二話 シグマな彼 2
声の主はカウンターの先、ちょうど酒瓶の陳列棚とカウンターの間に挟まる形の場所に立っている。
白のシャツの上にカマーベスト。さらに首元にはネクタイが締められ、下はスラックスにパンプスを履いている。シャツ以外は全て黒色で統一されており、バーテンダーのそれを彷彿とさせる。
しかし注目すべきは、服装よりもその綺麗な金髪。背中ほどまで伸びたロングな髪は、毛根あたりから毛先まで全てが金一色であり、傷んでいる様子も全くない。
昨今における一般常識において、黒色がデフォルトの日本だ。
ここ数十年に渡って、茶色だの、金髪だの、赤だの青だのとカラフルな頭髪が受け入れられていく只中ではある。実際、街を歩けば嫌でも目に入るほどには。
しかしながら、この天然由来の金髪はブリーチによる偽りの頭髪では到底太刀打ちできないだろう。
それほどまでに美しい。
そんなオーガニックな金髪も今はポニーテールにまとめられている。
正直、めちゃくちゃ似合っていた。
さらにこちらを見つめるその瞳は翡翠色で、肌は真っ白なことから彼女がアジア系の人間ではないことを如実に印象づけた。
となれば勿論、スタイルもすごい。何がすごいって胸や臀部はこれでもかと主張しているのに対して、腰はくびれていてやばい。一体どうなったらそんなスタイルになるのか、一度秘訣を拝聴したいくらいだ。
最後に、極め付けはその顔立ち。
BARを営んでいることから、実年齢はもう少し上だろうが十代と言われてもなんな遜色ないほどの若々しさ。
街を歩けば男女共に誰もが振り向き、一生忘れることはないだろう整った顔。ニコリと笑顔を向けられてしまえば、百人中百二十人が惚れてしまうだろう。
無論、こちらに佇む山田も既にその脳内に焼き付いている。
「何カ、飲ムカ?」
「そうだな、いつものやつをくれ」
「アァ、ワカッタ」
そんな絶世の美女と簡単なやり取りの末、男はコートを着用したままカウンター席に腰を下ろす。ちょうど彼女の正面、席にして手前から二番目のに当たる席だ。
席に着いたのを確認した彼女は、何処からともなくオレンジを取り出した。
産地直送、純国産のブラッドオレンジ。
それを彼女は摩訶不思議な力でふわふわと浮かせると、半分に切断する。
そのまま既に氷を入れていたシェイカーの上へ空中を移動させ、今度はひとりでにオレンジがねじ曲がる。まるで雑巾を搾ってるかのように。
それに対し、山田はなんら驚いた様子はない。まるでそれが当たり前と言わんばかりの落ち着きよう。
搾り切ったのを確認した彼女は、シェイカーを振り始めた。一連の動作を見る限り、シェイカーも不思議な力で振れそうだが、そこは彼女のバーテンダーとしての矜持故の行いなのかもしれない。
ややあって山田の前には、丸氷入りのロックグラスに半分ほど注がれたブラッドオレンジジュースとサービスのスモークチーズが二切れ。
山田はそれを手に取ると、ちびりちびりと口に含む。
この絶妙な酸味と甘さは、搾りたて百パーセントでなければ味わうことはできない。
店の落ち着いた雰囲気も相まって、思わず山田の口角も自ずと上がる。しかしながら、飲んでいるのはオレンジジュースという現実が全てを台無しにしていた。
「ソレデ、報酬ハドウスル?」
コトンとグラスを置いたタイミングで、彼女は話しかけてきた。
「いつものところに振り込んでおいて構わない。そちらの取り分もいつもと同じでいい」
「ソウカ。デハ後日、暇ナ時ニデモ確認シテクレ」
「了解だ。ソフィ」
ソフィ。そう呼ばれる彼女の名はソフィア・R・トンプソン。
先ほどの説明通り、名前よろしく日本人とは異なる見た目をしている彼女は、何を隠そうここ『メイドカフェ 悪事千里』のオーナー兼店長である。
昼は店長としてメイドたちを従え、夜はこちらのBARを一人で切り盛りしている。
ちなみにソフィとは仲のいい相手だけに許した愛称である。
もう既にご理解いただけていると思うが、先ほど山田と電話越しに話していた張本人は彼女だ。そのややカタコトながらも流暢な日本語は記憶に新しい。
「次ノ仕事ダガ、明日ハ大丈夫カ?」
「それは火急の依頼だろうか」
言い終えた山田は、またちびりとブラッドオレンジジュースを口に入れ、軽く舌で転がす。その余韻を残したままスモークチーズを軽くつまむ。
ソフィお手製のスモークチーズ。チップは桜。
ブラッドオレンジの甘さにスモーキーなチーズがこれでもかと合わない。
どちらも単体としては最高に美味なのだが、プラスにプラスをぶつけても必ず成功するとは限らないのだ。
がしかし美味しいのは本当なのでそのまま構わず頂く。
「イヤ、ソコマデ急ヲ要シテハイナイ」
「そうか……。では済まないが、今回は辞退させてくれ」
「ワカッタ。伝エテオク」
「あぁ、頼む」
なんら珍しくないいつも通りのやり取り。しかしながら、今回の彼女は踏み込んできた。
「……何カ、用事カ?」
「そのようなものだ」
「例ノ女カ?」
「さてな」
目を瞑りニヤリとロックグラスを傾ける全身黒コートの厨二男。
なぜ無駄に匂わすのだ。
これが、種類は問わないのでウイスキーとかであったのならまだカッコつけられただろう。だが残念ながらその中身は産地直送、純国産百パーセントブラッドオレンジジュース。
どう頑張っても背伸びした餓鬼の真似事としか捉えられない。
「…………明日ハ、クリスマスイブダッタカ」
「あぁ、そうだな」
「……ヤメテオイタ方ガイイ」
「大きなお世話だ」
「…………」
「とにかく、明日は済まないが用事がある」
「…………ソウカ」
これ以上は何も言わせまいと、妖怪匂わせ男は話を切り上げる。
それに対しソフィもこれ以上追求することはなかった。ちゃんと引き際をわかっている彼女である。
その後、若干の会話を挟みながら、小一時間ばかりBARの雰囲気とチーズをあてにジュースを嗜む山田であった。
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