第6話 久しぶりにお風呂に入るとめちゃくちゃさっぱりするよね

 ニィナはおもむろに立ち上がり、その服とも呼び難いボロ布に手をかけた。

 肩に引っかかっていた部分がずれて、そのまま何の抵抗もなく床に落ちる。


 服とはいえないほどボロボロだけども、それでも外気が肌に触れると落ち着かない。

 両腕を抱えるようにして、泉のそばに近づいった。


 なにも着飾るものがなくなり、森の泉で生まれたままの姿となったニィナは水浴びをしようと、ゆっくりとつま先から水に浸かっていく。


 ちょっとだけ、汚れた自分がこの綺麗な泉に入ってもいいのかと、躊躇いを感じているけれど、体を綺麗にしたいという欲求に従う。


 幸い、水の深さはニィナの腰くらいまでしかなく、簡単に足がついた。


「……っ」


 昼間とはいえ、真水はさすがに冷たかった。

 けれど、疲れ切って汚れた体にはそれがむしろ心地よくて、あっという間に馴染んでいく。


 ゆっくりとしゃがんで全身で水に浸かり、体の隅々まで行き渡るように手を使って汚れを落とす。


 そして、大きく息を吸って頭ごと水の中に入る。


 これを何度か繰り返して、全身を綺麗にしていった。


「……ふぅ」


 最後に顔に水をかけて洗い、さっぱりとした気分で息を吐く。

 一通り、体を綺麗にし終えて……心がとても穏やかになっていることに気付いた。


「んー……」


 ポタポタと濡れた黒髪を絞り、顔についた水を拭いながら地面に腰掛け、足だけを水に入れながら体を休ませる。


 こうしてゆっくりと体を綺麗にする機会なんてなかったから、とても気持ちがいい。


「~~♪」


 足を伸ばして、パシャパシャと水遊びをするほどに気分が上がっている。


「わっ」


 水面に波紋が広がって、飛び散った水滴が光を反射してキラキラと輝いている。

 体を見下ろせば、同じように輝く水滴が付いており……ニィナの目には、とても綺麗に映った。


 役立たずで惨めで汚い自分の体なんて嫌いだったのに、今だけはとても綺麗に見えたのだ。


 あと、ちょっぴり太ったかもしれない……とニィナは肉付きのよくなった自分の胸やお腹を見て思う。


「むぅ……」


 前までが痩せすぎてたのだから、それくらい気にしなくてもいいと俺は思うけれど……ニィナは「余計な肉が付いてる……」とちょっとだけ不満そうにしている。



 ……こうやって、過ごしたことなんて村にいたころだってなかったと、ニィナは少しだけ過去に思いを馳せた。


 あの時は、今日のご飯だってあるのかすら分からず、生きていくことで精一杯で。

 他のことをする余裕がなかった。


 だけども、身だしなみには気を付けていたな、とニィナは思う。。

 特に尻尾は獣人の証であるため、みんなから疎まれるニィナは人一倍、気を遣って手入れをしていたのだ。


 最近はその暇すらなかったけど……今なら、してもいいだろう。

 むしろやりたいと思っている。


「あ……」


 そう思って、尻尾の手入れをしようと腰に手を伸ばすけれど、そこには何もなく……ただ、尻尾の痕があるだけ。


 浮かれていた気分が沈んでいく。


「んっ」


 触れれば、少しだけ傷が疼く。

 かつて立派でふさふさな尻尾があったけれど、みんなに切り落とされてしまった……と嫌な過去を思い返す。


 もうとっくに古傷となったはずなのに、今でもなぞると痛く感じる。

 それはまるで、自分が役立たずの能無しであったことを忘れるなと言いたげに。


 ……忘れられるわけがないのに。

 忘れたくても、目を閉じればいつだって浮かび上がってくる。


 その度に、自分はみんなから捨てられたことを理解させられる。


「……っ!」


 なんて、ネガティブな感情を流すように、ニィナは顔に水をかけて全てを洗い流す。

 それでもやっぱり、尻尾があったところに触れて、感情に浸ってしまう。


 ……だから、泉の中に飛び込んだ。

 なんだか、体の周りに嫌なものがまとわりついているように思えたから。


 全身がずぶ濡れになって、乾いてきた髪が水滴を垂らすほどに濡れているのにも構わず――ただ、広い空をながめていた。





 しばらく水に浸かっていたけれど、さすがに体が冷えてきたのか、ニィナは立ち上がり泉から出る。


 ふるふると頭を振って水気を落として、ぐっと体を伸ばす。


 なにか、体を拭くものでもあればよかったけれど、あいにくと手持ちにあるのはボロ布の服だけ。


 体が乾かぬうちに服を着るのは躊躇われる。

 とりあえず木の枝にでも干しておこうと手に持って、気づく。


「…………」


 スン、と服を鼻に近づけて匂いをかぐ。


 土とか汗とかの匂いが混ざって、端的に言うと臭かった。

 なんで今まで気にならなかったんだろうってくらい、臭い。


 せっかく体を綺麗にしたのに、それを着る気にはなれないし、なによりこんな服を着ていたことが途端に恥ずかしく思えてきた。


「…………」


 ……ニィナは無言で服を水につけて洗うのだった。



***



 裸のままで冷えた体と濡れた服を乾かすために、魔術で火をおこしてあげた。

 ニィナは裸でいることに、特に抵抗はないのか、自然体で火に当たり過ごしている。


『うーむ』

「……神様?」


 見ないようにと努めるけれど、俺の視界はニィナに依存している。

 目を瞑ろうとしても、そもそも瞑ることができないのだ。


 “憑依”を解除すればいいじゃないかと思うけど、いつ敵が襲ってくるのか分からないのに、ニィナから目を離すわけにもいかない。


 ……まあ、気にしてないみたいだし、あんまり気にするのはむしろ気持ち悪い。というか気色悪い。


 よし! 気にしないようにしよう!


 そもそも、こんなこと気にしているけれど、その気になれば体の自由を奪うことができてしまうのだ。

 善人ぶったり、まともなフリをしたって、ニィナの尊厳を無視していること……その事実は変わらない。


 俺の行動次第で、ニィナの意思なんて関係なく操ることができてしまう。

 昨日だって傷を治したとはいえ、無茶な戦いをしてしまったのだ。


 なにより、俺がいなければニィナが今こうして、外で水浴びをすることだって出来ていなかったかもしれないんだ。


 だから、こんなことを気にしてなんていられない。

 してたら体を操るなんてことも、しちゃいけないってことになる。


 ――俺は、この子に関わっちゃいけなかった……なんて、思ってはいけない。


 ……そんな風に自分を納得させながらお昼ご飯を食べるために《満腹の加護》を使う。


 今回はレタスとトマトが挟まっていた。

 マヨネーズがアクセントになっていて、とてもおいしい。


「はむっ」


 と、かわいらしくハンバーガーにかぶりつくニィナを見ながら、やっぱり複雑な気持ちを抱かずにはいられないのだった。

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