第21話 旅立ちへのカウントダウン(5)

――《少女視点》――


 デッブーカが仕掛けてきた魔術士が近づいていく中、ニィナは焼け焦げた木々の臭いとうめき声をあげる冒険者たちの声を感じ取りながら――頭が真っ白になっていた。


 ――わたしのせいだ。


 最近は人にも慣れ、冒険者活動も順調なせいで忘れてしまった……忘れていることができた奴隷時代のことを思い出していた。


「あ、あぁ……」


 腰から力が抜け、立ち上がる気力も湧いてこないニィナはそのままへたり込んでしまう。


 尻尾を切り落とされ、役立たずと同族から流れの商人に売られデッブーカの奴隷商に流れ着いた。

 天能もなく、尻尾もないニィナは売れ残り、劣悪な環境で死にかける毎日。


 それでも、神様に出会い救われた。


 あの地獄から抜け出し、神様からもらった力で、あの街でやり直せるとそう信じていたのに。


「……っ」


 息が詰まり、動悸が収まらない。

 ニィナは胸を押さえてうずくまっている。


 自分がまだ奴隷で、あの太った中年が自分の主人だと会ったこともないデッブーカを一目見ただけで、分からされた。


 それはデッブーカによる奴隷契約がきちんと働いている証でもあるが……別の理由でニィナは動けずにいた。


 ニィナは同族からの裏切りと奴隷時代のことが頭から離れず、戦闘の高揚もいつのように湧いてこない。


 ……奴隷は主人に逆らうことができない、それは絶対。

 自分はどこまで行っても、この過去から逃げることはできないのだとそう思わされた。



 先ほどの魔術で回避が間に合わず、ひどい火傷を負った人が視界に入る。


「わたっ、わたしの……せいで……っ」


 視界が涙でにじみ、手で拭うことすら許してはいけないと自分を責めた。

 どうして自分は産まれてしまったんだろうと後悔するほどに。

 胃液が喉元にまでのぼり、嗚咽がこぼれる。


 自分がひどい目に遭うだけじゃない。

 初めて、自分のせいで周りに被害を与えてしまった。


 対して仲もよくないけれど、それでも自分を受け入れてくれた人たちを傷つけてしまった。

 この事実が何よりもニィナの心を痛める。


「あ――」


 涙でにじむニィナの視界に、よく自分に突っかかってくるアレクの火傷に苦しむ姿が目に入った。

 自分の近くにいたせいで、あんなに苦しんでいる。


 痛みのせいか表情が歪み、額には脂汗が流れている。

 ……ニィナには痛いほどその苦しみが理解できた。


 どうしたらいいんだろう。


 もう、自分で立ち上がることすら難しい。


「……たす、けて」


 幼く、未熟で、今まであまり神を信じたこともない神官は祈る。


 ――どうか、ここから助けてくださいと。


『はいよー』


 その祈りは確かに、届いた。

 この地獄のような光景に似合わないほど、軽い返事付きで。



***



「さて、どうするかなー……」


 ニィナのお願いに応えて憑依したはいいものの、こんな大勢の目の前で俺の力はあまり使いたくない。

 というか、俺は普通に見捨てて逃げるつもりだった。


 なぜなら俺は目の前に苦しむ人たちに対して愛着がない。

 そりゃ、ニィナによくしてもらったことは感謝しているけれど……それはそれ。


 今だって、ニィナが悲しむから何とかしようと思っているくらいだし……俺って本当に元人間なんだろうか? 俺が勝手にそう思い込んでる説とか全然ありえる。

 記憶がないだけで、邪神とか言われても納得しそう。


 まあ、そんな思考はさておき。

 カヴェルたちが押され気味なので戦闘に参加しなければ。

 あの魔術士、貧弱かと思えば魔術を小出しして、普通に接近戦に対応してる。

 正面戦闘は苦手とは何だったのか。


 頬がこけてて痩せ気味だったからてっきりそんなイメージだったけど……まあ、一人でこの人数を相手にするくらいならそれくらいの対策はしてあって当然か。


「とりあえず《念力》で様子見」


 遠くから攻撃できる《念力》を魔術士に向けて放つ。

 カヴェルたちの動きを邪魔しないように頭上を伝って、首を締め上げようとする。


 あともう少し――これで動きを止められると俺は確信し、急所へと向けるのだが。


 ――魔術士はなぜかその動きが見えているかのようにとっさに身をひるがえした。


「ふむ、雰囲気が変わりましたな。それにこの魔力は……あまりに不気味」

「ちっ……じゃあ、これなら!」


 《念力》に《隠匿》を重ねて、バレないように再び仕掛けた。

 先ほどよりも反応が遅れたがそれでも回避される。


 その後も何度か、力の効果が続く限りに仕掛けていくも、一度も当たることはない。


 …………。


 もしかして、見えている? あの神典教の祭司にも見破られたように一定の実力者には通じないのだろうか。


 ゲーム風に考えるなら……レベル差、もしくは何かしらの能力で《念力》や《隠匿》の力がはじかれている。


 なら、いっそのこと遠距離からの攻撃は諦めて、こちらも接近するべきか。

 それともこのまま妨害を続けて、カヴェルたちの援護をするべき……。


「いや、カヴェルには《念力》を見破られなかった。つまり、魔術士とカヴェルたちにはそれくらいの実力差がある」


 このままカヴェルに戦闘を任せるのは不安だ。

 なら、こちらも仕掛けよう。


 そう思い腰にある棍棒に手をかけて、ブンと軽く振って握り心地を確かめる。


 さあ、近づこうと意気込むところに突然声がかけられた。


「おい、ニィナ」

「……ん、えっと。なに?」


 声をかけてきたのはアレク。

 よくニィナに突っかかってくる新人冒険者だった。


 アレクは火傷で苦しそうにしながらも、立って歩けるくらいには回復している。

 神官に癒してもらったのだろう。

 けれど、首の右側から腕にかけてひどい火傷の痕が残っている。


 俺はなるべくニィナの口調を真似しながら、アレクへと視線を向けた。


「お前じゃ勝てねえ。それに……狙われてるんだろ? なら、今のうちに逃げろ」


 軽く咳き込みながらも、俺に逃亡を促す。

 先ほどの……デッブーカだっけ? がしゃべっていたことも聞こえていたのか、こちらを気遣うような態度で語りかける。


 それに、とアレクは言葉を紡ぐ。


「お前、怯えてるじゃねえか」

「……あー」


 アレクに聞こえないように俺は小さく声を出す。

 それはニィナであって、俺じゃないというか……もう大丈夫だと言っても、あれほどの狼狽えっぷりを見られていたのなら通じなさそう。


「そっちこそ。ボロボロでどうするの?」

「へっ、冒険者ならこれくらいのケガで引き下がれるか」


 なんとか引き下がってくれないかと挑発混じりの説得を試みるも、逆に焚きつけてしまった。

 気持ちは同じ男としてわかるよー。女の子の前でいい恰好したいよね。

 でもなあ、こっちは俺の加護の力で常に健康だし、今はとくにケガもしてないから万全の状態。

 対してアレクは火傷で思うように動けない。


 足手まとい、としか。


「そう。でも大丈夫だから」


 アレクにかける言葉が見つからず、結局、強がるようなことしか言えなかった。


「じゃ」


 たぶん、退かないだろうな……と思いつつ、俺は魔術士のほうへと向かうのだった。

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