第4話 前世回想~ぜんせかいそー~

 気がつくと、足が勝手にかつての自室に向いていた。


 両開きの扉の前で立ち止まると、侍女が驚いて言う。

「ディアイラ様、ここは入れません。『開かずの間』なんですよ」

「『あかずのま』?」

「はい。不吉なので誰も近寄らないんです。さ、お庭にでも参りましょう」


(ふーん。私が死んだ部屋だから、そういうことになってるのか)

 仕方なく立ち去ろうとした時、ガチャッ、という音が響いた。

 部屋の扉が開き、中から初老の女性が姿を現したのだ。やはり侍女の服装をしている。


 その女性はバケツを手にしたまま、私を見て目を見開いた。

「まぁ、ディアイラ様」

(どこかで見た覚えのある顔……)

 そう思いながら「こんにちは」と声をかけると、彼女も丁寧にお辞儀をした。


 侍女が聞く。

「カーチャさん、まだここの掃除を続けてるんですか?」

 私は、はっ、と息を呑んだ。

(カーチャ。本当だ、年はとったけど面影がある)

 前世で、私の身の回りの世話をしていた侍女たちの一人だ。

 カーチャは部屋に鍵をかけながら、侍女の質問に答えた。

「十日に一度だけれどね。せっかく、陛下がこの部屋はこのまま残すとおっしゃったのだから、きれいに残したくて」

「でもカーチャさん、怖くないんですか?」

「全然。私が掃除したくてしてるだけ」


 私は思わず、口を開いていた。

「『ワガママ女王』のへやなのに?」


「あらっ、よくご存じですね」

 カーチャは私の前に膝をつき、目線を合わせて微笑む。

「そんなあだ名で呼ぶ人もいたようですが、私がお仕えしたフランデリーナ様は、決して悪い女王ではなかったんですよ」

「ワガママなのに?」

「はい。我を通されるだけで、誰かのせいにしたり誰かを貶めたりすることは決してなかったんです。私たち使用人も、誰一人としてクビになったり、罰せられたりしませんでした」


(カーチャには、気づかれてたのかも)

 私は、奥歯をかみしめて涙をこらえた。


 あの頃の記憶が、よみがえってくる。


※※※


 女王に即位し、王宮で暮らし始めてすぐに、フランデリーナ──前世の私は異変に気づいた。

(魔力が、うまく制御できない?)

 手紙を書き、魔力を使った封をしようとしただけなのにうまく行かず、近くにおいてあったティーカップが割れた。

 制御できなかったことを誤魔化そうとして、私はとっさに、控えていたカーチャに言った。

「このカップ、気に入らないの。別のにして!」

 自分の意志で割ったというフリをしたのだ。


 それをきっかけに、私は制御の失敗を自分のワガママのせいにして誤魔化すようになった。

 外出するために乗った馬が、私の魔力を感じて暴れそうな気配を見せれば、さっさと馬から下りた。

「やっぱり気が向かないわ。今日の予定はキャンセルしてちょうだい」

 陳情に来た貴族が、私の魔力に当てられて顔色が悪くなってきたのを見ると、懐中時計を見ながら言い放つ。

「ああ、頭が痛くなる話だこと。別の日にして下さる?」


 誰かのせいにしたくなくて、自分のワガママのせいだと取り繕ってきたけれど、心の中は不安でいっぱいだった。

(どうしよう。どうして制御がきかなくなってきているの?)

 過去に魔力を暴走させた王族がいたのは知っていたので、止める方法があるかもしれないと、当時の文献を片端から読み漁った。しかし、見つからない。

 私は密かに、両親を疑った。

(私が父と母との間に生まれた子なら、魔力は問題ないはずなのに。まさか……)

 そんなこと、誰にも言うわけにはいかない。



 そうこうするうちに行われた、女王主催の鹿狩り。

 また魔力の制御に失敗した私は、野外に張られた休憩用のテントの一つを壊してしまった。

 古くなっていたのだろうということになったけれど、そのテントを使っていた貴族の一人が軽傷を負い、何かおかしいと感じたようだ。

 そして、こう思ったらしい。

『ワガママ女王は、議会での発言力が強い私が気に入らないから、魔法で私の命を狙っているのだ!』


 内密の話があると言って、私の部屋に何人かの貴族たちとともにやってきた彼は、言った。

『あなたのワガママで、臣下が死ぬようなことがあっていいのだろうか。そんな理由で殺されてはたまらない。女王の座を降りていただこう!』

 言葉のひとつひとつが、その場の人々の感情をじわじわと煽る。

 落ち着いてほしい、殺そうとなどしていない、と私は説明したけれど、テントの一件を持ち出され──「テントは新しいもので、古くなどありませんでした」──、彼らは次第に声を荒らげて感情を加熱させた。熱に踊らされた人々が、何の証拠もない言葉を信じ込んでいく。


 恐れを感じた一瞬、また、魔力が暴発して。

 彼の近くの花瓶が、弾け飛んで。


「やっぱりだ!」

「危ない! 女王が魔法を!」

 いくつかの声が合図になったかのように、殺気が──


 ──気づいたときには、胸にナイフが突き立っていた。


 かすむ視界の中、部屋に駆け込んできたのは、騎士服姿の幼なじみ。

(サイス……)

 青い目を見開いて、私を抱き起こし、何か叫んでいる。返事をしようとしたけれど声が出ず、もう、耳も聞こえない。

 

 神様、もし生まれ変われるのなら、今度は本当の意味で『ワガママ』をしたいわ。

 誤魔化したり、取り繕うためのワガママじゃなくて、本当の意味でのままを。

 自分の心のまま、素直に生きて、好きな人と結ばれる。

 そんな来世を……どうか。


※※※


 ふっ、と、私は目を開いた。

 いつの間にか、ベッドに横になっている。そして、ベッドの端にサイスが腰かけて、私の顔をのぞき込んでいた。

 彼はホッとしたように微笑む。

「ディア、気分はどうだ?」


 私は身じろぎした。

「あれ……あ……あたまがぐるぐるすりゅ」

「少し熱がある。散歩中に具合が悪くなったんだ」

 サイスの大きな手が、私の前髪をかき上げるようにして撫でた。

「医者は、疲れが出たのだろうと言っていた。身体は子どもだ、環境の変化についていけなかったのかもな」


「…………」

「侍女を呼んでこよう」

 立ち上がろうとするサイスを、私は「まって」と呼び止めた。

「すこし、はなしをしたい」

「少しだぞ」

 彼は素直に、座り直す。


「……シャイス。さっき、きいたんだけど、あなたは前の女王のおへやを、そのままとってあるって」

 サイスは軽く目を見開いたけれど、うなずいた。

「ああ。そうだ」

「どうして? ふきつなへやだって、いってるひともいたわ」

「俺にとっては、大事な部屋なんだ」

 サイスは、私の顔から少し、視線を逸らす。

「フランディ……フランデリーナと俺は、同い年の幼なじみだった。彼女の従兄弟の子どもが俺、という関係だ。仲がよかった」

(知ってるわ。……懐かしい呼び名)

 私は、過去に思いを馳せた。


 親同士の交流が密だったこともあって、行事ごとに親族が集まった。大人たちがパーティをしている間、子どもたちは子どもたちで一緒に遊んだものだ。

 私とサイスは特に仲が良く、一緒に屋敷内を探検したり、木登りしたりした。

 楽しく遊んだ日の夜、ベッドに入りながら、私はメイドに言った。

『大人になったら、サイスとけっこんする!』

 メイドは困ったように笑う。

『残念ながら、それはできませんねぇ』

『どうして?』

『五親等……ええと、血が近すぎるからですよ。でも、ずーっと仲良しでいられるといいですね』

 その時は、ただ仲良くいられるなら何の問題もないと思った。


 サイスは続ける。

「フランディが女王になり、やがて俺が近衛隊の副隊長になると、彼女はとても喜んでくれた。気心の知れた俺がそばにいれば、安心だと思ったんだろう。……それなのにあの日、俺は調査したいことがあって王宮を離れていた。女王に対して不穏な計画を立てているという噂の貴族に、会いに行ったんだ。そいつは王宮に行っていた。行き違いになったと知って、急いで駆けつけた。でも、間に合わなかった」

 淡々と言いながらも、彼は握りしめた拳を見つめている。

「フランディの期待を裏切った。その事実を忘れないように、あの部屋を残しているんだ。生前の、そのままに」


(裏切られたなんて、思っていないのに)

 私は少しの間、黙っていたけれど、気になっていたことをさりげなく口にした。

「それで、つぎの国王が、あなただったのね」


 単なる事実確認のように聞こえただろうけれど、私が本当に聞きたかったのはこういうことだ。

(彼よりも、継承位の高い王族がいたはず)

 私の次に王になったのがサイスだと知った時は、少し驚いたのだ。


 すると、彼はため息混じりにそのあたりの話をしてくれた。

「本当なら、俺ではなかったはずだった。ただ、フランディを糾弾した人々の裏に、第一王位継承者がいたんだよ。フランディを殺せと命令してはいないようだったが、話し合いが加熱するよう煽っていたらしい。うまく行けば自分が次の王に……とな。第二位もその近しい血縁だったり、なんだかんだで、誰が王に相応しいの相応しくないのと散々もめた結果、国王は俺が引き受けざるを得なかった」

「そう……」

 国民には、詳しい事情は伏せられたのだろう。

「彼女を守れなかった俺が、彼女の後継者とはな。……女王は有力貴族と結婚間近でもあって、幸せになってほしかった。そんな彼女が何かを隠している様子だったのは、今でも心に引っかかっている。それなのに」

 彼は肩をすくめる。

「今度は、俺が臣下に隠し事をする羽目になった、というわけだ。もちろん、お前のことだぞ」

 そして、我に返ったかのように瞬きをする。

「つい長話をしてしまった。妙にお前は話しやすい。さあ、もう一眠りしろ。満月の日までに体調を整えておかないと」

 大きな手が再び、額を撫でた。


(私が本当に両親の子なのかわからない……なんて、隠すに決まってるわ)

 私はじっと、サイスを見つめる。

(女王の座を追われることになったら、近衛騎士のあなたはそばにいてくれなくなると思ってたから。……ふふ、結ばれない相手にそんな気持ちを抱いていること自体、もし知られたら軽蔑されたでしょうけど)


 生まれ変わってからずっと、新国王サイスが誰かと結婚したら、その幸せを祝福しようと思っていた。それなのに、想像もしていなかった奇妙な再会をした。

(おかしなものね。今世では血縁の制約はないけれど、やっぱり私たちは結ばれない運命。身分も違うし、まさかサイスが幼い子どもに対してそんな気持ちになるわけがないし)

 私との契約が解消されたら、今度こそ、年齢の釣り合った誰かと結婚してくれればいい。

(あなたが私の幸せを願ってくれたように、私も、あなたの幸せを願ってる)

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