒュベルムートを宿していることに」

(あっ)

 私は思わず言った。

「だから、わたしがふべるむーとを召喚したら、しゃいすがよばれちゃったんだ!」


 これで全てが繋がった。

 王族が、血が濃くなりすぎないように注意してきたのは、魔王の血を薄めるためだったのだ。

(そりゃあ、婚姻の制限を設けるはずよね……!)

 過去に王族が魔力を暴走させたことがあったし、血が濃くなりすぎれば封印が解けてしまう可能性もある。

(ああ……こんな秘密なんかなければ。五親等離れていたフランデリーナとサイスも、結ばれた未来もあったかもしれない)

 頭の隅を、そんな『もしも』がかすめた。

 

「これは……漏らすわけにはいかない秘密だな」

 サイスはうなり、そして私を見つめる。

「ディア。もちろんお前にも、黙っていてもらわねばならない」

「わかってりゅ」

 私はうなずく。

(前世で王族だった者として、何度転生を繰り返したとしても、この秘密は時の果てまで持って行くわ)

 フランデリーナもまた、王位とともに魔王ヒュベルムートを引き継ぎ、宿していたことになる。即位したとたんに魔法が制御できなくなりだしたのは、それが原因だったに違いない。

 逆に言えば、即位まで暴走しなかったのだから、フランデリーナが近親婚で生まれたかもしれないという疑いは晴れる。私はホッとした。


 その後、『書森彷徨』で急いで探ってはみたものの、私とサイスの契約を解除する方法らしきものは見あたらなかった。

「もっとふかく分け入れば、なにか手がかりが見つかるかもしれないのに」

「惜しいが、時間がない。そろそろ戻ろう」

 サイスの言葉に、私も仕方なくうなずく。

「うん。はーでぃ、まってるもんね」

 ここの本は持ち出せない。満月が上っている間なら古文書館にいることもできるが、読み込んで研究するにはとても時間が足りない。

「あー、ほんとはほかの本もよみたい! どれだけキチョーなブンケンがねむっていりゅことか! うー」

 肩を落とす私に苦笑しつつ──

 ──サイスが手を伸ばして、奥義書を閉じようと、触れた。


 その瞬間。

 

『我が力を返せ』


 低い声が響いた。

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